君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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創作意欲
自分はスタジオジブリ作品・宮崎駿作品をそんなに観てきた訳
ではなく、映画.comの解説にあった情報程度しか知らず鑑賞。
以前宮崎駿監督が長編作品から退くと表明したニュースを
読んだ記憶があるが、いつの間にか復帰して作品を完成させて
いたとは。そして事前情報を出さずにいきなり本編を公開する
大胆な戦略。
事前情報と言えばミッション:インポッシブル デッドレコニング
PART ONE(原題:Mission: Impossible - Dead Reckoning Part One)
が予告編やメイキング動画等で事前情報を出しまくって期待感を
高めたのと逆の戦略で、どちらも大ヒットしているところが面白い。
観客に真っさらなな状態で作品に触れてほしいという思いがあった
ようなので事前情報を入れず鑑賞した。率直な感想としては
奇想天外なファンタジー世界があって面白かった。映画館で鑑賞する
価値がある映像と音だった。一方で自分にとっては謎のままで
消化不良の部分もあった。
分からない部分があったとしても無理に頭で理解しようとするよりは
目の前の世界を五感で感じるだけでも良い気がする。部分的には
冗長に感じる場面もあったが、アニメだからこそ描ける不思議な
世界観が楽しめたし幻想的ではっとするようなカットがあったりもした。
ドラマ性や落ちというかはっきりとしたメッセージが伝わる結末を
期待する向きにはもやっとした印象が残るかもしれないがこれは
これで良いと思う。
このレビューを書き終わったら、他の方のレビューを読んで参考に
しよう。映画の題名は吉野源三郎の著書「君たちはどう生きるか」から
借りたものとのことで、読んだことがあるかないかで作品の捉え方が
違ってくるだろうし、宮崎駿監督作品を全部詳しく知っている人なら
過去作と比べてどう、宮崎駿自身の心象を作品に反映させている?
ということも言えると思うので。
80代になっても創作意欲を持ち続け意欲的に作品を世に送る、その
エネルギーに敬服する。同じく80代のハリソン・フォードも現役だし
自分など彼らに比べたらまだひよっこだ。「もう歳だから・・・」
などと言っていられない。意識の持ち方と日々の過ごし方で
何歳になっても人生を充実させることができると思った次第だ。
焼き鳥を食った
『君たちはどう生きるか』を観た。
「この映画を見て 君たちはどう感じるか?
其々各々が自由に感じてくれたまえ。(笑)
正解も不正解もない。不正解も正解。正解も不正解。
さぁ君たちはどう生きる」と言われた。気がした。
映画監督 宮崎駿 を 宮﨑駿 を通して振りかえさせられた。させてもらった。
映画の内容はあっちとこっちの世界の話。
1から10まで説明する事はない。1と13を与えられて2〜12までとそれ以降は自分で考えろと言う映画。
へい!わかりました!(笑)
・主人公があっちの国で血を理由に跡を継げと言われて辞退する話。
生みの母へ子供ながらの甘えは(とても人間らしい)ありつつも時代的にも男という事であまり表に出さず奮闘するもやはり、、という印象だったが終盤はかなり成長が見える。わぁまるで誰かのお話だぁ。
・主人公の継母がこっちの世界を捨てる話。(主人公(姉の子)をあっちの世界の世継ぎ問題から守る、(血筋の子を自分も産める)、家や旦那から離れる)等の理由があっちに行った理由として考えられそう。墓石と産屋、、石、、ふむふむ。
考察なんて個人の自由だからサ!
なんてったって至る所に過去作だぁ!
