君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
全2066件中、941~960件目を表示
ちょっと違う…というか、よく分からん💦
私たちは、なぜ生まれ、どう生きるのか、━忘れていた魂の記憶を思い出させる、真の天才による世界で永遠に語り継がれる偉作
観終わって、子供たちの未来のために、自分にできることを精一杯やろう、と思う━。それが、宮崎監督からの問い、「君たちはどう生きるのか」に対する答えである。本作は、表面的な感想、評論、批評を、一切受けつけない。語る者は、監督からの問いに対する、自分なりの答えを見出し、表現してから語るべき作品だと思った。
これまでの宮崎作品のエッセンスが凝縮された集大成であるばかりでなく、今まであまり明確にされてこなかった重要なコンセプトが表現されている。それは、時空を超えたいのちのつながり(縁生)であり、生まれ変わり(誕生と死の循環・輪廻転生)であり、異次元世界(あの世・常世)と現実世界(この世・現世)が、力動的に共振・協働している関係の世界観である。
「君たちは『なぜ』生まれてくるのか」━。この問いに対する答えがあって、初めて、「『どう』生きるのか」、が出てくる。本作は、なぜ、悲惨なこの世に、それでも君は、自ら願って生まれてくるのか、が問われる(あの世は、ある意味、安定しているにもかかわらず)。その答えもまた、宮崎監督は描いている。本作は、私たちが忘れてしまった、なぜ生まれてきたのか、どう生きるのかを思い出させてくれる━いや、観た者が、それを思い出してくれることを願って生み出された作品だと言っても過言ではないのかもしれない。
プラトンによれば、私たちの魂は、生まれてくる前、レイテの泉の水を飲み、すべての記憶(あの世の記憶、過去世の体験と智慧)を忘却して生まれてくるという。しかし、この世にあるイデア(真実・永遠の真理)のかけらに出会うと、魂が震え(感動と呼ぶ)、求めるようになり、忘れていた記憶を少しずつ思い出す(想起する)ようになる━。本作の主人公もまた、忘れた魂の記憶を思い出す、試練の旅に出る。
なぜ、悪は存在するのか。悪の必然と意味もまた、語られる。あらゆるいのちとの共生、自然界の見えるいのちも、見えない異界のいのちも、すべてつながり生かされ、それぞれの役割を果たしている。無駄なもの、不必要なものなど何一つなく、秘められたいのちの可能性を開花し、謳歌し、すべてがダイナミックに調和し共生する世界のあり様を、宮崎監督の世界観とすれば、それは未来からやってきたヴィジョンであり、古代からあった永遠の真理であろう。だから、本作は、これから永く、世界で観られ、語り継がれるだろう。その必然と意味、力が、本作にはある。
宮崎駿は、日本の自然と文化に育まれた、間違いなく真の天才━genius:ダイモン・守護神と協働する「聖なる狂気」の人━である。
雑音に惑わされず見て欲しい
漫画「風の谷のナウシカ」から続く宮崎駿先生の「不完全な私たち人間への慈愛」の想いを受け止めた
かつて映画の「風の谷のナウシカ」のエンタメすぎるエンディングに非常に落胆をした者です。漫画の「風の谷のナウシカ」を愛読しています。だから漫画を読むたびに、宮崎先生の「ナウシカ」に込めたメッセージは一体いつ映画で発信されるのだろうとずっと気になっていました。昨日、まったく前情報なし期待無し(すいません・・・)で「君たちはどう生きるか」を観ました。鑑賞後、万感の思いで胸がいっぱいになりました。漫画「風の谷のナウシカ」が形を変えて、ここでつながったのだとすとんと腑に落ちました。宮崎先生、本当にありがとうございます。この不条理な世の中で決して善人でない私(少なくとも私)たちはこれからどう生きるか。深い問いかけに答えることはとても難しいです。しかし、前を向き地に足をつけて限られた一度の人生を歩んで行きたいと考えます。
