君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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ジブリ版の冒険活劇?
君が、誰か他者ではなく、君自身を生きるヒントにと
作られた映画、届けられた映画。
そういう感想を持った。
この映画のタイトルは『君たちはどう生きるか』だけれど、1937年出版の吉野源三郎の著書とは別物だ。
敢えて、『君たちはどう生きるか』としたのは、「この本は今、若い人たちに再び手に取られて、読まれなければならない」と宮崎監督が強く感じたからではないか。
かつて「君たち」の一人に過ぎなかった宮崎駿少年と、少年眞人が、この本から受け取ったことはあまりに大きいのだろう、もしかするとこの現実世界を生きていく「よすが」となるほどに。
大きいからこそ、具体的には描かれなかった。そこは描いてしまいたくなかったのだ。
この映画をキッカケに実際に読んで、受け取る体験をするよう願っているのではないか。
大叔父の塔が崩れたのは、「誰かが作り上げた虚構の世界」、もしかするとアニメーションの創作群、それらよりも「君と一冊の本」との結びつきのほうが素晴らしいんだよ、人生にはよっぽど大事なんだよ?と諭す寓意があるのではないか。
本当に素晴らしい一冊との出会いがあれば、(眞)人は生きていける。
大人たちが性欲のまま動き淡い想いを踏みにじり、かと思えば独善だったり人生のレールを敷いてくるような醜い世界であっても。
他者の悪意や冷笑も、自身に渦巻く悪意も、どちらも制御不能であっても。
それが一番言いたいことなんじゃないかと受け止めた。
その他思いつくままに書き留めると…
・思いもかけず関わってくる他者も、なんだかんだと行動や時間を共有し交流することで情が湧き、もはや無関係ではいられないし、友情や絆のようなものだって生まれてくるだろうこと。
・自分の手を動かして、ナイフで削ることで武器を作れること。だがコツを掴むまで練習しないことには、その物は道具や武器として用をなさないこと(アオサギを射抜こうと弓矢をこしらえる場面)。
・人と、自然という「異界」との親しさは、里山的、田園風景的な(自然)環境の中でしか育まれないこと。
・男性にとって、母親は永遠に「はじまりの女性」なのだということ。
・威圧的な他者(インコ王)、神のような存在(大叔父)がruleする世界は、所詮は他人の「世界」であってそれは「君自身」がゼロから関わった世界ではない。 それを譲り受けるのではなく(それは例えば「とても流布した他者の見方」をそのまま信じることにもあてはまる。そうするのではなく)、未熟でも不完全でもとにかく君の実感、思うままに重きを置くこと、信じてみること。
君自身オリジナルの内的世界(観)を少しずつ築いていくことのほうがよっぽど価値があること。
この荒々しい、悪意に満ちた世界にあって、それは簡単ではないとしても。
私が勝手にそんなメッセージ、思いを宮崎監督から受け取った。
なので、この映画に関するいくつかの考察を検索やTwitterで読んでからも
「いやいや、自分はこう思うね」
とどこかに書いてみたくなりました。
眞人は部屋を出た。
私も「君たち」の一人として、「どう生きるんだい」、その監督からの問いかけに、まずは書くことで答えてみたくなった。
この先も、この映画を見たから出力された行動、動いてみようという衝動が、湧いてくるかもしれない。
私にとってはそんな映画。
宮崎駿濃度200%
駿さんてずっとこの画面比率(なんて言うかはわからないが昔のTVにハマりそうな比率)な気がする。だもんでIMAXスクリーンでも遜色なく楽しめるので近場にあるならばオススメでございます。
画面、展開、劇伴と、思いの外淡々としているので元気多めの時に鑑賞するのが吉でしたねぇ。インポッシブルIMAX後の鑑賞だったので、途中危なかった笑 それでも眠らせないのが駿マジックというヤツでしょうか。ちょいちょいフワッとした所があるので「んん?」とはなりましたが、何だか良い気持ちで劇場を後に出来ました。こういうのも良いけれども、派手なヤツも観たいからもう少しがんばって欲しいなと強く思いましたね。軽くトラウマになりそうなアレコレがあるのは、安定の駿ブラックなのでご用心笑笑笑
いつもの、 ぶっ壊せ。自由に生きろ
本当に、いつもの駿です!!
