君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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普通に面白かった
初日鑑賞後にぼろ泣きしてる人のインタビュー映像見てどんなもんかと鑑賞。
時代設定が戦時中だったんで火垂るの墓的ヘビーな内容だったら嫌だな〜と思って若干萎えてたら、疎開先の継母(母の妹?)屋敷で不気味な青鷺にチョッカイかけられ、さらに後妻の失踪をきっかけに空から降ってきた不思議な塔の鏡の国のアリスとダリの絵みたいな怒涛のファンタジー展開で安心した。
基本色々と説明がないので深く考えたら意味分からんだろーと思い何も考えずに見てたんで楽しめた。
色々隠された意味やら象徴があるんだろーが一回見て全て理解はできないと思う。
おそらく岡田斗司夫が考察やら解説してくれるだろーからそれを見てからもう一度見ようと思った。
君たちはどう観るか?いや鑑賞レベルに達していない…残念!
映画やアニメーションを製作して仕上げる人達には尊敬を致しますm(_ _)m
そしてその内容がどうであれ、やろうとして取り組んだ姿勢には頭が下がります。
今作の宮崎駿作品は確かに冒頭のシーンの動きや演出は目を見張るものがあり、流石と思いましたが、後半につれてあれ?あれ?と
変わってゆき…最後は過去作を取り混ぜたような脱出劇的なアプローチで斬新さは感じませんでした。
まず、なぜ何故火事が起きたのか?
隕石はどういう類のものなのか?
祖父ではなく親戚の大叔父に設定した意図は?
鳥ばかり出てきたが火の鳥のオマージュ?
塔の世界とその下の世界の規模の差がありすぎて…個人レベルなのか地球レベルなのか設定がよく分からず…などなど
疑問だらけで鑑賞終わりました。
極めて身内レベルのお話で冒険活劇とは言えず、それならそれで予告があれば良かったのですがあまりにも狭い世界の物語になっていて感動というものは得られませんでした。
よく言うカタルシスが設定されていないのも監督とスタッフとの意思の疎通が計れず訳の分からないことになったのでしょうか?
例え今作がエンタメでも、そうでないシュールで個人的なイメージの世界でも僕としては受け入れてやろうと劇場に足を運びましたが、結果としては全体に不完全燃焼であり
シナリオも起承転結が散らかっていて
タイムループだとしても伏線すらチープなものになってしまい、乱暴に言えばシーンの組み直しや展開の演出次第ではそこそこの完成度には持って行けたとも思いますので構成スタッフ、演出スタッフの技量も足りなかったのかも知れません。
試写で監督がOKを出していたのかと思うと余計に疑問符が続いてしまいます。
これで前衛アニメーションとか言われても違うと思いますし、総集編だと言われたらあーそうなんですか。で終わっちゃうのでそれは全国ロードショーで広くお金をいただいて上映するよりもインディーズで良かったのではないかと思います。
未来少年コナンやナウシカのあのパッションは素晴らしかったので逆に今回がっくり来てしまいました。
リベンジで次回あともう一度完成度高いものをお願いしたいところです。
あまり理解できず
宮崎ワールドに入り込めるか
2時間があっという間に終わってしまう、宮崎ワールド全開の映画だと思いました。前知識ゼロだったので、始まるまではすごーく不安でしたが、なんてことはない、始まったらあっという間に引き込まれて、中だるみもなく終わりました。
終わりかたも尻切れ気味?な気がするし、あれってナンだったんだろう・・なんて部分もあちこちらにあります。けど、なんか、いろいろもやっと考えながら家路についたのって、そう言えばラピュタやナウシカを映画館で見た帰りがそうだったな、となんか懐かしい気分になりました。また、この作品、エンドロールにテレビ局やら広告代理店が出てきません。出てこないと、こんなにもスッキリするもんなんですね。マスコミさんの名前なんて、見る側にしてみたら全くいらない情報なので、これは本当に好印象でした。いらない情報が出てこなかった分、声優が誰だったのかなど含め、エンドロールをきちんとみたりと、自分のイメージとのすりあわせを始めることができました。
