「喪失と受容、命が糧で共生している世界、死生観」君たちはどう生きるか きらりさんの映画レビュー(感想・評価)
喪失と受容、命が糧で共生している世界、死生観
めっちゃネタバレしているので、まだ見ていない人は
読まないでください。
生きるとは、命を糧にして他の犠牲の上に生きている、それを日頃意識しているでしょうか。
私はもう人生の折り返し地点を過ぎているので時々己の死や死後を思います…
生きているということは死ぬ存在でもあるという事です。
そして人は他の存在に依存して生きています。
火事から救い出したいと思っていた母を救うこともできず、母にソックリな叔母を母としてその実家の屋敷に移り住む。大好きな母と似ていてでも他人で少しなまめかしくて、手を取られてお腹を触らせられて義母というより、母に似た他人としか思えません。
また叔母が父に後妻に入ると言うよりも…叔母の屋敷に父と入るのは…主人公マヒト目線で見ていると…まるで父を引き込み招き入れた女主の牙城に囲われる様な感覚に陥ります。
マヒトは坊っちゃんのくせに、大勢にボコられた後に自分で大きな傷を作るくらいの知恵があります。奴等と共に行動をしなくて良いという特権を生み出す引きこもりがマヒト。
そう、ここは、
トトロのサツキが…一人っ子の男の子で、
母は生還せず病より酷い火事で亡くなってしまった世界線。
サツキの様に饒舌ではなく、カンタの様にあれやこれや用事を言いつけられたりする田舎の農家の子でもない。おまけに唯一の頼るべき父親の一番は今や後妻になる叔母。
そう、主人公の少年の冒頭目覚めた顔は、アシタカに似た目をしていると思ったけれど…つまりは拠り所を得ていない一人ぼっちの目をしている。(本当は愛され守られているのに。)
パズーのように動くと思ったけど、自律していても、生かされている事に気づいていない目をしている。
多分昔宮崎駿は、女の子のために千と千尋を作ったと言っていたけれど、男の子のためには既にラピュタがあると言っていたけれど、
人との繋がりの中で生きる事を描くために、人との繋がりを拒否して生きている所からスタートさせなくてはいけないと感じて描いた作品なのかもしれません。
火垂るの墓は絶望で終わることにより人に気付きを与えるのですが、宮崎駿は絶望というエンディングではなく、
希望と他者への理解や慈しみを掴み取る冒険活劇を感じてほしかったのではないでしょうか。
セキセイインコ達が包丁を持っていてもどこか可愛らしいというか、悪ではなく、彼らなりの生きる為に行動している様に感じます。
なんだかどこにも悪人はいない、そして、大オジはまるで石に支配されて生きているまるで隠れたところで人を操作している様な気になっている引きこもりの王の様に見えました。
私にはとてもシンプルな映画に見えたのですが、
人によって感じ方は違うのですね。
難解と思う人とはこれまでの生き方がちがうのかな…と思いました。
母は死んだことを苦しんでいなかった、そう思えた事がマヒトにとって大切で、とても母親の存在と最期が子どもにはかけがえのないものだということを感じます。
少なくとも宮崎駿の世代にとってはとても大事でした。親を親ガチャと言われる時代には意味が通じない映画なのかもしれません。
米津が主題歌じゃなければ劇場には来なかったかもしれません。でもとても面白かったです。