君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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生きて、自分の役目を果たすべき。より良く生きるべき
最後まで見て、タイトルに「生きる」という言葉が入っている意味が少しわかったような気がする。自分も含めた生き物は「命を頂いて」生きている面があって、だからこそより良く生きなければならないのだと感じた。この世に生を受けるということは、そういう使命を背負うことでもあるし、生きて果たす役目を受け継ぐことでもある、というようなことがテーマなのかもしれない。
不思議な世界に引き込まれて、キリコやヒミにピンチを助けてもらったりする因果も、「だからこそよりよく生きなければならない」という命の尊さを表しているような気がする。
引き込まれた不思議な世界での体験は、展開として面白く、楽しめた。ここで戦う相手にも事情があるというところが複雑で、単純な悪ではないのが、この映画の見どころなのだと思う。
ラストでヒミと別れるところは泣けた。ヒミは眞人のために、継ぐ人を生むためにつらい運命に戻るわけで、深い愛に涙が出た。
なぜ久子が塔に向かったのかとか、ペリカンに押されて入った墓が何なのかとか、回収できないところもあるが、不思議な世界とは、そういうものなのかもしれない。
好きに生きたらいいし好きに解釈したらいい
人生で初めて何の事前情報も一切ない状態で映画を観るという経験をしました。もちろん、宮崎駿作品であるということと、あの鳥(青鷺ではなく敢えて鳥と書いています。だって最初はただの鳥としか認識できなかったし)の顔は事前に接していたので厳密には一切ないわけではないのですが、それでも映画館で映画を観ようと思ったら少なくともこれ以上の情報に触れてから観るかどうかを決めて映画館に行くわけで、これはかなり新鮮な体験でした。スラムダンクも事前の宣伝殆どなかったとよく言われますけど、あっちはもうスラムダンクってわかってますからね。
タイトルとなった「君たちは〜」はかなり以前に読了済だったのでこれが「原作」だとすると説教臭い話になるのかなという警戒は少しありました。序盤の時代感も近かったのでもしかしてそのまま映画化したのか?とかも思いましたがその思いはすぐに払拭されました。結果的には原作自体は宮崎駿でタイトルの借用と劇中に本が出てきた程度でしたね。
その後はこの映画がどう転ぶのか全くわからないまま話が進んでいき、それは主人公が巻き込まれていくのとシンクロする様に、不安や期待感、様々な予想や予感といったものがないまぜになって没入感を高めて行く様な錯覚を覚えました。それに加えて宮崎駿だからファンタジーなのだろうか、それとも風立ちぬみたいな戦争をテーマにしたものなのだろう、といった主人公には感じ得ないメタ的な視点の想いも絡み合いそれが没入感ある錯覚に対して一握りの現実みのある制限を加えている様な、そんな不思議な感覚を味わいました。
途中から話はファンタジーな方向に転がっていきなんとなく安堵するわけですが、ある意味で宮崎駿監督への信頼みたいなものがないとこういう映画の見方や体験というのは出来ないよなとも思いました。三池崇史監督とか園子音監督とかがこのスタイルで映画やるって言われても警戒するでしょ。
そこから先の展開はなんというか正直宮崎監督が何を言いたかったのかよくわからなかった部分もあるのですが、個人的には好きに解釈したらいいんじゃないかなと思いました。あえてどうとでも受け取れる様にしてあるんじゃないかなと。
自分自身の解釈に自信はありませんが、なんとなく今までの宮崎映画のアニメ表現の総集編かつ集大成の様な印象も受けたのでもしかしたら遺作というか遺書のつもりで作った面もあるのかなと思ったりもしました。
宮崎アニメの好きな人は観て損はないしできればなるべく情報を入れずに一切の先入観なしに観て欲しいとは思いますが、こういったレビュー読んでる人はそういう体験は出来ないのでここに書いても余り意味がないのかもしれません。