少年の成長
公開当時に「千と千尋の神隠し」を観終えたときと似た感覚で観終えました。
ただ、その経験があったおかげか、私が歳を重ねて多少理解力を増やすことができたせいか、展開を純粋に楽しめました。
ラピュタを思わせる塔の様子、ポニョ?って感じの白い妖精、美味しそうなスープやパン等、既視感にあふれていましたが、そこも集大成ならばこそだったでしょうか。
個人的には、アオサギが池に降りたち翼をたたむ、実物と違わない描写が目に止まりました。
また、少し前のドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」にあった「時間て過ぎていくものじゃなくて」てセリフを思い出しました。
あんな回廊があったら、ほんの一瞬で良いから少し以前につながる扉を覗いてみたい。
企画自体が面白い
これまでの作品を「悪意に満ちた13個の積み木」とは。ここまで言いたいこと言うためにジブリ単独出資で宣伝も無しで勝負するとは、宮崎駿作品の集大成として見事な戦略です。
内容より、この企画自体が面白いですわ。
要事前学習/「母の死の受容」と誰もが持つ魔界
吉野源三郎の原作は戦前に刊行されましたが、子ども向けの哲学書として読み継がれてきました。17年に刊行されたマンガ版は空前のヒットになるなど、教養の一つとして浸透しています。
宮崎駿が同じタイトルで映画を作るとなれば、原作を踏襲することになり、そこにどんな宮崎流、ジブリ流の創作が加わるのか? それを楽しみにするのは自然だと思います。
本作で、原作が登場する場面が一ヶ所あります。主人公眞人が、母久子が遺した小説「君たちはどう生きるか」を発見し、それを涙して読む場面です。そこからは、原作に対する肯定的な姿勢が読み取れます。
■母の死を受容するというテーマ
小説「君たちはどう生きるか」は亡き母が遺した、という点がポイントになります。
母の死は、本作を貫くテーマです。この場面で不意に、眞人が求めてやまない母からのメッセージが現れます。それは、まさに眞人が今後、世界を生きるための知恵であり、亡き母からの贈り物です。
その後、眞人は母や、義母・夏子を探す旅に出ます。行き先は魔界(下の世界)。
そこで、母と再会し、夏子やキリコを連れ戻すといった冒険を繰り広げます。原作「君たちはどう生きるか」の拡張を期待した私は、その冒険ファンタジーと原作とのギャップが、鑑賞中に処理できなかったというのが正直なところです。
わかりにくい本作がシンプルにみせるのは「死と生」に対する謙虚な姿勢です。
母の死を乗り越えることが、眞人の人格形成には避けて通れないことです。本作ではその過程を、内面心情や、現実世界の体験から直接描くのではなく、冒険ファンタジーとして置き換えて示してくれています。
母の死を受容できず、義母も受け容れられず、そこに弟が誕生してしまう。「下の世界」に旅立つのは、そうした精神的にどん底状態のタイミングです。そして「下の世界」は単に魔界というより、死と再生(誕生)の場であり、そこでもたくさんの生き物?たちが登場し、再生の物語が紡がれています。
そこで眞人が体験したのは、死と再生の現実です。そこは決して楽天地ではなく、均衡をとるのも難しい厳しい世界として描かれています。いずれにせよ眞人は、現実世界を覆うもう一つ大きな世界を体験しました。
■原作との三つの関連性
改めて、原作との関係を考えてみます。また、問いとしての「君たちはどう生きるか」に対する宮崎の答えはあるのでしょうか。
仮説はいくつか立てられます。一つは、原作が説いた人格形成の不足を補完したという点です。
