君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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盛り上がりに欠ける・・・・
今までの宮崎作品に新海作品のタイムパラドックス的な要素を足した様な・・・・・
あまり新鮮味も無く、登場人物に惹かれることも無かった
また、映像的にも音楽的にも目新しいと感じず、冒頭以外は抑揚の無いストーリーなので眠気が・・・
しかし、この豪華な声優陣は何だ!
アニメの大御所であれば、声優を職業としている方々にお願いするのが当たり前ではと思ってしまいました
それと映画のタイトルは物語とはほとんど関係なかったんですね
ジブリという箱庭でこう生きたのか
自分は高畑勲が少し好きなので冒頭で、おお!?となった。
全体的に見ても高畑オマージュ部分の力の入れようは一線を画するものだったと思う。
受けた衝撃を作画に表したのだとすれば、やはりいつまでも宮崎駿の中での高畑勲は特別なんだなと思えて嬉しかった。
それ以降はもう、そういう視点でしか映画を見れなくて、この人物は宮崎駿本人で、これは鈴木敏夫っぽく見えるな。あれって…もしかして俺ら(視聴者)のことか?この子は息子、ワンチャン庵野かもな?笑
というふうに辿って見てたら最後笑ってしまった。
自分はジブリをそこまで詳しく知っているわけではないのでその程度だったが、ずっと追い続けてる人ならもっと深掘り出来るんじゃないかと思った。
一族の私的な大冒険
先週公開された映画「君たちはどう生きるか」を鑑賞した。10年前に引退した宮崎駿が82歳になって製作した本作は、宣伝を一切行わないという宣伝を行ったため、自分は吉野源三郎の同名小説が原作と勘違いしていた。
吉野源三郎の小説は中学1年の時、地元の学習塾で小説家崩れの講師からプレゼントされ、夢中で読んだ記憶がある。あれから間も無く40年。映画はコペル君と叔父さんの交換日記ではなく、監督お得意の冒険ファンタジーだった。
宮崎駿が人生の最晩年に何を考え何を表現するのか、それはそれで興味深い。年寄りばかりが登場し躍動する本作は、過去の作品のオマージュと言うかパロディと言うか、集大成的な構成ではあるものの、次世代へバトンを託す意欲は感じられた。
また、舞台を戦中に設定しているが政治的・社会的な問題には踏み込まず、広大な宇宙空間や生命の死と再生を描きつつも、一族の私的な大冒険が最終的には子孫繁栄に収斂されているのも印象的である。
映画の評判は芳しくないようで「訳が分からない」とのコメントが目立つ。確かに訳が分からない。しかし、理解の容易な作品が好まれる昨今、あえて突っ込み所が多く、多角的で自由勝手な解釈を可能にしつつも、言わんとしている事は伝わる。
だから、自分は楽しめた。そして、これで終わりじゃないだろう。
宮崎駿らしさを楽しむ映画
冒頭の火事のシーンは迫力があり、青サギの存在も謎深くて引き込まれました。
ストーリーのまとまりや盛り上がりはあまりないのですが、見終わってしばらくするとじわじわと描かれていた世界の良さを実感出来ました。
各所に独特の構図や見せ方があり、宮崎駿を感じさせてくれます。可愛いものはとことん可愛く、気持ち悪いものは気持ち悪く描くのもらしいと思いました。ポニョの頃からそうですが、宮崎駿の独り言を聞いているような映画です。
以前のように空想世界を1シーンで本当にあるように見せるキレはなかった気がしますが、何日か経ってもシーンがフラッシュバックしてくる絵の強さは相変らずだと思いました。
この映画の私的解釈と、感銘
(完全ネタバレですので必ず鑑賞後にお読み下さい!)
この映画『君たちはどう生きるか』を観ました。
結論から言うと非常に感銘を受けました。
しかし、この映画『君たちはどう生きるか』は、宮﨑駿(宮崎駿)監督が分かり易くは劇中で説明していないので、私的な解釈を交えて、なぜ私がこの映画を見て感銘を受けたのか、書いてみます。
この映画『君たちはどう生きるか』は、先の戦争中の日本が舞台です。
主人公・牧眞人は、戦争中に母・久子がいた建物が焼け、母親を亡くします。
その後、主人公・牧眞人の父は、戦争中に兵器工場で儲けます。
主人公・牧眞人は、疎開も兼ねて東京から父の兵器工場近くの母の実家の屋敷に父と共に越して来ます。
その時に主人公・牧眞人は、牧眞人の父が再婚した、牧眞人の新しい母・夏子に出会います。
牧眞人の新しい母・夏子は既に父の子を宿しています。
牧眞人の新しい母・夏子は、後に火事で亡くなった実の母・久子の妹であることが明かされます。
牧眞人が父と共に越して来た母の実家の屋敷には、離れに塔があることが分かります。
離れの塔は、本好きな優秀な大叔父が建てたと新しい母・夏子から説明されます。
牧眞人はこの新しい疎開場所で、学校の周りの生徒と軋轢が出来ます。
牧眞人は学校内の軋轢から逃れるために自分の頭を少し大きな石で打ちつけ、多量の出血をさせ、(口では否定しながら)周りの生徒から攻撃されたと父を含めて暗に伝えます。
ある時、屋敷の中でアオサギが牧眞人の前に現れます。
アオサギは、火事で亡くなったはずの牧眞人の実の母・久子が本当は生きていると伝え、何度も離れの塔に牧眞人を導こうとします。
その後、新しい母・夏子が離れの塔の付近で行方不明になります。
牧眞人は老婆・キリコと共に新しい母・夏子を探すために離れの塔の中に入って行きます。
牧眞人は塔の中でまたアオサギに攻撃を受けるのですが、以前に作ったアオサギが落とした羽を使った矢でアオヤギのくちばしを射抜き、アオサギを無力化させます。
くちばしを矢で射抜かれたアオサギは、サギ男へと変貌します。
映画をここまで見て、私的には3つの疑問が立ち現れます。
それは、
Q1.アオサギとは何なのか?
