「人は世界をどのように見ているのか。世界観のコペルニクス的転回!!笑」君たちはどう生きるか critique_0102さんの映画レビュー(感想・評価)
人は世界をどのように見ているのか。世界観のコペルニクス的転回!!笑
難解だと人は言う。
よくわからなかたっと主張する。・・・そうだろうか。
宮崎ファンではない自分でもこの映画が「単純」なものであったことがわかる。
登場人物に、そしてそのストーリーに一貫した説明を求めようとしているところから不可解なものをそこに織り込もうとする。この物語は、どの登場人物にも根源的な「意味」を求めてなどいない。そこにあるのは「世界で揺蕩う」人の物語でしかない。
「世界は一つである」という台詞が聞こえてくる。そうだろうか、世界は一つだろうか。
いや「世界は現実と仮象の間」にある。そうだろうか、世界は二つだろうか。
どれも答えではないのだろう。
答えがどれでもないことを私たちは眞人を通して感じ取っているはずだ。
よくわからないという答えや難解だという主張は、実は彼らがそれを実際に感じ取ったからなのだ。
世界などというものは、綺麗に整理できるものではない。
大叔父の妄想も、青鷺のいい加減さも、ペリカンの嘆きも、インコの生真面目さと冷徹さも、全て織り込み済みで容赦無く矛盾に満ちた、戯画化されている私たちの世界そのものではないか。見よ、あのグロテスクな蛙の「塔」を!
今の日常では出会わなくても、私たちは、それに出会ったことがある。出会っていたのだ。
いつか忘れるといったあの言葉は、私たちが過ごした遠い昔を思い出させる。
途中、キリコに出会ったあの場面は、ゲーテが呼んだSturm und Drangではなかったか。
後妻に距離を感じ否定する、幼い眞人を私たちが経験したものではなかったのか。
無知と無恥は悪である。
それを庇い立てする自分自身にも気づかない。
夏子を受け入れない自分を、彼女自身が受け入れることがないことを薄々感じながらも認めないでいる。「おかぁさん」と呼べない自分に気づく時に、人は世界がひとつのであることに気づく。
しかし、と同時に、
その世界は、自らの汚れを汚れとして気づく、二つの世界に立ち帰る瞬間でもあった。
最初、それに気づかずに悪を周りに差し向けてはいたものの、世界が一つであることを知った瞬間に、彼は二世界論が都合のいい解釈で成り立っていたことを知ったのだ。まさに、それに気付きながらも、そこから身を剥ぐことをしなかった大叔父とは違って。
現実とは、こうである。
現実とは、そうである。
現実とは、ひたすら逃げることではない。
天井から薔薇。パンテオンの祝祭のように受け入れなければならないのだ。
まさに、それがコペル君的な世界観の変革であろう。
映画の題名は、まさにこれを意味していることに、誰が気づくのだろうか?
・・・構成が単純だから、誰でも気づくよね。www
#あいみょん・・・ごめん、ヒミか。キリコの一本調子よりはまだマシか。
パパ、下手だね。・・・それ以上は言いません。もう、いい加減。。。笑
ババァ連・・・馴染みすぎて、誰でもいいや感あり。でも、メンツスゲェーやん。笑
ワラワラ・・・え?声優必要?
でしょ!インコ大王、老ペリカン!!助演男優賞を二人に!
・・アオサギ、やっぱ、道化(フール)を演じさせるなら。ここはうまくいった!
##でもね、
この歳になると、全ての動きが「ハイジ&コナン」に見えてしまう。
自分もそろそろ、集大成で終活かな?wwww
###ファイナルアンサー的には
やっぱ少し、入れ込みすぎかな。www