君たちはどう生きるかのレビュー・感想・評価
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かなり面白い
非現実的な出来事を扱ったアニメは数多く、それらの内容を常識として、理解できるできないと考えてしまう。
この映画は難解な部分が多いと思うが、全てを正確に理解する必要はそこまで必要だとは思わない。
単に宮崎映画のファンとして、今までの作品を思い出しながら、これから先テレビの再放送を見ながら、ずっとこの先なんども見ながら毎回新しい発見がある、そんな映画なのだと思う。
メッセージ性は高いかもしれないが、その一部だけでも汲み取れれば良いと思っている。
伝えたいことを理解しようとあまり思わないが、たぶん伝わったものも多いのかと思う。
複数回みたいと思う作品だった。
分からなくとも良い
ばさまたちや鳥さんたちは楽しいし、造られた世界はこの上なく美しいが、それを造り上げる人間の歪みによって危うい均衡を持つ
その歪みを感じて現実を生きることを選ぶ少年はどう生きていくのか
破滅に向かう日本から始まる創作表現は、またあったはずの扉によって暖かい感触を遺す
世界の秘密
作品同様、言葉にも、文章にも出来無いので
感じたままに
①美術の美しさに人物も物語も何もかも持っていかれてしまう。ありゃアート。
本物の絵画に負けず、アニメーションの意地を見せてくれて嬉しかった。
②エンドロールに、最後のメッセージがある気がする。
主題歌も含め、あれが一番だった。
誇らしかったり 愛らしかったり
人の子が、子供によって父親になり、
最後にウチの子達どうだ!本当にありがとう…
って言ってる気がした。
③でも、またもや有名俳優ばかり…
調べてみれば、声優さんは時間毎、
俳優さんは、実写の通り作品で拘束出来るらしく、それで初期に色々モメたらしい。
有名なのは、イメージをそのまま出す為&鈴木Pの野望なら大人になってとても納得。
しかし、今回は情報が無いお陰か、最後の答え合わせみたいで、楽しかった。
④分からない事があっても良いんじゃない?
古に観た、もののけ姫が再演された時、
年を重ねたせいか、鬼の目に涙…
やっぱり、世界の秘密は時を重ねてしか
解け無い事だってあるのかもしれない。
⑤過去と未来をどう感じ、現在をどう生きるのか?
作者であり主人公は、
夢と現実は
不思議で、切なく、不条理で残酷だけど、
優しさ、暖かさ、豊かさも希望と一緒にあるんだよと
説教では無く、遺言の様に伝えようとしていると思う。
だからこそ、今を生きてる若い方も
是非立ち止まって一度で良いから観て欲しい。
私は、これまでを生き、
これからを生きるから、今は…星4点。
5点はいつかこれから…
じゃあな友達
これを見る前に色々なレビューを見た。
曰く
宮崎駿の自伝的アニメである。
主人公は宮崎駿の幼いころで、おじさんは今の宮崎駿。
アニメ界にバトンを渡す。
主人公は吾郎さんか?
自己陶酔のナルシズム映画
何度も何度も観ないとわからない。
等々・・色んな人が色んな感じ方を書いていた。
僕は、違うと思う、絶対に違うと思う!
そんな自己陶酔の、気持ち悪いアニメなんかじゃない。
アニメ界へのメッセージなんてありゃしない。
もちろん自分の息子に対するメッセージだってありゃしない。
単純にこの映画を見ている我々に対する、直線的でナイフに刺されているような
メッセージの塊だった!