Q2.主人公・牧眞人が自分の頭を打ちつけ大きな出血をさせた意味とは?
Q3.大叔父が建てた離れの塔とは何なのか?
の3つの疑問です。
この3つの疑問は映画を最後まで見てもしっかりとした説明はなく明確な答えは不明のままです。
しかし、以下に(私的)解釈出来ると思われます。
A1.アオサギとは、世界から離脱したい欲求のメタファー(暗喩)だと解釈されると思われました。
主人公・牧眞人は、潜在的には実の母・久子が生きていて欲しいと願っています。
そして口には出しませんが、実の母・久子が戦争中の火事で亡くなった原因は戦争にあると思っていると感じられます。
さらに、父がその戦争に兵器工場の経営で加担していることも、暗に牧眞人には違和感があると解釈できます。
そんな父が新しい母・夏子と子を宿したことにも、牧眞人には違和感あると思われます。
牧眞人は、そんな世界から逃げ出したい離脱したいと暗に望んでいると思われます。
そして、牧眞人が世界から逃げ出したい離脱したい欲望のメタファー(暗喩)がアオサギであると解釈されると思われるのです。
A2.さらに、牧眞人が自分の頭を打ちつけ大きな出血をさせた理由は、(そんな世界に立ち向かわず)離脱したい行動の現われとして解釈出来ると思われます。
最後に大叔父が建てた離れの塔とは何なのか?
A3.(このことは後に明かされますが)離れの塔とは、世界から離脱した人達が、「悪意」のない理想的な世界のバランスを理論化し実現しようとする場所なのだと解釈できると思われます。
くちばしを矢で射抜かれたアオサギは、サギ男へと変貌しますが、その後、サギ男は主人公・牧眞人と老婆・キリコを離れの塔のフロアより1つ下の階層に導きます。
離れの塔より1つ下の階層には海が広がり、大量の帆船が漂っています。
牧眞人は島に流れ着き、「ワレヲ学ブモノハシス」と書かれた門を、大量のペリカンに押されて開けてしまい、ペリカンに襲われます。
しかし矢についていたアオサギの羽のおかげで、牧眞人はペリカンに食べられずに済みました。
その後、牧眞人は老婆・キリコの若い頃のキリコに出会い助けられます。
キリコは漁を行い、牧眞人と共に大きな魚のハラワタを取るなど解体します。
そして、白く小さいふわふわとしたワラワラにその魚を解体して出来た食料を分け与えます。
また帆船に乗ったのっぺらぼうの黒い乗組員たちは漁が出来ないことをキリコが説明します。
白いワラワラはキリコが与えた食料を食べて空へと飛んでいきます。
ワラワラはその後、上の世界、つまり人間世界に到達して人間の生命として誕生するとキリコは説明します。
しかしワラワラが地上に達する前に、大量のペリカンが飛んで来て空を飛ぶワラワラを食い散らかします。
それを阻止するために、海中からヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)が現われ、火でペリカンを燃やし空飛ぶワラワラを助けます。
ただ、その火はペリカンだけでなく、少なくないワラワラをも燃やすことになるのです。
ここで4点の疑問がわきます。
Q4.ペリカンとは何なのか?なぜアオサギの羽を持っていた牧眞人はペリカンに食べられなかったのか?
Q5.キリコが行っている漁の意味とは?
Q6.帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員とは何なのか?
Q7.なぜヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)はペリカンだけでなくワラワラも燃やしてしまっていたのか?
それぞれの答えの解釈は以下になると思われます。
A4.ペリカンは世界から離脱した(せざるを得なかった)ある一つの行きつく先のメタファー(暗喩)だと解釈出来ると思われます。
ペリカンは世界から離脱し追い詰められ、ついに人間生命の誕生(ワラワラ)をも食い散らかす存在として現れます。
そして、アオサギは世界から離脱したい欲求のメタファー(暗喩)です。
だからこそ世界からの離脱の存在としてアオサギと同類のペリカンは、アオサギの羽を持っていた牧眞人を食べることが出来なかったのだと考えられます。
A5.キリコの漁の意味は、自分たちが生きる為に生命を殺し対峙する、つまり世界に立ち向かう行動のメタファー(暗喩)として解釈出来ると思われます。
キリコの漁の肯定は、実は世界に立ち向かう人々の肯定につながります。
しかしこの肯定の先には、世界に立ち向かうための争いや、その先の戦争の肯定も暗に示しています。
つまり、キリコの漁の肯定は、牧眞人の父が世界に立ち向かい兵器工場で財を得ていることを延長線上で肯定しているのです。
A6.そして、帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、(世界に立ち向かうキリコの漁とは逆に)世界から離脱した存在の一つのメタファー(暗喩)と解釈できると思われます。
帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、同じ離脱の存在のペリカンのように追い詰められて人間の生命の誕生であるワラワラの上昇を食べ尽くすことはありません。
しかし帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員は、ペリカンと同じ離脱の存在として、(キリコの漁のように)世界に立ち向かえず、生命の殺傷から目を逸らし、ただ漁をしたキリコから食料を買い取る者として振舞っています。
A7.そして、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)は生命の誕生を守る母としてのメタファー(暗喩)だと解釈されると思われます。
しかし、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)は、生命の誕生を守る優しい理想的なだけの母という存在ではありません。
ヒミは、時に、生命の誕生のワラワラをも焼いてしまう、苛烈な母としてのメタファー(暗喩)でもあるのです。
映画が進み、牧眞人はヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)やサギ男らと共に牧眞人の新しい母・夏子を離れの塔の中でついに発見します。
この過程で新しい母・夏子が、ヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)の妹であることが明かされます。
離れの塔の中の新しい母・夏子は(お腹の中の胎児を含め)、牧眞人から拒絶されていることを暗に甘受しています。
そして、新しい母・夏子は、牧眞人の離れの塔からの救出を激しく拒否します。
その過程でも1つの以下の疑問が現れます。
Q8.インコの存在とは何なのか?
