「冠婚葬祭。宮崎駿だからこそ描けた」君たちはどう生きるか みみみさんの映画レビュー(感想・評価)
冠婚葬祭。宮崎駿だからこそ描けた
まさに今回の映画は冠婚葬祭。ジブリ映画の宮崎駿の作品はほとんど見てきたが、火垂るの墓を何故か彷彿とされた。
にしても今作には怒りを投影したのかは分からないが、風立ちぬ以前まで宮崎駿はどこかエウリピデスやアリストファネスに近いものを感じる。
君たちはどう生きるかの原作となる吉野源三郎の方を以前読了したが、多くの方が内容が違うという。だがこれは完全に違うのではない。(私が感じた)メッセージは似ていて、「風立ちぬ」で行った名前とモチーフを借り、もうひとつの堀の方をストーリーとして並べた手法と今回は似ている。多くの方が言われているように、今回はモチーフと名前が「君たちはどう生きるか」、ストーリーは「失われたものたちの本」だと考えているが、他にも何かあったらお聞きしたい。
宮崎駿が解釈したものと現代に伝えるためのものを現代で翻案されたのだから、原作とストーリーが異なるものがあるのは当然だし、本来あるべき翻案の姿とあってもいい。吉野源三郎がシェイクスピアならば、そのような翻案もしなくて良かったのだ。
今ではエンタメ製として様々な文庫本が映画化やドラマ化されたりもしているが、元々のメッセージ性のある作品を元来のフランスのように翻案されたものは本当に少ないと考えている。創作をしている人間からしたら、この映画は考えたくて考えたくてしょうがない作品で、突き刺さるものでもあっただろう。
また様々な人が最初の5分間を語っているが、たしかに最初のつかみと没入感というものはすごいという言葉だけでは表せない。まさに鳥肌は経ったしザワザワするというのがこういう感覚なのかと冒頭で考えた。
最初から埋まるという表現が多く、足だけではなく体も、なにかにつつまれてしまう現代社会の閉塞感も何となく感じる。
メッセージや事柄を抽象化するのが上手い創作者というものは、どうしても魅力がある。
死そのものの恐怖ではなく、今という意味、生まれるという存在への焦点。あっぱれにも程があって、これほどまでに自分の語彙力の無さを痛感した。本を人よりはよく読んだと思っていたが、やっぱりまだ足りない。本の重要性も身に染みた。
多くの数字も出てきていたが、個人的に気になったワードは裏切り、禁忌、あと何かあったような。記憶が飛んでしまったな。にしても人間はいつの時代でも天災にも人災にも見舞われていて、私は自分に不利益なことはやはり嫌だから、憂鬱とした気分にはなってしまうね。ただそんなことがない世界は一生来ないし、その世界でどう自分が生きるかなのだね。
私はまだ成人してばかりだし、戦争も経験しなければ、唯一体感した大震災も小さな頃で記憶には無い。経験をしていない人間が、人災や天災を少しでも肌に感じさせる方法はやはり映画や舞台しかない。目の前で見なければ意味が無いものがほんとに多くあって、これは宮崎駿だからかけたんだ。私には一生書けない。
確認したいところがあるためもう一度見に行こうと決心したが、ドアプレートの数字やまひとの机から崩れ落ちた本の名前、あそこをボヤかさずにいくつか題名を記して映し出したということは何らかの意味があると考えている。
唯一覚えているドアプレートの数字があったが、私たちに今を生きるしかないというメッセージ性も語られていた。そしてそのドアプレートはまひとが開けていたのも重要であった。(手元を見ていないためもしかしたら違うかもしれないが)
コペルニクスやアインシュタインのモチーフもあって良かった。個人的に気になったの中盤で落ちた薔薇だが、あのバラが落ちるというまではニュートンの有名なリンゴのやつだけれども、なぜバラなのか、最初に星の王子さまを思い浮かべたが何か違うような気もするしこれに関しては私の勉強不足であった。
私の勝手ながらの解釈のため全部間違ってる場合もあるし、意味がわからないし言葉足らずで何が何だかと思うかもしれないけれど、ただ宮崎駿は私に考えるという行為を止めさせないでいてくれた。これだけでも十分の成果で、星5だけではなく星9くらい出したい。
後半でずっと語りかけていた、君ならいい世界にできる。でも僕は嘘をついた、その石を積むことは出来ない。ならこの世界は崩壊する。石は必要だけれど、自分の意思も必要なんだね。
まさに今から人生をあゆむ私たちのための映画でもあり、それをまひとを主軸とするのは本当に良かった。人は忘れるものだとは言っていたけれど、映画や紙媒体は残すことが出来る。記憶を残すための手段はいくらでもあって、宮崎駿はどう生きるかと提示したが、あなたにもまだ生きていて欲しいよと思ってしまった。でもこれが最後の作品でいいのかもしれない
こんにちは。
今から人生を歩む人たちへ。。。の監督からのメッセージでしたね。
私も、監督に〝あなたにもまだ生きて欲しいよ〟と思い、故郷の両親のことも思い出しました。