あっちを死後の天国か、魂のみが生まれる場所(この世で肉体を得た時以外いる場所)と仮定。
この世ではない世界とするなら千と千尋の湯屋がある世界が思いつくのだけど、千と千尋のトンネルの先にある駅のようなポツンとした場所。ふむふむ。
それに銭婆に会いに行った時に車窓から見える、同乗者が降りて行ったあの世界。ふむふむ。
ゴッホの星月夜の糸杉に似た大きな木が墓石のところやあっちの世界で描かれていたけれど、糸杉はヨーロッパでは天と地を結びつける死の架け橋だと聞いたことがあるぜよ。
こっちの世界が現世(戦時中の日本)とするならば風立ちぬが連想されやすいけれど、今回の登場人物がお金持ちだからか、、なにか少し違った雰囲気にも感じる。裏山はまるでトトロの世界。
山を見るたびトトロトトロと喚いていた6歳の私の中の何かが!あぁ!心が、左腕が疼く!笑
お父さんはどうやら主人公とは違うタイプの人間で主人公の感覚とどこかズレていそうだけれど、家族への愛はあるのかもしれない。あれ、どこかで見たことのある父親のようだぁ。
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ところであの石の国、我が祖国に置き換えて考えるとどうだろう……、、、インコは増えすぎて良くないかあ、、、、、さぁさぁここからの考察は焼き鳥でも食べながら朝まで語り合おう。
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朝ごはんはパンにバターとジャム死ぬほど塗って食べたいなぁ。
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追記
ネタバレを恐れて事前知識無しに鑑賞しましたが、改めてたくさんの考察に触れると多種多様でとても興味深い。ジブリ一族のお話。ジブリからアニメ界、世界のお話。なるほどなるほど。宮崎駿の人生とは思いつつどちらかと言うと日本と日本人、世界のお話として受け取っていたのでとてもわかりやすく、また合点がいった点もたくさんありました。是も非も受け取りての数だけ解釈があって、それがまた面白い。
今の世界がどの様な形であれ、「 今 がある 」事は多くの祖先達が生きてきた過去の結晶で奇跡だ、世界はアンバランスで紙一重とどこかで読んだことがある。
積み木はその様なことか?と思っていたけれど監督が積み上げてきたジブリ史としてみるのも面白い。
皆さんの知識、知恵を拝借し考察を見れば見るほど面白い。また映画をみる必要がありますね!
また観たい
案外脳死で見れるけど多分理解はしてない
宮崎駿の世界観とやらを二十年ぶりに映画鑑賞させていただきました!序盤の火の海のシーンを見て、こりゃあ映画館じゃないと体感出来ない迫力を感じさせていただきました。
宮崎駿作品はほとんど視聴していないに等しいので、背景の美しさや装飾品達の美しさに圧巻でした。もはやほとんど映画館で見てないからこその感想です。
Twitterでは哲学的な考察やら色々なものが出ていて、んんんそんな難しいのかぁと気張って見ていたので、思ったよりも脳死で見れて良かったと安堵いたしました…笑
子ども連れでもきちんと見れるようなシーンも見受けられていたので、逆に肩透かし食う気分でした笑
私は普通に楽しめましたが、これを人に勧めるか?と聞かれたら微妙なところです。
いい経験をしたな!!といった感じです。
行きて帰りし物語
もっと自伝自伝した内容かと思ったが違った
全体的にいつものジブリ映画。
最初のお墓と産屋の奥は別物なんですね。最初のは邪悪な者、産屋のは大叔父さんと契約している石。あれは紛らわしいと思います。
最初のお墓のところの墓の主が起きるっていうのはナウシカの怒り狂った王蟲とかもののけ姫のタタリ神みたいなのが出てくるってことなのかなとしばらくたってから思ったりしました。
最初の火事のところの作画だけでも観に行けてよかった。
やはり私はジブリが苦手だ
全く広告をしないことが逆に広告になっていた本作。予告編や他の方のレビューも観てないので内容について事前知識は無く、「賛否両論らしい」というのは風の噂に聞いている状態でした。多少覚悟を持っての鑑賞になります。
結論ですが、私の感想は「否」です。
ジブリらしい圧倒的な作画と幻想的な世界観には引き込まれるものがありましたが、逆に言えばそれ以外の部分は微妙に感じましたね。