A8.その答えは、インコとは、離れの塔の離脱した世界で、新しい理想的な世界を反転的に構築しようとする集団のメタファー(暗喩)であると解釈出来ると思われます。
インコは、帆船の黒いのっぺらぼうの乗組員らとは違って、キリコのように命を殺生することが出来ます。
しかしインコは、キリコとは違って、個々の生命(世界)に対峙しているとは思えません。
インコは、個性を無くした組織的な集団としてオートマチックになることで、個々の生命(世界)に対峙することなく殺生することが出来ているのです。
それが、世界からの離脱を経て、”新しい理想的な世界を反転的に構築しようとする集団”の意味です。
映画の最終盤で、主人公・牧眞人は遂に実際にこの離れの塔を作った大叔父に会うことになります。
そして、大叔父は牧眞人に、絶妙の積み木のバランスで成り立っている離れの塔の理想の世界の、継承者になってくれることを望みます。
しかし牧眞人は、自身の頭の傷を大叔父に見せ、自分にも「悪意」があることを示し、離脱した理想の世界を作る継承者になることを拒否します。
そして現実の世界に戻ることを大叔父にはっきりと伝えるのです。
このことにインコの大王は激怒します。
インコの大王は自分で理想の積み木を立てようと試みますが、すぐに積み木のバランスは崩れ、さらに怒ったインコの大王は自分の太刀で理想の積み木を真っ二つにします。
それによって離れの塔の中の、離脱した理想の世界は崩壊して行きます。
牧眞人とヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)とサギ男はそれぞれの年台の現実の世界につながる扉のある廊下へと逃げ出します。
そして、そこに若い頃のキリコと牧眞人の新しい母・夏子も逃げて来ます。
牧眞人と牧眞人の新しい母・夏子とサギ男は離れの塔に来る前の現実世界に戻ります。
そして、ヒミと若い頃のキリコは、牧眞人たちとは前の、ヒミが牧眞人を産むよりずっと以前の世界に、扉を通じて現実の世界に戻ります。
牧眞人と新しい母・夏子は、扉を抜けて牧眞人の父や屋敷の老婆たちと再会します。
サギ男も扉を抜け現実に戻りアオサギとなって飛び立って行きます。
インコたちも崩壊する離れの塔から現実の世界に殺到しますが、それぞれ可愛らしい小さなインコとして現実の世界に飛び立って行きます。
この映画は、牧眞人が世界から逃げ出す離脱する欲求を肯定しています。
また世界や生命の生死に立ち向かう若いキリコ(あるいは牧眞人の父)も肯定しています。
そして、(映画の初めの牧眞人のような)世界の離脱と(若いキリコのような)世界の立ち向かいの、間を取り持つ、ヒミのような時に苛烈になる母を肯定していると思われます。
一方でこの映画は、離れの塔の崩壊や大叔父の理想の継承の拒否で、世界からの全面離脱への疑義も示しています。
そして、世界や生命の生死に対峙する時の残酷さも示していると思われます。
火事で亡くなった実の母・久子の現実での不在の受け入れも示しています。
この矛盾に満ちた現実の受け入れと、離れの塔を通じたヒミ(若い頃の牧眞人の実の母・久子)との関係を含めた経験の記憶と、近しい仲間の存在により、辛うじて現実を生きて行くことに決めた主人公・牧眞人の姿に、個人的には静かな感銘を受けました。
今の現在、国内外を含め様々な場所で訳も分からず暴発している人々の存在があり、彼らを迂回させる一助にこの作品がなれば良いのにとも思われてはいます。
この映画は暗く重いですが、世界を伝え切ったところにも感銘しました。
ヘイお待ち!「駿の性癖詰合せ」だよ!
公開早々に周囲の知人友人諸々が観に行った!!との事だったのでネタバレ踏まないうちに焦って観に行きました!
率直に言って、かなり好きな作品になりそうです。
(と、言いつつ幼少期以来ずっとナウシカ、ラピュタ、紅の豚からランキングが塗り変わる事は無いのですが…。)
ただ、初見、予備知識無しでの直後の感想として、
(同僚に鳥がめっちゃ出てくる…とは言われた。確かに。めっちゃ出てきた…。)
宮崎駿やりたい放題!駿の「好き(性癖)」を詰め込んで作りました!元ネタは古事記だよ!!!
…なのかな?と思った次第です。
お母さんが亡くなったと思ったらお父ちゃんがお母さんの妹をいつの間にか後妻に据えて、あまつさえ既にご懐妊とは…いくら時代として珍しくは無いとはいえ、そりゃモニョるわよねぇ眞人君。。。
そして夏子さんだって明るく振舞ったところで、何も感じない訳でもなし。
(しかも妊娠中期~で体調もメンタルも不安定…。)
お母様のご実家はかなりの大きいお家(地主?)の様ですし、元々何かのお血筋だったのかな?など妄想を膨らませつつ…、
(駿さん母を神聖化させがち。)
塔の中で落とされた世界は「根の国」かな?