今の若めの世代に宮崎さんの世界観が刺さるかは、微妙かも知れません。なので、賛否両論 あるのだと思います。ただ、私は宮崎さんの作品はこれで良いと思います。マスコミを使わない分、宮崎さんの自由度が格段に上がると思いますし、マスコミを使わない選択は、ジブリしかできないやり方だと思います。次回作以降も是非続けてもらいたいと思いました。
タイトルなし(ネタバレ)
まずは、冒頭のマヒトが母の病院へ走って向かうシーンが鳥肌モノです。映像がとてもきれいで、さらに人の死が伝わってくる描写、その最初冒頭何分かだけで、映画の世界に引き込まれてしまいます。
物語はマヒトが母を失ってからはじまります。マヒトは母を失ったことで自暴自棄(?)みたいなものになり、生きる意味を失ったんだと思います。その証拠として自分の頭に石を叩きつけるなどの、自暴に走ったのだと思います。しかし父親は新しい妻ができたりと、マヒトとは真逆です。そんな父親にマヒトは不信感を抱き、新しい母(ナツコ)にも敵対心を見せます。そんなマヒトが異世界へ飛び冒険をします。最終的な異世界の王から「この世界の王を受け継いでほしい」と頼まれます。異世界には若き日の母が生きており、現実世界よりも幸せのはずです。最初のマヒトなら承諾していたかもしれませんが、マヒトはアオサギやキリコさんなどとの冒険により成長したことで、母がいなく、これから火の海になる現実世界に生きる決意を決めたのだと思います。最後の「東京に帰った」というのはその後もちゃんと生きたんだと示したのだと思います。
物語中盤にでてくるインコは、勝手な憶測ですが現実世界の「大衆」だと思います。マヒトや若き日の母は異世界では人間です。それは今の現実世界で言ったら「才能のある人」たちと考えます。それを喰おうとしてるインコは才能のあるものを潰してしまう今の現実世界の「大衆」に当てはまると思います。
この映画は本当に難しい映画だと思います。鑑賞中ずっと考えて見ましたがなかなかわかりませんでした。でも映画は「観客が想像して最後のピースをはめるもの」と僕は考えるので、本当に面白い映画でした。
わかろうとする人にしかわからない
誰でも楽しめる大衆主義的な作品ではありません。
かといって、解釈講釈で理解力を競って悦に浸るためのものでもありません。
作りたいものを作った、そう思わせる作品です。
他人を喜ばせるためのプレゼントではないのです。
シーンが断片的で違和感があるでしょうが、逆に言えば展開が読めず、まるで夢の中のようです。
主人公は地味でわざとらしい魅力がなく、リアルです。いっぽうでジブリっぽさをわざとらしく展開するシーンがあり、逆に冷静にさせられ、これは人が作った映画なのだと認識させられます。
私達は宮崎駿作品を通してファンタジーな空想世界を見てきましたが、本当はファンタジーを通して現実を見てほしかったのでしょう。
空想の世界に理想を夢見るのではなく、現実をどう生きるのか、そのヒントにしてほしいという想いを感じました。宮崎駿氏にとって「君たちはどう生きるか」がそうであったように。
笑笑?
余計な先入観を排除してみるべし
なぜ、公開前に一切の広報、プロモーションを行わなかったのか、
映画を見終わってその答えはすぐでた
「自分がこれから何を見て何を聞き何を感じるのか」
一切わからない状態での新鮮な視聴体験
これは凄い。これは本当に初日でしか味わえない贅沢だ
すでに公開から時間もたっているのでネットに粗筋や詳しい感想、
たとえ話などが蔓延しているが、
これから見ようと思ってる人や、ちょっと興味を惹かれている人は
そういったものから距離をとり、できれば記憶から消し去り
まっさらな状態で視聴してほしい
余計な先入観は視聴の疎外となる。
よってこのレビューもここから先は観る必要はない
さっくりいえば、前作で引退を決め込んだ老監督が
「大事なことを伝え忘れていた」ことに気づき、
急いで後進に渡すバトンを作り上げた。そういう内容である
これで本当に引退ではあると思うのだけど
ここにきてまだこんなものが出てくるのかという驚きで満ち満ちている
おのれを振り返り、そのうえで業界や視聴者に問いかけをしているのだ