単純にこんな面白い話は観たことがない。
僕は宮崎駿の最高傑作は?と聞かれたら「君たちはどう生きるか」と言う。
まず、一番はやっぱり宮崎アニメに独特の風の捉え方だ。
目に見えないものを、目に見える様に感じ表現する。
それは「大丈夫水面に重い風が見える」と言っていたナウシカの頃から何も変わっていない。
メカ等は宮崎駿の世界の一部ではあるが全てではないので出なくてもいい。
ただ、世界観はそのままで、宮崎駿の世界にどっぷり浸れる。
どこか「千と千尋の神隠し」のような世界へのアクセスであり。
どこか「もののけ姫」のようであり。
ポニョよりメッセージ色が豊かではっきりしていた。
各箇所に宮崎アニメの傑作が散りばめられていて集大成と言える。
次に作品にあるメッセージ。
宮崎駿は昔のインタビューで
「何度も宮崎さんのアニメを見ています」と言われ。
「それはいけない、こんなアニメなんて一回観たらいいんだ、あとは野山に出て自然に触れなさい」と言ってたそうだ。
それがそのままこのアニメに出ている。
気持ちの悪いアオサギ(僕の捉え方だと宮崎駿)
が別の世界に主人公(僕の捉え方だと観客)を誘う。
その世界に行って、母の妹で後妻の女性を「お母さま」と言えるだけ成長を果たす。
そして、その世界で「石(意志?)を積み上げてほしい」と言われる。
だけど主人公は言う「それは死んだ石だ、墓場の石だ、私は帰る」と
そう有って欲しい、こんな世界(アニメ)にいるんじゃなくて、野山に出て自然と触れ合って欲しいと言っていた、宮崎駿のメッセージがそこにあると思う。
それでも石ころくらいはこの世界から持ち帰って欲しい、
すぐに忘れても構わないし、多分すぐに忘れるだろう。
そして最後に「じゃあな、友達」と見てくれた我々に友達と仰ってくださっている。
その瞬間、僕は涙が止まらなくなった。。
本当にいい映画だった。
「ありがとう、友達、沢山の映画をありがとう」と言いたい。
考えすぎないで、単純な気持ちで見てほしい、
スリルあり、謎アリ、成長アリ、切ないメッセージありの、いつもの宮崎アニメだった。
※ちょっと主人公に対するレビューが多いので追加で書きます。
多くの方が言われているのは、主人公に感情移入が出来ない。
主人公がお金持ち。
主人公が何考えているかわからない。
主人公に魅力がない・・・等々。
えっとですね、今回の主人公はかなり人間的でありながら、凛々しくて、
とても魅力的なキャラクターだと思っています。
そもそも、これまでの宮崎アニメの特徴でもありますが、
男の主人公や登場人物は無口の場合が多いです(もちろん妙に饒舌な脇役のおじいさんとかは除きます)
もののけ姫のアシタカや、千と千尋のハク。
宮崎駿原作じゃなくてもハウルとかもあまり話しません。
パズーは話したけど、それほど饒舌というわけではない。
それは、彼らは感情移入する存在というよりも、凛々しく憧れる存在として書かれているからだと思っています。
そして、今回の主人公。
彼は自傷を行うほどどこかナイーブな一面もありながら、
時代背景からも男は男らしく成らねばならん、というのを無理して体現し、寡黙で凛々しく行動します。
彼は他の主人公に見られる超人のようなキャラでもありながら、
ナイーブな内面を隠す弱い人間なのです。
だから、凄い共感を覚えるし、とても感情移入が出来ると思っています。
今回の主人公を、他の絶賛されていた宮崎アニメと比べてみてください。
いつもの主人公ですよ。
そして、それでいながらどこかとても弱くて人間臭い主人公なのです。
ジブリ過去作を見てきた人には最高のフルコース
過去作を想起させる場面がこれでもかと出てきて、それに気づき始めると作品の内容云々関係なく楽しくなって、駿さんのサービスてんこ盛り!と思ったが、サービスなんてトンデモなかった。いやいやこれは、不安の渦巻く現実、そして未来を生きぬかなければならない私たちへの駿さんからの壮大なラブレターだと思った。私も「人間」を一生懸命生きよう!
