「こんな解釈もできるのでは?」君たちはどう生きるか totohiroさんの映画レビュー(感想・評価)
こんな解釈もできるのでは?
・映し出された世界について
「君たちはどう生きるか」という映画を見る中、そして作中の大叔父様の作った世界を垣間見る中で、
僕たちはジブリの過去作を思い出させるようなシーンをたくさん見てきました。
ちょっとメタな視点で見てみます。
作中の大叔父様は、過去のジブリ作品を彷彿させる世界を作りました。
宮崎監督は、過去のジブリ作品を散りばめた「君たちはどう生きるか」という映画を作りました。
「映画を作る」=「劇場という空間に世界を作る」と読み替えると、大叔父様と宮崎監督は同じことをやっています。
そして、それぞれの作った世界は、とても密接な関係にあると言えます。この認識が大事です。
・石について
"石"は"意思"や"意志"とのダブルミーニングだと思います。創作的な面で言えば、伝えたいこと、メッセージと読み替えて良いかもしれません。
世界を作るために積み上げたられた石はとても不安定な状態にあります。
これは、そのまま、自分の創作活動・創作意欲というものが危機的状況にあるという意味にとれます。
悪意のある石については、第3者からの悪意と取ることもできそうですが、自分の内面の話と取りました。
自分の思考や感情はキレイなものばかりじゃなくて、ドロドロした汚い部分もあります。
そういった玉石混交のたくさんの"思い"をふるいにかけてようやく見つけたキレイな"思い"こそ、作品として昇華された13個の"石"です。
大王が石を積み上げて世界を作ろうとして失敗します。
誰かに与えてもらった"思い"をそのまま使って世界を作ろうとしてもダメなんです。
どろどろした汚い"思い"に向き合って、その中からほんの僅かのキレイな"思い"を探し出す、産みの苦しみみたいなものがあって、初めて世界を作れるんだと思います。
13個の石は切って捨てられ、大叔父様の世界は崩壊を始めます。
自分の作品に乗せた13個の"思い"を切って捨てたんです。
大叔父様の創造した世界は宮崎監督自身が創造した世界と表裏一体で、それを崩壊させちゃったんです。
伝えるべき思いも、創造する場所も残されてないんです。
つまり、「僕はもう作らないよ」という監督からのメッセージだと受け取りました。
・映画館での視聴が絶対
作中の主人公は、大叔父様の作った世界に入って、石(意思・意志)を拾って、扉をくぐって現実の世界へ帰ります。
僕たちは、劇場という空間に作られた宮崎駿監督の世界に入って、何かしらの思いを抱いて、ゲートをくぐって日常に帰ります。
同じ構図になってますよね。映画館に行って映画を見て帰宅するという過程の中で、主人公たちと同じ経験をすることになります。
少し踏み込みましょう。
主人公たちは大叔父様の作った世界に別れを告げました。
同じように、僕たちは宮崎監督の作った世界に別れを告げてきました。
そして、今回、宮崎監督が作った世界は、過去の自身の作品を集めたような世界でしたよね。
つまり、僕たちは「君たちはどう生きるか」の世界にさよならする中で、宮崎監督が今まで作り上げてきたたくさんの作品にもさよならを告げてきたんです。
僕たちの約2時間は、宮崎監督の過去作を思い出して、別れを告げるための時間でした。
今作の映画体験は劇場で見て初めて完成します。リビングや寝室じゃだめなんです。だってそこはあなたの現実の世界なんだから。
劇場という特別な空間に作られた宮崎監督の世界に入ること。そして劇場から出て現実の世界に帰ること。この物理的なプロセス経ることに意味がある。
そうやって初めて主人公たちと同じ体験ができる。その体験を通して初めてさよならが言える。そんな仕掛けだと思います。
・タイトルについて
作中の主人公が石(意思・意志)を持ち帰ったのと同じように、僕たちは何かしらのメッセージや思いを現実へ持ち帰りました。
これは過去作からずっと同じで、僕たちは宮崎監督の作品からたくさんのメッセージや思いを受け取ってきました。
でも、大叔父様の世界が崩れるのと時を同じくして、宮崎監督の創造する世界も終わりを迎えました。
もう僕たちに新しいメッセージを伝えてくれることはないんです。だからこそ、今まで受け手でしかなかった僕たちがどうするかを問われるんです。
「君らしっかりしなさいよ」と発破かけると同時に、「君らはどこまでできる?」というある種の挑戦状といえるかもしれません。
タイトルと本編が無関係という事はありません。
・事前情報なしの是非
賛否あるかと思いますが、僕は英断だったと思います。
この映画の目的は、
① 何かしらの思いを抱かせて現実に帰すこと
② 宮崎監督の数々の作品に別れを告げさせること
この2点だと思います。
ターゲットは宮崎監督の作品に触れたことのある全員だったはずです。でも、それができないこともわかってる。
だからせめて、「ジブリ」、「宮崎駿」と聞いて劇場足を運んでくれる人たちにはメッセージを伝えようとしたんです。
そういう人たちに宮崎監督の作品とお別れをする時間を与えようとしたんです。
興行的な面はもちろんあったでしょう。
でも、それだけじゃなくて、造り手としてこの人たちに届けたい、届いて欲しいっていうのを形にした結果が、あのたった1枚のポスターになったんだと思います。