君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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タイトルなし(ネタバレ)
キムタクの声が聞こえた。木村佳乃も分かった。柴咲コウかなーと思ったら柴咲コウだった。菅田将暉はわからんかった。
キムタクの声やっぱいいなー。パパナイスキャラだった。
事前情報ないと声優だれかなーって考えられていいな。
鳥モチーフだったのはなんでだらう
インコたち怖かったな。でもアホっぽくて可愛くもある。
コンセプトはよくわからなかったし真人のキャラ設定よくわからなかったけどけどジブリって毎回そうだなって思い返した。
真人の母親思いの好青年だったり喧嘩っ早かったり遠慮なくアオサギ踏みつけたりでメチャクチャな感じが少年っぽくて好き。
登場人物がどう生きてるのかとか結局わからなかったけど私は明日からもとりあえずヲタ活をして生きる。
やはりジブリは、宮崎駿だ
予備知識無しで見たかったので、全くの情報を入れないまま映画館へ。
原作の漫画も昔に読んだことはあったがうる覚えでしたが、原作のストーリーが大きく物語に関わることはありませんでした。
あくまで全て私の想像の解釈なのでお手柔らかに…。
主人公が、ファンタジーの世界へ誘われるのだがそこから先の館の主がまるで宮崎駿自身を、思わせる様だった。館の主は物語に魅せられ取り憑かれ、作り上げた架空の世界。それがまさにジブリを思わせる。
主様が何年もかけ、守り続けた架空の世界。
主様は血族に座を譲ろうとする姿も、宮崎駿と重なった。
宮崎吾朗はジブリの名前は継いだが今や3D作品に挑戦したり、独自の世界を展開していってる。
宮崎駿が何年も守り続けた、ジブリの世界観は
やはり宮崎駿で終わってしまうのかもなという風に感じた。
そう思ってみると最後の幼き母の主に対しての泣きながらの「ありがとう」は何だが感慨深いものがある。
途中アオサギが「アオサギはみんな嘘つきなんだ」と言っていたシーンをみて宮崎駿が昔、物語を作るのは大嘘つきになる事だらしきことを言ってたシーンを思い出した。
本当の意図はわからないけど私は映画を見てそう思った。
宮崎駿は最後の遺書にもなる様なつもりでこの作品を作ったのかもしれないと感じた。
そして今までのジブリを思わせる様な演出に心惹かれ、映像の美に心奪われました。
ズブの素人の意見ではありますが、私はすごく面白かったです。
初めて子供の頃に、ジブリを見た時のワクワクをもう一度感じれた気がします。このワクワクは宮崎駿にしか生み出さないと私は感じています。ありがとうございます。
タイトルが大袈裟しいのかな?
宮崎駿の天邪鬼加減。
途中で登場する白いふわふわした生物の存在は個人的にまっくろくろすけやコダマに続くゆるふわキャラのつもりだったのでしょうが、僕は毎回この媚びてくるストーリーに大して重要性の無いキャラクターが苦手でそこはマイナス評価です。
それ以外、ジブリスタジオを解散して物理的に作品を作れなくして筆を折ったはずの宮崎駿の久々の復活。
映画としてはウェルメイドに仕上がっており、解散したスタッフも何人かは戻ってこられた?のかいつものジブリクオリティになっていたのは流石としかいえないと思います。
劇伴も円熟味を増す久石譲が新しい風を吹き込もうと良い音楽で呼応してくれています。
久々にジブリ作品を観たなと言う感想。
ストーリー自体は他で言われている様にスケールが小さく思えます。が、少年がトラウマを克服して新しい人生に踏み込むという主人公目線で見れば激動の一日であったのであろう事も想像できるかと思います。
この映画を観ながら、ふと思い出したのがテリー・ギリアムのバンデットQ。
11歳の少年が不思議な世界に紛れ込み…と言う流れが似ていて、描き方のタッチの差はあれど僕は2つの作品に似た何かを感じました。
どちらもその世界の創造主が出てきます。
