君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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説明しがたい、でも伝えたくなる映画
1週間前に観ましたが、いまだに何度も思い返してしまいます。
まず、一切の宣伝なしという戦略によって得られたわくわく感、その体験に感謝です。
そして映画。現実と夢、精神世界が入り混じり、つじつまなど考える暇もなく圧倒的な世界観に引き込まれました。青サギ以外にも鳥がかなり出てきますが、人間の欲望の塊を代わりに演じてくれてるような不気味さと滑稽さがあり、それも鳥肌ものでした。
駿さんの過去作の要素が散りばめられていますが、これはもう上質なシャレと受け取って大いに楽しませてもらいました。
今作は過去作と比較して、私小説のようにスケールが小さくなったとも取れますが、私は今のこの不穏な世の中で、個人の心の中を問いかけることの重要性が突きつけられたように思います。人によって感じ方は様々だと思いますが、見るたびに視点を変えて何度でも味わえる唯一無二の作品と思えました。
最後のシーンが静かに終わり、エンドロールで米津さんの曲が流れた瞬間、スイッチが入ったように涙が出て、そこから止まりませんでした。なんだこの天才たちは!とてつもなく温かい大きな力を受け取った気持ちで、素晴らしい作品を観たという感動が溢れ出る、そんな映画でした。
そんなに深い示唆があるわけじゃない
映像はきれいですね。画面展開もさすが。その辺はジブリ作品というところでしょうか。しかし、肝心のストーリーはというと、まずなぜこのタイトルなのかがしっくりこない。正直言ってこのタイトルは全くこの映画のストーリーとリンクしているものではなく、ただのアイテムの一つに過ぎないというのが印象。同名の原作(正確には原作ではないですが)ではもがき苦しみながら生き方を模索する主人公を描いているが、この映画ではすねた金持ちのボンボンが冒険を通して少し大人になるというもので関連性は全く見出せない。主人公が『どう生きるか』という答えを探すストーリーではなくて、自分の出自つまり『どう生まれたか』を探す謎解きがメインテーマになっているということ。また、アオサギも意味ありげだった割にはどう生きるかということに対して影響を与えているものではない。もちろんストーリーの中で重要な役割を果たしてはいるが、ロード・オブ・ザ・リングのゴラム的な役割に過ぎない。
正直なところ宮崎駿監督は、ファンタジーに徹していれば面白いものが作れるので、この映画も端からその路線で行けばよかった。なまじ最後の映画で集大成だから、後世にメッセージを残すというような大上段に振りかぶったタイトルにしたりアナウンスをしてしまったがために、逆に支離滅裂なものにしてしまった。言わんとしていることは理解できるけれど、「ふーん、そういうことね。だから?」としかならない。自分が読み取れないだけなのかもしれないけれど。映画そのものはそこそこの出来だけにもったいないの一言。
少年の弱さ強さ美しさ
前半:母を失った少年の苦悩と歪みと強さ
後半:奇妙な異世界で過ごす中で適応し、失ったものを取り戻そうとする少年の必死さ
前半と後半で面白さの種類が違いますね。
前半も後半も楽しめる人はお得!
全体的に暗い。
でもなんとなく共感できる暗さですね。
人生なかなか思い通りに行かねえな。
でも思いがけずラッキーな出来事があったりする。
宮崎駿は男だから、美しい女を描くことはできても、それをとことんまで苦しませ悩ませることはできかねたんじゃないですかね。
やはり男主人公の方が遥かに描きやすい部分もあるともののけ姫で実感してる。
とことんリアルに苦しませ悩ませる表現なら、この少年主人公が最適だった。
ナウシカのアスベル、ラピュタのパズー、もののけ姫のアシタカも似た部分がありますが、
アスベルもパズーもアシタカも能力的には一人前、またはそれ以上の突出した才能を持ちますからね。
今回のマヒト少年は弱い、弱すぎる!