よってこの作品はジブリや宮崎駿にある種の先入観
「冒険出ファンタジーで親子で観れる教育にいいもの」
等というゆがんだ刷り込みが強い人には一切楽しめない作品であろう
そうでなくても観た人それぞれの印象は大きく違う
本当に同じ作品を見たのかと感じてしまうこともある
是非余計な先入観を排除して新鮮な気持ちで観てほしい作品である
Y××ooのレビュアーたちはどうイキるか
2023年映画館鑑賞40作品目
7月23日(日)イオンシネマ石巻
6ミタ0円
監督と脚本は『ルパン三世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』の宮崎駿
原作はあくまで宮崎駿
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』はタイトルを借用しただけで中身は全く違う
だからコペル君は登場しないし子供に刺激を受ける無職のおじさんは登場しない
時代は大東亜戦争の日本
母を火事で亡くし父と共に東京から母の実家に引っ越してきた牧眞人少年
父は母の妹と再婚し継母は孕っていた
アオサギの手引きで母の実家屋敷の裏にある廃屋の塔に入っていく牧少年
天から降ってきた物体を大叔父が塔で囲ったのだ
塔の下の世界は異次元
海がありペリカンが人の言葉を喋りインコは擬人化していた
母は少女の姿で大人になった姉を姉だと認識していた
ばあやのキリコは若かった
大叔父は行方不明になり母も子供の頃行方不明になったが一年後帰ったきた
継母は孕ったまま塔の下の世界に
帰りたくない
牧少年が嫌いだという
なんだかよく訳のわからない話だ
単純明快を好む頭が硬い人には向いていない
幻想的な世界は好きだ
令和の不思議の国のアリスだ
あっちは夢オチだけど
全く宣伝をしなかったのはそれだけ宮崎駿に自信があったのだろう
宮崎駿の新作アニメ公開ってだけで十分だと
だからといって宮崎駿の方針を曲解し事前に情報を一切シャットアウトして鑑賞に臨むのは愚かなことだ
声優のメンバーを教えられただけで「ネタバレ」などと抗議する人たちにいたっては笑止
有吉の反論は概ね同意
声優が有名俳優ばかりなのは宣伝無しの保険だというトンチンカンな記事を書く信じられないほど無知なライターが世の中には存在するが実際はまるで違う
宮崎駿は声優専門の人たちの声が嫌いだからだ
「おヨーグルトですわ」みたいな人たちは宮崎駿の世界観にそぐわない
あとアオサギの声に菅田将暉くんのようなイケメンがやるのはちょっと抵抗感
ああいうのは大泉洋でいいんだよ
それにしても口の中にまた顔があるあの気持ち悪い生物はなんなの
ブラックジャックに出てきた人面瘡の一種かな
あれは殺人鬼の良心だったけど
声の配役
母ヒサコを火事で失い父と共に東京から田舎に引っ越してきた牧眞人に山時聡真
体内から火を出し花火を打ち上げたりするなど武器とするナツコの姉の子供時代のヒミにあいみょん
下の世界で漁師をしているキリコに柴咲コウ
シュウイチの再婚相手で孕っている夏子に木村佳乃
眞人の父で軍需工場を営む勝一に木村拓哉
塔の中で行方不明となり本の読み過ぎで頭がおかしくなったといわれる大伯父に火野正平
セキセイインコたちのリーダー格のインコ大王に國村隼
ヒミの花火で瀕死の重傷を負う老ペリカンに小林薫
ばあやのあいこに大竹しのぶ
ばあやのいずみに竹下景子
ばあやのうたこに風吹ジュン
ばあやのえりこに阿川佐和子
上の世界で人間の赤ちゃんになる魂のような下の世界の生き物のワラワラに滝沢カレン
塔の中の世界に誘う案内人のアオサギに菅田将暉
「魂の物語」として素晴らしい
宮崎 駿監督の「君たちはどう生きるか」を息子(小5)と観てきました。上映中息子が何度か横から「おもろない」「つまんない」と囁いてくるのを、「まあ、まあ」と宥めつつの観賞でした。
さて、私個人の感想としては、一言で言い表すのは難しいですが、「自分の奥底で、深いところで、頷くものがあった。」です。
私はラピュタやトトロなど、同監督の初期の作品が大好きです。子供の頃に観たこれらの作品は、セリフを憶えるぐらい繰り返し観るほど私を魅了し、その後の私の人生に多大な影響を与えたと言っても過言ではありません。