ストーリー構成が支離滅裂だったり、取ってつけたような設定や展開があったり、声優の演技が下手過ぎて耳障りだったりして、正直全然楽しめませんでした。私はこの映画が苦手です。
自分の理解力がないから楽しめなかったのかと思い、色んな方のレビューを漁ってみました。「主人公の眞人は若き日の宮崎駿である」みたいな考察が主流のようですが、私は全然ピンときません。
私は、作り手の顔が透けて見えるような描写が嫌いです。だから最近の映画によく見かける、作り手の歪んだポリコレ思想が透けて見える描写には嫌悪感を抱きます。作者とは切り離して作品は作品として楽しみたい。本作を絶賛しているレビュアーは宮崎駿の半生や過去作にまで話を広げて賞賛する方ばかりで、「この映画単体で観てどこが面白かったのか」について言及している人は極めて少ない。映画に描かれてなければ一般教養でもない、裏にある作者の生い立ちやら思想信条やらを慮って観ないと楽しめない作品は、面白い映画とは私は思えません。
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第二次世界大戦中の物語。空襲によって母親を喪い、母親の生家がある田舎に引っ越してきた牧眞人。父親は母の妹であるナツコと再婚し、ナツコのお腹には赤ちゃんを宿していた。母を亡くした喪失感から抜け出せず、新しい家庭での生活になかなか馴染めずにいた眞人の前に、喋るアオサギが現れる。アオサギは屋敷の近くに立つ塔に眞人を誘うのだった。
・・・・・・・・・・・
最初はまだ良かったんですが、塔の世界に入ってからが分かり辛く、ストーリーについていけずに置いていかれた感じがありました。私が頭悪いだけかと思いましたが、他の方のレビューを見ても「分からなかった」という方が多いように感じます。
どうにか分からなかった部分を補完しようと、映画レビュアーの方の考察などを拝見し、何となく本作への理解は深めることができました。しかしだからといって本作の評価が高くなるかと言えばそんなことは無く、「難解でつまらない映画」という印象だったのが、「単につまらない映画」という印象に変わっただけでした。
私は別に考察が嫌いなわけじゃないんです。でもそれは、考察しなくても面白いのが前提で、考察することでより楽しめるのが良いんです。本作のように難解でつまらなくて、楽しむために考察が前提となっている作品は苦手です。しかも考察したところで出てくるのが「宮崎駿の半自伝的映画だった」なんですよ。宮崎駿のファンでも何でもない私からすれば、オッサンの半生なんて興味ありませんし、それを描きたいなら分かり辛い比喩的なファンタジー描写じゃなくて直接的に描いてくれた方が面白かった気がします。あと、一部のファンが「この作品を楽しめなかった人には読解力がない(意訳)」というレビューをしているのも気に食わないです。
考察要素や難解な内容や宮崎駿の自伝的描写について、そういう要素を入れるなとは言うつもりはありません。しかしそれでもその要素を入れたいなら、映画としてしっかり楽しめる内容にした上で入れてほしかったというのが本音です。本作は製作委員会方式を取らずに宮崎駿が自由に製作した映画とのことだったので、彼の作家性が悪い方向に出てしまったのではないかと邪推します。
あとこれはジブリ作品の多くに共通する不満点なんですが、プロ声優はほとんど起用せず、タレント声優を使っているため、キャラクターによっては演技が壊滅的に酷いです。特にヒミを演じるあいみょんの演技は聞くに堪えないレベルの棒読み演技で、映画鑑賞のノイズになっていました。宮崎駿監督は声優のわざとらしい演技が嫌いだからプロ声優を起用しないというのは有名ですが、その結果がこの耳障りな棒読み演技なら本末転倒です。
普通の人にはオススメしにくい映画でした。宮崎駿の妄信的ファンの方、考察ジャンキーの方には超オススメです。
良い意味で良くわからない!
絵の美しさで観れるが面白く無い。
秘密の手紙、宛先は自分
見ている間はどんな話なんだろう?と思っていましたが、見終わった後は自分宛にずっと待っていた秘密の手紙が届いたような、嬉しい気持ちになりました。
自分の中に世界がある人、世の中にどれくらいいるんだろう?何言ってるのか分からないって人がほとんどかも?