でも周りを気遣える強さもあるし、
やるときはやらなきゃという強さもある。
これまでいそうでいなかった、素晴らしい主人公だと思います。
強いだけの男は便利だけど、それは別に人の男全般を表現したものではないからね。
優れた道具や獣の表現。
どちらかといえば弱い主人公マヒトは、昭和平成の時代に表現されてても不思議ではない性格の主人公だけど、
それを令和の時代に目立たせられたことは素晴らしいですね。
敬意を表します。
大きくて暖かな手で背中を叩かれるような映画
事前情報や感想に一切触れずに見に行きました。宮﨑駿の作品なので。
開始10秒で「あ、これはおもしろい映画だな」と思いました。
素晴らしかったです。
芸術としても素晴らしかった。
最高オブ最高オブ最高
一人でスタンディングオベーションしたい気持ちを何とか大人の羞恥心で抑えました。
ですがこれは万人受けしないだろうなと思いました。
公開を終えて、長い時間をかけて残る映画だと思います。
私にはとても刺さりました。
宮﨑駿が「この世は生きるに値するということを伝えたい」(あやふや)と言っていたようで、ガッツリ伝わったし受け止めてますよ。と伝えたいです。
"どうやってるのか分からないけど圧倒される" "何か分からないけど面白い"
というのが、力量のなせる技なんだと思います。最初から最後まで息つく暇もなく見入ってました。
いやすごいですね。恋愛要素を出さずにここまでやれますか。力を見せつけられたし、それだけじゃなく でっかいお土産まで持たされた感じです。
私のようなメインストリームを歩けないひねくれ者が、めっちゃ前向きな考えをもらえました。大きな暖かい手でバーン!って背中押された感じがします。
「ほら、前向いて、怖がらず飛び込んでいけ。未来へ」って。
あと、宮﨑駿があの歳になって、世界をこんな暖かで前向きな目線で見れていることがすごく嬉しかったです。
日本に1番必要なメッセージを誰もしたことがないくらい愛いっぱいに発していると思いました。
そして、晩節にこんな映画を作るなんて、あんたは最高!と思います。
でもね、失敗でもやりかけでも映画監督人生がキレイに完結しなくても良いから、もう一本見たいです。
よろしくお願いします。☆
小説だと思って読んだらエッセイだった
普通に
ちょっと斜めに構えて観ると、もったいない映画かもしれません。
タイトルに惑わされず、「誰かを助けに行く冒険のお話」として観るのが良さそうです。
ところどころに、ああやっぱり駿作品だなぁ…と感じる風景やキャラ、作画がちりばめられていて、素直に楽しめました。
途中のちょっと哲学っぽいセリフは、あえて深く考えすぎず、あとから思い返せばいいのかな、と思います。
「ママは貴方を産んだんだよ
だから一生懸命に生きて欲しい」
ただただ「生きていてほしい」と願う親の気持ち。
最後は、自分のことも少し忘れてしまうくらい、心が温かくなる映画でした。
司馬遼太郎・村上春樹作品を彷彿とさせる白眉な作品
結論から申しますと、とてつもなく素晴らしい芸術作品でした。断トツで、私のなかの歴代ジブリ作品の1位となりました。
「風立ちぬ」のような話題を使った針小棒大な作品だと勝手ながらに思っていたので、全く期待せず、暇潰しも兼ねて映画館に足を運びました。が、見事に期待を裏切られました。
途中までは(風立ちぬの再来が頭をよぎり)「がっかりかも・・」と思わされましたが、すべては宮崎氏の計算でした。
後半に暗転してからは、村上春樹作品のような「夢の世界」を描いたファンタジーが美しく繰り広げられ、クリストファーローラン監督の「インタステラー」を彷彿とさせるような宇宙や自然摂理の「思考・空間・次元」な高度な背景を伴わせつつ、且つ、過度なSFで物語を陳腐化させないよう前半に「じっくり」史実(の様な内容)を挟むことで司馬遼太郎や大河ドラマのような迫力を維持し続け(見事な計算であった訳ですが)、それでも(憎いことに)子供を主人公にすることで「幼少期の繊細な気持ち」をほっこり思い出させてくれる優しいジブリ作品であり続け、まさに宮崎駿の集大作と断言できる白眉な出来の作品でした。
今回、改めて感じたのは、やはり宮崎監督は年老いても「発想の権化」であり、それは世界中の作家と同等か上回っており、年齢を鑑みると、多くのクリエイター(作家、脚本家、映像監督)が年齢と共に拝金主義に陥穽したり発想が乏しくなったりするのと比較すると、宮崎氏は筋を貫いており、尚も逞しく、稀代な鬼才なのだと改めて感じました。
村上春樹はよく「夢を見るために寝る」と言っています(夢から作品のヒント・発想を得えるため)。「歴代のジブリ作品」も、きっと宮崎氏の夢から生まれたのでしょう。