石の入口は死者の国…黄泉の国…って事は、夏子さんは天の岩戸に籠った伊邪那美神?
迎えに行く眞人君は伊邪那岐神?いや、失敗してたけどお父さんかな?
まぁ、配役的には叔父様が大国主神だろうから…って事は葦原中国を譲りたいので眞人君は邇邇芸命?「国譲り」のお話かな?
などなどなどなど…ひたすら連想に連想を重ねて忙しかったので、よくよく考えたらストーリーが好きと言うよりは、作中に出て来るシーンやモチーフを愉しく、忙しく、目ん玉ガン開きで追っ掛けていた気がします(苦笑)
今後、有識者達の考察を読みつつ、もう1回位は落ち着いて腰を据えて鑑賞したいです。
まぁ、なんにせよ知識と教養がある方がエンタメもより愉しい!って事だな。
たとえそれが偏ったオタク知識でも…。
(「すずめの戸締り」然り)
7/26追記⬇
本作に直接関わる追記では無いけれど、上記に書いた「知識と教養」と他の方の様々なレビュー(感想)を読んで。
「知識と教養」というのは所謂「賢さ」に根ざすものでは無くて…「センサー」みたいな物だと私は思っていて。
そのセンサー(ろ過装置だったり、リトマス試験紙だったり、エコーかもしれないけど)そういった色々なものを幅広く検知出来る機能が知識であり教養なのかなと。
だからどっち側(右左上下…)により感度の良いセンサーを持ってるかによって、みんな捉え方や分析・解析結果が違う。
何を見聴きしてどう感じるかは、結局自分というろ過装置に掛けてみたら何が検知されたか(もしくは何も検知されなかった)って事だと思ってる。
王道ジブリ作品
ネタバレしないように簡潔にまとめると
ジブリが大好きな人ならいろんなところでジブリあるあるな展開の楽しめる作品だと思います
過去のもののけ姫や千と千尋の神隠しレベルを期待すると肩透かし食らうかも
どっちかと言うと個人的に感じた作品の質はハウルに近いかな
ちょっとツッコミどころもあるけどまあ悪くない作品だし面白とは思ったけど宣伝しないで煽るレベルではないかと思ったしむしろ普通に宣伝したほうが良かったと思った
絶賛ではないけどおすすめできる作品です
好みではなかった。
寝た。めちゃ頑張ったんですが、20回くらい寝てた。
導入(中盤まで)と最後おさまってれば、後はストーリー自由だと思ってるようす。
ぽにょと、ハウルを思い出す。行き当たりばったり感。
監督自身がナラティブ的な手法で作っているように感じる。主観の体験という感じで辻褄合わせする気ない。いままでのツギハギにも感じる。
エヴァンゲリオンみたいに、それぞれで補完して考えて想像して欲しかったのかもだけど、上手くいってなくて置いてけぼり。
見たい人は覚悟してみよう。
映画にアートを求めてる人はどうぞ
宮崎駿の期待に応えられなかった我々
悲しい。ごめん。私たちは間違っていた。
宮崎駿は、人の良心というか、悪意に犯されていない意志があることを信じていたし、愛し慈しんでいた。けれど奪いあい貶めあう酷すぎる社会、ますます酷くなっていくこの社会にあって、絶望の底にいる。
空から突如として飛来し、誕生した塔。その中は全く別の時空間となっており、天国、地獄、あの世、彼岸、ニライカナイ、何とでも呼んでいい場所で、死んだ人も生まれる前の命もいる。何より、この酷すぎる現世とは異なる、ここではないどこかである。大叔父様として登場する宮崎駿は、そこが尊い場所であると悟り、すぐに保護した。そして現世を見限った宮崎駿は、広い集めたほんの少しのきれいな石=悪意に犯されてはいない石を積み上げ、世界とした。現世とは関わりを断った場所で積み木をして何十年、年老いた自分に代わり積み木をしてくれる(美しい心だけの世界を継続していってくれる)人を見出だし、あとを託そうとした。
しかし若き眞人は、自分は悪意を知っている、自分はあとを継ぐことはできない、と断る。墓石を墓石と見分けられるような目を持った君ならできる、と食い下がるが、結局短期なインコの王の癇癪によってジブリは、間違えた、異世界は崩壊してしまう。そしてそれが戦前の話であり、宮崎駿が青年期以降生きた戦後から今の時代は、実はすでに素晴らしきもの=美しい心の世界は崩壊していたんだ…
宮崎駿の孤独を埋められるような、同じ世界で会話ができるような人間はついに現れませんでした。彼は伝統とも血統とも何の関係もなく、落雷のように飛来して、美しい心を慈しむという活動を続けてきた。彼の世界を構成するエネルギーは、宇宙からやってきた謎の高エネルギー岩石。結局誰とも繋がれず、後にも遺せず、宮崎駿の活動はいずれ喪われていくのでしょう。
現世のシーンなんて、ホントにちょっとでしたね。酷くて醜いだけのこの世界なんて見たくも描きたくもないのかも知れない。
不甲斐なくてみっともない我々に怒ってくれていた時代もあったんでしょうが、今はただ空しい悲しみとともに死を思っているのでしょうか。