原作が発表されたのは戦前の昭和12年。大衆文化を背景に、原作は自己形成に「個の確立」が重要であることに踏み込みました。原作は当時、旧制中学校・高校のエリート予備群に対してかなり衝撃を与えたかもしれませんが、現代でそれは常識の範疇で、これを唱えても若者には届かない。
そこで、精神的な「親殺し」に触れていく。もちろん「親殺し」とは親を殺めるわけではなく、親と離別し、親という存在を超えていく精神的な自立過程を指しています。本作でいえば、眞人が母の死を受容し、義母や義弟を受け容れるという精神的な葛藤場面です。
原作ではコペル君の父親が亡くなりますが、そこでの「死」は薄い影でしかありませんでした。本作では、父と母の違いがあるものの、母親の死を一貫したテーマとして、それを受容し超えていくことが、人格形成になくてはならないものと捉えています。
そして、本作において親殺しの葛藤は、死や再生という「生き物の宿命」を自覚する契機になります。それが人格形成に不可避なことだとすると、原作には触れられていませんし、そのメッセージは原作が書かれた時代にはなかなか理解されなかったと思います。
若者に限らず今を生きる我々が「生命」の循環を理解し、考える。これが本作のメッセージと考えるのが自然だと思います。これが二つ目の仮説です。
三つ目は、原作の教養主義的な欠点を、補完した点です。
原作は、戦前に書かれたこともあり、かなり教養主義的です。学問、修養、芸術といった教養の習得によって人格陶冶ができるという核心に基づいています。しかしこれは、知識吸収が得意ないわゆるエリート向けに用意された啓蒙ルートということもできます。
本作は、若者に哲学を促すのには、もっと想像的で、直感的なルートがあることを説いたと考えられます。「生き物の宿命」や「生命」の自覚が必要だということを多くの人々に伝える場合、教養主義的に説得するより、文学的に描いた方が伝わりやすいのは事実だと思います。
■なぜ「下の世界」は崩壊したか?
それにしても本作はわかりにくい。
特に、「下の世界」が突然崩壊する場面は問題です。それも、それは主人公の眞人が継承者として指名された直後です。ただ、そのわかりにくい場面が、物語を読みとくヒントになります。
本作は「上の世界(現実世界)」と「下の世界(魔界)」との二層で構成されています。特に「下の世界」は人格形成の葛藤を描くファンタジー世界であり、生命再生の場として描かれています。
そして終盤、大叔父は眞人に「下の世界」を継承するように勧めます。
われわれ観る者は、「上の世界」同様、「下の世界」は継承すべき価値ある世界だと理解する一方、なぜ大叔父が支配者で、眞人が継承者なのか判然としません。
また、継承するのに眞人は生命を投げ出さねばならないのか、疑問も膨らみます。
こうしたなかで「下の世界」は、いとも簡単に崩壊します。
その崩れ方はまさに積木くずし、あるいは夢の終わりのようです。
ようやく、本作を貫くテーマが母の死の受容であることを理解し、二層構造が持つ意味を考えはじめた頃、「下の世界」は崩壊してしまい、われわれは置いていかれます。
本作の一貫したテーマは、母の死の受容でした。
ようやく眞人が「下の世界」のさまざまな経験を経て、母の死を受け容れられたところで、眞人の旅は終わりました。
そして、その時点で「下の世界」が不要になったといえます。
■誰にでもある「下の世界」
作中で、「どの世界にも塔が存在する」(うろ覚えです)と「下の世界」の秘密が披露される場面があります。
塔とは「下の世界」の入口のことですが、これは、世界中の人間誰もが、それぞれ心の内に「下の世界」をもっていると考えるべきでしょう。想像力が発揮されれば、誰もが「下の世界」を召喚できます。
ここまで考えて、ようやく本作は物語になります。