そう考えると、当作品も宮崎監督の「幼少期の夢」であり、ゆえに、トトロのような家族構成と秘密の通り道、湯婆婆や真っ黒クロスケ(or こだま)のよううなキャラクター、乙事主(=おっことぬし)かと一瞬錯覚するペリカン一族、ひこぼうのような青サギ、ラピュタ城を彷彿とさせる宙に浮かぶ風景と軍隊、などなど、総出で登場してきたわけです。
もしかしたら、当作品のキャラたちが、歴代ジブリキャラクターのオリジナルなのかもしれません。
「つまらない」と言っている方は、Netflixで最終話だけ倍速再生して観ているような方たちだと思慮します(悪いとは言いませんが)。
ぜひ、ジブリの原点となった「宮崎少年の夢の映像化」だと思って、芸術作品としてじっくり鑑賞してみてください。
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とりあえず面白かったです。壮大なパヤオの世界を堪能しました。自分も「意味わかんねーよ、つまんねーよ」となる心配もしていたのだけど、なんとか作品の表層部分は理解できたつもりです。まあ深い部分はいずれ岡田斗司夫とか専門家が解説してくれるだろうし、第一層部分でも十分楽しめる作品だったことに一息ついています。
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他人のレビューは読んでないし読むつもりもないけど、この作品を酷評してる人はワンパターンだと言ってるのかな?本作品はカリオストロの城以降のパヤオ映画作品の集大成ともいえるもので、このまま宮崎駿の遺作となっても十分なぐらい濃厚な宮崎駿色を残したもの。反面「またこのパターンか」と以前もどこかで見たようなパヤオ演出を悪意的に見ることもできるでしょう。
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そろそろ映画はAIで作る時代が来るのかと思っていたけど、果たしてこんなクレイジーな脚本をAIが描けるものか?と。そしてまさかパヤオがなんJを知っていたとは・・・。
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終わってみれば
エンドロールを見ながら、死んだじいちゃんを思い出した。
四国のお百姓だったじいちゃんは、生まれてから死ぬまでずっと田んぼと畑を作っていた。ぎりぎり戦争に行かない歳だった。兄ちゃんが二人兵隊で死んだ。あの八月には対岸の雲を見たらしい。補助輪の取れた自転車で畑に行くと、いつも手を振ってくれた。肥料の中から転がり出た鶏の足に驚いたら、笑われた。
どんなことを考えて農業をやってたのか、ついぞ聞かなかったけど、今でもじいちゃんを思い出そうとすると、いつも麦わらと地下足袋で、鍬を持っている。
じいちゃんが耕していた畑の藪に、田んぼの水路に、別の世界を感じることがある。
その先には晴れた青空と夏の日差しがあって、風が土手の草と稲を波にして、今でも畑を耕しているじいちゃんが居るような。
みんなもそういうの、思い出したりしていないか?
この世界観を感じる
盛りだくさんのセルフオマージュ
81歳でこの作品作るバイタリティ
観終わったあとじわじわと感動しました
母が亡くなってから父が叔母とすぐに結婚は
眞人の気持ちを考えると辛いですが
この頃は普通だったと思うのと
生きるために人は強くいなくてはいけなかった
命はこうして今日に繋がっているのだなと思いました
大叔父様が守ってきた世界を継がなかった眞人
悪意でいっぱいのこの世でも
人間の可能性、素晴らしさを信じたい
そんなメッセージを感じました
ヒミがやさしい眞人に出会うために元の世界に戻るラスト
ジブリに出てくる女の子はまっすぐな瞳で芯がある
その強さに、やはり感動する
現実を生きる私たちはこんな摩訶不思議な世界はなく
残酷で汚い心を持つ人間と共存する世界で生きるか
命を終わらせるかの2択しかないんですよね
残りの人生の生き方、考え方を問いかけられた終わり方は
ノマドランドのようでした
小説は読んだことがないので読んだらまた違う解釈になるかもしれないです
事前情報の少ない今回の作品
私は本当に正解だったと思います
このキャラクターがなんて名前で
キーを握るとかそんなことしなくていい
どいつが仲間で敵なんだとか
先入観なく作品に出会い浸る
本来映画とはこう出会うべきなのかもしれない
この宮崎駿監督の世界観をただ受け止める
この世界で知能を与えられた人間は
その頭で考えて生きていくべきなのだと私は思いました
スタジオジブリ≠宮崎駿
評価を見ても見なくても、ジブリを劇場で見る価値はあるので
絶対に見る予定ではあったけど、ううううううううん!!!!!!
