「もう積み上がり始めた積み木をどうするのか」君たちはどう生きるか Nekonenokoさんの映画レビュー(感想・評価)
もう積み上がり始めた積み木をどうするのか
今まで映画レビューというものをしたことはなかったが、この作品のレビューをしないわけにはいかないと感じた。今だからこそ考えなければならないメッセージが詰まっていた。
時代は第二次世界大戦真っ只中、主人公・眞人は特需に沸く工場長の息子で、疎開先にて不思議なアオサギに出会う。
アオサギに導かれるままにやってきた世界は、ペリカンやインコが練り歩く一種の「気味の悪い」世界だった…
この世界、千と千尋~を思わせる人外の世界と見せかけて、その実は戦争をそのまま体現した世界である。
刷り込みと教育によって均質化されたペリカンやインコは戦争を生きる大衆の象徴だ。長引く戦争の中、彼らは「敵を倒す」大義名分すら忘れ、ただ生きるために空を飛び、人を食べる。そして未来に生まれるはずの子供たち(わらわら)は人知れず殺される。この殺人を続けるペリカンに罪の意識はない。ただ今日を生きるのに必死になった結果なのだ。
彼らの中では新たに生まれる子供は新たな兵士であり、兵士が兵士を育てるループが始まってしまっていた。
こうした戦争の世界の最上階では大叔父様が石を積んでいた。最上階は緑あふれる世界。兵士のインコはこの世界を見て「ここは天国なのでしょうか」と涙を流した。そう、人々の対立の中、なんとか均衡を保って生まれた平和は、最早兵士たちには縁遠いものとなっていた。
石とは恐らく兵器、産業の象徴だ。技術を如何に平和のためを思って積みあげていっても、発展した産業はやがて不安定になり、崩れた時には大惨事が起こる。大叔父様は為政者として、何とかこの均衡を一日でも長く保てるよう、今日も石を積むのである。
だが、大叔父様の寿命ももう長くない。積み上げてきた平和ももう崩れそうだ。故に眞人にその未来を託したいと願い出る。
眞人はこの申し出を一度断っていた。理由は、彼にとって石は木のように新たな命を芽吹くものではなく、冷たい悪意の塊であったからだ。それに対して大叔父様は「それを知っている君にこそ託したい」と言った。
大叔父様の考え方は、現在、私たちの世界にて最も正しいと思える平和の築き方だ。産業や兵器は、悪意を持って発展させればすぐに崩れて戦争の種を撒いてしまう。だが一方でそれらの技術は人の生活を豊かにするためにも必要である。故にその悪性を理解した人間が、そうした種を撒かないように細心の注意を払いながら平和を築かなければならない。
だが、本当にそうだろうか?この問いかけこそが、宮崎駿がこの作品を通じて伝えたかったメッセージそのものだと感じた。一見正しいように思える為政者の在り方。だが、その結果大叔父様はバランスの悪い世界を築き、世界はいよいよ崩れそうになってしまったではないか。真なる平和を築くためには、根本的に異なる考え方で世界を作らなければならないのではないか。
眞人が大叔父様からの申し出を断った理由は、自分が石を積んでも、また同じことが繰り返されるだけだと分かっていたからだ。仮に新たに積まれる石がそれ単体では悪意のないものでも、積みあがる世界には、積み上げた人の意図が反映されてしまう。どれだけ善の気持ちを持っていたとしても、その意図に悪性が無いと誰が言えるだろうか。
映画は、積みあがった石を兵隊長が崩し、世界が崩壊することで終わりを迎える。そして、第二次世界大戦が終わった後の世界が描かれることはない。
すなわち、宮崎駿には分からなかったのである。真なる平和な世界というものがどう築かれるものなのか、ということが。だからこそ彼は「君たちはどう生きるか」という表題をつけた。自分には分からなかった「平和な世界を築く」ことを、未来ある若人に託したのである。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって久しい。米中対立は過去類を見ないほど悪化している。世界を何十回と破滅させるだけの核兵器が製造されてしまった。石はもうすでに積み上がり始めているのである。私たちはこの世界をどう生きればいいのだろうか。今一度根本的な部分から考えなければならないのではないか。