「「母の不在」への直面とその超克。」君たちはどう生きるか image_taroさんの映画レビュー(感想・評価)
「母の不在」への直面とその超克。
劇場公開時に観た時には、「さてどんな出来栄えだろうか…」という心持ちで劇場に足を運んだこともあって、十分に本作の素晴らしさを享受しきれなかった感じがした。再鑑賞できないままBlu-ray発売となり、やっとの2度目。作画の素晴らしさ、散りばめられたシンボル的な表現、そして何より宮﨑駿が過去作でも繰り返してきた「母の不在」のモチーフを初めて正面から取り扱ったこと。心を打つ要素は多岐にわたる。
主人公の名前が「眞人(まひと)」というところから既に意味深で、真(まこと)の人であるとはどういうことなのか?という含みが感じられる。戦時中、母の死を契機として自分の周りの世界が受け入れ難いものになっていく。「母の不在」→「世界の拒絶」という構図がまず示される。継母になる人を受け入れられず、転校先の学校からの拒絶と、拒否の意思表示としての自傷を経て、継母が塔の奥へ隠れるところまで至ってから、青サギのいざないによっていよいよ“向こう側”へ踏み込んでいく。塔はその“向こう側”へのポータルになっているのだが、この“向こう側”は完全なる「彼岸」というよりは、「中間」(『チベット死者の書』の言葉を借りれば“バルド”となるか)のように私には感じられ、私たちの合意的現実が生まれる一歩手前の領域という感じだ。青サギ・ペリカン・インコといった鳥たちが多数出てくるのは、鳥は古くから地上界と天上界の橋渡しをするものの象徴なので、正に中間の存在と言って良い。
ちなみに継母が“向こう側”に隠れたのは、眞人の継母になること(合わせて勝一の後妻になること)を心から受け入れられずに現実世界から退避したということ。ただこの行動が入り口となって、結局はこの母子がきちんと親子になるためのイニシエーションが展開されることになったようにも見えるのがポイントだ。その遥か昔に、大伯父も現実世界から退避して塔の奥に引き籠っているが、「悪意のない純粋な世界を作りたい」というのがその動機であるようだ。ピュアでなどあり得ない現実世界を受け入れられない彼は、クライマックスで眞人に自分の仕事を引き継ぐよう迫る。しかし、眞人は拒否し、現実世界に回帰することを選択する。それは、“向こう側”で様々に経験したことが眞人を変え、受け入れ切れなかった現実世界を受け止める準備が整ったからだと言える。眞人も継母も現実世界に戻り、文字通り「家族」となって終幕を迎える。
以上が、物語全体の流れと大枠の構造であるが、「訳が分からない」という反応がかなりあるようだ。それは、過去の宮﨑駿の作品と比して、親切な説明を排し、ユング心理学で「元型」と呼ばれるような次元でのシンボリックな表現の積み重ねで物語ろうとしているからに他ならない。眠っている時に見た夢の意味が分からなくて悶々としたり、その意味を考えないでいられなかったり…そんな夢見のあとのような気分で、この作品鑑賞後にあれやこれやと反芻して思いを巡らせるのが正しいような気がする。
これは恐らく、大衆向けの娯楽作品を狙ったというより、宮﨑駿個人が自らの内に疼くテーマを掘り下げるために撮った、極めてパーソナルな作品だろうと思われる。こんな作品も大いに歓迎したい。キャリアの終盤にこんな作品を作ったっていいだろう。もう十分過ぎるほどにアニメ製作者として、大衆に貢献してきたのだから。
少々分かりにくいかもしれないが、豊かなイマジネーションの海に揺蕩うことを楽しむことさえできれば、素晴らしい鑑賞体験になるはず。変にジャッジしようとせず、作品世界に浸ってみることをおすすめする。