原作を補完するように、親を失う(親殺し)場面が設定され、改めて「君たちはどう生きるか」が問われる。
そこでは、死と再生という大きな世界を、一人ひとりの想像力を駆使し「下の世界」を経験することで、はじめて理解できる。自分が生きていることを日常生活を覆うもう一つ大きな世界から捉えなおす。
このような形で「君たちはどう生きるか」に応えた物語なのでしょう。
鑑賞後、1週間経ってもふと咀嚼して考えてしまう作品
他のレビューの方が言っている通り、分かり易い作品ではなく、感情移入しやすい作品ではありません。
だからこそ、大多数の作品で行われている『見てる時間だけで完結する楽しさ』を求める人にとってはnot for meになってしまって当然なんだと思います。
私は正直、視聴中は理解がまったく追い付きませんでした。
とても処理しきれない情報量の多いスクリーンを必死に見て、聞いて、脳を常にフル回転させていたので、見た直後の感想としては「疲れた」や「熱がある時に観る夢みたいだった」でした。
俗に言う、「訳わかんなかった」と同じ感想です。
でも、不思議と「つまらない」とは思いませんでした。
元々、鑑賞後に更に咀嚼して沢山考えたり発見したりできる作品が嫌いではなかった私にとって、噛めるけどとんでもなく硬くて、でも味が消えることの無い、なんなら味がどんどん変わっていく謎のお菓子みたいな作品でした。
鑑賞後1週間経ちましたが、未だにふとこの映画のことを考えてしまっています。
1週間、自分なりに沢山咀嚼しました。
また見たら、その時は感じ方が違うかもしれない。
そんな風にちょっとワクワクしている自分がいます。
週末、もう一回見て来よう。
そう思わせてくれる、貴重で不思議な作品でした。
【7/27追記】
本日、2回目見てきました。
改めて見た上での印象を書きます。ネタバレはありません。
改めて見て確信したのですが、後半部分の情報量がアホです笑
その上、全てにおいて明確な説明がありませんので、初見の時に私の頭で処理しきれなくて当然でした。
後半部分だけで映画3本くらい作れそうでした。
初見の時よりは見逃すまいという緊張感が無く、リラックスして見られたのもあって、普通に宮﨑作品として楽しめました。
どんなに思考を巡らせ咀嚼しても、分からないところは分かりませんでした。
でも、それでも、それでいいのかも知れないと思わせてくれるほど、楽しかった、良い映像体験が出来た、と思い劇場を後にできました。
咀嚼してからまた足を運んでよかったと、心から思いました。
余談ですが、近くにいた小学生くらいのお子さんが上映終了後に「夢の中みたいだったねー!」と弾む声で親御さんに声をかけていたを目にしました。
難しいから子どもに向かない、という声もありますが、分かろうと必死になってしまいパンクしてしまう大人より向いているのかも知れないな、と思ったりもしました。
今は作品を見て同じように咀嚼した友人と語りたい気持ちでいっぱいです。
監督の今までの作品は好き
見る人のことを考えていない作品
映画というものは映画館へ来訪する観客を楽しませたり、悲しませたり、笑わせたり、感動させたりするエンターテイメントだと思っていましたが、どの要素も皆無で、ただただ脈絡のないものを一方的にぶつけられる感覚です。支離滅裂で不快な内容が多く、残念ですがおすすめ出来るところが一つもありませんでした。
ジブリ作品はかれこれ30年くらい親しんできたので強い思い入れがありましたが、これはあまりに見る人のことを考えていない作品だと感じました。なぜこのようなものを出したのか?宮崎駿のエゴを修正できる人がまわりにいなかったのか?理解に苦しみます。作品の内容に対し、絵の綺麗さ、声優・歌の豪華さは凄いです。総じて、残念でなりません。
世界観が理解不能にすごい!