宮崎駿の終活
様々なアニメの名作を生み出し続け、世界中にその名を轟かすアニメ作家「宮崎駿」。
彼が自らの老いと向き合い、死ぬまでにあと何作作り、残すことが出来るのか…そんな自分の限界と向き合いながら「これが最後」、「これが最後」と本気で自らの作家性と作品に向き合い続けたのがこの10年間ではなかったかと推察します。
近年の宮崎監督は、絵コンテを切りながら、仕上がった絵コンテを基に同時進行でアニメが制作される…そんなスタイルだったように思います。
以前であれば、ある程度の道筋を脳内に描きながら、立てたエンディングに向けてストーリーを無難にまとめ上げる余裕感があったのですが、近年の数作…ハウルやポニョ辺りからは、もう宮崎監督の(悪く言えば)行き当たりばったり的な展開が強く、最後は苦しみながら何とか無難な着地点を見出して結末を見せる…そんな印象を受ける作品が続いていたように感じます。
そして、今作はそんな宮崎監督が今までのアニメ監督として得た名声を後ろ盾に、好き勝手に、自分の想像力を解放して気持ちの赴くままに絵コンテを切り続け、自らもどんな着地点に達するか想像できない状況で自らを試すような形で作品を作り上げて行ったのではないかと、作品を見終わった後に、そんな印象を受けました。
私も個人としては、これまで散々エンターテイメントに徹した面白い作品をこの世に沢山生み出してくれた訳だから、自分の人生の最後を飾る作品くらい、彼の好きなように自由に作りたいものを作らせてあげたらいいじゃない!という気持ちが強かったので、作品の良し悪しがどうだとか、興収が過去作と比較してどうだとか、そういう次元でこの作品を語るのは、宮崎駿に対して失礼極まりないのでは?とさえ思うわけです。
目に飛び込んでくる目紛しい映像から、耳に流れ込んでくる音楽から伝わる感性をありのままに受け止め、その時々の自分の心の変容を楽しむ…そんな風に私はこの映画作品に対して向き合わせて頂きました。
色々な意見が交錯していることも承知していますが案外、この作品がアカデミー賞の長編アニメーション部門でも受賞したら皆、掌を返したようにこの作品を持ち上げだすんだろうな…とそんな状況を想像したりしてほくそ笑んでいます。
宮崎駿監督自身も、この作品については「良くわからない」と語っていたとの事なので、多分誰が見ても「良くわからない」作品なのだと思います。
それを自称評論家風情がしたり顔で、分かった風な語り口で色々な考察を繰り広げている様は、如何にも滑稽で愉快です。
今回、宣伝を一切行わなかったという鈴木プロデューサーの判断も、そうした宮崎駿というアニメ作家に対する敬意の現れ、リスペクトという視点で見れば、妙に納得できる訳です。
すべての人にお勧めしたい。本当に見事な芸術作品
全く宣伝もなく上映されていることをネットで知り「君たちはどう生きるか」を観てきた。観終わって「本当に見事な芸術作品」だという感慨が残った。母親を亡くした少年が自身の置かれた家族や生活・社会環境の中、不思議で様々な体験をしながら生き抜いていく物語り。観る者は人生経験の多寡にかかわらず問われることだろう。「君は(過去)どう生きてきたか」「君は(現在)どう生きているか」「君は(未来)どう生きていくか」と……。
もちろん作者がテーマやシーンの意味を言葉で伝えているわけではない。しかし次元が異なる世界と融合しながら、迷いながらもダイナミックに人生を生きているのが人間であるということを知らせている。善も悪も、光も闇も、賢さも愚かさも混然一体となって「境地の物語」を奏でている。私はこれまで様々な芸術作品に出会ってきて、楽しや美しさや驚きや怪しさなどで満足させてもらったことはあった。しかし鑑賞後にこれほど自身の人生に眼を向けさせ、体験の意味を想い、幸せを感じることのできた作品に出会ったことがない。
この作品は宮崎駿監督の愛と創造力につつまれている。ありがとう宮崎駿さん。ありがとうスタッフのみなさん。すべての人々にお勧めしたい!