彼に希望や期待を持たせて送ることはできそうにもない。ごめん。ほんとにごめんなさい。宮崎駿。
君たちはどう生まれ、どう生きるのか
輪廻転生、生と死、あちらの世界、こちらの世界、パラレルワールド、人間の持つ心の闇。
私の解釈ですが、あの塔は、闇を表していると思いました。その奥は生と死の境目の場所。
マヒトは何度も闇に誘われます、人は大切な人を亡くしたら、ついていきたいという気持ちにもなるでしょう。
その誘導に何度も勝つのですが、夏子さんを助けにいくという形で入っていくことになります。
そこで、生死の境目で大叔父さんに現実世界を生きるのか、死後(天国)を守るのか選択を迫られます。
これは凄く怖い選択だと思いました。
天国は一見、夢のように美しくも見えるのです。
マヒトが現実世界を選んだ時、とても安堵しました。
そして、どんなに苦しくてもそこで生きるという意思を感じました。
また、夏子さんを通して、人間が生まれることの壮絶さを伝えられました。
夏子さんはつわりが酷く、自ら闇に誘い込まれるように進んでいくのです。
そこで、もがき苦しみます。
一つの命を守るために必死の形相になりマヒトに酷いことを言う。(ここについては、もっと深い見方ができるので何とも言えませんが)
人間が、生まれるのは本当に大変なこと。
それはワラワラなどを通しても伝わります。
私達は現在の、更に生きにくい社会の中で目に見えるものばかりに囚われ、死にたいと思ったり、それを選んでしまう人もいます。
でも、一つの命の誕生の裏には壮絶な物語があること、生み出す母親の忍耐と愛情の強さとはどれほどのものか、ということ。
それが一度見た時点で大きく伝わってきたメッセージでした。
まだまだ解釈の足りないところはあります。書ききれないところもありますが。。
宮崎駿監督が、もっともっと生きて理解すればいい、だから、もっと生きるんだ、と言っているような気がします。
ちゃんと考えましょう、感じましょう。
自分なりの解釈で良いのです。
難しい、とか一言で済ませるのではなく、頭と心を使うのです。
それが何より大切なこの映画へのアンサーではないでしょうか。
この不思議なファンタジーが良いのよね
ジブリの暖かみを残しつつアニメーションとしてクオリティが上がっていて凄く良かった。
どの場面も美しかったなぁ。特に私はジブリの描く森が好き。
今回は冒頭の火事のシーン凄かった。
ドルビーアトモスで観たから音の重圧感も重なって凄く満足感を得た映画だった。
ストーリーも良かった。
大叔父さん?はこの世の中じゃ良く無いと思って新しい世界での生き方を選んだ。
その生き方を他の人にも共有したかった。
ただ、主人公は戦争する世の中や周りの環境の変化にちゃんとついていけてはなかったり嫌な気持ちもあっただろうけど、現実での生き方を選んだ。
自分の生き方は自分で選ぶ。
辛いこともあるけど、何を大切にして優先して君たちはどう生きるのか。
主人公のお母さん、その妹、お婆さん、みんなあの塔の中の世界にどう生きるのか問われて選択していったのかな。
私(宮崎駿自身)はこう生きる事を選んだ。この生き方に続く物はいないかもしれない。宮崎駿のような映画作れる人はいないかもしれない。この自分が作った世界を残して欲しい気持ちもありつつ、
みんな自分の世界を自分で選び築いて行けば良い。
そんな映画なのかなぁと勝手に解釈(勝手な解釈です)
この映画にしか得られない感情があって心が持ってかれた。
この世界にもっと浸りたかった。
お父さんと新しいお母さんが仲良くしてるのを見たり、つわりのお見舞いの時の、お父さんが一緒に寝てる感じを漂わせる感じ良かったな。
本人は感情を言葉には出さないけど、子供からしたら受け入れるのにも時間がかかるし感情を揺さぶられる事だったって主人公目線のこの表現でよく分かるよね。
もしかして新しいお母さんは、主人公のためにあの世界に行ったのかな。
主人公の気持ちは充分分かっていただろうし。
どうなんだろうね。
あとインコの見た目、凶暴だけどピュアさもある感じ良かったな。
宮崎駿自身も分からないと言ったらしいから、個々の受け取り方でこの映画を観てそれぞれの私の世界観を作ったら良いなと思った。
絶賛や批判いろんな意見が出る映画おもしろいよね。
終わった。
好きなカット・好きな画を好きなだけ描きまくって、終わった。
というのがよくわかって、こちらもスッキリしました。
コンテ描きながら脚本決めていくようになってからはこのパターンが多かったから、これで「わからなかった」とか、そういう感想もきっと出てこないでしょう。
宮﨑監督が小さい時にこのアニメを見ていたら、目を輝かせて喜んだのでしょう。
そういう映画を作れて、監督ご自身もスッキリでしょうね。
とにかく最後まで観て!