ナウシカ原作組や、もののけ姫ガチ勢、駿ヲタにしか気付かれなさそうな比喩が沢山あります。
観ようによっては唯のファンタジー。
2行目にあたる人々は立派な駿ヲタなので大丈夫です、トトロやラピュタを想像してる人は止めておきましょう。
詰まるところ、いつもの、
先人達の作った都合のいいルールなどぶっ壊せ。自由に生きろ。というメッセージ。
表現方法は、今までの作品の総括で、芯は同じもののオリジナルでありながらそれとは違う進化を遂げています。
特に序章の炎表現なんかは息が詰まる程の衝撃を受けました。最初こそ母親を亡くすショックや戦禍の凄惨さをぼやかしつつ爆撃等の恐ろしさを伝えているかと思ったけど、アレはその程度では無かった。国を失ってしまう、やるせ無さ、痛み、苦しみ、恐怖、のような、激情の二重表現だった。
最近よく見かけるジブリ好きすぎて影響受けたりパクっただけの作品とは一線を画し、強烈な宮崎駿というオリジナリティを感じられて幸せでした。
個性の嵐に打たれた衝撃、これだよこれ 宮崎駿に求めていたのは!
まるで攻殻機動隊の笑い男、ライ麦畑でつかまえてを体現したようでした🌾
最後にジブリの大将として
グッズ化されるであろうキャラクターが沢山🤣ぬい化を待っています笑
以下、
▼比喩設定📝メモ
※個人の解釈です。
・青鷺=嘘つき、戦後の天皇、弱点は第七の羽🪶つまり現日本国憲法第7条(国事行為について内閣の承認が必要)
・母親(火の使い手)=火の国、母国、戦争により死亡
・新しい母親(母親の妹)=敗戦後GHQによって作り直された現日本国 、義母とは呼んでない多分、新しい母親、色々な制約や悪意あるしがらみにより病んでいて子を産みたくない(継がせたくない)、白い絡みつく紙はそれらの比喩、囚われ身動き取れないでいるところを主人公(未来ある若者)によって解放される
・舵輪柄の女性(お婆さん、黄色)=真の意味で自立した人間、黄色は自由と幸福、自分の意思で動き地を踏みしめて歩ける人
・帆船(↑の舵輪柄の女性も含む)
自分の意思で生きている人達、風来坊、荒波に揉まれ彷徨い沈む船もある
・帆船にのる黒い影の顔無し集団
社会の集団として生きる人達、集団で漕ぐ船は大きくて安全、でも自分たちで獲物を狩れない(判断できない?もしくは判断できても動けない)意思や個性の表れである顔が無い
・ペリカン(何でも食う、死人)=他人を未来の子供達すらをも食いものにし暴利を貪る人間、または無自覚に誰かの犠牲の上で何も考えず生かされている人間、望んでなくともそうなってしまった人間達
※ ペリカンが火を恐れる理由が分からないから違うかも→一応、生者を貪り生きる亡者なので単純に光が嫌いor亡者(悪意ある老輩)たちにとって戦前の日本が眩しすぎるとか戦争がトラウマ???