宮崎駿監督が粉骨砕身して本気で遊ぶフルアニメ!
原作、脚本、監督は宮崎駿。
ゴールデングローブ賞アニメーション作品賞受賞。
アカデミー賞長編アニメ映画賞受賞。
【ストーリー】
時は太平洋戦争末期、空襲で母が亡くなり、田舎に疎開した少年眞人は、そこで奇妙な屋敷に住むことになる。
屋敷には、好奇心を隠しもしない妖怪のような老婆が8人、使用人として住み込んでいた。
家では新たな継母となった叔母・夏子とギクシャクし、学校へゆけば皆と毛色の違うと集団で乱暴を受ける。
苛立つ眞人は、大きな石を拾い、それで自分のコメカミを傷つける。
学校へねじ込むと息巻く父親にも、それをやめさせようとする継母に何も話さず、眞人はただベッドで寝込む。
何よりも眞人を苛立たせたのは、まるでこちらを監視するかのように姿を現しては嫌な鳴き声を聴かせる、一羽のアオサギだった。
夢うつつに眞人はそのアオサギと対決するが、そいつはまるで人間のように言葉を巧みに話し、眞人を誘い込んで手の木刀を粉々にしてしまう。
眞人にまとわりつく手強いアオサギを、手製の弓と矢でどうにか追い払うも、夏子が森に姿を消してしまう。
眞人は夏子を追いかけて、大叔父が遺したという塔に入ってゆくが、そこは魔術のような世界だった。
監督自身の記憶、思い出、心象風景、トラウマをごった煮にした塔の世界を、主人公・眞人が次々と冒険します。
時に乗り越えられないような大きな危険も、そこは宮崎主人公、苦痛を顧みずに突破をはかる益荒男ぶりは皆の知るところ。
クライマックスに提示された選択にも、悩むそぶりなど見せず、自分の弱さ愚かしさを受け入れます。
……というような見れば誰でも分かる内容は置いといて、出色なのはアニメーションです。
動画のモーションがツボを押さえていてまたいいのなんの。
流石です、宮崎監督。
しかもフルアニメ!
実はジブリ作品は、ここぞという場面以外の日常シーンはコマ落とし、つまりリミテッドアニメであることが多いのですが、この映画は全編フルアニメーションを実現しています。
手描きにこだわる宮崎駿監督ですから、人物のアニメは中割りソフト(という物があるんです)を使っていないのではないかと思われます。
これはもう非常に手間と時間とお金のかかる制作方法で、かつて大友克洋が監督したAKIRAが、それで11億円もかかったという恐ろしい前例も。
背景の精緻なる美しさも目を見張りますが、塔の世界が崩壊するシーンは背景動画ではなくCGを使っていて、これまた猛烈に手間のかかるクオリティ。
ラピュタもここまでやりたかったんだろうなあ、と過去作の無念や妄念をこれでもかと手をかけて鎮魂しています。
ジブリでCGといえば『もののけ姫』のイノシシ、乙事主の身体を侵したもの凄い数のワーム形タタリ神が有名ですけれど、あれを専属でやっていたアニメーターさんは、2年間もあの冒頭シーンに費やしたとか。
監督ほんと無茶苦茶させるよなあ……。
タイトルの説教くささと「宮崎さん本物の左◯だから」と某アニメ監督から言われるような、私生活における思想的言動の多さ、パワハラぶりも伝えられる宮崎駿。
これはもう人生最後に言いたい事全部行ってやる系の、全力かつ渾身かつ粉骨砕身の老骨滅却の大パノラマお説教作品に違いない、自分のような田夫野人(でんぶやじん)は、心砕けるまで説教タイムされるのだろうか……ああ、今から自分はお金を出して説教されにゆくのか……と悲しい気持で劇場に向かいましたが、ご安心ください、上級のエンタメです。
よかった。
隣に座った母子も楽しんでいる様子でしたので、お子様を連れていっても、きっと大丈夫ですよ。
スタッフロールにはなかよしこよし庵野秀明のいるカラーなどの制作スタジオの中に、しれっとスタジオ地図も混ざっていました。
宮崎監督、細田守監督に、ちゃんとごめんなさいしましたか?