それと共にもう1つ、私の人生に大きな影響を与えたものがあります。それは、心理学者の故河合隼雄さんの著作と、そこで紹介されていた様々な児童文学の作品です。河合隼雄さんの著作に「子供の本を読む」と「ファンタジーを読む」という2冊があります。河合隼雄さんは「心」と「体」とは別の領域として「魂」というものの存在を仮定して、人の在りようを考えた方ですが、上記の2冊の中で魂を描いている作品として様々な児童文学を紹介されています。そこにはジブリがアニメ化した作品が「ゲド戦記」も「床下の小人たち(ジブリでは借りぐらしのアリエッティですね)」も「思い出のマーニー」も紹介されていたはずですし、「耳をすませば」のパンフレットでスタッフの方の好きな、あるいはオススメの本として紹介されていた「トムは真夜中の庭で」もありましたので、ジブリとこうした児童文学の関係は密接と言えますし、河合隼雄さんがよいと思われた作品との共通性は否めないものがあります。実際、宮崎駿さんと河合隼雄さんは対談などもされていましたので親交があられたのかなとも(詳しく存じ上げませんが)思います。
私はこの河合隼雄さんの著作で児童文学における「魂」の描かれ方について慣れ親しんでいたためか、今回の「君たちはどう生きるか」は、とてもしっくりと「魂を描いた物語」として観ることができました。そこには、私の忘れられないいくつかの夢で見た景色があり、昔この世のものとは思えない美しい海辺に立った日に感じた風があり、深く感動した児童文学の世界があり、16歳で突然逝ってしまった友人がいた。そういう映画でした。「魂」の世界を描いているのですから、その領域で観なければ訳が分からないのは当たり前だし、難しかったりつまらなかったりしても当たり前かと思います。この映画は主人公の傷ついた魂が癒やされるまでの物語とも捉えられるし、映画全体のストーリーが、宮崎駿さんの魂のお話と捉えることも出来ると思いましたが、(ここで言う「魂」は、「心」とは異なります)この物語を映画という形で作ることを可能にした宮崎駿さんの才能や経済的条件、関わったクリエイターさん達の素晴らしい力、鈴木プロデューサーの理解など全てに拍手を贈りたい。
そもそも、魂のお話というのは、商業的な視点とは相容れない部分がある、ましてや尺も決められ、観客動員数も気にして作る映画などという媒体でそれを作るのはかなり難しいと思います。その難しさは、これまでのジブリ作品で随分感じたところです。魂の世界の出来事は、例えば今回の作品で出てくる石の数が13であることに、いろんな方がいろんな考察をされていますが、魂の世界でそれが13と決められる時、それは作り手が何かを意味して13と決めるのとは違って、魂が13でなければいけないと言ってくるようなものです。それはその魂の器である人でさえ、その理由がわからなかったりします。実際に宮崎駿さんが石の数に意味を持たせていらしたかはわかりませんが、魂の世界のことを例えて表現するならそういうことだと思います。また、魂の世界のことを商業的なものを意識して改変するということをわかりやすく言えば、誰しも不思議な夢ぐらいは見たことがあるかなと思いますが、その夢の中で例えば白い衣の老婆から石ころを渡されたとしますよね?その夢の体験が意味もわからないけど、深く感動して目覚めたら涙が出ていたとして(何らかの魂の体験)、それを作品にする時に、「老婆に石ころじゃ売れないよね」なんて、美しい少女に青く光る石を渡されるように変えてしまうことが、いかに魂の世界から離れてしまうかということだと思います。
そういうのが、「君たちはどう生きるか」には、だいぶ少なかった。それが素晴らしかったです。売れることを目的にしたら実現しなかったはずです。
ですので、この作品の中に出てくる物ごとや台詞を、こういう意味だと考えることはあまり意味がないのかも知れません。それより自分の中の魂の世界とリンク出来たら、深い体験になる映画ということかも知れませんね。
それでは、なんの意味があるの?と思うかも知れませんが、私は魂の物語として必然的に描かれたシーンが沢山見つけられたし、些細なシーンにも魂が癒やされていく過程で意味あるエピソードとして宮崎駿さんが描かれているのを感じましたので、とてもわかりやすく感銘を受けました。