・墓の主=神、天皇(昭和天皇を含む以前の)
・ワラワラ=受精卵😂未来の子供達、臓が好きとか生々しいんよ…👌👈
・インコ(外来種、日本国民が国内に連れ込んだもの、駆除された日本烏🐦⬛に取って代わり増殖し放題、現在の空王)=戦勝国、軍事主義者。日本に生まれる子は準植民地の労働力として育てる為、子を産む新しい母親(戦後日本)を食え(潰せ)ない。母親(戦前の日本)と主人公(現日本国の若者)は御馳走😋大好物💰搾取するのみ。
・大叔父=先人達、日本を創ってきた人達
・積み石の石=先人が積み上げてきたもの、日本国憲法や社会システムなどの一つ一つ
・積み石=不安定でギリギリ生きながらえている、明日には崩れるかもしれない、というかすでに壊れて始めている歪な日本社会
・インコの王様(ストーカー監視、破壊者)=戦勝国のリーダー、アメリカ合衆国🇺🇸。大叔父(過去)から主人公(未来)へ渡すはずだった善意の積み石🇯🇵を積み損ねて一刀両断にした、結局王様以外のインコ(軍事主義者)は生きていけず普通の姿に戻り現世界に戻った。共存しているとも言える。
・主人公=君たち、日本国民。悪意も善意も持ち合わせた未来ある若者たち、悪意ある石を見分けられる
・父親=王配、もしくは盲目的に天皇を信じる人達、男は馬鹿だねってのが駿の持論なとこある。
※念の為、私個人は天皇の存在を支持します。
普通に面白かった
初日鑑賞後にぼろ泣きしてる人のインタビュー映像見てどんなもんかと鑑賞。
時代設定が戦時中だったんで火垂るの墓的ヘビーな内容だったら嫌だな〜と思って若干萎えてたら、疎開先の継母(母の妹?)屋敷で不気味な青鷺にチョッカイかけられ、さらに後妻の失踪をきっかけに空から降ってきた不思議な塔の鏡の国のアリスとダリの絵みたいな怒涛のファンタジー展開で安心した。
基本色々と説明がないので深く考えたら意味分からんだろーと思い何も考えずに見てたんで楽しめた。
色々隠された意味やら象徴があるんだろーが一回見て全て理解はできないと思う。
おそらく岡田斗司夫が考察やら解説してくれるだろーからそれを見てからもう一度見ようと思った。
君たちはどう観るか?いや鑑賞レベルに達していない…残念!
映画やアニメーションを製作して仕上げる人達には尊敬を致しますm(_ _)m
そしてその内容がどうであれ、やろうとして取り組んだ姿勢には頭が下がります。
今作の宮崎駿作品は確かに冒頭のシーンの動きや演出は目を見張るものがあり、流石と思いましたが、後半につれてあれ?あれ?と
変わってゆき…最後は過去作を取り混ぜたような脱出劇的なアプローチで斬新さは感じませんでした。
まず、なぜ何故火事が起きたのか?
隕石はどういう類のものなのか?
祖父ではなく親戚の大叔父に設定した意図は?
鳥ばかり出てきたが火の鳥のオマージュ?
塔の世界とその下の世界の規模の差がありすぎて…個人レベルなのか地球レベルなのか設定がよく分からず…などなど
疑問だらけで鑑賞終わりました。
極めて身内レベルのお話で冒険活劇とは言えず、それならそれで予告があれば良かったのですがあまりにも狭い世界の物語になっていて感動というものは得られませんでした。
よく言うカタルシスが設定されていないのも監督とスタッフとの意思の疎通が計れず訳の分からないことになったのでしょうか?
例え今作がエンタメでも、そうでないシュールで個人的なイメージの世界でも僕としては受け入れてやろうと劇場に足を運びましたが、結果としては全体に不完全燃焼であり
シナリオも起承転結が散らかっていて
タイムループだとしても伏線すらチープなものになってしまい、乱暴に言えばシーンの組み直しや展開の演出次第ではそこそこの完成度には持って行けたとも思いますので構成スタッフ、演出スタッフの技量も足りなかったのかも知れません。
試写で監督がOKを出していたのかと思うと余計に疑問符が続いてしまいます。
これで前衛アニメーションとか言われても違うと思いますし、総集編だと言われたらあーそうなんですか。で終わっちゃうのでそれは全国ロードショーで広くお金をいただいて上映するよりもインディーズで良かったのではないかと思います。
未来少年コナンやナウシカのあのパッションは素晴らしかったので逆に今回がっくり来てしまいました。