これは難しい・・・・・・・・・・・・!!!
この作品を面白い!と言わなければ、理解できないアホだと言われているようで
必死に好きなポイントを探したけれど、それでも難しい。
宮崎駿のセルフオマージュ作品であり、彼の価値観や人生をストーリーにした集大成
であることは確かですが、悪く言えば職権乱用というか、
スタジオジブリのエンタメ性を欠いた作品のように思えました。
自分のイメージだと「スタジオジブリを見に行く!」という心持ちだったので
「となりのトトロ」のような租借しやすいストーリーを望んでいたので、正直疲れる映画でした。
映画じゃなくて、絵本でやればもっと理解しやすく、適応するのになと…
やっぱり考察アリきのストーリーは苦手でですね。
されどやはり宮崎駿ですね。
IMAXで「千と千尋の神隠し」や「崖の上のポニョ」など過去作のオマージュを観たかのような満足感。あれは見に行かなかったら多分後悔していただろうし…
2回は見なくてもイイかなあ…
秘密の塔と女たち
2025.5.3 追記です。
2025.5.2 に放送された「金曜ロードショー」の録画を字幕を付けて観ました。
CMがあるからなのか、理由は分かりかねますが、テレビモニターでの鑑賞が向いている作品だと思いました。映画館で観た時よりも、面白いと思ってしまいました。
『風立ちぬ』(2013年)、『借りぐらしのアリエッティ』(2010年)、『崖の上のポニョ』(2008年)、『ハウルの動く城』(2004年)、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『もののけ姫』(1997年)、『魔女の宅急便』(1989年)、『となりのトトロ』(1988年)で見たことがあるようなシーンも多くありました。
古代遺跡の描写がリアルですし、戦闘機の風防が沢山登場するシーンや勝一(声:木村拓哉)が300円も学校に寄付するなど、眞人の家族が特別であったことがわかります。
青サギ(声:菅田将暉)は何だったのでしょう。結果的に眞人にとっては大事な存在になりました。
ヒミが透明なカプセルで運ばれる場面と、7人のばあやの存在が、まるで『白雪姫』でした。ヒミのエプロン姿は『ふしぎの国のアリス』の主人公アリスの格好のようでした。ヒサコの子ども時代、名前がヒミであることも氣になります。プリンセス(姫)と卑弥呼をミックスした源氏名なのでしょうか。
夏子(声:木村佳乃)を連れ戻そうとする眞人が、綾波レイを連れ戻そうとする碇シンジが登場する『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年)を彷彿とさせます。眞人にとっての夏子という存在は、いったい何だろうと考えてみると、母の妹であり父の妻でもあるので、恋心を抱いてはいけない相手でしたが、ずっと一緒にいたかったから自ら石で頭に傷を付けたのだと思います。
キリコの頭の傷と同じ位置である理由は何でしょうか。
眞人がワラワラを初めて見た時に、キリコが人間の子どもになるものだよと教えてくれました。塔の中の上空に向っていく沢山の白い生命の源。キリコがワラワラを管理する係?そっち(エッチ)の方向で考えてみても面白いかもしれません。
数年前ですが、セキセイインコのオスを家で預かっていたことがあり、1羽だけでメスがいないものですから、本能なのか股間を強くこすりつけて自慰行為をして傷が出来てしまうので可哀想でした。もし眞人がキリコと同一人物だとしたら、ワラワラを管理するというのは自慰行為を意味しているとも考えられます。
そしてペリカンが理性で、理性の排除つまり性欲を搔き立てる存在ヒミ、それは母に似た夏子であるということでしょうか。
『天空の城ラピュタ』のシータとパズーの二人が抱き合っているシーンは、男と女の関係ということだと宮崎駿監督がおっしゃっていたそうなので、もしかしたら眞人とヒミ(ヒサコ)の二人も、やってしまっている作品なのかもしれませんww