バンデットQは最後のオチが強烈ですが。
今作、での僕なりの評価ポイントがラストの扉の選択での母親との別れ。
実にあっさり描かれていて、それだけに母親の愛情の深さを感じる事が出来、続く過ごした屋敷との別れのシーンも余韻が心地良い。
ストーリーテラーとしての宮崎駿なりの天邪鬼加減も堪能しつつ、今の日本のアニメ産業の技を集結し、これだけの作品を作り上げたと言う事実は素晴らしいと思います。
PS.この映画を一緒に鑑賞する約束をしていた女性とバレンタインデー1週間後に別れてしまい、僕はどう生きるのか今だに模索中です。
タイトルなし(ネタバレ)
事前情報はポスター1枚のみ。さて・・・
太平洋戦争が激化したころ、東京はしばしば米国爆撃機群に襲来されていた。
その日も空襲警報が発令。
国民学校の上級生・眞人(まひと)の母が入院中の病院に爆弾が落ち、火の海となってしまった。
猛火を?い潜って病院へと向かう眞人だったが、病院は焼失、母も帰らぬ人となってしまった。
それからほどなく、東京の戦火の激しさを増し、眞人は軍需工場の上級技師である父とともに、亡き母の実家に疎開することになった。
母の妹が、父の再婚相手。
お腹には、眞人の弟か妹を身ごもっていた・・・
といったところからはじまる内容。
観る前の想像では、『君たちはどう生きるか』のタイトルから、「君たちはどう生きるか。ぼくたちはこう生きた」という回想録のような映画(例えば『フェリーニのアマルコルド』のような)かしらんとあたりをつけてい、果たして、巻頭のエピソードはそれに近い感じ(宮崎駿は主人公より若干若いという年齢差はあるものの)。
また、高畑勲監督『火垂るの墓』を彷彿とさせる丁寧な描写で、ゆったりとした演出はややまだるっこしいが好感が持てました。
(ただし、猛火のなかを走る眞人の作画、その迫力は凄まじいです)
眞人の疎開先、亡き母の実家は旧家で、かつては殿様だったのだろうと想像できる。
屋敷の庭の大池には一羽のアオサギがい、眞人を誘うように、ざざざぁっと少年のすぐ後ろを、屋敷の外廊下の屋根の下を横切ったりする。
(このショットも素晴らしい)
するうち、身重の母の妹、眞人の新しい母が姿を消し、眞人は彼女を探して、屋敷の敷地の森の外れに朽ちた塔へと入っていく。
それは異界への入口。
それはあたかも、アオサギに誘われたようなものであった・・・
と、ここからは『千と千尋の神隠し』の焼き直しのような展開なのだけれど、異界には人のような鳥たちが暮らす世界があり、時の回廊なるものがあり、死んだはずの眞人の母が若い姿でいて、と宮崎駿のイマジネーションの世界が繰り広げられる。
残念なのは、異界での映画の進み方が、外界のときとかわらずまだるっこしく、テンポが悪い。
テンポが悪いことで、いくつか挿入される笑いを誘う箇所が弾けない。
また、死んだはずの眞人の母が若い姿で登場することで、物語の着地点が予想しづらくなっている。
(死者が登場すると、どうしてもイザナギ・イザナミの黄泉の国のハナシや、ダンテの『神曲』のヴェアトリーチェの物語や、『オルフェ』の物語などを想起してしまうので)。
眞人が外界に連れて帰るのが、死んだ母なのか、生きて子どもを産もうとしている母の妹なのか、というか葛藤のスリルが生まれてしかるべきなのだけれども、演出のまだるっこさ、ストーリーテリングの拙さが、そのスリリングさを消しているのも残念。
最終的には、異界を司っている眞人の大伯父(正確には、母姉妹の大伯父なので、大々伯父か)が現れ、バランスを崩しかけている異界を正常に保ち、理想のこの世(異界)を管理してほしいと眞人に頼むのだが、眞人は戦火にまみれた現実の世(外界)を選択する。
ここへ来てタイトルの『君たちはどう生きるか』の意味、宮崎駿のメッセージが立ち上がって来る。
太平洋戦争の戦火にまみれた世界、そしてその後もつづく戦火のまみれた世界をぼくたちは生きてきた。これからの君たちはどう生きるか、と。
なるほど。そう来たか!