リベンジで次回あともう一度完成度高いものをお願いしたいところです。
あまり理解できず
宮崎ワールドに入り込めるか
2時間があっという間に終わってしまう、宮崎ワールド全開の映画だと思いました。前知識ゼロだったので、始まるまではすごーく不安でしたが、なんてことはない、始まったらあっという間に引き込まれて、中だるみもなく終わりました。
終わりかたも尻切れ気味?な気がするし、あれってナンだったんだろう・・なんて部分もあちこちらにあります。けど、なんか、いろいろもやっと考えながら家路についたのって、そう言えばラピュタやナウシカを映画館で見た帰りがそうだったな、となんか懐かしい気分になりました。また、この作品、エンドロールにテレビ局やら広告代理店が出てきません。出てこないと、こんなにもスッキリするもんなんですね。マスコミさんの名前なんて、見る側にしてみたら全くいらない情報なので、これは本当に好印象でした。いらない情報が出てこなかった分、声優が誰だったのかなど含め、エンドロールをきちんとみたりと、自分のイメージとのすりあわせを始めることができました。
今の若めの世代に宮崎さんの世界観が刺さるかは、微妙かも知れません。なので、賛否両論 あるのだと思います。ただ、私は宮崎さんの作品はこれで良いと思います。マスコミを使わない分、宮崎さんの自由度が格段に上がると思いますし、マスコミを使わない選択は、ジブリしかできないやり方だと思います。次回作以降も是非続けてもらいたいと思いました。
タイトルなし(ネタバレ)
まずは、冒頭のマヒトが母の病院へ走って向かうシーンが鳥肌モノです。映像がとてもきれいで、さらに人の死が伝わってくる描写、その最初冒頭何分かだけで、映画の世界に引き込まれてしまいます。
物語はマヒトが母を失ってからはじまります。マヒトは母を失ったことで自暴自棄(?)みたいなものになり、生きる意味を失ったんだと思います。その証拠として自分の頭に石を叩きつけるなどの、自暴に走ったのだと思います。しかし父親は新しい妻ができたりと、マヒトとは真逆です。そんな父親にマヒトは不信感を抱き、新しい母(ナツコ)にも敵対心を見せます。そんなマヒトが異世界へ飛び冒険をします。最終的な異世界の王から「この世界の王を受け継いでほしい」と頼まれます。異世界には若き日の母が生きており、現実世界よりも幸せのはずです。最初のマヒトなら承諾していたかもしれませんが、マヒトはアオサギやキリコさんなどとの冒険により成長したことで、母がいなく、これから火の海になる現実世界に生きる決意を決めたのだと思います。最後の「東京に帰った」というのはその後もちゃんと生きたんだと示したのだと思います。
物語中盤にでてくるインコは、勝手な憶測ですが現実世界の「大衆」だと思います。マヒトや若き日の母は異世界では人間です。それは今の現実世界で言ったら「才能のある人」たちと考えます。それを喰おうとしてるインコは才能のあるものを潰してしまう今の現実世界の「大衆」に当てはまると思います。
この映画は本当に難しい映画だと思います。鑑賞中ずっと考えて見ましたがなかなかわかりませんでした。でも映画は「観客が想像して最後のピースをはめるもの」と僕は考えるので、本当に面白い映画でした。
わかろうとする人にしかわからない
誰でも楽しめる大衆主義的な作品ではありません。
かといって、解釈講釈で理解力を競って悦に浸るためのものでもありません。
作りたいものを作った、そう思わせる作品です。
他人を喜ばせるためのプレゼントではないのです。
シーンが断片的で違和感があるでしょうが、逆に言えば展開が読めず、まるで夢の中のようです。
主人公は地味でわざとらしい魅力がなく、リアルです。いっぽうでジブリっぽさをわざとらしく展開するシーンがあり、逆に冷静にさせられ、これは人が作った映画なのだと認識させられます。
私達は宮崎駿作品を通してファンタジーな空想世界を見てきましたが、本当はファンタジーを通して現実を見てほしかったのでしょう。
空想の世界に理想を夢見るのではなく、現実をどう生きるのか、そのヒントにしてほしいという想いを感じました。宮崎駿氏にとって「君たちはどう生きるか」がそうであったように。
笑笑?