私たちはどう生きるか
本日、二回目の鑑賞をしてきた。最近は忙しく、一回目の鑑賞から随分と時間がかかってしまった。
感想としては、「よくわからない」というのが最も正確なものだろう。
もう少し詳しく書くと、この作品は宮崎駿の世界観をそのまま体現したものである。「これまでの宮崎駿作品のオンパレード」と感じるのはこれが原因だ。これまでの作品と比べて宮崎駿という人間をより濃く前面に押し出しているので、とても難解な物語となっているのだ。
この作品は、矛盾点だったり、キャラクターの一貫性の欠如だったり、突っ込みたくなるような箇所がちらほらと散見される。批判を受けたりつまらないと評されるのは、これらのことが原因だろう。しかしこれは「映像によるオクシモロン的表現」「キャラクターの多面性」とも解釈することが出来る。このように解釈することが出来るのは表現の繊細さ、ギリギリ解釈できるような場面を設ける宮﨑駿のやさしさがあるからだが、その根底には「宮崎駿が作ったから」という先入観が存在している。無名監督が作ったらこのような評価はごく一部になり、多くの人からは「駄作」と評されるだろう。宮﨑駿もきっと「売れよう」などとは微塵も思っていないはずだ。好きなものを好きなように表現するという、「売れる」ことを意識しなければならない他の創作者たちからは嫉妬されそうな作品を世に出したのである。
個人的にこの作品は、宮崎駿を永久保存したようなものだと感じた。「自分はアニメ制作に生きたんだ」という思いが詰まっており、クレジットで数多くのアニメ制作会社の名前が表示された様はまさに圧巻だった。
ではこの物語は結局何を伝えたいのか、何を表現したいのか、ということについて少しばかり書いていく。
簡単に言うとタイトル通りである。そのままである。「君たちはどう生きるか」、その問題提起だけして観客にすべてをゆだねている。それゆえ賛否両論が存在している。宮﨑駿は「それも君の生き方だ」とでも言うのだろうか。
この作品には「おわり」の文字がない。このことから、今回映画にした部分は主人公の生き方を指し示す前日譚であり、本筋はその後のキャラクターたち、我々観客たち、そして宮﨑駿の「これからの生き方」にあるのではないかと解釈できる。我々は一度原点に立ち返り「自分はどう生きるか」について考える必要があるのかもしれない。
最後になぜ4.0という評価を付けたかということについてだが、この映画はエンタメ性がほぼないからというのが主な理由である。宮﨑駿による宮崎駿のための作品であり、我々観客はその表面しか掬えないのだ。
しかしこの作品は、宮崎駿という人間の人間性を垣間見ることが出来、その核心に少しでも触れることのできるとても素敵なものとして完成している。
一つの芸術作品として、鑑賞する価値は十二分にあると感じる。
宮崎駿と司馬遼太郎が日本人に遺したもの
最後の作品にして紛れもなく傑作でしょう。
賛否両論渦巻いていますが。
私は熱心なジブリファンという訳ではないですが、ジブリの世界観は日本人なら誰にでも身体感覚として持っているような気がします。
なので誰でも語る資格があるということでご容赦ください 笑
まず過去のジブリ作品が走馬灯のように思い起こされるという不思議な感覚に陥ります。
比類なき創作の才能。
宮崎駿さんが幼少の時に想像を膨らませていた世界が、大人になっても、ビジネスで成功しても、年老いても尚、燃え続けていて、それが深化し続けてていたのだと思いました。
そしてやはりこのタイトル。
吉野源三郎さんの本が出版されたのは1937年。
ウクライナで戦争が起き、タモリさんが戦争前夜と表現した混迷を増す現在において、このタイトルをつけた意図を想像せずにはいられません。
そうしたことを考えると引退作品であった『風立ちぬ』はリアル過ぎたのかもしれません。
最後はファンタジーとして、宮崎駿の世界観を貫徹したかった。