なのだけれど、いかんせん、映画がまだるっこしくて、この終盤に来るまでに疲れてしまいました。
このあと、もう一スペクタクルがあるのだけれど、カタルシス感には遠かったです。
画力のすごいシーンがいくつもあるが、これを90分ぐらいにまとめられれば傑作になったんだけれどもなぁ。
自分を偽らず変化し続けたい
宮崎駿作品の時系列を見てたら思ったことが、年を重ねるごとに作品の光と闇の要素の対比が、光→闇へと傾いているように感じました。
より内に内へと自分と向き合うような作品へ変化しているような。
結果今作については疑問だらけでした。
世間の評価や誰かの価値観に合わせることのない自分本位な作品に感じました。
今の宮崎駿はこうなんだと。
宮崎駿さんの生い立ちなどは知らないのですが、作品の冒頭から、あ、この話の主人公は宮崎駿自身なのかな?って感じました。
作品は疑問だらけなのに、見たあとに宮崎駿とは、老いるとは、人とは、生きるとは色んなこと考えました。
作品全体では理解できないのに、断片的には印象的で胸に刺さったりする。不思議です。
作品を見るのか、宮崎駿という人間を見るのか、そこで評価が二分してしまうんでしょうか。
恐らく最後であろう宮崎駿作品。
何にせよ自分はかっこいいと思いました。
20年後、30年後、この作品を見た時どう感じるのか。
楽しみです。
アニメーター宮崎さんの素敵な読書感想文
私はとても好きです。
個人的には宮崎駿作品って、時代を経る毎に宮崎さんの作家性よりは人間的な優しさが勝る傾向にあると感じていて、それで80年代〜90年代作品に比べてインパクトに欠ける印象があるかもしれません。
ただ今作、宮崎さんが身体に鞭打って作り上げてくれたことを想うと、作品中に出てくるひとつひとつのメッセージがとても素敵で、沁みました。
『君たちはどう生きるか』に対する、宮崎さんなりの方法で、宮崎さんの読書感想文を見せていただけていると思うと、凄いことじゃありません?
家の本棚から引っ張り出してまた読んでみたくさせる、素敵な読書感想文でした。
何より、自分が小さいころにジュブナイル文学を読んで、純粋にハラハラ・ドキドキ・そしてファンタジー過ぎて混乱して、物語の終わりにさりげなく日常に帰っていく主人公のそれからを想像させてやまない、あの感覚を素直に思い出せる、そんなノスタルジーを感じる、素敵な作品でした。
君たちはジブリから何を学ぶのか。
様々なこの映画に対する批評があるけど、「君は石を持ち帰れるのか、そうでないのか。」それだけだと思う。
それさえも分からないという人はそこまでなのだと思う。
意見が分かれるのは分かる。けど・・・。
鈴木敏夫プロデューサーの「いままでいろいろな情報を出しすぎていて、観る方の興味を削いでしまっていたのかもしれないと思ったんです。最初は通り一辺倒の宣伝だけでもしようかなと思っていたのですが、一切宣伝しなかったらどうなるのか興味があった。これだけ情報化された時代に、情報がないことが、エンターテインメントになると思ったんです。」との意向がある以上、情報が入り込んでしまう前に観たかったので急いで(それでも公開から6日も経っちゃったけど)。
映画自体の内容はさておき。
これまで宮﨑駿監督が作ってきた映画のエッセンスが、あちらにもこちらにも散りばめられていて、これまでの宮﨑映画の回顧録のような感じがした。
その上で、宮﨑駿監督の「君たちはどう生きるか」に込められた意図を自分なりに酌むと、”(監督である)僕はこう生きてきた。で、「(観ている)君たちはどう生きるのか」”と問われていると感じた。
拡大解釈なのかもしれないけど。
監督の”こう生きてきた”の部分が、これまで監督(やジブリの方々も共通して持っている?)が映画に込めてきた”反戦の思い”や”危うい世界を変えていきたい”という根底の部分を作品を通して表してきたことならば、その意思を受け取って受け継いでいってほしい、との願いが”大おじ”の言葉そのものだったのかもしれない、と思う。そして、主人公の牧眞人(ここでは監督自身の分身)は、”大おじ”とは違う方法でそれを達成したい、とも。