でも、私の中には世界があって、そこはとても美しくて、半分くらいはいつもそこにいる感じ。
私のような凡人には頭の中の世界を現実世界に表出させる事が出来ないけど、宮崎さんは自分の頭の中の世界を現実にして皆に見せてくれた。
君たちはどう生きるか?と問われ、それで良いんだよ。と言ってもらえた気がしました。
そして、最後の米津さんの歌。美しい、若い、天才が宮崎さんを祝福したような、引き継いだような、宇宙からのご褒美のような素晴らしい歌でした。宮崎さんが泣いたのがわかります。生まれてきて良かった。
この映画の宛先は自分と思えるような人は絶対にいると思います。
ちなみに私はただの普通のパートの主婦です。不思議でしょ。
事前情報0で観た
米津さんが曲を担当している以外事前情報なしの状態で観ました。
開始3秒くらいで“この時代の話か・・・“と正直がっかりしました。
しかし、想像した内容とは異なりこれまでのジブリ作品を彷彿とさせるシーンが盛り込まれた世界観、声優もジブリに携わった事のある方も登場し胸に込み上げるものがありました。
大伯父のセリフ「3日に一個積み上げればいい(※正確には違うかも)」は宮崎駿監督が3年に1度作品を作っていたから、という考察を読んで改めて感動しました。
「君たちはどう生きるか」というセリフ、宮崎駿監督は作品を通しこれまで私たちに監督としての人生を見せてくれていたように感じますし、大伯父のように跡を引き継ぐものが必要だと感じているのかも知れません。エンドロールでは新しい宮崎作品を観れるのはこれで本当に最後かもしれないという想いに苛まれ自然と涙が出ました。
パンフレットが発売したらまた観に行きたいと思います。
それまで色々な方の考察も読みたいと思います。
喪失と受容、命が糧で共生している世界、死生観
めっちゃネタバレしているので、まだ見ていない人は
読まないでください。
生きるとは、命を糧にして他の犠牲の上に生きている、それを日頃意識しているでしょうか。
私はもう人生の折り返し地点を過ぎているので時々己の死や死後を思います…
生きているということは死ぬ存在でもあるという事です。
そして人は他の存在に依存して生きています。
火事から救い出したいと思っていた母を救うこともできず、母にソックリな叔母を母としてその実家の屋敷に移り住む。大好きな母と似ていてでも他人で少しなまめかしくて、手を取られてお腹を触らせられて義母というより、母に似た他人としか思えません。
また叔母が父に後妻に入ると言うよりも…叔母の屋敷に父と入るのは…主人公マヒト目線で見ていると…まるで父を引き込み招き入れた女主の牙城に囲われる様な感覚に陥ります。
マヒトは坊っちゃんのくせに、大勢にボコられた後に自分で大きな傷を作るくらいの知恵があります。奴等と共に行動をしなくて良いという特権を生み出す引きこもりがマヒト。
そう、ここは、
トトロのサツキが…一人っ子の男の子で、
母は生還せず病より酷い火事で亡くなってしまった世界線。
サツキの様に饒舌ではなく、カンタの様にあれやこれや用事を言いつけられたりする田舎の農家の子でもない。おまけに唯一の頼るべき父親の一番は今や後妻になる叔母。
そう、主人公の少年の冒頭目覚めた顔は、アシタカに似た目をしていると思ったけれど…つまりは拠り所を得ていない一人ぼっちの目をしている。(本当は愛され守られているのに。)
パズーのように動くと思ったけど、自律していても、生かされている事に気づいていない目をしている。
多分昔宮崎駿は、女の子のために千と千尋を作ったと言っていたけれど、男の子のためには既にラピュタがあると言っていたけれど、
人との繋がりの中で生きる事を描くために、人との繋がりを拒否して生きている所からスタートさせなくてはいけないと感じて描いた作品なのかもしれません。
火垂るの墓は絶望で終わることにより人に気付きを与えるのですが、宮崎駿は絶望というエンディングではなく、
希望と他者への理解や慈しみを掴み取る冒険活劇を感じてほしかったのではないでしょうか。
セキセイインコ達が包丁を持っていてもどこか可愛らしいというか、悪ではなく、彼らなりの生きる為に行動している様に感じます。
なんだかどこにも悪人はいない、そして、大オジはまるで石に支配されて生きているまるで隠れたところで人を操作している様な気になっている引きこもりの王の様に見えました。
私にはとてもシンプルな映画に見えたのですが、
人によって感じ方は違うのですね。
難解と思う人とはこれまでの生き方がちがうのかな…と思いました。
母は死んだことを苦しんでいなかった、そう思えた事がマヒトにとって大切で、とても母親の存在と最期が子どもにはかけがえのないものだということを感じます。
少なくとも宮崎駿の世代にとってはとても大事でした。親を親ガチャと言われる時代には意味が通じない映画なのかもしれません。
米津が主題歌じゃなければ劇場には来なかったかもしれません。でもとても面白かったです。
クオリティ最高だが、面白い映画ではない
お疲れさまでした
もうちょっとダイレクトに...