ちゃんとしないと、没後に非道が伝えられて、ジャニー宮崎とか言われちゃいますよ(言いすぎ!)。
いやあ、面白かったですよ。
尻込みしましたが、見てよかった。
二の足を踏んでいる方はぜひぜひどうぞ。
夢を見ているようでした
私の個人的な意見ですが、この物語は宮崎駿さんが子どもの頃に抱いていた理想や恐怖を大人になった今、再び思い出しながら物語として綴られたものなのだと感じました。だから、細部にまで深い意味の込められていた従来の作品とは違い、今回は明確な答えが見つからずにそのままストーリーが完成していき、宮崎駿さんご自身もおそらくはよくわかっていないシーンもあったのではないでしょうか。
そのため、多くみられる「意味がわからない」という意見にも納得できました。しかし、意味を求めるってそんなに重要なことなのでしょうか。
圧倒的な映像美、壮大な主人公の冒険、不気味で美しい宮崎駿の作る世界に浸り、大満足です。
私にとっては最も好きな映画作品です。
好みの分かれる作品
おもしろいけど好みが分かれるだろうという印象。
前半は主人公をとりまく現実世界の環境の変化が粛々と描かれ、かなり硬派な内容。
後半は翻ってファンタジーな世界の中で叔母を探すために冒険を繰り広げる。
好みが分かれそうな要素
1 前半がひたすら硬派。おそらく後半につなげるために必要な描写なのだろうが、「千と千尋」や「もののけ姫」のような世界観は一切なく、退屈に感じるかもしれない。
2 後半のファンタジー世界はいわば「なんでもあり」なため、理由の説明もなく不思議な出来事が立て続けに起こる。それ故に説明可能性を重んじる人は好きではなさそう。
個人的には前半は面白いと思わなかったが、後半は楽しめた。
面白かったとは思うけど人におすすめはしないかな?といった感じ。
すごい迷作
単純に目の保養
宮崎駿の終活ノート
映画というの大前提として面白くなければなりません。
楽しいのか、興奮するのか、泣けるのか、恐怖するのか。
ジャンルは何でもいいですけど、各々のジャンルに応じた映画としての面白さを担保されていなければ、それは駄作です。
監督からのメッセージや考察することの面白さというのは、あくまで映画を楽しく観るオマケの存在でなければなりません。
決してそちらがメインになって出張ってはいけません。
普通に鑑賞して面白く、何度も観るうちに隠された監督からのメッセージに気づき、さらに作品を考察して作品に深みを感じて、楽しむ。
それこそが素晴らしい映画なのです。
かつての宮崎駿作品はメッセージや考察なんか抜きに鑑賞しても楽しく、考察するとより楽しく観賞できる素晴らしい作品ばかりでした。
ナウシカも、ラピュタも、魔女の宅急便も、もののけ姫も……。
その観点からすれば、「君たちはどう生きるか」は紛うことなき駄作と言えます。
この映画の面白いところ、宮崎駿のメッセージ性とか考察とか抜きにして語れます?
純粋に物語として面白いですか?
絶対にそんな人はいません。
今この映画を絶賛している人は「宮崎駿」の最終作だからとやたら考察し、評価している人たちばかりです。
考察ありきの作品は駄作です。
物語中に出てくるオブジェクトは、ほとんどが意味を成していません。
考察すれば意味があるのはわかりますよ?