これまでの作品で見たことがあると感じた数々の場面を、焼き直しと捉えた方は沢山あるかも知れませんが、
私にはそもそも宮崎駿さんの中には「君たちはどう生きるか」で描かれた魂の世界があり、これまでの作品にそこから切り取ったものを入れて来られたんだなと感じます。だから、全くそれは気になりませんでした。
だいぶ前から宮崎駿さんは、魂の世界を描きたかったのではないでしょうか?でもそれは映画としてのエンターテイメントを考えたら難しかった、その葛藤の痕跡があり、思いに反して観客にわかる受ける形にしなくてはいけなかったという悲鳴が聴こえていたから、自分はハウルとポニョは違和感が強いということかなと、今回の作品から感じところです(あくまでも、個人的な感想です)。そのあたりの作品では、「人にしたいの?キャラにしたいの?」というのが掴めない登場人物や、これは何かを示すためにだけ描かれているような登場人物だなと感じたことがあり、違和感がありました。
今回はそうではなく、主人公が生きている現実世界での周囲の人達の、主人公に対する愛や思いやりが(それが正しいかそうでないかとは関係なく)きちんと受け取れました。魂の世界に引き込まれていく人が現実世界にちゃんとよい形で帰還するためには、ここをきちんと描かないといけないんだということをよくわかって作られていることに安心しました。千と千尋やハウルでの親の描かれ方ではなかったです。そして、親だって一人の人として苦しみ悩み生きている存在であることをこの映画の登場人物から感じ取ることも出来ました。理想の親を体現するキャラクターでも、現代的な親の何かを象徴させるための登場人物でもなかったです。
長々と書いていますので、鬱陶しく感じられる方もあるかも知れませんが、今回の本作を通して、魂の世界を描いた素晴らしい児童文学の作品に再び光が当てられるといいな、最近書店から消えつつある作品もあるので、そう思います。
もし、児童文学の中の魂のお話なんていうのに、なんぞや?と思い、興味を持たれる方があったら、是非河合隼雄さんの著作を読んでみられるとよいのではないかと思います。
1つだけ、「君たちはどう生きるか」に物足りなさを感じるとすれば、それは非凡な感じがしなかったということでしょうか?もし仮に私が魂の物語を作れと言われたら、勿論こんな完成度にはならないですが、ざっくり同じような構成で同じようなストーリー展開のものを作るだろうなと感じるところです。そのぐらい古典的でオーソドックスな「魂の物語」の雛形みたいなところがありました。ですがそれでも、これをアニメーションで作ったことの意味は大きいし、それは宮崎駿さんの晩年でしかなし得なかったかもしれないと思います。
そして、改めてアーシュラ・K・ル=グウィン(「ゲド戦記
」原作者)や、ミヒャエル・エンデ(「モモ」や「はてしない物語」作者)、フィリパ・ピアス(「トムは真夜中の庭で」作者)といった素晴らしい児童文学を生み出した方々の類まれなる才能に脱帽する次第です。これらの作品を読み、クリエイターとしてこんな素晴らしい作品を自らも生み出したいと願った純粋な監督の情熱が、「君たちはどう生きるか」から垣間見える気がしました。
ある種の方には共感を得られる感想だといいなと思います。
ハヤオ版アリス・イン・ワンダーランド
失われた物語の中で
吉野源三郎の同作にインスピレーションを受け,オリジナルストーリーとして制作された宮﨑駿の最新作である今作の評価は真っ二つに分かれることになった。これまでのジブリにあるような「物語」としての側面は大きく後退し,アニメーターとしてのパーソナルな表現が前面に押し出されている結果だろう。『風立ちぬ』で引退を宣言した宮﨑がそれを撤回して監督した今作はあまりに自由で伸び伸びと作られている。次世代へのメッセージを含んだ「遺書」とすら呼べそうである。アニメーター宮﨑の自己開示,それは物語というよりイマジネーションに満ちた混沌だった。フェデリコ・フェリーニが『8 1/2』で撮りたかったものを,宮﨑はアニメーションで表現したように思える。