までも、色々と詰め込み過ぎたので、内容の1つ1つを理解するには膨大な時間が必要な気がする。その意味で、この映画自体の意見(賛否)が分かれるのかな、と思う。
「宣伝なしでも伝わる価値」
スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーが「宣伝しない」と宣言し、宮崎駿監督はその言葉に驚いたことでしょう。私もこの決定には、はっとさせられました。そんな宮崎監督の一途な姿勢から生み出される素晴らしい作品が、なんの告知もなしに世界に届くなんて、考えただけで興奮します。
辞書で「興行」を調べると、それは観客を集め、料金を取って演劇、音楽、映画、相撲、見世物などを開催することを指しました。だからこそ、我々は映画を作る前から期待感を抱き、その映画が何を伝えようとしているのかについて予想をたてたりして楽しめる訳です。
ある意味‥まったく違う期待感を胸に、私はこの休日、朝一番で映画館に足を運び、10年ぶりとなるジブリの新作、「君たちはどう生きるか」を観ました。その映画を観て、宮崎監督の作品はやはり素晴らしいと再確認しました(ネタは、バラしませんよ)(笑)。これは絶対に映画館で見るべき作品です!
宮崎監督のように、私も年を重ねて世に豊かな感性を伝える作品を生み出したいと心から思いました。
ジブリの世界と鳥が好きな人におすすめ
ジブリファンは絶対に見るべき
恐らく、宮崎駿の遺作となる作品。
「難しい」「分からなかった」というレビューがされている当作品だが、個人的には物語のテーマとしては極めて単純だと思っている。
戦時下で極めて裕福な家庭に育ったものの幼い頃に母親を亡くした主人公。
その後、父の再婚をきっかけに田舎に引っ越す事になった彼は、受け入れられない母親の死、新しい母親の存在、あまりにもお金持ちすぎて子どもの愛し方がズレている独善的な父親等、鬱憤を抱えていた。
本作は、そういった悩みを「塔」というファンタジーの世界での経験を経て乗り越えていくという、主人公と周りの人たちの成長を描くストーリーである。
(本質的にはトトロや千と千尋の神隠しと変わらないのではと個人的には思った。と見せかけて、もっと深いテーマがあるのかもしれないが)
そんな、不思議な世界での成長物語であるが、演出が素晴らしく(作画、気持ち悪い、怖い、不安になる表現)この表現は、宮崎駿にしかできない、宮崎駿は天才なんだと改めて感じた。
ポスト駿が誰になるのか議論され続けてから何年かたつが、改めて宮崎駿の圧倒的なレベルの高さを世に知らしめたのでは無いか。
加えて、鈴木敏夫のプロモーションを殆どしないという方針により、これからどのように作品が進んでいくのかという不安感と作中のダークな雰囲気が見事にマッチしているのが見事だなと。
ギャル「駿って鬱なん...?」
『君たちはどう生きるか』の批判者について考えてみた
『君たちはどう生きるか』で言っておきたいこと二つ、三つ。
否定的な意見が多い理由について。
やってることは、宮崎駿のフィルモグラフィーにおいて、『千と千尋…』の頃から同じ、テーマ的にも映像・演出的にも、詰め込めるだけ詰め込んだ「全部乗っけ」の作品。
この作品だけが酷評されるのはおかしい。
でも、この作品が批判される理由は、よくわかる。
作品内容ではない、観る者に原因がある。
なお、私はそんなにまで、ムキになってかばう程のジブリファンではない。
むしろ、ラナやシータやクラリスを苛める、宮崎駿のいじわるロリコンっぷりが嫌いだった。
ロリコンはロリコンを嫌う。
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合うとは逆の標語ですね。
さて、…『千と千尋』以降の、『ハウル』『ポニョ』『風立ちぬ』には、全方位に向かって喜怒哀楽を満足させようとしてくる、宮崎駿のスキゾっぷりがあった。
入れるテーマ、モノは全て入れてある闇鍋カオス状態みたいな内容だった。
でも、ちゃんと面白かった!