タイトルが全てを物語っている
最初のシーンから圧倒された。千尋からポニョからジブリでは登場人物が走る場面が今までにもあったが、一人称視点で描かれたのは初めて見た。街ゆく人は歪み、対して目指す病院の燃え盛る情景は鮮明に目に映る。事前情報の全くない状態でどんなものだろうと考えていたら最初のあの場面で一気に物語に没入させられた。
「ジブリ世界」に行く前、まひとは喧嘩で負け、自分で自分の頭に傷をつけた。彼はどう話したとしても父親が「自分でつけた傷」だと信じず騒ぐであろうとわかった上でそうしたのだ。その傷こそ彼の「弱さ」、「汚さ」の証左であり、大叔父の提案を「自分は汚れているから」と断った所に繋がってくる。
また、ジブリ世界では同じく頭部に傷を持つキリコが登場するが、彼女はその傷について戦ってつけられた傷だとしていて、「強さ」、「勇猛さ」の象徴となっているキリコの傷と、「弱さ」「汚さ」の象徴となっているまひとの傷で対比がされている。
そしてアオサギとは嘘をつかないまひととつくアオサギで対比されている。だが、先述した通り嘘はついていないが「弱さ」が見えるまひとに、アオサギは「弱虫」と煽っている。そしてその後にタイトルの元となった「君たちはどう生きるか」を読んだまひと。まひとはこの本の読前と読後で明らかに行動が変わっている。
この作品はまひとの成長を描いていて、作中で成長したまひとは「弱さ」の象徴である傷を受け入れて、「弱さ」を抱えながら人として現実で生きていくことを選んだ。そんな、1人のまだ青い少年が一人の人として生きていこうとするまでの成長を、一つの例示として描いたのだ。そして、それがタイトルにつながってくる。
「この少年はこのようにしてこの現実で生きていくことを選びました。
さあ、君達はどう生きるか」
みんなが大人になった、そして、私も少し大人になってしまった。
周りの感想が、口を揃えて
"難しかった" "理解出来なかった"
あー面白くないんだなーと思って観るつもり無かったけど、
自分は理解できるのか、と逆に気になって観てきました!
私の感想は、普通に面白かった!
前作、風立ちぬでは感じなかった、千と千尋やハウルを彷彿させる宮崎駿ならではの世界観が戻ってきた感じ!
気付いたら前のめりになって、高揚する気持ちを抑えていました!
思い返せば、千と千尋もハウルも、
冷静に考えるとなんでそんな世界に行ったの?って意味わからなかったじゃないか。
それと同じだと思う!笑
理解しようとせず、映画自体を楽しむ。
小学生の頃に見た、千と千尋。
あの頃、映画に意味を見出していたかな?