冒頭では東京が燃えている。ジブリが自家薬籠中の物としている「火」の描写は『風立ちぬ』から地続きである。そしてそれはたとえ空襲による火災であったとしても,「偉大な破壊」(坂口安吾)であるがゆえに美しい。病院にいる母のもとへ走る主人公・眞人はもちろん宮崎駿その人である。履き物を慌てて脱ぐ仕草や階段を駆け上がる動きなど,アニメーションのお手本のようなシークエンスには誰もが目を奪われただろう。しかし,病院の火災により眞人の母は命を落としてしまい,彼は疎開することになる。眞人が東京から離れると画面から戦争の影が消える。まとめると,前半が現実パート,後半が虚構パートというふうに切り分けることができるだろう。そして現実と虚構の往還,すなわち児童文学によく用いられる「行きて帰りし物語」の形式によって物語が展開する。「行きて帰りし物語」では「向こう」へ行くために「通路」が必要である。それらは『となりのトトロ』では「小径」,『千と千尋の神隠し』では「トンネル」として表現されてきた。今作においては「塔」が「通路」であるのと同時に宮﨑にとっての重要なメタファーとなっている。塔は疎開先の森の中にひっそりと建っているがこれは人が作ったものでなく,空から降ってきたものだという。人智を超えた存在である塔はおそらく「物語」の暗喩だ。そしてそれを人が建造物すなわち言語や法体系でコーティングしている。神の言語で書かれた物語を私たちが読むためには,低次元の言語や体系を必要とするからである。眞人が義母を探して通る道はまるで『となりのトトロ』に出てきた場面と酷似している。これだけでなく,『ハウルの動く城』の扉,『崖の上のポニョ』の船の墓場など,過去作品からの引用が多く見られる。それらは「ジブリらしさ」というサービス的な目配せではなく,明らかにコンシャスな反復である。特徴的なのは,眞人が異世界へ進んでいく際,そこに「老女」が同伴する点だ。『となりのトトロ』も『千と千尋の神隠し』も少女の成長譚という性格を持っているため,「大人」は彼岸へは行くことができない(サツキとメイの父親にトトロは見えないし,千尋が冒険している間,両親は意識を喪失している)。しかし,今作で宮﨑は屋敷に侍女として仕える老女を登場させた。もちろん彼女はキーパーソンであり「観測者」あるいは「守護者」としての役割を果たすことになる。眞人を映す「カメラ」であり,物語を受容する「観客」でもある。彼女は塔の奥へ進む眞人に「罠」という言葉を使うが,このワーディングはやや奇妙である。罠というのは,それを仕掛ける主体なしに存在しないためである。老女は「大人」でありながら,異世界への分水嶺で「罠」を仕掛けた何者かの存在を嗅ぎ取っている。また,彼女はアオサギが喋る様子を目撃する。アオサギだけではない。のちにインコも登場するがこれらは現実世界の「大人」たちに「バケモノ」として「認識」されるのだ。ここに従来の作品との違いがあるように思われる。「喋るアオサギ」も「インコの兵隊」も一般人に「見えている」とすれば,彼らは現実世界に存在するなにかしらの存在の表象だと推測できるだろう。序盤のアオサギは不気味な存在だが,その「着ぐるみ」を剥がしてしまえば無能な中年男性(=サギ男)である。翼を奪われたサギ男は粗忽でコミカルな存在,すなわち道化と化す。アオサギは,眞人を異世界へと導くトリックスターなのである。彼は大きな魅力のないキャラでありながらポスターに採用される存在感を持ち,最後には眞人と「トモダチ」になる。敵でも味方でもないトリックスターは「物語」への「水先案内人」なのだ。物語を信じる宮﨑にとって欠かせない存在だろう。
眞人たちが地底世界へ潜り込むとそこにはインコ帝国が築かれている。この「帝国」はおそらく「スタジオジブリ」だろうが,同時にそこは宮﨑駿の精神世界である。そこでは生者と死者が行き交い,過去と未来が混ざり合っている。過去の作品世界が引用としてでなく,メタフォリカルに重なり合いながら存在しているのだ。「わらわら」という存在が地底から「地表」を目指して飛んでいくシーンがある。わらわらはおそらく「受精卵」あるいは「物語のインスピレーション」だ。生命や物語は,厳しい淘汰圧を耐え抜いたものだけが存在しうる。それを食べる「ペリカン」たちは,生命や作品に「カネ」の匂いを嗅ぎつけた資本家であり,批評家であり,一般大衆でもあるのだろう。