では、『君たちはどう生きるか』はどうか?
その違いは、鈴木敏夫プロデューサー主導の、宣伝なし・予備情報なし、の秘密戦略があった。
これにより、これまでの作品の豊富なスポンサーによるヒットを援護する宣伝がなくなった(今作において興行収入的には作戦成功)。
例えばテレビCMなどでの「ハウス食品は、スタジオジブリの新作『ハウルの動く城』を応援します」などがなくなり、つまり、その、CMなどで視聴者に印象付けられる、作品の一部紹介によって醸される【方向性】が一切なくなった。
ああ、これは、こんな話なんだ、と思わされることがなくなった。
⚪︎少女が迷い込む世界での成長
⚪︎おばあちゃんになっちゃった娘を愛してくれる魔法使い
⚪︎海の女王の娘が人間の男の子を好きになっちゃった
⚪︎空に憧れた青年が、航空機の設計士となり、病弱な奥さんとともに、戦争に突入していく
かように、まあ、見る者は、一行で語られるような話の方向性が、CMなど、もしくは作品紹介の数十秒の映像でナレーションとともに植え付けられる。
…だけども、そう言った事前情報がないことによって、映画を「誘導者」なしで観ることになり、自分の観点が進むべき、物語の方向性の道筋を、自ら探す訓練の出来てない者は戸惑ってしまい、つまらなく思えてしまう、のだろう。
いや、先程の一行概略以上に、「千と千尋」以降の宮崎アニメは、凄まじいギミック、サイドストーリー、色彩に彩られる。
そして今回、10年ぶりの宮崎駿の長編新作である。
SNSは、多くの問題をはらみつつも、熟成の時を迎えている。
ホームページ、ブログ、フェイスブックの時代からの意見者は高齢ともなり、批判はあまりしなくなっている。
良いとこを取り出した方が、残り少ない余生を楽しめるからだ。
でも、ツイッター、インスタなどの、比較的新しい、波及力のあるSNSでは、まだまだ、それを活用する者は「若い」「青い」、これは年齢のことではない、批評歴の浅さのことだ、そう言った人は、批判からはじめる。
批判できる自分に優越感を感じている側面もあろう。
巨匠にもの申しちゃう、しちゃえる自分、と言う優越感。
【10年ぶり】の宮崎アニメ新作は、その、恰好のマトになったとも言える。
わからないってことは、なかなか恥ずかしい側面もあるけど、わからないわからないと、それを根拠に批判できちゃう凄さ!