母ヒサコが行方不明だった謎の一年間は、塔の中で眞人に寄り添ってくれていたのでしょう。『ドラえもん』の作者が実はドラえもんだったという話に似ています。ヒミが眞人を救ったのか、眞人がヒミを救ったのか、夏子とヒサコ両方を眞人が現実世界に戻したのか、なんだか ややこしいです。
・ー・ー・ー・ 更新前のレビュー ・ー・ー・ー・
約三十年前、魔女の宅急便を映画館で観た時を思い出しました。別に感動もなく、たいして面白く感じなかった感覚を。しかしその後魔女の宅急便のサウンドトラックはヘビロテしたし、キャラクターグッズも宝物になるほどジワジワ好きになったのです。
きっとこの作品もそのように後からドンドン好きさが増す予感がします。となりのトトロもスルメ効果というのか観るたびに好きになりましたし、風立ちぬもそうでした。
ジブリ映画は意味とか考察とか関係なく、セリフが好きとか、このシーンが好きとか、そういった楽しみ方で良いと思います。
壊れた作品
宮崎駿さんのアニメはアニメーターデビューした最初から好きだった。
1978年にNHKで放送された「未来少年コナン」は当時まだ珍しかった家庭用ビデオデッキで全話録画し何十回も繰り返し見た。「ルパン三世カリオストロの城」も劇場で観た。「風の谷のナウシカ」と「天空の城ラピュタ」は初日舞台挨拶で宮崎駿監督を直接見た。「天空の城ラピュタ」の舞台挨拶では「白蛇伝」の監督の藪下泰司さんの訃報について語っていたのを覚えている。更に時代を遡れば「太陽の王子ホルスの大冒険」も大好きだし「ガリバーの宇宙旅行」の殻を脱いで素顔になった紫の星の王女(宮崎駿担当シーン)も大好きであった。
そのようにほとんど最初からの宮崎駿ファンの私だが「君たちはどう生きるか」は初日に観てがっかりした。一言で言えば「映画になっていない壊れた作品」だった。
風の谷のナウシカのラストで腐った巨神兵が登場するが「君たちはどう生きるか」はあの腐った巨神兵に思えた。
ストーリーも滅茶苦茶、説明も無し。ドキドキハラハラも無し。伏線の回収も無し・・・というか伏線自体無かった。
面白い場面も、美しいシーンも無かった。食べ物を美味そうに描くのが得意な宮崎監督だったがパンにイチゴジャムを塗るシーンのパンが美味そうには見えなかった。
宮崎駿監督の得意とした気持ちの良い飛行シーンも無かった。
本田雄作画監督の力で作画力だけは高いが肝心の作品の骨格が滅茶苦茶なので面白くもなんともない退屈で記憶に残らない映画になっていた。
宮崎駿監督は現在82歳。「君たちはどう生きるか」を作り始めたときは70歳過ぎだが、セオリーで映画を作る監督ではなく動物的勘で映画を作る人なので知力体力の衰えがそのまま映画の完成度に反映されてしまうのだろう。「風立ちぬ」で長編アニメからは引退しておくべきだった。創作意欲がある限り「めいとこねこバス」のようなジブリ美術館用の短編アニメを作り続けるのが良いと思う。宮崎駿監督は、もう長編アニメを作るのは無理であろう。
凡人の考察(妄想)
観賞直後は
「うわージブリが芸術作品になっちゃったよ」
と思わせ、時間が経つにつれて
「あれってこういう事だったのかなぁ‥‥」
とふと思わせてくれる作品。
個人的には最終的に
「宮崎駿と若きクリエーターたちを描いた作品なのではないか?」
という結論に行きついている。
作中で言う主人公・真人が次代を担う若者であり、
大きな世界を作り上げた大叔父が宮崎駿なのではなかろうか
観ていた時から変わらないのは
真人という少年が分かりやすい子供でありながらも、嫌悪感は感じない主人公であるという事だ。
大切な母は亡くなり、尊敬する父は母の妹である叔母と再婚、叔母のお腹の中に異母兄弟がいる、知らない土地への引っ越しと転校
キツイ出来事だらけである。
唯一の救いは父も叔母も彼を大切に思ってくれている事だろう。
それでも真人はそれを受け止めきれない。
学校の級友との喧嘩や自傷行為はそんな不満に対する当てつけであり、
だからこそ最後に言った“悪意”なのだろう。
