「『君たちはどう生きるか』の批判者について考えてみた」君たちはどう生きるか ミドランさんの映画レビュー(感想・評価)
『君たちはどう生きるか』の批判者について考えてみた
『君たちはどう生きるか』で言っておきたいこと二つ、三つ。
否定的な意見が多い理由について。
やってることは、宮崎駿のフィルモグラフィーにおいて、『千と千尋…』の頃から同じ、テーマ的にも映像・演出的にも、詰め込めるだけ詰め込んだ「全部乗っけ」の作品。
この作品だけが酷評されるのはおかしい。
でも、この作品が批判される理由は、よくわかる。
作品内容ではない、観る者に原因がある。
なお、私はそんなにまで、ムキになってかばう程のジブリファンではない。
むしろ、ラナやシータやクラリスを苛める、宮崎駿のいじわるロリコンっぷりが嫌いだった。
ロリコンはロリコンを嫌う。
スタンド使いはスタンド使いと引かれ合うとは逆の標語ですね。
さて、…『千と千尋』以降の、『ハウル』『ポニョ』『風立ちぬ』には、全方位に向かって喜怒哀楽を満足させようとしてくる、宮崎駿のスキゾっぷりがあった。
入れるテーマ、モノは全て入れてある闇鍋カオス状態みたいな内容だった。
でも、ちゃんと面白かった!
では、『君たちはどう生きるか』はどうか?
その違いは、鈴木敏夫プロデューサー主導の、宣伝なし・予備情報なし、の秘密戦略があった。
これにより、これまでの作品の豊富なスポンサーによるヒットを援護する宣伝がなくなった(今作において興行収入的には作戦成功)。
例えばテレビCMなどでの「ハウス食品は、スタジオジブリの新作『ハウルの動く城』を応援します」などがなくなり、つまり、その、CMなどで視聴者に印象付けられる、作品の一部紹介によって醸される【方向性】が一切なくなった。
ああ、これは、こんな話なんだ、と思わされることがなくなった。
⚪︎少女が迷い込む世界での成長
⚪︎おばあちゃんになっちゃった娘を愛してくれる魔法使い
⚪︎海の女王の娘が人間の男の子を好きになっちゃった
⚪︎空に憧れた青年が、航空機の設計士となり、病弱な奥さんとともに、戦争に突入していく
かように、まあ、見る者は、一行で語られるような話の方向性が、CMなど、もしくは作品紹介の数十秒の映像でナレーションとともに植え付けられる。
…だけども、そう言った事前情報がないことによって、映画を「誘導者」なしで観ることになり、自分の観点が進むべき、物語の方向性の道筋を、自ら探す訓練の出来てない者は戸惑ってしまい、つまらなく思えてしまう、のだろう。
いや、先程の一行概略以上に、「千と千尋」以降の宮崎アニメは、凄まじいギミック、サイドストーリー、色彩に彩られる。
そして今回、10年ぶりの宮崎駿の長編新作である。
SNSは、多くの問題をはらみつつも、熟成の時を迎えている。
ホームページ、ブログ、フェイスブックの時代からの意見者は高齢ともなり、批判はあまりしなくなっている。
良いとこを取り出した方が、残り少ない余生を楽しめるからだ。
でも、ツイッター、インスタなどの、比較的新しい、波及力のあるSNSでは、まだまだ、それを活用する者は「若い」「青い」、これは年齢のことではない、批評歴の浅さのことだ、そう言った人は、批判からはじめる。
批判できる自分に優越感を感じている側面もあろう。
巨匠にもの申しちゃう、しちゃえる自分、と言う優越感。
【10年ぶり】の宮崎アニメ新作は、その、恰好のマトになったとも言える。
わからないってことは、なかなか恥ずかしい側面もあるけど、わからないわからないと、それを根拠に批判できちゃう凄さ!
うらやましいほどの、それは「若さ」だ。
で、今回の宮崎駿の新作を見て、それぞれが下した判断こそが、「君たちはどう生きるか」なんだよなぁ。
さて、ちょっと作品内容に触れる話も書いておく。
大おじ様は、不思議な塔の中の世界を左右する、神のような存在であることに専念していた。
異世界に没頭していた。
だが、その世界は終わりを迎えようとしていて、次に、自分の血縁である若い主人公・眞人に、塔の中の世界の管理者を任せよう・移行しようとした。
これは、『エヴァンゲリオン』での、人類補完計画を推進した碇ゲンドウと、現実世界は辛く厳しいけど、そこに戻そう・戻ろうとするシンジ君と重なる。
宮崎駿監督は、この作品でも、まだまだ若く、貪欲で、昨今の流行りの作品に全方位で戦いを挑み、故に、こうしてエヴァも例外じゃなく取り込んでいる。
で、眞人も、シンジ君のように、ファンタジー世界で生きようとはせずに、家族で生きるに辛さもある…、戦争も激しくなる世界に戻って行く。
「君たちはどう生きるか」の答えを出すわけだ。
そして、ファンタジー世界で知り合う、若い頃の母親(不思議の国に迷い込んでいたエプロンドレスのアリスのような美少女)も、確実に死ぬ運命があるのに、【自分が亡き後の世界に希望を見い出し】、自分の現実・時代に戻っていく。
嗚呼、書いていてホロッとしてきた。
この、お母さんのパート、『想い出のマーニー』みたいだし、『まどか☆マギカ』みたいだし、
いや、これだけでなく、凄まじい数の既存作品に、宮崎駿は、若さをもってして、全方位に戦いを挑んでいる。
それは、「俺も、この程度なら同じふうにやれるんだぜ」ではなく、「俺なら、そのテーマをこう表現する、凄いだろ?」の、力を見せつけてきている。
宮崎監督、今作から、宮崎の「崎」の字を改名している。
ザキの右上の作りが「大」の字から、「立つ」の字になっている。
最初みたとき、なんか違和感を感じて、僕は、自分がゲシュタルト崩壊したのかと思っちゃいました。
しかし、これは、うげっ! 😵
新生・宮崎駿の爆誕を意味します。
この人、まだまだ、これから、やるんですよ。
なお、「千と千尋」以降の、混沌混濁した、とっ散らかされた、しっちゃかめっちゃかの宮崎作品ですが、
海外では大ヒットする可能性があります。
それは、海外版だと字幕になるからです。
難解と言いますか、庵野監督の「エヴァ」もそうですが、数々の読み解きを必要とする「千と千尋」以降の宮崎アニメですが、わりと細かいセリフで筋を通してはいるのです。
物語とセリフを詳細に考えていくと、なるほどと納得も出来るのです。
字幕は、その咀嚼により、記憶への定着が深い。
だから、海外での字幕での鑑賞で、評価が高まる可能性がある。
(追記)
と、ここで、新しい情報が入りました。
アメリカなどでは、海外のアニメの上映は、吹き替えが主流なんだそうです。
それじゃ、日本人が日本で鑑賞するのと、まあ、さして変わらない環境なんだね。
ありゃま、俺の終盤の主張が根本から覆された!