うらやましいほどの、それは「若さ」だ。
で、今回の宮崎駿の新作を見て、それぞれが下した判断こそが、「君たちはどう生きるか」なんだよなぁ。
さて、ちょっと作品内容に触れる話も書いておく。
大おじ様は、不思議な塔の中の世界を左右する、神のような存在であることに専念していた。
異世界に没頭していた。
だが、その世界は終わりを迎えようとしていて、次に、自分の血縁である若い主人公・眞人に、塔の中の世界の管理者を任せよう・移行しようとした。
これは、『エヴァンゲリオン』での、人類補完計画を推進した碇ゲンドウと、現実世界は辛く厳しいけど、そこに戻そう・戻ろうとするシンジ君と重なる。
宮崎駿監督は、この作品でも、まだまだ若く、貪欲で、昨今の流行りの作品に全方位で戦いを挑み、故に、こうしてエヴァも例外じゃなく取り込んでいる。
で、眞人も、シンジ君のように、ファンタジー世界で生きようとはせずに、家族で生きるに辛さもある…、戦争も激しくなる世界に戻って行く。
「君たちはどう生きるか」の答えを出すわけだ。
そして、ファンタジー世界で知り合う、若い頃の母親(不思議の国に迷い込んでいたエプロンドレスのアリスのような美少女)も、確実に死ぬ運命があるのに、【自分が亡き後の世界に希望を見い出し】、自分の現実・時代に戻っていく。
嗚呼、書いていてホロッとしてきた。
この、お母さんのパート、『想い出のマーニー』みたいだし、『まどか☆マギカ』みたいだし、
いや、これだけでなく、凄まじい数の既存作品に、宮崎駿は、若さをもってして、全方位に戦いを挑んでいる。
それは、「俺も、この程度なら同じふうにやれるんだぜ」ではなく、「俺なら、そのテーマをこう表現する、凄いだろ?」の、力を見せつけてきている。
宮崎監督、今作から、宮崎の「崎」の字を改名している。
ザキの右上の作りが「大」の字から、「立つ」の字になっている。
最初みたとき、なんか違和感を感じて、僕は、自分がゲシュタルト崩壊したのかと思っちゃいました。
しかし、これは、うげっ! 😵
新生・宮崎駿の爆誕を意味します。
この人、まだまだ、これから、やるんですよ。
なお、「千と千尋」以降の、混沌混濁した、とっ散らかされた、しっちゃかめっちゃかの宮崎作品ですが、
海外では大ヒットする可能性があります。
それは、海外版だと字幕になるからです。
難解と言いますか、庵野監督の「エヴァ」もそうですが、数々の読み解きを必要とする「千と千尋」以降の宮崎アニメですが、わりと細かいセリフで筋を通してはいるのです。
物語とセリフを詳細に考えていくと、なるほどと納得も出来るのです。
字幕は、その咀嚼により、記憶への定着が深い。
だから、海外での字幕での鑑賞で、評価が高まる可能性がある。
(追記)
と、ここで、新しい情報が入りました。
アメリカなどでは、海外のアニメの上映は、吹き替えが主流なんだそうです。
それじゃ、日本人が日本で鑑賞するのと、まあ、さして変わらない環境なんだね。
ありゃま、俺の終盤の主張が根本から覆された!
宮崎駿を楽しむ
宮崎駿の好きが詰まった作品
宮崎駿監督は、起承転結のあるお話なんて、もう描きたくないのだそうです。
自分の作品の大衆性が低くなっていることは、自覚しておられるのです。
もう晩年です。好きなように描いたことがわかり、胸に迫ります。
(同時にこれまでの作品がやはり受けを意識して成功しているというすごさがわかります)
見ているだけで楽しいアニメーションは健在です。
素晴らしい映像でした。笑いどころもいくつもありました。(インコww!)