ただストーリー上意味がない「異物」でしかないのです。
船の墓は? 墓の主は? 迷うと出られなくなる庭の設定は必要か? わざわざ積み木の数を13個とした意味は? 住民が鳥ばかりで、尚且つまんま鳥なのとファンシーな鳥と分けた意味は?
考察すれば意味は通りますが、ストーリー上では意味が全くありません。
監督の伝えたいメッセージを表現するうえで必要なのはわかりますが、これらを出したいのなら物語上で何らかの意味を持たせるべきなのです。
ジブリ映画には必ずある、ハイライト的なシーンが無い。
内容の面白さはともかく、ジブリ映画には漏れなく印象に残るシーンというのがあります。
ナウシカやラピュタは言わずもがな、駿作品ではないゲド戦記やコクリコ坂ですらタイトルを聞けば何となくシーンが思い浮かぶかと思います。
ですがこの映画にはそんなシーンは無いです。
このシーンが印象的!ってシーンありましたか?
自分には思いつきません。
米津玄師は反則だということが今作でよくわかりました。
映画を観ているときはツマンナ過ぎてイライラしてましたが、スタッフロールが流れ出すと「あれ? なんかいい映画だったんじゃね?」と錯覚しました。
全ては米津玄師の歌が素晴らしすぎるからなのです。
この映画の価値はスタッフロールに集約されています。
というか、わざわざこんな回りくどい作品なんか作らず、ストレートに宮崎駿の人生を映画化したり、スタジオジブリの歩みを映画化した方が絶対おもしろかったでしょ。
今から作り直して?
愛と命の物語
とてもおもしろい。
この世は生きるに値する
情報過多の時代に前情報ゼロの作品。
「観た?どうだった?」という会話を久しぶりにした気がします。
自分の目で観て、耳で聞かないといけないなと強く感じました。
結果、もう一度観たい!
皆さんの感想に共感!
キャラクターの感情のある動きや液体の動き。たくさんの生き物がうごめく様。…などなど。
これこれ!ジブリだー!と何だか昔の作品にスクリーンで再開できた懐かしく嬉しい気持ちが溢れました。
分かりそうで分からない物語だったけど、過去作のように多くを語らず、観た人に委ねるのはこちらが試されている気がする。
実際、過去作も年齢によって受け取るものが毎回違うから不思議。
この作品もきっと、年齢や経験、置かれた立場によって人それぞれ受け取るものが違うのでしょう。
なんだかひとつの時代が終わったのを観た気がします。
そしてエンドロールの豪華な名前やスタジオ名の数々は圧巻!
それを観ると「あとは任せてあるから!」と宮崎さんが言っているようで…。
新しい時代をみせられているようで…。
涙が止まりませんでした。
10年前の引退会見で言っていた、
「子どもたちに、"この世は生きるに値するんだ"と伝えることが自分たちの仕事の根幹」という言葉をこの作品で思い出しました。
いろいろな考察や感想をみるのも楽しい。
過去作のように何度も観なおしたいものと出会うことができ、制作関係者全ての方に感謝です!
作品を観た後だと、ポスターの題名と言葉が胸に刺さります。
今にも動き出しそうで…💦
見守ってる?見られてる?