余計な先入観を排除してみるべし
なぜ、公開前に一切の広報、プロモーションを行わなかったのか、
映画を見終わってその答えはすぐでた
「自分がこれから何を見て何を聞き何を感じるのか」
一切わからない状態での新鮮な視聴体験
これは凄い。これは本当に初日でしか味わえない贅沢だ
すでに公開から時間もたっているのでネットに粗筋や詳しい感想、
たとえ話などが蔓延しているが、
これから見ようと思ってる人や、ちょっと興味を惹かれている人は
そういったものから距離をとり、できれば記憶から消し去り
まっさらな状態で視聴してほしい
余計な先入観は視聴の疎外となる。
よってこのレビューもここから先は観る必要はない
さっくりいえば、前作で引退を決め込んだ老監督が
「大事なことを伝え忘れていた」ことに気づき、
急いで後進に渡すバトンを作り上げた。そういう内容である
これで本当に引退ではあると思うのだけど
ここにきてまだこんなものが出てくるのかという驚きで満ち満ちている
おのれを振り返り、そのうえで業界や視聴者に問いかけをしているのだ
よってこの作品はジブリや宮崎駿にある種の先入観
「冒険出ファンタジーで親子で観れる教育にいいもの」
等というゆがんだ刷り込みが強い人には一切楽しめない作品であろう
そうでなくても観た人それぞれの印象は大きく違う
本当に同じ作品を見たのかと感じてしまうこともある
是非余計な先入観を排除して新鮮な気持ちで観てほしい作品である
Y××ooのレビュアーたちはどうイキるか
2023年映画館鑑賞40作品目
7月23日(日)イオンシネマ石巻
6ミタ0円
監督と脚本は『ルパン三世カリオストロの城』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』『魔女の宅急便』『紅の豚』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』の宮崎駿
原作はあくまで宮崎駿
吉野源三郎の小説『君たちはどう生きるか』はタイトルを借用しただけで中身は全く違う
だからコペル君は登場しないし子供に刺激を受ける無職のおじさんは登場しない
時代は大東亜戦争の日本
母を火事で亡くし父と共に東京から母の実家に引っ越してきた牧眞人少年
父は母の妹と再婚し継母は孕っていた
アオサギの手引きで母の実家屋敷の裏にある廃屋の塔に入っていく牧少年
天から降ってきた物体を大叔父が塔で囲ったのだ
塔の下の世界は異次元
海がありペリカンが人の言葉を喋りインコは擬人化していた
母は少女の姿で大人になった姉を姉だと認識していた
ばあやのキリコは若かった
大叔父は行方不明になり母も子供の頃行方不明になったが一年後帰ったきた
継母は孕ったまま塔の下の世界に
帰りたくない
牧少年が嫌いだという
なんだかよく訳のわからない話だ
単純明快を好む頭が硬い人には向いていない
幻想的な世界は好きだ
令和の不思議の国のアリスだ
あっちは夢オチだけど
全く宣伝をしなかったのはそれだけ宮崎駿に自信があったのだろう
宮崎駿の新作アニメ公開ってだけで十分だと
だからといって宮崎駿の方針を曲解し事前に情報を一切シャットアウトして鑑賞に臨むのは愚かなことだ
声優のメンバーを教えられただけで「ネタバレ」などと抗議する人たちにいたっては笑止
有吉の反論は概ね同意
声優が有名俳優ばかりなのは宣伝無しの保険だというトンチンカンな記事を書く信じられないほど無知なライターが世の中には存在するが実際はまるで違う
宮崎駿は声優専門の人たちの声が嫌いだからだ
「おヨーグルトですわ」みたいな人たちは宮崎駿の世界観にそぐわない
あとアオサギの声に菅田将暉くんのようなイケメンがやるのはちょっと抵抗感
ああいうのは大泉洋でいいんだよ
それにしても口の中にまた顔があるあの気持ち悪い生物はなんなの
ブラックジャックに出てきた人面瘡の一種かな
あれは殺人鬼の良心だったけど
声の配役
母ヒサコを火事で失い父と共に東京から田舎に引っ越してきた牧眞人に山時聡真
体内から火を出し花火を打ち上げたりするなど武器とするナツコの姉の子供時代のヒミにあいみょん
下の世界で漁師をしているキリコに柴咲コウ
シュウイチの再婚相手で孕っている夏子に木村佳乃
眞人の父で軍需工場を営む勝一に木村拓哉
塔の中で行方不明となり本の読み過ぎで頭がおかしくなったといわれる大伯父に火野正平