冒頭と最後で、印象がガラリと変わる映画です。
「とにかく最後まで観る」ことをオススメいたします。
過去のジブリのヒット作(ラピュタ、トトロ、魔女宅など)のような明確なわかりやすさは、ないかもしれません。
ただ、ストーリーはちゃんとあります。
不条理劇や脈絡のない画面をつないだだけの映画ではありませんので、ご安心を。
もののけ姫以来の久しぶりの作者の意思のようなものが感じられる作品です。
私がジブリ作品を公開時に映画館で観るのは、20年以上前の「千と千尋の神隠し」以来です。
「千と千尋…」以降の作品も決して悪くはないのですが、全体的に人物描写がボンヤリしている気がして、私は苦手です。
ジブリ版不思議の国のアリス
宮崎駿監督も自分でも訳が分からないところがあるとコメントされている様です。
不思議の世界に迷い込んだ様な気分になる内容です。
色々なシチュエーションがあり、これまでのジブリ作品が走馬灯の様にフラッシュバックするシーンが多く見受けられた。
“難解だけど面白い”という所までに至っていない
風立ちぬ以来の新作ということでとても期待していたが、
鑑賞後の感想としては少しガッカリしたという気持ちである。
しかしながら、この作品には褒められるべき点もある。
まずは圧倒的な作画力。これに尽きるだろう。
宮崎駿作品の魅力とも言える疾走感のあるシーンは日本を代表するアニメーター集団であることを顕著に表している。特に前半の火事の中走るシーンは今の劇場アニメでも中々見ることができないレベルである。
それだけの作画力のある作品を低評価に陥れているのはストーリーである。
作品に隠された意図、メタファーを盛り込むのは考察する楽しさがあるしとても良いことだと思う。しかし、本作はそれに特化させすぎて純粋に作品として見た時に単純に面白くない。特に言語化されている場面が少なく観客に理解させようという気すらしない。
制作側が作品に込めたいメッセージと観客が理解できるレベルの塩梅を上手く取るのがプロの仕事ではないのかと問いたい。
結論、今回の作品の評価としては、星3とする。
理由はストーリーは難解であり、作品として面白いというレベルに達していない。しかし、正統なジブリ作品として評価できる作画力や世界観ではあるためこの評価とする。
宮崎駿が考える「君たちはどう生きるか」です。
まずはじめに。
映画を見たあと、本屋に寄り「君たちはどう生きるか」
をパラパラ見ましたが、映画は小説や漫画化された
君たちはどう生きるかとはストーリーも設定も違います。
タイトル、テーマだけがかぶっているだけで中身は別物です。
個人的感想は最後に書いてあります。
おおよその流れを長々と書いておきます。
映画の方は、
舞台が戦時中の日本で、主人公マヒトがある日
大人たちが騒いでいる中目覚め、火事を目撃する。
火事の現場が母親の病院でマヒトも現場へと向かう。
母親を亡くし、戦火のこともあり父親と二人で
田舎へと移り住む。そのさきに母親にそっくりな
女性があらわれ、新しい母親と父親から紹介される。
母親にそっくりな女性は母親の妹ナツコである。
お腹には子を宿しており、大きなお屋敷に住んでいる。
お手伝いのおばあやおじいが身の回りのお世話をしている。
母親の死を受け入れられないでいるマヒト。
マヒトとの距離を感じながらも気丈に振る舞うナツコ。
アオサギがあらわれ、マヒトにちょっかいを出し始める。
アオサギが屋敷の離れにある館に向かうのを見たマヒトが
館へと出向く。館はボロボロで上へと通ずる階段は土で
埋もれている。姿を消したマヒトをおばあたちが総出で捜す。
アオサギの羽が落ちているのを見つけ、
おばあが家に帰るよううながす。
館についてナツコからことの成り行きを聞く。
次の日、父親の運転でマヒトは学校に行く。
帰り道に同級生とけんかをする。そのあと自分の右側頭部に
石で傷をつける。おばあや医者に治療してもらう。
父親から誰とけんかしたか問いただされる。
コケただけだとマヒトは主張する。
次の日、アオサギがあらわれ木刀で向かい打つが、
歯がたたず、アオサギから母親は生きていると言われる。
カエルに飲みこまれようとされるとき、ナツコの弓で
アオサギどもを追い払い、難を逃れるマヒト。
その日からナツコのつわりがひどくなる。
おばあたちからお見舞いに行くよう言われ、
お見舞いに部屋に行き、帰り際タバコとナイフを盗む。
おじいにタバコを渡し、ナイフを研いでもらう。
竹の弓を作り、矢先が釘の矢を作る。うまく飛ばないので
池に落ちているアオサギの風切り羽を矢に取り付ける。
そのときに誤って机の上にある本を床に落としてしまう。
君たちはどう生きるかの本に母親の字でメッセージが
書き記してある。ナツコが森の中へと消えていく。
おばあたちがいなくなったナツコを捜す騒ぎに気づくマヒト。
ナツコが消えた場所をキリコと追う。
道の抜けた先に館の裏手に出る。
館に入ると入口が塞がれ、アオサギがあらわれる。
母親は奥にいるとアオサギに案内され、ソファに眠る
母親を見つける。触れると液体になり崩れる。
ナツコの居場所を問いただすとアオサギが
殺してみろと言い、マヒトは弓を引き矢を放つ。
一度は避けられたが、矢はアオサギを追いどこまでもついてくる。
矢はアオサギの上くちばしを貫通し、飛べなくなる。
館の上に大爺があらわれ、アオサギにナツコの居場所を
案内しろみたいなことを言われる。
アオサギ、マヒト、キリコは下の世界へといざなわれる。
マヒトはある島で目覚める。まわりはペリカンだらけで
金の門があり、門には「我を学ぶものは死す」
みたいな文字が書かれている。マヒトが門の前に立つと
ペリカン達が門に押し寄せ、門が開く。
海から船に乗った若いキリコがあらわれ、島に降り立ち
ペリカン達を追い払う。マヒトを助け、呪文を唱え、
後ずさりして船で島から脱出する。
仕掛けた罠を引き上げ、魚を釣り上げる。
ここは下の世界と説明され、生きている者は少ないと言われる。
生き物を殺生できるのはキリコだけで、他の者はできない。
若いキリコがその役目。若いキリコの家に招かれ、魚をさばく。