作品のテーマやメタファーについての考察はマニアの鋭い人がたくさん書いていらっしゃいます(中には舌を巻くほどの深いものも!)ので、私は別の切り口で考えたことを纏めてみます。
宮崎駿さんは司馬遼太郎さんに重なるところが多いなと感じています。
どちらも創作の名手。
一方は小説で、一方はアニメで。
司馬遼太郎さんも幼少の頃は図書館で本を読んでは想像の世界にのめり込んでいたようです。
司馬遼太郎さんの処女小説は『ペルシャの幻術師』、伝奇小説というジャンルでファンタジーです。
そして両人とも現代日本とその未来を憂えてたと思います。
司馬遼太郎さんは子供たちに唯一書き下ろしの随筆を残しています。
『二十一世紀を生きる君たちへ』
そして
『君たちはどう生きるか』
私には小説とアニメの世界で類稀なる才能を持った両巨人の二つの作品が、今そしてこれからを生きる日本人に残した遺作として重なって映るのです。
みんな、やっぱり宮崎駿が好きなんだ❗
宮崎駿10年ぶりの監督復帰作は、公開直後の興収が『千と千尋の神隠し』を上回ったとのこと。宮崎駿ファンの飢餓感が高じた熱量は凄まじい…ということだろう。
セルアニメを感じさせる映像が流れ始めると、それだけで感動的ですらある。
のっけから火災の表現に圧倒される。『風立ちぬ』での震災の表現が見事だったのを思い出す。
大塚康夫の流れをくむ宮崎駿の絵柄(厳密にはキャラクターデザイン・作画監督の絵柄のはずだが)は、故郷のような懐かしさと心地よさがある。「ルパン三世('71)」「侍ジャイアンツ('73)」で子供時代を過ごした者の刷り込み現象だろうか。
さらに本作には、『ルパン三世/カリオストロの城』以降の宮崎駿長編アニメーションの数々を連想させるシーンが忍ばされているのだから、マニアでなくても嬉しくなるだろう。
戦時下、主人公の眞人少年は軍需工場の経営者を父にもつ裕福な家の坊っちゃんだ。
彼が母を火事で亡くし、母の妹と再婚した父と母方の実家(屋敷)に疎開する。そこで摩訶不思議な大冒険が展開するのだ。
宮崎駿は「群」の描写が好きなようで、最初は使用人の老婆たちが旦那様のカバンを覗き込んでいる小さな「群」だったが、段々とエスカレートして最後は不気味なまでのインコの大群が現れる。
人それぞれの感覚かもしれないが、この「群」というのは嫌悪感を抱かせる作用があると思う。「ルパン三世」でみせた大勢の制服警官が一斉に飛びかかる演出などは、宮崎駿が繰り返し用いてきたコメディー表現で、この程度なら実に面白い。しかし、老婆も含めて異形のものが集合すると不気味さを感じずにはいられない。
宮崎駿作品には時折“気持ち悪さ”が持ち込まれている気がする。明るい色調で見失いがちだが、そういう変質的な面を宮崎駿は秘めていると思う。
さて、物語自体は少々破綻ぎみではないかと感じた。
いったい何のために少年は戦ったのか。ふしぎの国のキャラクターたちの役割は何だったのか。そして、少年はこの体験で何かを得たのか。
全ては、流麗で迫力あるアニメーション表現に溶け込んで見えない。
この物語が「君たちはどう生きるか」と問いかけているのかと言うと、そうではないと思う。
だが、長編アニメーション映画を作るという重労働に、老骨に鞭打って、制作部門を解体したジブリにスタッフを集めてまで再び挑んだ宮崎駿の生きざまが、君たちは…と、問いかけているのかも知れない。
敬意を表して★半分加点。
何も心が動かない
最後まで退屈せずに見れるけど、
途中ハラハラドキドキする事もなければ
最後まで心が揺れることが何も無かった。
解釈をいろいろ考えるのが好きな人には良いのかも。
ポニョとか風立ちぬのようにイラっとする事は無かったので☆2。
悪意に染まらぬもの
悪意を識る者こそ、悪意に染まらぬものだとしたら、私の悪意は、何処に向かえばいい?。
原本未読。予備知識は、原本原理主義者が本作を観て、怒り捲っているとの噂だけ。まぁ、無理もないですね。