賛否が分かれるのも理解できるが、宮崎監督が培ったあらゆるアニメ表現を詰め込んだ映像を劇場で観る意義は、十二分すぎるほどある一作
ほとんど事前の情報公開もしないという異例の広告戦略であるにも関わらず、『風立ちぬ』(2013)以来10年ぶりの宮崎駿監督の最新作ということで、公開直前から急激に注目を集めた本作。興行的には好調のようですが、実際鑑賞した人の意見は結構明確に賛否が分かれています。
確かに『風立ちぬ』との連続性を感じさせるような舞台設定の前半はわかりやすい物語性を帯びていたんだけど、中盤以降の、まさに宮崎アニメ的、としか言いようのない異世界との境界線がたち現れた途端、成長譚とファンタジーが入り混じった物語にモードチェンジします。
作品世界や物語の筋を理解するための様々な要素をごろっと提示するものの、それらの関連性や構造についての説明はかなり抑制的であるため、多くの観客が初見では意味がわからなくて混乱する、あるいは煙に巻かれたような気分になるのも、ある意味しかたないかも。
表題にはあまり引っ張られず、宮崎駿監督の最新作、ということを念頭に入れて鑑賞した方が、展開を受け入れられやすいかも知れません。
食べ物描写、水の表現など、宮崎監督のアニメ作品の独自表現がもはや名人芸の域に達していて、それをスクリーンでつぶさに観察できる、というだけでも劇場に足を運ぶ意義は十二分にあります。公開当初は発売してなかったパンフレットもようやく売店に並ぶようになったので、その意味でも今から鑑賞するのがおすすめ。
宮崎駿の哲学書
宮崎駿はアニメーション監督である。
哲学者は文章で語るが、監督はアニメーションで自分の哲学を語る。
そういう映画だと思う。
だから、新海誠監督の映画のようなエンタメを期待して観た人には総すかんなのだろう。
哲学を辞書で引くと「世界や人生の究極の根本原理を客観的、理性的に追求する学問」とある。
そのままではないか。
この作品を宮崎駿の自伝であり、自分の人生、作品を見つめ直したものだ、と評する人が多いが、ある意味その通りだとも言えるし、そうでは無いとも言える。
そもそも、監督は一旦引退したものの、描くべきものが見つかったとして、この映画を作った。
今まで、生と死、なんとか道を切り開いて生きていく事を主題に作品を作って来た監督の(最後に)描くべきものが自伝というのはどう考えてもおかしい。
自作品のオマージュまで次々と挿入するのもありえない。
では何故、見方によってはそのようにも見える映画を創ったのか。
想像ではあるが、戦後、死に物狂いで生き、血眼で働き(たまたま宮崎駿はアニメーション製作を仕事とした)、この生きづらい世の中をなんとか生きてきた自分の生き様をさらけ出そうと思ったのではないか。
一つのケーススタディとして、或いはメタファーとして。
後半の幻想世界の描写は混沌としていて、物語の秩序も欠いている。
ある意味見方次第でどうにでも取れるように作られている。
死の世界なのか、生まれる前の世界なのか、夢なのか現実なのか、その境界は無く、観るものがどのようにも解釈できるようになっている。
人間は大きな矛盾を抱え生きている。
宮崎監督自身も子供は外で遊ぶべきだというのが自論でありながら、映画館や家で観るアニメーション映画を作っている。
また、氏は戦車や戦闘機の機械や造形を好むが、これが人を殺す兵器だという事にも嗜好性の矛盾を感じていたことも有名な話だ。
(風立ちぬ、はその事も主題の一つにしている)
人間は生きているだけで環境破壊をしているし、生きるために戦争をして他者を殺す。
そうした矛盾を抱えながらも生きていかなければならない。
宮崎監督は戦後なんとか歯を食いしばり生きて来た自分をさらけ出しつつ、生きづらい現代に、むしろ絶望的ともいえる今、未来に、
大きな矛盾を抱えながらもなんとか生きていかなければならない、子供達や若者に、
家族や仲間と力を合わせて生き抜いていく責任を問うているのではないか。
米津玄師と宮崎監督が何度もセッションをし、完成させたという主題歌の題名は「地球」ではなく「地球儀」。
人間が作った地球のミニチュアだ。人間が自分でクルクル回せる地球だ。
この主題歌がこの映画の主題を端的に表していると思う。
「君たちはどう生きるか」というタイトルは自分をさらけ出した上で、「こう生きろ」と決めつけるのでは無く「自分で考えろ」、という宮崎駿からの挑戦状と受け取った。
2023.7.22 チネチッタ川崎
問い:この映画は、何を問いたいのか?
