「遺言、確かに受け取った」君たちはどう生きるか ごとうさんの映画レビュー(感想・評価)
遺言、確かに受け取った
舞台は戦前。主人公の真人は小学生の男の子。
父と一緒に引っ越した疎開先には、亡くなった母の妹(叔母)が義母として出迎えてくれる。真人は亡くなった母を忘れられずに、叔母が義母となり、しかもすでに妊娠している事実に戸惑いを拭えない。そんな中で田舎暮らしをしていたが、家の近くには先祖が建てた塔がありその入り口は異世界へ繋がっていて…というお話。
導入はともかく、異世界はいつも以上にファンタジー色の強いジブリ世界であり、深く考えずに頭を空っぽにしたほうが楽しめる系統の作品と思う。またストーリー自体はメタファーだらけで前後の繋がりがなく必然性のない展開が続くため童話、ともすれば神話を彷彿とさせる(筆者は「不思議の国のアリス」を思い出した)。まぁ、その辺りの細かい議論は考察班に託すとしよう。
今回の映画で受け取ったメッセージは一つだけ。クライマックスでの大きな石をバックにした大叔父様との言葉。
大叔父(妄想)
「君はこの積み木の塔に一つだけ積み木を足すことができる。それは世界のさらなる安定を齎すだろう」
大叔父(現実)
「君はここで積み木を組んで新しい塔を造るのだ」
言うまでもなく大叔父=宮崎駿なのだが、これは以下のメタファーと解釈した。
・石 =宮崎駿の意思
・積み木=宮崎駿の仕事あるいはアニメ制作手法
・異世界=ジブリあるいは既存のアニメ業界
これを有体に抽象化すると
大叔父「既存の仕組みに従って生きるのであれば、君は一つだけ何かを足すことができる(逆にそれしかできない)。ここで私の仕事を継承してほしい」
となる。結果的にいんこ大王=心無い悪意のある大人の手によって積み木は両断され異世界は崩壊へと至ってしまう。この辺りもこれまでの宮崎駿と世間の関わり方を示したメタファーなのであろう。相変わらず作家の主張が激しく前に出ているわけで、またくだらないものを作って…と感じると同時に「この爺さん、自分の正当な後継者が育たなくて寂しかったのかな」と思ったら泣けてきた。
翻って自分の人生を思い返すと、概ね既存の仕組みから大きく外れることなく生きており、日々「積み木を一つだけ足す」作業に没頭しているわけだ。社会の歯車とならざるをえない現実はどうしようもないとしても「他者の悪意に気づき、それを拒絶する感性」まで忘れてしまったときに、自己を見失ってバランスを崩してしまうのであろう。最後に真人と大叔父様のやり取りを掲載して筆をおくこととする。
真人 「それは積み木ではなく悪意に満ちた石だ」
大叔父「それに気づくことのできる君にこそ、お願いしたい」
真人 「ダメだ。僕は外の世界に帰る」
大叔父「外の世界はこれから焼け野原になる。それでもいいのか」
真人 「大丈夫。アオサギのような友達を作ってなんとかする」