ジブリ作品にしてはやや造形の書き込みが足りないような気がするが,「創作」に関するプリミティブな考え方に触れることのできる重要なシーンである。地底世界には,「塔」(=物語)の中で姿を消した白髪の「大叔父」が登場する。彼はおそらく宮﨑駿本人だろう。だとするとここで矛盾が生じることになる。観客は眞人を宮﨑本人だと思っているからだ。しかし,実母の「ヒミ」,老女の「キミコ」が若かりし頃の姿で地底世界に存在していることから,その矛盾は特に問題視しなくて良いだろう。眞人は過去の宮﨑,大叔父が現在の宮﨑であるという推論はコロラリーとして容易に成り立つ。インスピレーション源の『君たちはどう生きるか』は「叔父」と「コペル君」の対話がベースとなっているが,本作では叔父が大叔父,コペル君が眞人に翻案されている。宮﨑は脚本をツイストし,叔父とコペル君のアイデンティティをも縫合してしまったのだ。それは「過去の自分」と「未来の自分」の対話でもある。すなわち本作は徹頭徹尾,宮﨑による内面の吐露だ。それは私たちに説教をする内容の映画ではない。むしろ「自分はこう生きた」という宮﨑自身の生の証明になっている。いい画を容易に描けるようになった宮﨑が,あえて背景やパースを崩して表現したかったものは,あまりに個人的実存だったが,国民作家によるそれはあまりに普遍性を獲得している。日本アニメーションの巨匠に許された自由な自己表現は,難解でありながら観客の心奥に訴えかけるものでもあったのだ。本作は児童文学としての性質を持っているため,むしろ子どもたちのほうが純粋に冒険譚を楽しめるのかもしれない。ロジックやクリティカルシンキングに馴染んでいない子どもたちは映画の混沌を混沌そのものとして受け止めることができるだろう。そんな純粋な作品を86歳にして作ってしまう宮﨑駿はやはり天才的な作家である。
終始荒唐無稽↩︎監督自身も意味不明と言及 結論何の意味もない。だが名作
タイトルでも言いましたが、間違いなくジブリ最高傑作です。だが難解。鑑賞後のカタルシスが凄いです。
今までの駿ジブリは子供でも楽しめるが大人も楽しめると言った様なスタンス。今作でも残っていますが、10年前の風立ちぬから若干路線変更しているように伺えます。特に血シーンや難解などストーリー構成でしょうか?
本作も風立ちぬも血シーンが有ります。
お子さんには若干ショッキングに映ると思います。後、本作はネットやら口コミやらで難解だからと言って視聴を控えるのはかなり勿体無いと思います。なので寝ている人が多かったです。前述した通りですが、本作は難解です。しかし難解でも美しいアニメーションや世界観で私を引き込んでくれてとても素晴らしいです。今までほぼ全てのディズニー映画、ジブリを鑑賞してきましたが、ここまで考えさせられる内容の映画はないと感じました。本作はハッピーエンドですが、考え方によってはメリーバットに捉える事も可能です。
ディズニー映画お得意のお涙頂戴的なハッピーエンド映画が苦手、だが、バットエンドも苦手な人にかなりおすすめできます。
以下、ネタバレを含みます。難解な点や面白いと思った所、考察など書いていきます。
①結局本当の母親は死ぬ。
母親は死にます。しかし異母と打ち解け合えた事によりハッピーエンド。義母は戻って来られる。私はいいと思います。2人で本音をぶつけ合うシーンでは躍動を感じました。
②鷺男の正体が謎。
映画を見る前、あらすじを見たので、こいつが大叔父かと思いましたが、見事に違いました。
他の口コミを見ていると弟説が浮上していて、私もこの説を推しています。
この鷺がラストシーンで「あばよ、友達」的な事を言っていました。最初は気が合わない。水と油→キリコに諭され、共に行動&協力し合う様になる(友達になる)→ラストシーンであばよ(別れを告げると共に、友達を辞め、家族になる、二重の意味)
が私の考察です。正直、口コミを見ないとコイツの正体は分かりませんでした。弟説が正しいとは
限りません。
③実母とキリコがなぜ下の世界にいるのか謎。
どちらも若返った状態でこの世界に留まっています。実母は鷺のいった通り、遺体がありません。
なので、成仏できず、この世界に留まっている?
