「母の愛に救われるファンタジー」君たちはどう生きるか LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を聞く前に、自分の目で確かめたくて公開3日目に映画館に行って良かった。
タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、少年の母への思慕を描いたシンプルな映画でした。
以下の4つに分けて雑感を記します。
① 母への思慕全開
実母が結核で幼少期不在であった体験が「となりのトトロ」で描かれている事は有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への思慕の反映だと論じられる。男であれば、無意識に女性像に母がある程度反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに、その影響が出ていても不思議はない。
にしても、本作は母への思いが丸出し。
空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さ、そんなものはお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線。とても印象的。
疎開先の屋敷で自分の部屋に招かれて、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自身の幼少期の体験も思い出した。
母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読んで涙する眞人。メーッセージに感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。崩壊する塔からのが得るため、ヒミ(母)に連れられて、いろんな時代に繋がる扉が並ぶ場所に向かう。ヒミが神隠しにあった時代に戻ろうとする処、眞人が問いかける「その扉でいいの」(台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの?
」。しかし、塔は崩壊してしまうので、行く時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれてくる事実さえなくなってしまう恐れがある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、母への絶対的な信頼がある。母は仮に自分が若くして死んでしまう運命が待っていても、自分の母に為ることを選んでくれる。母自身の命をより、息子の命を優先してくれる。この台詞をヒミになんの衒いも重々しさもなく言わせている演出が心憎い。
②映画「メッセージ」との相似
未来を知っている母の決断として印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前の体験を、現在と同じ様に思い出せる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知って以降の辛さも、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 娘の運命を知った上だ、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが産まなければ、娘の存在した事実すらなくなってしまう。ならば、自分でも産めるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていたも、愛する子供を産むことに迷わない母の強さを感じる。
③世界を救うのではなく、「世界」が滅びる映画
自分が幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界を救っていた。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生物すら救おうとしていた。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」になると主題は家族や少女の内面に写った。「紅の豚」「ハウルの動く城」は戦争の陰はあるが、やはり主人公の内面が主題。やはりスケールの大きさは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」が最期。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も少女が異世界で成長するが、戻ってきた世界に何の変化もない。
本作も、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部の世界で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。世界は救われるどころか、変化しない。ただ、塔という閉じたモノではあるが、「世界」の崩壊を描いているのは今まで無い特色かも。「天空の城ラピュタ」はバルスでラピュタが崩壊するのがクライマックスだが、ラピュタはあくまで破壊兵器であり、やはり世界の崩壊を防ぐ物語。基本的に、物語の主題や舞台を世界や宇宙に求めるのは、人生経験の少ない若さの象徴な気がする。年を重ねると、自分の周辺にドラマが溢れている事を実感する。
④「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれると生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか?
それとも、生命誕生の象徴として描いているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、禍々しい塔と簡単に繋がっては欲しくはないので、わらわらから生まれるのは主にインコと考えた方が、心が休まる。