今までのジブリは、主軸のストーリーは理解できておもしろいし、細かな設定や周りの枝分かれの部分は説明がないと理解できないというような、
そんな不思議な感じなのにリアルな感覚があって面白かったですが、
今作品は、冒頭蛍の墓のようなめちゃくちゃ現実的かと思ってたらめちゃくちゃファンタジーでした。
さらに主軸のストーリーもとても細いのか軽いのか見えづらいのか、その上あっちゃこっちゃいろんなものがてんこ盛りにバラバラな感じで、で?って感じで話しが見えてこなかったです。
ストーリーがあまりに普通で細く薄く、世界観があまりにもかけ離れていて太くてんこ盛りなため、作品全体の理解がとても難しいです。
義理母の心境や行動なんかほぼ理解できませんでした。
タイトルの意味も、メッセージ性がありそうな題名なのに、なにを感じ取ってほしかったのか理解できませんでした。
何回も見れば理解できるというような内容でもない気がしますが2回目観てみようかなと思ったり。
解説や説明などがほしいくらいです。
考察など見ます。
とてもバラバラで、あまりにファンタジーすぎて、
ワンシーンワンシーンどんどん変わるので、
全体的になにを伝えたかったのか、
どういうことなのかよくわからなかったんですが、
ストーリーがめちゃくちゃにおもしろいわけでも
ないのに、なんだろう、
この不思議な満足感と楽しさと感動は。
また、そのシーンそのシーンのキャラは私は好きでした。
かわいいなあ!愛らしいなあ!と思うキャラや描写が多くとても良かったです。
おばあちゃんズは特に好きだなあ。
キリさんとの関係や、アオサギとの関係も個人的にすごい好きです。
なんかわからんけど、いろんな描写かわいかったし、理解しようと必死で飽きなかった。
難しいことは言ってないんですけどね。
なので、深く考えず、キャラや世界観だけで楽しめます。
ぜひ観てみてください。
権威主義と悪趣味な駄作。ジブリももうおしまいか。
内容 ☆☆☆ 絵 ★★★
人に勧めるか ☆☆☆
監督の悪趣味度 ★★☆
結論から言うと、これまでの数十年の映画人生の中でもTopクラスの駄作としか思えません。金返せ。
ジブリは特にもののけ姫等中心に好きなスタジオ作品であり、絵の美麗さに逃げず、きちんと練られたストーリーとその背景にある綿密な構成やメッセージ性がとても好きでした。
今回も、賛否両論ある事は承知の上で、決して観衆受けする物ではないにせよ、宮崎監督の想いやメッセージが伝わってくる作品になると期待していました...。
正直これほどの駄作とは思いませんでしたし、これを賞賛する文脈が、全て「宮崎監督が作ったからきっと素晴らしいものに違いない」=「その意図を読み取れる自分は映画通である」という権威主義に溢れたものになる事まで、敢えて想定して作っているとすれば非常に傲慢かと思われます。
「偉い先生が言ってるからきっと正しくて良い事を言っているに違いない」と盲信する日本人の習性をよく利用した、という面でのマーケティングは大成功でしょう。
誰が撮ったか、はあくまで作品の評価とは切り離して考えるべき、と自分は考えておりますが、そう考えていない方が少なからず多そうですね。
また、意味のないコミカルなシーンや、安易な萌えキャラを出す事で、中途半端に聴取受けを狙おうとしている薄ら寒さを感じました。
例えるなら、職場で意味わからず嫌われている上司が、オヂサン構文やちいかわのぬいぐるみを使用している時のような薄ら寒さです。
自分では受けているよう、聴衆に歩み寄っているようで、周囲はドン引きしている事に気がついていない典型的なオヂサンのようで哀れでした。
内容は一言で言えば「子供が熱でうなされた時に見る夢」です。
一つ一つのモチーフには背景がある(例:ストーンヘッジや、ジョルジョ・デ・キリコの神秘と憂鬱など)のですが、そのシーンにその描写をする意味づけが乏しく、またそれに合わせて人物をキリコと名づける安っぽさが目につきました。
二重螺旋DNAも正直発想がそこだね中学生レベル...
また、火や産屋=穢れ、などの発想は古事記をベースとしているのですが、幾つもの話を混ぜすぎて原型がなく、都合の良いようにつまみ食いしているだけです。(例えるなら浦島太郎が竹から出てきて打ち出の小槌で鬼をやっつける、みたいな)
キャラクターの行動原理や、なぜ主人公を助けるのか、なぜそこにいるのかを説明せず絡みも薄いので、キャラクターの魅力と深みも出てこずただのちょいキャラ以上の感想が出ませんでした。
ただスタジオジブリらしく、絵の美麗さや重力の表現などは他の追随を許さない流石の表現力であり、その点は満点評価をつけたいです。
最後に...