この映画、傑作だと思います。まず映像。宮崎サンの集大成。これまでのジブリ作品、総てに捧げるオマージュ。だから、初めて観るのに懐かしい。それだけでも凄いことですが、やはり、原本が気になる。おそらく宮崎サンが、原本から大きく逸脱したのは、原本と張り合うことを避けたのでしょう。何故避けたのか?、その理由は原本読むしかなさそうです。きっと宮崎サン、自分のネームバリューを使ってでも、多くの人に、原本を手に取ってほしいんだろうな。私、手にしてませんけど。
観てから読むか、読んでから観るかで、意見が真っ二つになるようですが、改めて本作のタイトル、思い出してほしい。私達に、悪意に染まらぬものを受け継ぐ資格が、あるのか知りませんけど、他者を批判、あげつらうことで、自分が優れていると思うような生き方、したいですか?。君たちはどう生きるかを問う前に、私がどう生きるかを問うべきかな。
追記
「沈黙の艦隊」映画になりますね。原作好きの私としては、どんなに優れた映画であっても、今回は、原理主義者として、敵に廻る予定です。予告見ただけで、私の悪意が止まらないから。
更に追記
ネットの受け売りです。日本人の国語力、読解力は著しく低下したそうです。文字は読めます。単語の意味は、分かります。ただ、その文章を書いた人の意図を汲むことができなくなったそうです。
例えば「はだしのゲン」。作中に、ゲンが朝鮮の人を、からかうシーンがあります。それを見たお父さんがメチャメチャ怒ることで、差別の愚かさを伝えようとしたのですが、からかうシーンだけ見て、「はだしのゲン」は差別マンガだと思っているヒトが、いるそうです。
原因は不明。ネットで短文のやり取りを繰り返すうちに、表面的な言葉のみ使うようになったとか、学校のテストが、木を見て森を見ない、字面だけなぞる文言解読に、高得点つけるようになった為とか。学校で、思想、信条を教育するのは、やめてほしいですが、何故、文章を正しく解読することが必要なのか、何の目的で長文が、今、そこにあるのか、そこは伝えてほしかった。
昔と異なる宮崎サンを嘆くコメントが、散見されます。「ワ◯ルドスピード」のように、フォーマットは変えず、アクションスケールだけをアップすることを良しとしない宮崎サンの意図は、何処にあるんでしょうね。変わりゆく世界を描けば、変わらない世界を求める方々は、反発するでしょう。それでも、この映画のタイトルは……ね…。
書き込み自体が、他者を批判することになりますが、アニメという変わらない世界から、変わりゆく世界を描こうとした宮崎サンの問いかけを、汲むことができるのは、誰かな?。未だに「カリオストロの城」の、派手なアクションが好きな私が言うのも、変ですが…。
予想外にわかりやすい作品。ただ主人公に魅力なく共感は得られず
遅ればせながら、話題の映画『君たちはどう生きるか』を観てきました。
巷では難解でわかりにくいという噂だったので、私もちょっと構えていったのですが、フタをあければ拍子抜け。個人的には驚くくらいわかりやすい作品でした。
ほとんど説明もなく異世界に行くような流れに慣れてない人はともかく、アニメ、特に現在のアニメでは、どこにでもある設定なので、そういったところはまったく気にならないし不思議にも思わない。
そして異世界でのキリコもすぐに一緒に消えたお婆さんだとわかったし、ヒミも最初に登場した時点ですぐに眞人のお母さんだとわかりました。おそらく宮崎駿もまったく隠す気はなく、ほとんどの人がそう思ったことでしょう。
私はもっと不条理に満ちていたり、理解困難な理念を提示されたりするものと予想していたのですが、そういうことはほとんどなく(アオサギやペリカン、インコの存在が不条理だと思う人もいるかもですけど、そういうのも不思議の国のアリスから延々と描かれ続けているものなので、どうということもない)、完全に寓話としてのお話。