きっと、
難しかった、理解できなかった、と言っている方々は、
大人になってしまったんだと思います。
意味を見出す生き方に慣れてしまったんだなぁと。。
そして、私も。
千と千尋やハウルの方が面白かったなー
って少し思ってしまったと言うことは、
あの頃より、大人になってしまったんだなぁ
と、少し淋しさすら感じました。
宮崎駿さんは、
ずっと変わっていないんですね。
素敵だなーと。
何も考えずに、心からジブリ映画を楽しんでいた頃のように、この映画も観ることをおすすめします!
もっといい映画はたくさんあります
まずメッセージ性はすごく高いと思います。
各キャラクターが誰を、何を象徴していて、彼らの行動にどういう意味があって、展開、エンディングから監督が伝えたいものは何か。
それを感じたい、考えたい人にとってはとても面白いんじゃないかと思います。
これが漫画や小説だったら私は楽しく読んでいたでしょう。読後感も良いものだったと想像できます。
しかしタイトルの通りこれはアニメ映画であり、わざわざお金を払って劇場で観ていると考えると、私としてはイマイチと言わざるをえません。
開始数分でアシタカは呪われて村を出ましたし、シータは空から降ってきましたし、千尋は名前を失いました。その後の冒険のボリュームとその面白さたるや。
一方で今作の主人公「眞人さん」は、結構お家でグダグダしています。体感、20〜30分でしょうか?もっと?私は辛気臭いという印象を受けました。早く本筋に入れよと。
あとは好みと見方の問題です。
この映画を「冒険活劇」と取るのであれば、この映画はとにかく辛気臭くて、展開とメッセージの出し方が雑です。
冒険活劇はわかりやすいストーリーの裏に、実はそこそこ深いメッセージがある、というものが多いかと思いますが、メッセージが「メッセージ」として結構露骨に描かれている印象でした。もちろん比喩の皮は被ってますが、それが逆に雑さというか、こなれていなさを感じて、私はなんだか悲しい気持ちになりました。
身体が動かなくなったベテランアスリートを見るような感覚でしょうか。。
この映画を「宮崎駿による黙示録」と取るのであれば、お世辞抜きにめちゃくちゃ面白いと思います。特に2回目です。冒頭に書いた通り、いろんなものがいろんなものとして描かれていると思います。
監督の言いたいことはなんだろう?何を表現しているのだろう?
眞人さんのお家での暮らしも、冒険に旅立つまでの過程を丁寧に描いたといえます。
彼の心の動きとは何か。彼の行動や発言が何を表しているのか。
そしてこの映画は何を表しているのか。。
他の方の考察や評価、この映画に至るスタジオジブリと宮崎駿のバックグラウンドを含めて考えるのであればとても面白い作品だと思います。
繰り返しになりますが、これが進めるペースを自分でコントロールできる小説や漫画であれば私は楽しんだと思いますが、これは2時間縛りつけで展開スピードは提供側任せの映画というコンテンツです。
キャラクターの顔も、情景も、音もスピードも、全て決まっている中で、出てきたものに対して私はあまり良い印象を受けませんでした。
同じ条件下で存分に楽しませてもらった他の映画や、私が大好きな過去のジブリ作品と比較したら、「つまらない」という感想になります。
誰にでもわかるエンタメの中に深いメッセージを隠すのがかっこいいと思ってるので、この作品は好きではありません。
メッセージを無理矢理アニメ映画の形に押し込んだようなものでした。
まあ、何を求めるかによります。
考察等々を読んで2回目見れば面白いのではないでしょうか。
うーん
観てすぐの感想
うーんわからない 正直つまらない
序盤の火事のあたりは描写もすごくて良かったけど、
途中から映画というより絵画を見てる気分だった。
要素要素に宮崎駿の人生が詰まってるとは感じたけど、
それがストーリーと結び付かなくて作品としてなにが伝えたいのか分からなくて難しいと感じた。
劇中で主人公が『君たちはどう生きるか』を読むまでと、読んだ後からの描写が本当に違った。
