「どう受け取るかは自由だけれど、かなり強烈な内容です。」君たちはどう生きるか RYOさんの映画レビュー(感想・評価)
どう受け取るかは自由だけれど、かなり強烈な内容です。
アニメ業界に生きるクリエイターへ向けて、業界への痛烈な批判とともに、これからどう生きるのかを問うた、かなり強烈な作品だと思います。
若きクリエイターの卵であるワラワラは、同時に素晴らしい作品のアイデアの卵でもあり、大切に育てないと巣立っていけない、まだまだか弱い存在。
先人の作品からの影響でこの業界に入ってきたペリカンは、自分では食べる術がなく、望まないにしても、これから巣立とうとする汚れのないワラワラを食い物にするしか生きていくことができず、高くも飛べず、別の世界に行こうとしても戻ってきてしまい、いつしか遠くに飛ぶことさえも忘れてしまった悲しき業界の人々。
ボツになったアイデアやネームの墓場に群がり、ずる賢く自分は矢面に立たず、騒ぎ立て、誰か(眞人)を押し付け焚きつけ、無理矢理扉を開かせ、それに近づこうとする。
大半の人は生ける屍の、ただこの業界で働くだけの存在となり、眞人が礼をすれば、生気なく礼を返す、毒にも薬にもならない存在で、自分たちでは稼ぐことができないので、人が獲ってきた獲物の分前を静かに待っている。
規律正しく、団体行動もできる礼儀正しいインコは社会人の見本のような存在だが、迷いのない瞳で、自分たちの行いに一切の疑いを持たず、実社会では見かけよろしく糞を撒き散らし、この世界では、食べていくことが正義で、常に刃物を持ち、人を傷つけ飯の種にすることしか考えていない。
こんなアニメ業界で、君たちはどう生きていくのかと。
本来なら、夢や希望を与えるアニメーションを作る現場が、夢ある人を食い物にし、やる気のない人が蔓延し、作る人への批判や中傷が公然と許され、己が正義かのような振る舞いをし、平気でモノ作りの現場に土足で踏み入る、そんな悪意に満ちた世界で、どう生きるのか。
自分たちが去し後、この悪意に満ちた世界を、誰が立て直してくれるのか。
児童文学を愛し、わかりやすい、商業的な作品を作り続けた宮崎駿が、これまでの説明的な手法を一切排除し作り上げた、広告業界、制作現場、マスコミを含めたアニメ業界全体への警鐘なのでしょう。
自伝、自叙伝を文章ではなく、アニメーターらしくアニメーションで、業界への痛烈な批判とともに、自らの功罪をも認め、人間の強さや優しさ、弱さや狡さを描き続けた、宮崎駿の業界への思いの丈をぶちまけた、最後のメッセージに相応しい作品だと思います。
事前広告も、ポスターのみの特殊なマーケティングだと言われていますが、一般の人に向けたメッセージではないので、そうしなかっただけでしょう。
もう二度と映画を作ることはないのでしょうね。。
いや、それとも、石をひとつポケットに入れているというのは、まだアイデアがあるという暗示なのでしょうか。。