考察
火で母を亡くした主人公
→父が夏子(母の妹)と再婚
=夏子のことが好きだがお母さんと言えない☆母親と言えない繊細な心のバランス
→母の屋敷へ引き取られる
→その屋敷が変!
変①しゃべるアオサギ
→やっつけるために、身の回りのものを使って応戦しようとする
=自分の力で、自分で考えて応戦する
変②変な建物
→宇宙からやってきたらしい
=変化はどこからともなく突然やってくる
変③夏子がいなくなる
→夏子を探しにいく(その前に、「君たちはどう考えるか」を読んで泣いている)
=世界はみんな繋がっていること、人には自分のことを決める力があることを知った
→変な世界に入り込む
→変な世界の変なこと
→変①殺すことを許されない人がいる
変②これを学んだら死ぬと書いてある門がある
変③おばあちゃんが若返っている
変④若返ったおばあちゃんが火を使ってかっこいい
変⑤地上に飛んでいって人間に生まれ変わる可愛い妖怪?がいる
変⑥変な少女ひみ(実の母の子の姿)が火を使う
変⑦可愛い妖怪をペリカンが食べにくる。そのペリカンをひみが焼く
=食物連鎖を表現しているのか?☆世界の繊細なバランス
→アオサギと共に夏子を探しに冒険!アオサギは嫌なやつ?
→インコが大量繁殖!大繁栄!人も食べちゃう
=可愛いインコも、進化次第で人をも食べる存在になる
→インコに襲われたけど、ひみに救われる
→ひみに連れられて、寝屋(夏子の元)へ
→石が夏子に何かしようとしている雰囲気!真人たすけようとする
→真人を助けようとする夏子、「あんた嫌い!」
→言葉の裏の愛を感じた真人「夏子、お母さん!!」
=夏子のことを初めてお母さんと言う決意をする
→大叔父から、この世界を告げと言われる
=世界は積み木遊びのようなもの
=さまざまな文化、思考、人種・・・などの組み合わせ。
=組み合わせ次第で、天国にも地獄にもなる
=だから、平和で穏やかな世界を目指しても、バランスがとても難しい。この世界 を平和にするもしないもお前次第と言ってくる。
→真人、勝手にお前次第とか言うなやって顔
→真人は、現実世界に戻って友達を作ると言う
=現実世界に友達がいなかった。友達のいる世界がほしい。
=「君たちはどう生きるか」は友達がいること前提の話。
=真人は友達が欲しくて泣いたのではないか?
→結局、大叔父が作り出した、変テコインコに石の世界は滅ぼされ、真人と夏子は現 実世界へ帰る
→アオサギと別れ際、「お前は友達だ」と告げる
=アオサギを友達だと自分で決めた。友達のいる世界が生まれた。
=だから、タイトルの絵がアオサギ
答え:どんな変な世界であっても、どんなに苦しい世界であっても、誰が友達か、誰が母親か、を決めるのは自分次第。自分で考えて、自分で決めることが幸せをつかむ。
みんな世界を作る石の一つ。でも、誰かに勝手に積み上げられたくはない。
この映画を見て何を考えたんだ?
お前は、どう考える?
人の意見に惑わされんなよ?
前評判のバイアスかけて見にくるんじゃねえよ!(だから、事前告知なしだ)
誰かのレビュー見てくるんじゃねえ!
「君たちはどう生きるか」って本読んだか?
お前らどう思った?
俺は、友達がいないんだ
コペル君には友達がいて、羨ましい!ムカつく!泣けてくる!
なんだこの本、友達ありきじゃねえか!?
友達ってなんだ?
俺が、友達って言ったら友達なんだ!