あちこちに込められた、散りばめられた、ひとつひとつの暗喩や意図がすべてわかるとは言わないし、そこにものすごい深淵な寓意が潜んでいるのかもしれない。
ただ私は、古今東西を問わず物語の基本中の基本、少年の成長譚、大人になるための通過儀礼を丁寧に美しく描いた作品だと理解しました。
少年の成長譚の基本といえば、父超え(父殺し)と母との別れ。ガンダムもまどか⭐︎マギカもこれをしっかり描いているから歴史的名作足り得た。
「君たちはどう生きるか」に登場する父親は俗物に過ぎず、乗り越えるべき畏怖する存在としては描かれていない。ここでは母との別れが物語の中心をなす。
ナツコは母の面影であると同時に、眞人の初恋の存在でもある。そして異世界でヒミと会うことにより、絶対的な存在であった母を相対化することができ(母が自分の母親である前に、ひとりの女性であるということを、目の前につきつけられるわけだから)、今生の別れを覚悟することができる。
物語当初、石で自分の頭を傷つけたのは、自身の弱さ・幼さが表出した自傷行為であると同時に、それは結果として、大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)となった。それは異世界でのキリコの頭にも同じ傷があることからもわかる。これも物語の基本であると同時に、古来より人類の風習でもある。
父が毛が伸びたら隠れるから大丈夫と言ったことも、時の経過とともに消失してしまう少年期の一時のものであることを暗示している。またラストにアオサギが異世界の出来事を忘れてしまうと言う場面も同様だろう。
つまりこの映画が描くのは、少年が大人になるときの葛藤を描いたモラトリアムの寓話であり、大人になったら記憶から薄れてしまうような類のもの。忘れてしまうかもしれないし、大人になったら必要はないものかもしれないけど、それがとても重要で意味のあるものであることは変わらない。必要がなくても、大事なものはこの世の中にいくらでもある。
宮崎駿は以前、自分たちが作るアニメなんて、二、三回見たあとは全部忘れて大人になって欲しいって公言していた。たぶん今も同じ思いで、この作品を作ったんじゃないかと思う。
大おじが目指したものについては、これはあくまで個人的な見立てだけど、多くの人がこのように思うのではないか。
宮崎駿の背景からも、大おじが目指したものは、戦後民主主義的なるものであり、「下の世界」が崩壊したのは、その挫折をそのままに描いたのではないか、と。
もっと直截にいえば、学生運動や社会主義革命の挫折。大おじの跡を継ぐものがいない、血縁のある眞人すら拒否するというのも、当時の思想が現在ではすっかり大衆から否定されていることをなぞっている。元いた世界では大人しいインコも、その異世界では人食いインコと化すのも、普通の学生たちが狂気に走ったことを重ねているように僕には映る。インコの大王は森恒夫か重信房子か。
…と、このような感じで、私にはものすごくわかりやすい作品でした。先に述べたように、あちこちに散りばめられた暗喩や意図がすべてわかったわけではないけど。
だから…というわけでもないけど、そこまで面白いと思ったり、深い印象が刻まれる作品でもなかった。また主人公の眞人も作中の努力が足りず、ご都合主義的に周囲に助けられるばかりで、あまり共感できる存在には感じなかった。千と千尋の千尋の方がよっぽど頑張っていて共感できた。
私は世間ほどジブリが好きではなく、実はあんまり観ていなくて、限られた中では、もののけ姫のほうがよっぽど胸に刺さったかな。
まあ当時は自分もまだ若かったし、感受性ももっと敏感だったろうから、そう思うのも仕方ないか。それに何より、宮崎駿もさすがに年老いて、当時のようなエネルギッシュな作品は作れないのだろうし、こういう寓話になってしまうのは必然なのだろう。
若い人がこの映画を観て、どう思うのか?