変な丸い妖精がいる。内臓が妖精の好物らしい。
机の下で目覚めるマヒト。まわりにはおばあ達の人形が取り囲んでいる。
それには触れるなと若いキリコに言われる。
マヒトはトイレに行き、月明かりがまわりを照らすと
妖精が空へと飛び立つ。若いキリコがあれが人間へと生まれ変わる
のだと説明される。ペリカン達が妖精を食べ始める。
全滅しかけたときにヒミがあらわれ、ペリカン達を追い払う。
寝ているときに外から物音がし、マヒトが外に出ると
トイレの横に傷ついたペリカン1匹がいる。
もう命が長くないとペリカンが言うと、妖精を襲った罰だとマヒトが言う。
ペリカンは下の世界ではエサとなる魚が少なく、
妖精を食べるように進化したと話す。
ペリカンは死ぬ。アオサギがあらわれる。
マヒトがスコップを持って、ペリカンを土の中に埋める。
翌朝、アオサギとマヒトがケンカして風切り羽をマヒトが引きちぎる。
若いキリコが二人をなだめ、ナツコ捜しがはじまる。
若いキリコからマヒトにキリコの人形と石をお守り代わりにもらう。
道中でアオサギの上くちばしの穴を塞ぐためマヒトが
木の棒を削り、いろいろ調整してあげる。
ナツコがいる家を見つけたが、インコが家を占拠している。
インコは人間を食べる。
アオサギがインコの気を引き、その隙にマヒトが家の中へ。
家の中にもインコがおり、丁重に出迎えられる。
ナツコはどこだと問いただすとお腹に子がいるので食べない。
ここにはいないと言われる。マヒトが食べられそうになるところを
ヒミが助けてくれる。ヒミの家へと招かれる。
そこでジャムパンを食べる。
ナツコの居場所を案内するためヒミと一緒に行動する。
父親がおばあ達から館のついての言い伝えを聞く。
館は空から降ってきた石であること。
その衝撃で池の水がほとんどなくなったこと。
石を覆うとしたら、何人も死人が出たこと。
いわくつきの館であること。
城の中に潜入し、番号の付いた扉の廊下に出る。
両端からインコが迫ってきて、扉の向こう側に
一時避難。父親がマヒトを見つけるが、
マヒトは元の世界に戻らず、下の世界へと戻る。
その扉はいろいろな時代に繋がっており、
ドアノブを手から離すと、下の世界には戻れない仕様。
ナツコのいる部屋に着き、マヒト一人で部屋に入る。
ナツコを起こすが、マヒトを拒絶し、マヒトとヒミは
気絶してしまう。
マヒトは夢の中?で時の回廊を通り、大爺の元へと行きつく。
大爺は積み木をしており、世界が一日保たれると言う。
積み木と言っているがそれは墓に使う石。
大爺がことの成り行きを話し、
自分の役目を引き継いでほしいと頼まれる。
マヒトは目覚め、インコに調理されようとしている
ところをアオサギが間一髪で助ける。
マヒトとアオサギが合流し、ヒミの行方を探る。
ヒミはインコに捕らえられ、インコの王様と一緒に
大爺の元へとつれていかれる。
マヒトが引き継がないなら、
ヒミに引き継がせるとインコの王様が言う。
ヒミを助けようとするが、インコの王様に阻まれる。
インコの王様と大爺が少しお話し。
そのあとヒミと大爺が言葉を交わす。
マヒトは役目を引き継がない、
ヒミも一緒に元の世界に戻りなさいと諭される。
インコの王様は時の回廊から出ず、経過を見守る。
マヒトとアオサギが崩れた階段から這い出てくる。
目の前に時の回廊があり、先へと進む。
広間に突如、扉があらわれ、扉の先へと進む。
インコの王様もつづく。そこでヒミと再会。
石を飛び先へ、アオサギもつづく。インコの王様もつづく。
大爺とはじめて対面。
13個の積み木を、3日に1個?1日に3個?積み
世界を導くように言われる。
マヒトは自分はうそをついてきた。頭の傷のことも。
そんな自分は役目を引き継ぐ資格はないと言う。
大爺が良い世界にするも、悪く醜い世界にすることも
できる。このまま元の世界に戻っても辛く、むなしい結果が
まっているだけだ。
しびれを切らしたインコの王様が積み木を適当に積む。
こんな積み木で世界の情勢を決められてたまるか的な事を言う。
積み木が崩れ、下の世界が崩壊する。
マヒト、ヒミ、アオサギが時の回廊を抜け、
番号のついた扉の廊下へと向かう。
若いキリコがナツコを見つけ、番号のついた扉の廊下に向かう。
マヒト、アオサギ、ナツコは元の世界に。
ヒミと若いキリコは過去の世界へ。
元の世界に戻ったマヒトはアオサギから
何で下の世界の記憶があるんだと問いかけられる。
なんか厄介なもの?もってないかと聞かれる。
ポケットからキリコの人形がおばあのキリコに
代わる。積み木の石が出てくる。
記憶は早く忘れろと忠告される。
3年後、戦争は終わり、都会へと戻るマヒト達。
ようは全部のジブリ映画の要素を1つの作品にまとめて
作ったらこの映画ができたということです。
風立ちぬのようなリアリティ要素、
トトロや千と千尋の神隠しのようなファンタジー要素、
風の谷のナウシカやもののけ姫のような自然と人間との共生、
魔女の宅急便やハウルの動く城のような心の成長や葛藤など。
面白いかどうかと言われたら、なんとも言えない。
ジブリ特有の表現や見せ方、話の流れや教訓、
教えや人生哲学等、ジブリ映画をたくさん見ている人
ならあるあるなシーンや場面があり、
ジブリファンなら理解できる表現方法がある。
それを楽しめるかどうか。まわりくどい言い回しや
シーンを許容できるかどうかで
面白いかどうかが別れると思う。
主軸は、マヒトの心の成長物語なので
シンプルだけどジブリなので良くも悪くも
一筋縄ではいかず、わかりにくく作られている。
個性豊かなキャラクターが多く、物語に集中しづらい。
なんの説明もなく新たな重要人物が出てくるので、
置いてけぼり。
重要そうなナツコもそれほど掘り下げず
ナツコをエサにマヒトが右往左往する展開。
マヒト、アオサギ、ヒミ、大爺だけの話を
聞いておけばよいです。
補足
ペリカン 自己犠牲、母性の象徴
サギ 神の使い、再生の象徴
インコ 知性 家族の絆 明晰さ
アオサギの声が太田光かと思ったけど、
エンドロールで名前が無かったので誰だったんだろう?