一人は寂しい
だから、誰が母親ってことも誰が友達ってことも俺が決める
って声が聞こえてくる映画だった。
ありがとうございました。
最初に氏の作品に触れたのが、NHKで放映された「未来少年コナン」。大学生のクセに子どものアニメなんか観て、と親にたしなめられながらも、その柔らかい線や元気いっぱいで屈託のない冒険活劇に夢中になってしまいました。他のアニメ作品にはない独特の美しさがあるように思えたのです。
氏の作品の魅力は何なのだろうと思うと・・いろいろありますが、一番芯にあるのが「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。以前NHKが「崖の上のポニョ」の創作に密着していましたが、最初に確固としたストーリーがあるわけではなくて、一枚の絵を出発点に、呻吟しながらなにものかを生み出してゆく姿がとても印象的でした。
黄泉の国、死後の世界・・後講釈でいろいろ分析されることも多い氏の作品ですが、生み出されたものは合理的に説明できるものばかりでないのは、今回も過去作品も同じで、その本質と魅力はやはり「汲めど尽きせぬ創造の泉」なのだと思います。
それが、観る者の心の奥底の干からびた部分に、いのちを吹き込み、どこかを癒やしてくれる。だから賛否両論というのが、実は私にはよく理解できません。長年おつきあいしてきた者として本作を観て、氏の集大成であるのは多分間違いないと思いました。
最初のオリジナル原作作品「風の谷のナウシカ」の上映は確かミニシアター系の上映だった記憶が・・・。その後も欠かさず、氏の新作が出るたびに、劇場に足を運び、結婚し、娘が生まれ、その娘もジブリ大ファンとなって育ち、先月式をあげ巣立ちました。
今回が本当に最後になるのかはわかりませんが、ご年齢からしてそうなることを想定しながら創作されたのだと推察します。まだ早いかもですが、「ほんとに長い間お世話になりました。」宮崎監督並びにジブリの皆様には、そう申し上げたいです。
良かったと思います
なんだかんだジブリを映画館で観るのは初めてでこれが最初で最後かもしれないと思い事前知識ゼロで観てきました。
観終わった直後の後味は正直悪く、宮崎駿さんが自分が書きたい物を書いたって感じで新海誠さん対極の存在という印象でしたが後から振り返り考えが一転したのでまとめてみたいと思います。
〈あくまで1意見なのでその点ご留意いただければと思います〉
まず個人的に気になったのは今作は何とも言えない不快感を感じる描写がかなり多く、中々今まで見た映画でない経験だと感じました。
例)
→死んだ奥さんの妹と結婚する無神経な父親、
→甥の手を無理やり取り自分の腹に当て「子供がいるの」と宣言する新しい母親、
→主人公の荷物に群がるお婆さん達、
→その後のカエルのシーンもそうでしたが
→個人的にはアオサギが主人公の真似か「オカーサン!オカーサン!」と鳴くシーンが特に衝撃的でした。
一言でまとめると「無神経」。
そしてその不快感が途中から感じなくなったのはいつからだろうと考えるとあちら側の世界に向かってからと気づき見方が一気に変わりました。
制作した、あちら側の世界はインコやデカい生物などおじいさんが作った世界だから初見で意味などは分からないと感じます。
そして主人公に継いで自分の世界を作れと言うシーンでは「悪意で自分で自分を石で傷つけた」と断ります。石で自分を傷つけることで学校へ行かなくて済むのもそうですが新しい母親への悪意があったことを本人も自覚している。
それに気づけたなら尚更この世界に留まればいいとおじいさんに説得されるも断る。
色んな人の悪意に晒されるであろう現実に戻り、友達を作り共に生きる事を選択する主人公。
といった意味では個人的にはこの作品は良かったと思います。
制作、そして人生に対する宮崎駿さんの姿勢なども含まれてるように思いますが個人的には不快感の正体を突き止められた気がしたので以上とさせていただきます。
今までのジブリ作品の面影がある分、「こういうのが描くのが好きなのですね」と分かって面白かったです。
ジブリ作品だけど小さいお子さん連れは辞めといた方がいいと思います。私だったらトラウマになりそう。
また原作無視な所も相変わらずかと思いました。
全2097件中、661~680件目を表示