セキセイインコたちのリーダー格のインコ大王に國村隼
ヒミの花火で瀕死の重傷を負う老ペリカンに小林薫
ばあやのあいこに大竹しのぶ
ばあやのいずみに竹下景子
ばあやのうたこに風吹ジュン
ばあやのえりこに阿川佐和子
上の世界で人間の赤ちゃんになる魂のような下の世界の生き物のワラワラに滝沢カレン
塔の中の世界に誘う案内人のアオサギに菅田将暉
「魂の物語」として素晴らしい
宮崎 駿監督の「君たちはどう生きるか」を息子(小5)と観てきました。上映中息子が何度か横から「おもろない」「つまんない」と囁いてくるのを、「まあ、まあ」と宥めつつの観賞でした。
さて、私個人の感想としては、一言で言い表すのは難しいですが、「自分の奥底で、深いところで、頷くものがあった。」です。
私はラピュタやトトロなど、同監督の初期の作品が大好きです。子供の頃に観たこれらの作品は、セリフを憶えるぐらい繰り返し観るほど私を魅了し、その後の私の人生に多大な影響を与えたと言っても過言ではありません。
それと共にもう1つ、私の人生に大きな影響を与えたものがあります。それは、心理学者の故河合隼雄さんの著作と、そこで紹介されていた様々な児童文学の作品です。河合隼雄さんの著作に「子供の本を読む」と「ファンタジーを読む」という2冊があります。河合隼雄さんは「心」と「体」とは別の領域として「魂」というものの存在を仮定して、人の在りようを考えた方ですが、上記の2冊の中で魂を描いている作品として様々な児童文学を紹介されています。そこにはジブリがアニメ化した作品が「ゲド戦記」も「床下の小人たち(ジブリでは借りぐらしのアリエッティですね)」も「思い出のマーニー」も紹介されていたはずですし、「耳をすませば」のパンフレットでスタッフの方の好きな、あるいはオススメの本として紹介されていた「トムは真夜中の庭で」もありましたので、ジブリとこうした児童文学の関係は密接と言えますし、河合隼雄さんがよいと思われた作品との共通性は否めないものがあります。実際、宮崎駿さんと河合隼雄さんは対談などもされていましたので親交があられたのかなとも(詳しく存じ上げませんが)思います。
私はこの河合隼雄さんの著作で児童文学における「魂」の描かれ方について慣れ親しんでいたためか、今回の「君たちはどう生きるか」は、とてもしっくりと「魂を描いた物語」として観ることができました。そこには、私の忘れられないいくつかの夢で見た景色があり、昔この世のものとは思えない美しい海辺に立った日に感じた風があり、深く感動した児童文学の世界があり、16歳で突然逝ってしまった友人がいた。そういう映画でした。「魂」の世界を描いているのですから、その領域で観なければ訳が分からないのは当たり前だし、難しかったりつまらなかったりしても当たり前かと思います。この映画は主人公の傷ついた魂が癒やされるまでの物語とも捉えられるし、映画全体のストーリーが、宮崎駿さんの魂のお話と捉えることも出来ると思いましたが、(ここで言う「魂」は、「心」とは異なります)この物語を映画という形で作ることを可能にした宮崎駿さんの才能や経済的条件、関わったクリエイターさん達の素晴らしい力、鈴木プロデューサーの理解など全てに拍手を贈りたい。
そもそも、魂のお話というのは、商業的な視点とは相容れない部分がある、ましてや尺も決められ、観客動員数も気にして作る映画などという媒体でそれを作るのはかなり難しいと思います。その難しさは、これまでのジブリ作品で随分感じたところです。魂の世界の出来事は、例えば今回の作品で出てくる石の数が13であることに、いろんな方がいろんな考察をされていますが、魂の世界でそれが13と決められる時、それは作り手が何かを意味して13と決めるのとは違って、魂が13でなければいけないと言ってくるようなものです。それはその魂の器である人でさえ、その理由がわからなかったりします。実際に宮崎駿さんが石の数に意味を持たせていらしたかはわかりませんが、魂の世界のことを例えて表現するならそういうことだと思います。また、魂の世界のことを商業的なものを意識して改変するということをわかりやすく言えば、誰しも不思議な夢ぐらいは見たことがあるかなと思いますが、その夢の中で例えば白い衣の老婆から石ころを渡されたとしますよね?その夢の体験が意味もわからないけど、深く感動して目覚めたら涙が出ていたとして(何らかの魂の体験)、それを作品にする時に、「老婆に石ころじゃ売れないよね」なんて、美しい少女に青く光る石を渡されるように変えてしまうことが、いかに魂の世界から離れてしまうかということだと思います。