考察厨に見て欲しい
かなり色んなことを考えさせられる作品だと思うのですが、難しいという感想だけで終わるのは余りにも悲しいので、人生で初めて映画のレビューを書きます。出来れば、最後まで読んでいただきたいです。
この映画の主題は、人間がやっていることを動物(インコ)がやっていると怖いと感じることの人間側の矛盾、おかしさだと考えました。
人間は鳥や動物に対して本能で生きていて言語も火も使えないという点で人間のほうが上だと考えています。けれど、鳥が喋れたら?道具も火も使えたら?人間が動物にしているように相手も道具(包丁)を持って集団で取り囲み、自分の食欲を満たそうとしてきたらどうでしょうか。人間は、恐ろしい、怖いと感じるでしょう。でも、人間がこれまでやってきて、これからもやって生きていく事です。この映画を観て、鳥が怖くなったという人、たぶん毎日肉を食べていると思いますが、自分のことは怖いと思わないのですか。漁師さんや、養豚場の人には怖いと感じるのでしょうか。「お腹に子供がいるから食べない」と言ったインコの方がまだ優しいと思います。だって、人間は卵も食べていますし、食べるためだけに育てていますから。
他にも、食物連鎖についても描かれていました。誰かの味方をしようとしても、相手にも相応の理由があるので、どちらか一方の意見だけ聞いて味方をするのは良くないという事を観ながら考えていました。
最後に、私も世界を作りたいと思ったし、一瞬出てくる怪我を負っているペリカンが好きです。
大好きな宮崎駿へ、愛をこめて。
比喩と暗喩に満ちた場面の連続だが、メッセージは明解だと感じた
映画「メッセージ」とテレンス・マリックの「ツリー・オブ・ライフ」とキューブリックの「2001年宇宙の旅」を足したようなメッセージ性と、背景はルネ・マグリットの絵画や飛鳥の石舞台のような様々なメタファーに彩られた、美しい映画でした。
ただ、監督が伝えたかったメッセージが上手く描き切れたのかというと、消化不良だったのでは…?という気もします。
でも私はこの映画のことは嫌いではありません。
マヒトは、小さな嘘をつく矮小な自分を認めることができて、やっと欺瞞と暴力が渦巻く世界と対峙する決意をしたんですよね。
ナツコはおそらく姉(マヒトの母)に対して引け目があって、姉の授かり子のマヒトと向き合う責任から逃れたかったのではないかな。
ヒミは、自分が死ぬことがわかってても、マヒトをこの世に産むことを選んだ。マヒトと出逢った異世界での期間が、きっと神隠しにあった1年だったんでしょうね。この辺が、子供が死ぬことがわかっていても子供を産む決断をした「メッセージ」の主人公を彷彿とさせました。個人的に。
ヒミは「火は怖くない」というセリフを言いますが、火は生命を燃し、また新しく命を生む役割もあることからでしょうか。
私たちがこの世に命があるのは、絶対ではない。キリコのいた海は子宮で、白い生き物は精子。らせんを描くのはDNAそのものですね。この海での出来事のように、もしかしたら私たちは、あの世にいるときに、誰かに選ばれて生まれたのかしれないし、自分で選んでこの世に産まれたのかもしれない。
陳腐な表現ですが、生命というのは神秘で、人間だけではなく数多の命は全ておろそかにしてはいけないよという、メッセージを感じました。
そこに気がつくまでのマヒトは劇的な変化はみせません。そこにもどかしさや物足りなさを感じる人もいるでしょう。セリフは極力そぎ落とされ、ほとんどのシーンは抽象的です。
大叔父が持つ隕石は、地球に生命をもたらした象徴?大叔父がもっていた13の積み木の数字「13」は、キリスト教でいうところのユダで、すなわち「神に背を向けた男」ということでしょうか。大叔父は、長年行方不明になったままなので、この生命の渦のような世界で、神ではないのに神のような力を持ってしまった者なのかもしれません。戦争を経験した大叔父は、苦しみや悲しみを生む人間界そのものの行く末を、子孫に託したかったのかな?と思われます。
インコは…生命のバランスを欠く、恐ろしい外来種の象徴でしょうか(笑)?
私の推考が正しいのかどうかはわかりません。この映画の背景にある全ては、監督の頭の中だけにあるのでしょう。
ただ、そもそものメッセージはシンプルなものの、そこに至るまでのストーリーが面白いかというと、それほどでもありません。
ただ、最後まで観ることで、じわじわとこみ上げるものがありました。
特に場面場面で思わせぶりな表情を見せるキャラクターの繊細さ、和洋折衷なのに美しい色彩の世界は、もう一度みたいと思わせる中毒性があります。
小中高生より、ある程度人生経験を積んだ大人のほうが、胸に訴えかけるものがあるかもしれません。
新鮮で懐かしい
ジブリ作品と言えば、配給元とマスコミが束になって乗っかり、各チャンネル、番組が競うように情報を発信する。
それがまるで無しで鑑賞する新鮮さに、幼い時に見た映画のトキメキと感動を思い出した
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