「君たちはどう観たのか」私はそれを聞いてみたいなあ。
この時代だからこそ
タイトルと鳥の絵のポスター1枚。覗き見せず、聞き耳を立てず、思い切ってめくって飛び込んだ先の作品世界への没入体験。
目隠しでスクリーンの前まで連れてこられたような、鑑賞前の時間も含めてエンターテイメントだと思った。
このクオリティの作品を世の中のたくさんの人が事前情報ほぼなしで鑑賞するなんて、なんてワクワクする仕掛けだろう。
設定についていけるよう、集中して見ているうちに、真人と一緒に塔の世界に落ち、不思議な世界をめまぐるしく体験する。
個人的には仕掛けにのっかって大正解だった。
なんでも手の平で調べられる時代、正解を探さずにはいられない時代だからこそ、この作品から受け取れるメッセージは人それぞれ、自分で感じて自分で考えなくてはこの仕掛けの意味がない。
作品の中ではどこからか降ってきた塔がどうしようもなく世界を歪めるけれど、完全なる悪人はでてこなかった。
悪意も善意も入り交じるこの世の中で、善意の石をそれでもコツコツと積み上げていけるのは、勇者でも何者でもないただこの世界に生きる私達1人1人だ。
真人が自分につけた傷、悪意のしるしだと言った傷。自分に向けられた悪意か、自分で自分に向けた悪意か、周りの大人に心配をかけた悪意か。悪意のしるしを認めた上で、前に進む勇気を真人のように持てるか。
鑑賞前と鑑賞後で、タイトルもポスターの絵も見え方が変わった。
素晴らしい体験だった。
あまり刺さらなかった
世界観の説明や分からせようとする気がないのそういう作品だからで解釈したが,感情を表す描写やパーツ.情報があまりに不足していたと感じた.それゆえマヒトが何を考えているかよく分からず,淡々と移り変わっていくシーンをただマヒトが歩いているだけとそんな印象をこの映画から受けた.
最後,世界の主からの頼みを断り”現実”を選ぶシーンも,マヒトがそれを選んだ根拠や感情的なにかが全く見えてこなくて ,はいそうですかと思ったのが正直な感想.
君たちはどう生きるか というタイトルからマヒトが立ち直っていく姿を見せていくものかと思ったが,この話は冒頭からマヒトがすでに概ね立ち直っている.そのため,この映画をどの視点で見ていいものかわからなくなった節がある
あと米津は相変わらずいい歌を書く
ジブリ初心者はよくわからなかった。
マーベル映画を追いかけていない人が最近のマーベル映画を観たらこんな感じなんだろうなぁって思った。
映画としてそこそこ楽しめたが他の方を見ていると本当の意味では楽しめていなかったんだなって置いていかれる感覚。。。
好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい
なんか庵野的でもあり新海的でもあり(一番にすずめの戸締まりを想起した)それでも宮崎駿でしか描けない作品だと思った。
ストーリーテリングはあんまりハマらなくて、特にロードムービーの部分に必然性を感じさせるまでは正直退屈なんだけど、鳥の集合体とか蛙の集合体とか、いちいち絵面が強いので、面白い。おばさんの集合体ももはや可愛いレベル。
主人公が物事を受け入れ過ぎだなあと特に後半思ったり、周りの女性キャラクターが無条件に母性を振りまいている点も気にはなった。
とはいえ、後半の確信に迫るシーン、あの世界に戻ることを選択する母親と主人公の葛藤、主人公が成長できたのは母親からの「君たちはどう生きるか」の本だというところは痺れたねえ。青サギの「じゃあな、友達」も良かった。
宮崎駿の「好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい 僕はこうして生きてきた」という強いメッセージに素直に打ちひしがられる方が良いと思う。
悪意のない石を積み上げるのだ
「悪意のない石を積み上げるのだ」
主人公の亡き母親の叔父の言葉が心に響く。
悪意のある石を積み上げたから、人は人を傷つけてしまうのか。
悪意のある石を積み上げたから、戦争が起こったのか。
悪意のない石を積みあげることが、善き道に通じる。
宮崎駿のメッセージが聞こえてくる。
いじめや反戦を超えたメッセージが。
アオサギは平和の象徴か。
そして母親への飽くなき想い。
母親との思い出に浸りたい。
そんな男性陣の願望も充たしてくれる作品かもしれない。
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