「母の愛に救われるファンタジー」君たちはどう生きるか LittleTitanさんの映画レビュー(感想・評価)
母の愛に救われるファンタジー
他人の感想を耳にする前に観たくて、公開3日目に映画館で鑑賞。タイトルから想像した説教くささは微塵もなく、母への思慕が溢れるシンプルな映画でした。以下に雑感を5つに分けて記します。
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1. 全開すぎる母への想い
実母が結核で幼少期不在だった体験が「となりのトトロ」で描かれているのは有名。ナウシカの母性溢れるスーパーマンぶりも、母への敬愛と論じられている。男であれば、無意識に女性像に母が反映されているもの。宮﨑映画の女性キャラに同じ傾向があっても不思議じゃない。そてにしても、本作は母への想いが溢れすぎている。
①空襲の中、母がいる病院に向かう冒頭のシーン。風景が溶け、前方に視点が集中する。逃げ惑う群衆、自身が爆撃されるリスク、行っても何も出来ない無力さなんてお構いなしに、ただただ母の身を案じる少年(牧眞人)の視線がとても印象的。
② 疎開先で案内された自分の部屋で、直ぐに寝落ちする眞人。表面上矍鑠としていても、慣れない環境で、知らない人たちと初対面すれば気疲れして当然。自分も幼少期、親戚に気疲れしていた。
③母がメッセージを遺した図書「君たちはどう生きるか」を読み涙する眞人。母の言葉に感じる愛と、もう会えない現実への絶望。
その他、シーンを挙げるときりがないが、尤も印象的なのは最終盤の扉のシーン。
④崩壊する塔から脱出するため、ヒミ(母)に連れられて扉が並ぶ場所に向かう。扉はそれぞれ、異なる時代に繋がっている。ヒミが神隠しにあった時代へ戻ろうとすると、眞人が問いかける「その扉でいいの」(初見なので台詞はウル覚え)。眞人の真意は「お母さんは、空襲で死んでしまうんだから、その時代に行って、自分を救わなくていいの? あるいは未来に行って生き延びなくていいの?」。しかし、塔は崩壊するので時代を選べるのは1度きり。もしヒミが自分の少女時代に戻らなければ、眞人が生まれた事実さえなくなってしまう可能性もある。だからヒミは迷わない。「だって、眞人のお母さんになれるなんて、素敵でしょ」。この場面には、宮﨑監督の母に対する理想像?あるいは実母への絶対的な信頼がある。母は空襲に焼かれる運命が知っていても、自分を産むことを優先するにに違いない! 母は自らの命より、息子の誕生を優先してくれるに違いない! ヒミがこの台詞を、一瞬の逡巡もなく、一切の衒いも重々しさもなく語る事に感動した。あいみょんの手柄か、監督の演出か分からないが、素っ気なければ素っ気ない程、胸に沁みる台詞回しに感じた。
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2. 映画「メッセージ」との相似
未来を知る母の決断が印象的な映画に「メッセージ」(Arrival)がある。言語学者ルイーズは、異星人の言語体系を解読する事で、自分自身が時を越えた記憶を獲得する。つまり、生まれた直後から死ぬ直前までの体験を、現在と同じ様に体感できる。そして、今隣にいる共同研究者と結婚し離婚する事、生まれた娘が不治の病で若くして死んでしまう事を知る。それでも彼女は、彼と結婚し娘を身籠る。この映画を見た時、自分はそこまで強くいられるだろうか慄いた。当然彼女は、娘の病を知った以降の辛さを、産む前から知っていた筈。それでも、その娘を産めるだろうか? 早逝する運命を知った上で、娘を明るく育てられるだろうか? でもルイーズが出産を断念すれば、娘が存在した事実すら無くなってしまう。ならば、自分も娘を歴史に刻むために産む勇気を持てるだろうか?