問題はキリコです。キリコは主人公と、同じく下の世界に投げ出され、最終的に若返った状態のキリコから駒?の様な物が渡され、現世で変身しています。若いキリコは若い実母と共に、違う扉へ姿を消しました。実母は若い頃、一度、下の世界に迷い込んでいたが、キリコはその様な事は言及されていなかった。↩︎言及されていたらごめんなさい。しかしなぜ2人ともこの世界にいるのか、さっぱり意味がわかりませんでした。若い頃のキリコさんはせんちひのりんの様な存在でした。しかし実母の死であの様に捻くれてしまったのでしょうか。
④主人公はなぜ自分の頭部に傷をつけたのか
本作のグロシーン。
お父様に車で送迎、おまけに高そうな服。
いじめの標的にされます。
河川敷で格闘しますが、ボロ負け、石で頭部に傷をつけます。自分で。これはいじめられてやり返す事ができないやるせない気持ちを表現しているのでしょうか?キリコにも同じ傷が付いています。又は肉親である父親に構って貰いたい幼さの現れ?トイストーリーのウッディの様に感じた。
結論
自傷行為をする事によって自分の悪と向き合う。
主人公を成長させる為、自分の悪意と向き合う。
これがこの作品のメッセージではないでしょうか
この作品について駿も意味が分からないと語っています。
この作品は一人一人自分自身の物語であり、人により
解釈が大幅に異なる。
衒学と人間讃歌の元、スタジオジブリはどう生きるか
何かと話題の宮崎駿監督の最新作「君たちはどう生きるか」を観てきました。
宮崎駿監督の作品としては約10年ぶり。スタジオジブリとしては約2年ぶりの新作で事前のセールスプロモーションを全くやらない。事前情報も無しと言う前代未聞のプロモーションが逆に話題となっていましたが公開から作品の内容に対しても賛否両論。
その真偽と言うか意見も観ないと分からないとあって、鑑賞をした訳ですが、で、感想はと言うと…個人的な一意見ですが、面白く無い訳ではないが、面白い訳でないw
一言言えば複雑だし、必要以上に難しくこねくりまわしている感がある。
ジャンルとしては冒険活劇ファンタジーらしいけど、正直それだけでは括れない難解さがあると思うし、また説明が不十分な点が多く、哲学的と言うか文学的な側面がある。
吉野源三郎原作で1937年発表の「君たちはどう生きるか」に感銘を受け、直接の原作ではなく、タイトルとして引用されているらしいが観る限りにはやはりその影響は多分にあると思う。
観る側の器量を試されるというか、実験的な作りは嫌いでは無いんですが、まあジブリっぽくはないんですよね。
長年ジブリ作品を観てきた者にすれば老若男女が楽しめる、ある程度明快な作品がジブリの信条かなと思うんですが、人間讃歌と言うテーマは変わっていないと思います。ただいろんな部分が挑戦的で観る側に突き詰めると言う感じ。
その兆候は「風立ちぬ」で庵野秀明監督を主人公の声優に起用された時にもあった訳ですが今回はもう全部がそうなっていて“どうしたこうなった?”と言うよりも”うるせえ〜どうせもう何作も作らないし作れないんだから、たまには好き勝手に作らせろ!”と言う開き直りな感じなんですよねw
いろんな不足点を埋めるように観る側の思考が錯誤するんですが、これって庵野監督が得意とする手法で「エヴァ:Q」でも観られた「衒学」(げんがく)かなと。
衒学とは知識がある事を自慢する事であり、知ったかぶりという言葉が一番近い。
何か裏がありそうな雰囲気を出すための演出であっても実際に裏は存在せず、観る側に衒学を漂わせると言うか。
まあ「お金を出して観る人が好き勝手に解釈していいよ」と言う答えだと思うし、だからこそ一切のプロモーションをしないのがプロモーションとなっている訳ですが、事前のプロモーションをやらないのは今までのジブリブランドがあればこそな訳で、これが普通の作品ならもう大爆死ですよw
作品としては「千と千尋の神隠し」「もののけ姫」「ハウルの動く城」的な感じもあり、今までのジブリ作品のセルフオマージュも多分にありなので観る側にいろんな問い掛けが仕掛けられている。
かと言って今までのジブリ作品のイメージで思い込むと手痛い目に合うので、一切のイメージを捨てて、全くの新作で観るのが正解かと。
それでもなかなか難解な作品ですが、声優キャストは結構ツボにハマるキャスティングでアオサギ役の菅田将暉さん。ヒミ役のあいみょん。ばあやのキリコ役の柴咲コウさんはかなり上手い。特に菅田将暉さんは熱演です。
宮崎駿監督は今後作品を作るのかは不明ですが年齢的な事を考えるとかなり難しく、スタジオジブリとしても新作が出来るのかは不明。2014年公開の「思い出のマーニー」で映画制作部門を解体し、一度アニメ制作から撤退しているので主要スタッフが抜けている分、「無為自然」的な流れになっている。
勿論、ジブリ作品が新しく作られるのは嬉しいし、勿論観に行こうとは思う。
だけど、ある程度のイメージの構築は仕方ない分、スカされた感は残念ではあります。
宮崎駿=スタジオジブリのイメージから結局脱却しきれなかったのは今更言っても仕方ないけど、スタジオジブリのブランドはやはり残して欲しいかなと。
もし、もう一回だけ作ると言うのであれば…庵野秀明監督で「風の谷のナウシカ」の続品を作るのであれば、個人的にはもう大歓迎ですw
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