でも、よく考えたらあえてそうしてるとしか思えない。
あの館に入ってから、どんどん物語が分からなく、つまらなくなっていった。
主人公は自分の意志というより周囲に流されてるようにみえるし、
突拍子もなく新しいキャラクターが登場してくるのもよくわからない。
あの世界は壮大な絵画のように美しいのに、単調でつまらなかった。
なんでそう描いたのか、わかるためにもう一度見たい。
*2回目鑑賞したので備忘録
わりとシンプルな話だった気がする!1回目のときは映画に人見知り?してたのかも。スッと入ってきた。
もしかしたら自分が大人になってあれこれ考えながら見てしまってただけで、子供はすぐに理解できるのかも。
読書してからあきらかに主人公が変わってるし、行動力もあった。ごめん。
何度見てもたぶんこの読書のシーンが映画の中で一番好きかもしれないな。
火事のシーンと産小屋のシーンはやっぱり描写がすごくて良い意味でアニメーションを見てるなと感じた。
夏子さんが大っ嫌いと言ったことだけが引っかかってる。夏子さんの言葉というより、真人の言葉だと思った。
直前の会話で真人は夏子さんのことを「母親じゃなくてお父さんが好きな人」って言っていたからこそ「母さん」と呼ぶ変化が心に刺さる。
アオサギは初見はただ怖くて気持ち悪いだけに思えたけど、だんだん愛着がわいてくる。いつのまにか芽生える友情も理屈じゃなくわかるって感じがする。
記憶がある真人に対して、マズいよ。でもどんどん忘れてく。あばよ友達!的なこと言ってたのすごい好きだったし切なかった。忘れちゃうんだ。
ジブリ作品は子供の時におきた不思議なできごとはぜんぶ忘れちゃうことになってるので、自分にも忘れてるだけで不思議な冒険をしたことがあるのかもと思わせてくれる。
冒頭のタイトル『君たちはどう生きるか』が出るシーンで流れる音楽が挿入される箇所に共通点がありそうで気になってる。読書のシーンと、石が崩壊するあたりのシーンで流れてた気がする。
大叔父様は謎なんだけど、あの世界はやっぱり綺麗だった。鳥たちも天国だ〜みたいなこと言ってたし。だからこそ、そんな楽園のような場所じゃなく現実の、戦争が起きてる自分の世界に戻る選択をするのが対比になっているのかな。
綺麗だけど、ひとりで寂しそうだったな叔父様。
真人は友達を作るって言ってた。えらい。友達なんかいらないと思ってただろうに。
あともう1回くらい観ておこうかな。
たぶんファンタジーだって知ってから観たら見え方が違う気もした。
本作の意味
まずこの作品の「意味」ですが、基本的には以下のような感じですよね。これを直接言ったとしても伝わるメッセージにはならないから「千と千尋の神隠し」や「ハウルの動く城」などのようなファンタジーの形式を取った。まずファンタジーを楽しんでもらって、一歩引いてみてもらう。その背後にある現実と同じ構造を徐々に意識化してもらうというパターン。このパターンに観客はすでに親しんでいるという前提で本作は作られています。つまり「ファンタジーに意味不明な部分があるのは、その裏側にしか本当の意味はないからだ」という理解の上で観客も観てくれているという前提があるので、この前提が共有されていなければまったく意味不明になります。以後感想。
あらすじ
主人公は母方が産業で財を成した家である。母は開戦3年目に死亡。父は社会的に有能だが物語に関係してこない(社会的な成功は本作で言う「どう生きるか」とは関係がない)。母の死後(あるいはその前か)、母の妹にすごい速さで手を出すところに驚く人もいようが、家業のために妹が強かなだけか。翌年に父と母の妹はデキ婚。
開戦4年。主人公は家の工場移転に伴い、疎開を兼ねて母の実家を初めて訪れる。同時に父が再婚する母の妹に会う。実家は古い屋敷で、山を背にした敷地は広く、日本家屋の母屋のほか、池、裏山、閉鎖された洋館を有する。閉鎖された洋館は母の大叔父が建てさせたものである。大叔父は失踪している。