ヒミは自分の早逝、ルイーズは娘の早逝、抱える十字架は少し違うが、待ち受ける運命を知っていても、愛する子を産むことに迷わない母に、これ以上無い強さを感じた。
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3. 「世界」を滅ぼし、メンターから卒業する映画
幼少期に胸を踊らせた「風の谷のナウシカ」や「天空の城ラピュタ」は、世界が英雄に救われる映画でした。ナウシカに至っては、人間の肺を腐らせる腐海の生き物すら救おうとしてました。しかし、「となりのトトロ」「魔女の宅急便」で主題は家族や少女の内面に移り、「紅の豚」「ハウルの動く城」も戦争の陰をあるが、主題は主人公の内面でした。最期に世界を救ったのは、人間が自然や神を凌駕する室町時代を描いた「もののけ姫」。世界的評価を得た「千と千尋の神隠し」も、少女が異世界で成長するファンタジーで、現実世界は危機に晒されていませんでした。
本作も基本、宇宙から飛来した塔の中でおきるドタバタであり、外部で影響を受けたのは、旧家の4名(大叔父、母姉妹、息子)と女中1名だけ。やはり、現実世界は救われるどころか無変化なまま。一方、塔内に広がる「世界」は完全に崩壊。鳥人間?が息づく「世界」の崩壊は、ラピュタなる最終兵器を葬るのとは大きく異なる。初見直後は意図を計りかねていましたが、2023年12月16日放送された監督への密着ドキュメンタリーを観てよく分かりました。
主人公を塔に誘うアオサギは"鈴木敏夫"P、塔と伴に崩壊する大伯父は故"高畑勲"監督の象徴でした。高畑氏は東映映画入社時から宮﨑監督の先輩で、組合運動からアニメ製作まで伴にした同志。高畑氏が演出で、宮﨑氏がスッタフとして原画や場面設定を担当する作品も多い。ジブリ以降は監督としてスタッフを取り合うライバルにもなったが、知識も豊富で思慮深い高畑氏は頼れる先輩(メンター)であり続けたよう。だからこそ、2018年に高畑氏が亡くなった心の穴は小さくなかった。「君どう」の製作には、高畑氏に未だ依存している自分を振り払う意図があり、大伯父を塔の崩壊と伴に消し去る事は、高畑氏からの精神的卒業の宣言だったそうです。
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4. 何故父はスノッブか?
初見で感じた違和感の1つが、父・勝一の人物像。深手を負った息子を守ろうと動く等、決して悪く父親ではない。ただ、自己肯定感や溢れる自信を内に秘めないスノッブ(俗物根性)さも香る。疎開先も父の職業も、宮﨑監督の実人生と同じ設定。なので、実際のお父様の性格をそのまま反映している?とも思ってました。
しかし、TV放送時にデータ放送に掲載された「企画意図」で違和感が晴ました。企画段階の粗筋は「エディプス・コンプレックス(Ödipuskomplex)に陥った主人公が、幾重の扉に隠された母を救い出す物語」。Ödipuskomplexは、幼い子供が母に異性として惹かれ、父を敵対視する感情。つまり、眞人が母への愛情の裏返しに、父・勝一にそこはかとない嫌悪感を抱くように描かれるのが、そもそもの企画に沿った表現。宮﨑監督の実父がどんな人だったか、駿少年が父にどんな感情を抱いていたのかは別として、本作の勝一はスノッブに描かれるべき存在だったようです。
ただ本作が複雑なのは、母が2人登場する処。正確に言えば、実母には2形態(亡くなる迄の大人なヒサコ, 少女なヒミ)ある。なので、眞人が異性として惹かれた母とはどの母か? 戦火の中、駆けつけようとした病院に居た病弱なヒサコなのか? 塔で出会った強いヒミなのか? 姉にソックリな叔母であり継母になる夏子なのか? どの母も「好き」だから、降りかかる困難に立ち向かえた物語にも感じました。
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5.「わらわら」とは何か?
下の世界で出会う「わらわら」は生まれる前の命であり、浮上してペリカンに運ばれた先で生まれると説明される。しかし、この世界が塔の一部であれば、積石がぶった斬られた時点で一緒に崩壊する筈。塔の世界の住人がインコであるなら、わらわらの大半はインコとして生まれるのか? それとも、生命誕生の象徴として描かれているなら、下の世界は塔の一部ではなく、地球全体の生命の源なのか? 個人的には、我々の世界と禍々しい塔が繋がっていては欲しくはないので、わらわらから生まれるのはインコばかりと考えた方が、心が休まる。