「鬼才復活 ネタバレあり」君たちはどう生きるか 映画好きさんの映画レビュー(感想・評価)
鬼才復活 ネタバレあり
訳がわからないとかストーリーが分からないという感想が多く見受けられるがそれだけ日本人の想像力が乏しくなったという事。
昔はゲームにしてもアニメや童話、小説や映画でも訳がわからないところを想像力で楽しんだり補正したり補う空想力で楽しむのが醍醐味だったのに、CGや3D、リアルさばかりを追求されたメディアや駄作に囲まれてわからないものを楽しむ人間の想像力を失ってしまった。
退化した人間、それこそが外の世界へ出て知性を失ってただの鳥に戻ったインコ達のようなもの。
基本線は宮崎駿の人生と子供時代の体験と空想。子供の頃の空想力は感覚で感じた世界をイメージであの映画のようにどんどん広げていく。
大叔父とは高畑勲がモデルであるとご本人が明言しているが、高畑を失った宮崎駿の作品は今作含めあの頃のジブリの名作では無くなっていく。高畑が生きていたら今頃どんな作品作っていたかな?など想像して映画を見たらそのキャラクターが高畑勲だと。
宮崎駿ご本人もきっとそれを感じ考えていたのだと思った。
宮崎駿と久石譲の傑作、風の谷のナウシカですら高畑からすれば30点。
作品を社会的で歴史や現実と整合性を整え哲学的な主題の筋を整えるのが高畑の哲学であり役割だ。
知性を与えられた鳥達はもののけ姫の動物のように知性を持ち大叔父に与えられた仕事を遂行しながら食べさせられていた。
それがスタジオジブリも意味しているのかは分からないがその世界は平和で守られ世界が破綻しない均衡のとれた世界で、戦争からも守られていた。
あえてその世界を壊して飛び出していく主人公。
これは完全に原作ナウシカのナウシカに見えた。
均衡を整えるための墓所の主や文化を守る庭園のヒドラが大叔父、その主が世界を守らせるために選ぶ皇帝がインコの王、ヒドラや博士や喋るシカが鳥達、森の人やユパのかわりにキリコがいる。歪んだ愛情から真の愛に変わる夏子はクシャナとトルメキア王と母、
そして墓所を破壊したナウシカと巨神兵が眞人とヒミ。眞人を守る老婆は大婆やミトたち。
大叔父は宮崎駿にとっても作品の整合性や均衡を守る人であると同時にそれは大人の悪意であると感じていた。本来の駿はミヒャエル・エンデのように想像力全開、子供の空想力全開のわけのわからなさが面白い楽しめる作品をつくりたかった。だから高畑勲を失った事で世間からは駄作といわれたり訳がわからないと言われるようになるが、それこそが自分達の意思で生きれない人間は人間ではないという駿の生き様、哲学の現れ。世界を壊す事になっても与えられた仕事に従事してバランスをとるのではなく自分の意志で冒険をすべきだというメッセージ。
どう生きるか?高畑勲と宮崎駿、少年時代に出来ていた自由な空想、戦争から逃れて描ける冒険の不思議な世界。周りの人達、母親と父親、宮崎少年。
宮崎駿は自分はどう生きたか、行きたいかを改めてこの作品に映したのだと思う。
色々な作品のモチーフや想起させる世界、キャラクターは集大成だったしワラワラはコダマからトトロに変化する過程の中間の存在にも見えた。
宮崎駿の空想力の感覚がナウシカの頃の鬼才、若さに戻ったようにも感じたし久石譲の音楽もやり飽きてつまらなくなった駄作からナウシカやラピュタ、もののけ姫の頃の尖った感覚を取り戻しながら円熟や進化の先にある無駄がなく美しい作品だった。
久石譲にとっても一つの極み、集大成に
なった感覚があると思う。
そして肝心のアオサギは道化師。ナウシカやラピュタやもののけ姫ではクロトワやドーラ一味やジコ坊のようにちょっと悪くて悪意があるけどドジで主人公達を導く道化師のような大人が出てくる。
これが鈴木敏夫なのか誰なのかはわからないけど、悪意のある大人との付き合い方や時に助けになる存在もまた宮崎作品の肝の一つ。
この作品に感じた印象は2人の鬼才復活だった。