「毎日をただ丁寧に、積み重ねる。」君たちはどう生きるか N.riverさんの映画レビュー(感想・評価)
毎日をただ丁寧に、積み重ねる。
製作期間7年と確か、聞く。
しかしながらちょうど、今、この時にマッチするようなモチーフがちりばめられ、まるで昨日おとつい、作られたのでは? と疑いたくなるほどだった。
戦争も、複雑な家庭環境、その母子、父子、居場所のなさ、自傷自罰的行為と子供。もしかしてマルチバースも?
マルチバースは別格として、いつの世にもあるモノなのかもしれないが、どうしても目がいって仕方なかった。
表面的には異世界を冒険するファンタジーである。
そこには救出すべくヒロインがおり、仲間が現れ、出会いと別れが織り込まれ、ピンチと決断に満ちる。
だが一方でどうしても監督自身についてを巡らせずにおれず、
大叔父が長い月日をかけ、一つ一つを積み上げて創り上げた石を中心とした世界こそ「会社」、もしかすると「ジブリ」そのものではないのだろうかとうがってならなかった。
そこに継がせたい者はおれども、自分にはふさわしくないと、自身の世界を生きる事を宣言されるなど悲しすぎ、
創り上げた世界すら、すぐに積み上げることが出来る、と功を奏するあまり本質を見誤った内部者に崩壊させられ、そんなのないよ、と悲しみのあまり熱が出そうになった。
だとしてもう諦めるしかないのは、人生には終わりがあるからで、
だからこそ大叔父も、袂を分かつこととなった主人公へ毎日、少しづつ積み重ねて行く事だけは忘れるな、とメッセージを託している。
それでいいのか。
判断の是非を自身へ問いかければこそ、肯定を求め、根源であり存在理由の「母」は登場することとなったのではなかろうか。
きっと優しく、間違ってないよ、と言ってもらうために。
ああ、やっぱり切なさのあまり熱が出る。
はたして「君たちはどう生きるのか」。
自分たちの手で再び創るしかなくなった現状にお手並み拝見。
問いかけ、挑戦し、おそらくいくばくかの期待をよせていると思いたい宮崎監督の、厳しさが優しい眼光が目の前に浮かび上がって来るのである。
いや、私にはそう見えた。
そして同時にこれを色々なモノに置き換え、なら、わたしたちはどう生きるのか。
手品のように、全てが一度に変わることなど崩壊への序曲なら、
やはりひとつづつ丁寧に、毎日を丁寧に、積み重ねていくほかないと、
心に沁み込ませるほかなく。
最後かもしない監督からのメッセージを握り絞めるのである。
それって、当然のことなのだけど。
追記)
宣伝しなかったのは、一般のお客さんへ向けてつくった作品ではない、という意味ではなかったりしないのかな。
そうおもうと、毎日コツコツ積み重ねは、手書きセルのことで、一気にバババっとやって潰したインコが象徴するのは、3DCGとかコンピュータ技術のたとえでは。。。うがる。
傾倒して本来の姿を失い、バランスを崩して塔は崩壊とか深読みしてしまう。。。