何十人ものアニメーター様、本当にお疲れ様でした。宮崎監督は勇退されて後進(いないんだろうなぁ)に道をお譲りください。お疲れ様でした。
いかなる時も善を選べ
美しい日本式アニメだけど
無広告戦略にダマサレタ。思索的な映画、もちろん有っていい作家映画なれど、たしかにこの内容を広告していたらここまでの集客は無かっただろう。悪い映画とは思わなかったがやられた感を引きずる。
テーマはわかりやすい。でも傑作ではないと思う。
置いていかれるとか、理解できないとか、聞いていたので身構えましたが、テーマはわかりやすいと思いました。本の『君たちはどう生きるか』を読んだことがあって、テーマがリンクしているだろうと推測しながら観たからかもしれませんが。
読み返したわけではないので曖昧ですが、本では「人は成長過程で自分中心のものの見方を離れ、社会を俯瞰して見れるようになる」とされていたと思います。
私が映画で気になったのは「義母が眞人を『大嫌いだ』と言った後、眞人が急に『お母さん』と呼ぶようになった」シーンです。
眞人はここで[義理の親子になったことに義母も苦しんでいる]ことに初めて気がつき、[だからこそ自分のいない異世界に来て出産しようとしている]と理解したのではないでしょうか。そして[義理の親子という関係を築く]覚悟をしたのだと思います。
(なんで妹と再婚?というレビューを散見するのですが、この頃は結婚は家同士でするもので、配偶者が死んだ時に兄弟姉妹と再婚することはよくあったと聞きます)
本でいうと冒頭なので、映画では自分中心の子供時代をゆっくり描いている感じです。
他にもいろいろあると思うのですが、本では最後に「自分で考えて生きること」を訴えていました。
映画でも眞人は「与えられた無垢の石で新しい世界を築く」という用意された道を拒否し「戦時中の混乱した世界に戻って友達と協力して生きていく」ことを自分で決めます。
そしてラストシーンでは、戦争が終わり東京に帰るという変化の時に本を持っていたことから、その後も眞人が自分で考えて生きていこうとしていることが示されました。
テーマが好きだし、全体として嫌いではないけど、傑作という印象ではありませんでした。
その時代がそうだったと言っても男尊女卑を無批判に描くのはどうなのか?と思いますし。眞人がタバコを渡したりクチバシを治したりと男性(らしきもの)には報酬を払うのに、女性には無報酬で助けてもらう、という描き方も気になります。
監督がジブリや自分や後継者を重ねて作ったかはわかりませんが、もしそうだとしたら、プライベートフィルムとして身内で見ればよいものです。
映像もセルフオマージュなのかもしれませんが、過去作を上手く織り込んであるというより、見覚えのあるもののツギハギという印象で、懐かしくて感動するより先に飽きてしまいました。
どう生きようか・・
観てきました❗「君たちはどう生きるか」。
久しぶりに見応えのあるアニメ映画を観た気がします。
はっきり言って、過去の宮崎アニメのようなエンターテイメント性は感じられず、決して面白いとは思いませんでしたが、観終わってからいろいろと考えさせられる問題作と言った感じです。
序盤の展開から、「火垂るの墓」のようなリアリスティックなお話と思いきや、まさかあそこまでファンタジーな成り行きになるとは驚きでした。
でもそこに違和感はなく、今現在の宮崎ワールドと言えるような世界観は納得のいくものでした。
しかし、今もう一度観たいかと言われれば微妙です。これを5年後、10年後にまた観た時にどう感じられるか、それが楽しみになるような映画だったと思います。
その時までどう生きるか・・それを考えさせられたと言う事は、観るべき映画だったと思います。
・・しかし背景が抜群だったなぁ✨
全2066件中、941~960件目を表示