この真人こそが大きな目標と信念を持ちながらも、環境によって雁字搦めになっている若い世代である。そんな環境だからこそ悪意に満ちた表現や、醜悪な創造・行動に走ってしまう。
そして大叔父は変人と呼ばれながらも自らの意思を突き通して、未知の石の中で新たな世界を作り出した人物である。
次なる担い手を欲しながらも中々現れない。
だからこそ自分が世界を守るためにヨレヨレになっても石を積み上げていく。
何故なら、自分にはそれだけの力があるからだ。
宮崎駿監督もまだ主流ではなかったアニメの世界に入り、文字通り時代を切り開いてきた人物である。
老齢に差し掛かり、新たな世代に引き継ぎたい。
しかしそれが中々できない。ならばと新しく自らが創造する。
何故なら、自分にはそれだけの力があるからだ。
そして大叔父が血族でなければ告げない。というように、宮崎駿の後を継ぐのはアニメーターでなければならない。
「早く僕の石(意思)を継いでくれ」
と言っているような気がしたのだ。
しかし、それならばと思う事もある。
なぜ石の世界があれほど窮屈で残酷なのか。宮崎駿監督が作り出して来た世界は美しく壮大なものだったはずなのだ。
もしかしたら時が経つにつれてそれも醜悪なものになるという危機感を抱いているのかもしれない。
さらに劇中に現れる新しい命を食い尽くそうとするペリカンについても、
そのペリカンは自分の作った世界が作り出したものだと思っているのかもしれない。
別考察であったが
『紅の豚』では
「飛べない豚はただの豚だ」
と語っていた男が
「翼が折れた。もう飛べぬ」
と語っている。
そしてそれは正に新しい命を食おうとした報いなのである。
宮崎駿監督はその罪の意識を感じているのではなかろうか?
そしてラストシーン。
真人(新たな世代)は大叔父(宮崎駿)の跡を継がない。
「現実の世界に戻り、新たな友達を作ります」
この回答こそが、宮崎駿の求める
若い世代は新しい世界を作れ
というメッセージなのではなかろうか。
いや、もしかしたら「何で継いでくんねーんだよ!」と思っているのかもしれない、だからこそ真人の背中を押すが祝福はしない。
そして色とりどりのインコを放つが糞まみれにして非常な現実世界へと見送るのだ。
君たちはどう生きる?
この問いかけは
この作品を通じた宮崎駿から若い世代へのメッセージだとするなら、彼がアニメをやめた後、我々はこのアニメという世界をどう扱っていくか。
その答えを宮崎駿監督は求めているのかもしれない。
宮崎駿フォロワーの感想
映画の導入部分と序盤は掛け値なしに素晴らしかった。テンションの高さとコンセプトに向かっている感覚は70歳を越えた作家とは思えない(制作期間7年なので現在は80歳を越えられている)瑞々しさがあった。中盤以降の展開はよく言えば自由奔放なイメージ。別の言い方をすれば取り留めのない複数のアイデアの複合体。私は宮崎監督の代表作品は千と千尋の神隠しだと考えているが(好みは初期のカリ城やラピュタだが)ハウルの動く城から目立ち出した中盤以降の構成の迷走が今作では顕著に出ている。ある種、千と千尋で宮崎監督の中にあったテーマが昇華されて以降の作品は新しいテーマを模索しているとも見れるが、これまた自由なポニョを経て、風立ちぬで再度しっかりした構成の作品を世に出した事に当時は驚いた。
今作を観るにあたって、1番興味があったのは高畑勲亡き後、宮崎駿は誰に向けて映画をつくるのかという事。鈴木P曰く、宮崎駿は高畑勲という1人の観客に向けて映画を作っているのではないか。今作は監督の本意は別にして結果的に自分という観客に向けた内省的な作品になったんだと思う。抽象的な作品はそれはそれで良いのだが、私が宮崎駿に求めていたのは教養とか批評とかネタなんかを内包したままねじ伏せるほど強力な娯楽性、みんながわかって楽しめる物語だった。
宮崎駿監督らしさが爆発している映画
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