そういうのが、「君たちはどう生きるか」には、だいぶ少なかった。それが素晴らしかったです。売れることを目的にしたら実現しなかったはずです。
ですので、この作品の中に出てくる物ごとや台詞を、こういう意味だと考えることはあまり意味がないのかも知れません。それより自分の中の魂の世界とリンク出来たら、深い体験になる映画ということかも知れませんね。
それでは、なんの意味があるの?と思うかも知れませんが、私は魂の物語として必然的に描かれたシーンが沢山見つけられたし、些細なシーンにも魂が癒やされていく過程で意味あるエピソードとして宮崎駿さんが描かれているのを感じましたので、とてもわかりやすく感銘を受けました。
これまでの作品で見たことがあると感じた数々の場面を、焼き直しと捉えた方は沢山あるかも知れませんが、
私にはそもそも宮崎駿さんの中には「君たちはどう生きるか」で描かれた魂の世界があり、これまでの作品にそこから切り取ったものを入れて来られたんだなと感じます。だから、全くそれは気になりませんでした。
だいぶ前から宮崎駿さんは、魂の世界を描きたかったのではないでしょうか?でもそれは映画としてのエンターテイメントを考えたら難しかった、その葛藤の痕跡があり、思いに反して観客にわかる受ける形にしなくてはいけなかったという悲鳴が聴こえていたから、自分はハウルとポニョは違和感が強いということかなと、今回の作品から感じところです(あくまでも、個人的な感想です)。そのあたりの作品では、「人にしたいの?キャラにしたいの?」というのが掴めない登場人物や、これは何かを示すためにだけ描かれているような登場人物だなと感じたことがあり、違和感がありました。
今回はそうではなく、主人公が生きている現実世界での周囲の人達の、主人公に対する愛や思いやりが(それが正しいかそうでないかとは関係なく)きちんと受け取れました。魂の世界に引き込まれていく人が現実世界にちゃんとよい形で帰還するためには、ここをきちんと描かないといけないんだということをよくわかって作られていることに安心しました。千と千尋やハウルでの親の描かれ方ではなかったです。そして、親だって一人の人として苦しみ悩み生きている存在であることをこの映画の登場人物から感じ取ることも出来ました。理想の親を体現するキャラクターでも、現代的な親の何かを象徴させるための登場人物でもなかったです。
長々と書いていますので、鬱陶しく感じられる方もあるかも知れませんが、今回の本作を通して、魂の世界を描いた素晴らしい児童文学の作品に再び光が当てられるといいな、最近書店から消えつつある作品もあるので、そう思います。
もし、児童文学の中の魂のお話なんていうのに、なんぞや?と思い、興味を持たれる方があったら、是非河合隼雄さんの著作を読んでみられるとよいのではないかと思います。
1つだけ、「君たちはどう生きるか」に物足りなさを感じるとすれば、それは非凡な感じがしなかったということでしょうか?もし仮に私が魂の物語を作れと言われたら、勿論こんな完成度にはならないですが、ざっくり同じような構成で同じようなストーリー展開のものを作るだろうなと感じるところです。そのぐらい古典的でオーソドックスな「魂の物語」の雛形みたいなところがありました。ですがそれでも、これをアニメーションで作ったことの意味は大きいし、それは宮崎駿さんの晩年でしかなし得なかったかもしれないと思います。
そして、改めてアーシュラ・K・ル=グウィン(「ゲド戦記
」原作者)や、ミヒャエル・エンデ(「モモ」や「はてしない物語」作者)、フィリパ・ピアス(「トムは真夜中の庭で」作者)といった素晴らしい児童文学を生み出した方々の類まれなる才能に脱帽する次第です。これらの作品を読み、クリエイターとしてこんな素晴らしい作品を自らも生み出したいと願った純粋な監督の情熱が、「君たちはどう生きるか」から垣間見える気がしました。
ある種の方には共感を得られる感想だといいなと思います。
ハヤオ版アリス・イン・ワンダーランド
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