金持ちの主人公は転校初日から浮いており同級生にタコ殴りにされる。主人公は騒ぎを大きくしてやろうとしてか、石で自分の側頭部に傷をつける(やや大げさに出血が描写されてはいるが、ここは切ると本当に血が止まらない。血の池くらいはできる)。そのまま学校には行かなくていいことになる。主人公が熱を出して寝込み数日後、母の妹が身重のまま失踪。一族の者が迎えに来る必要があるというアオサギの執拗な誘いに乗り、主人公は森に分け入っていく。
洋館が建っている場所には、もともと維新の頃に落下してきた巨大な隕石が立っていた。大叔父はそれを洋館で石棺状に囲わせて保護したのだという。
この洋館は地下構造が複雑で危険なため、大叔父の失踪後は閉鎖されてあった。主人公は誘い込まれた世界で、アオサギの言う通り(?)若い頃の母と、母の身重の妹とを見つけることができる。大叔父は積み木状の白い石の積み方に微妙な調整を加え続けることでこの世界のエネルギーを維持しており、主人公にその作業を継いでもらいたいと言うが、主人公は「石には悪意がある」と断る。大叔父は主人公の母に再度主人公を呼び寄せさせ、悪意のない新しい13個の石を使って仕事を継ぐように求める。今度は主人公は「自分には自分でつけた悪意の印が頭についているため、その仕事はできない」と断る。インコの大王の乱入により白い石のバランスが崩れ、世界と大叔父が消え去り、全員が解放される。
要点
主人公の家の家業は航空機の部品納入である。作中では近所の工場で戦闘機のキャノピーを製造し、鉄道で納品している。有名な話だが、宮崎駿の家の家業が航空機製造だったことが関係している。母方の親族としては母、母の妹、失踪したはずの母の大叔父が出てくる。祖父、祖母は出番がない。祖母は母が若い頃に亡くなっている。母、母の妹、屋敷に古くから仕える7人のばあや、大叔父のほかは、かつて大叔父が持ち込み困窮した鳥たちと、人間の生まれくる命であるワラワラたちだけが、石棺のような洋館の中の世界での話の主要部分に関係してくる。このことから、この話は翼に心を奪われ、そして放射能によって翼を奪われた彼ら一族の物語であることがわかってくる。
また、大叔父は、異常なまでに細やかな石の積み方の調整により、世界に供給するエネルギーを安定させる作業を繰り返し、この世界を作り上げた。大叔父は外から鳥を持ち込んだ。セキセイインコは進化し数を増やし、繁殖し足の踏み場のないほどに繁栄しているが、密度はもう限界である。ペリカンは生まれくる人の命を喰らうが、このほかに食べるものがないという。大叔父は現状を維持するのが限界であり、世界に新たな力を与えて鳥たちを以前のように暮らさせてやることができない。そこで主人公に、悪意のない新しい13個の石を使うように勧めるが、オウムの大王がこれを奪おうとしてバランスを崩し、世界ごと崩壊させてしまう。
解説
これは終わってしまった日本の航空産業などの自主技術開発、使えといわれ渡されている扱いの難しい原子力、エネルギーにより一時的にもたらされる繁栄、そして生じる生活環境の行き詰まりの話だ。最後に主人公は「悪意のない新しい石であっても、自分に悪意があるかぎりは使うことはできない」と言って大叔父の仕事を継ぐことを断る。これが主人公の「どう生きるか」に対する答えになっているのだが、13個の悪意のない新しい石とはなんだろう? 理解不足で「君たちはどう生きるか」がどんな問いなのかまではっきりと行き着くことはできなかったが、それはおそらくこういうことだ。たとえ原子力をやめて安全なエネルギーを供給したところで、一時的な繁栄のあとの行き詰まりは見えている。そのとき、側頭部の傷のような、柳条湖事件のような手段で対処してしまうことも見えている。そうであれば多大なエネルギー供給は、何を見越してなんのためにするのか? これを考えなければ将来を考えたことにはならないだろうということだ。
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