本当に、新作が見れたというだけで幸せです。
そこまで興味ない方も、米津玄師の曲を映画館に聞きに行くだけで、価値があると思います。
宮崎駿のイマジネーションが炸裂
本作は元々は同名の小説からインスパイアされたということだが、基本的には宮崎駿の完全オリジナル作品となっている。
ただ、後で調べて分かったが、元となった小説(未読)は主人公の少年と叔父さんのやり取りを中心とした青春ドラマということである。本作にも主人公・眞人の大叔父がキーマンとして登場してくるが、おそらくこのあたりは小説からの引用なのだろう。眞人は大叔父から”ある選択”を迫られるが、これなどは非常に重要なシーンで、正に本作のテーマを表しているように思った。穿って見れば、それは宮崎監督自身から観客に向けられたメッセージのようにも受け止められる。「君たちはどう生きるか?」と問いかけられているような気がした。
映画は東京大空襲のシーンから始まり、眞人の疎開先での暮らし、家庭や学校の日々がスケッチ風に綴られていく。不思議なアオサギが度々登場して眞人をからかったりするのだが、それ以外は極めて現実的なシーンが続く。
映画は中盤からいよいよファンタジックな世界に入り込んでいく。眞人の不思議な冒険の旅は先の読めない展開の連続でグイグイと惹きつけられた。
ただ、ここ最近の宮崎作品は、前作「風立ちぬ」は例外として、理屈では説明のつかないエクストリームな世界観が突き詰められており、本作も例にもれず。宮崎駿の脳内が生み出した摩訶不思議なテイストが前面に出た作品となっている。そこが人によっては難解で取っ付きにくいと思われるかもしれない。
そんな中、個人的に印象に残ったのは、ポスターにもなっているアオサギのユーモラスな造形だった。鳥のようでもあり人のようでもあり、得体のしれない不気味さも相まって強烈な存在感を放っている。最初は眞人と対立しているのだが、一緒に冒険をするうちに徐々に相棒のようになっていく所が面白い。
また、終盤の大叔父との邂逅シーンには、「2001年宇宙の旅」のような超然とした魅力を感じた。宇宙の誕生と終焉を思わせるビジュアルも凄まじいが、何より”あの石”に”モノリス”的な何かが想起されてしまい圧倒された。
他に、魂と思しき不思議な形をしたクリーチャーが天に向かって飛んでいくシーンの美しさも印象に残った。しかも、ただ美しいだけでなく、魂たちの向かう先には過酷なサバイバルが待ち受けている。これを輪廻転生のメタファーと捉えれば、生まれ変われぬまま朽ち果てていく魂もいるというわけで、その哀れさには切なさを禁じ得ない。
このように本作はファンタジックな世界に入る中盤あたりから、常識の範疇では理解できないような現象やビジュアルが頻出するので、ついていけない人にはまったくついていけないだろう。
なぜトリなのか?なぜ女中と亡き母親の容姿が変わったのか?なぜ積木なのか?等々。挙げたらきりがないくらい多くの謎が残る。
しかし、だからと言って本作がつまらないとは言いたくない。個人的には、その謎めいた所も含めて大変刺激的な2時間を過ごすことができた。
ちなみに、もう一つ本作を観て連想したものがある、それはバーネットの児童小説「秘密の花園」である。これも何度か映画化されており、自分は1993年に製作された作品を観たことがあるが、本作との共通点が幾つか見られて興味深かった。例えば、主人公が親を災害で亡くしたこと。トリに導かれて秘密の場所へ引き寄せられる展開。大叔父もとい叔父がキーマンになっていること等、共通する点が幾つか見つかった。
キャストについては概ね好演していたように思った。ただ、一部で違和感を持った人がいたのは残念である。ジブリはこれまでも俳優や歌手、タレントを積極的に起用し上手くハマるパターンもあったが、今回はそうとも言い切れない。
尚、本作は公開前に宣伝をまったくしなかったことでも話題になった。ジブリともなればタイアップやCMは引く手数多だろうが、敢えてそれをしなかった鈴木敏夫プロデューサーの手腕は大胆にもほどがある。もちろん宮崎駿のネームバリューのなせる業なのだが、この逆転の発想は革新的と言えるのではないだろうか。今の時代、全く情報なしで映画を観る機会はそうそう無いわけで、貴重な映画体験をさせてもらった。
全1987件中、1101~1120件目を表示