「宮崎駿による宮崎アニメ」君たちはどう生きるか ipxqiさんの映画レビュー(感想・評価)
宮崎駿による宮崎アニメ
宮崎駿全部乗せ
生前葬だと思えば明るくていいな
誰も宮崎駿にはなれないし、ならなくてもいい
たとえ世の中が地獄でも、戦後日本はそのようにして始まっているし
観終わって時間が経つごとに、本当に死ぬんだな宮崎駿、という実感がひたひた押し寄せて来た
劇場で初めてラピュタを観た日から、私の人生をちょっと、だいぶ狂わせてくれてありがとう
(ナーバスになる前の所感)
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内容については後日書こうかと思ってますが、さっき思いついて黙ってられなかった部分
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セキセイインコはもしかして、ネット民のメタファーなのかな?
息子にとっては具体的な暴力を意味するが父(駿)にとっては単にやかましくてウンコを引っかけてくる程度の存在でしかない。
それなら現実にはあり得ない赤い羽色のがいたり、あっち側でかわいくなく描かれている(ここ重要)のも納得。
ペリカンは、現代の日本人ないしオールドスクールなアニメファンてとこかな。。
メフィストフェレス役の青サギは鈴木敏夫プロデューサーで、塔はジブリのスタジオ。
うんそれ、入ったらどえらい目に遭うよ、知ってる。
Twitterでペリカンはジブリのアニメーターだと書いてる人がいて確かに!と思った。でも動画のアレクサンドラ・ワエラエフさんは健在だったよ。
以下、内容についてメモ(ネタバレ)
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・大叔父、父、主人公は宮崎駿のようであり、また主人公に吾郎さんを投影してるように見える部分もある
・疎開先で駿と吾郎さんを思わせるキャラクターが出会って友人になる、みたいな話にもできたはずだが、そうはせずに同一キャラクターの中に両者の要素を感じる。
・父と息子を同一視してる?としたらキモいし、メッセージとも矛盾してくる
・もっとキモいのは母との関係
・靴の並び、継母と自分との間に父が割って入る。露骨なエディプス的欲望
・その一方で、ちゃんとお別れを言えなかった実母と再会して、恋人のように大冒険する
・きっかけは母の遺した表題の本。
・彼女は「王国」の崩壊を涙で見送ってくれる
・父は死の商人だし無神経で信用ならない男(キムタクゥ!)だが、息子も青サギを撃退するため武器の開発に血道を上げる。父と子の相似形。
・兵器(アニメ)製造にかまけて息子の屈折に無頓着な父は吾郎さんから見た父、駿?
・話は破綻してても構造は残る(冒頭にアクション、終盤にカタストロフィがあるとか)
・いびつではあるけど、意外と筋通ってるなと思ってしまった。宮崎駿のフィルモグラフィとか、ナウシカの原作とか、ネタが揃ってないと意味わからんとは思うけど
・作画的には服のしわ、人物のフォルムなど、絵がシャープ。冒頭の火災からトップギア
・バリバリもう1本くらい作れそうな現役感あったけど、それは本田雄氏ならびに最高の原画スタッフによる画面のおかげかも
・血だのジャムだの表情だの、やたらドロっと過剰で「おかしな」ところが駿で、ジブリらしからぬリアルなところは手が回らなかったのかなーと想像
あとは雑感
・この十数年、吾郎さんや若手を苦しめてきた「ジブリらしさ」とは何だったのか→児童文学や少女マンガを原作にファンタジックな少年少女の出会い?→結局は宮崎駿個人の芸風であって、その王国も間もなく崩壊する。それを継承する必要などないというメッセージなのかな
・若い世代や息子に向けた謝罪と贖罪であり、観客への長年の支持に対する感謝とお別れ(生前葬)
・観客が宮崎駿に期待するものはもはや宮崎駿も作らない、人がその人らしくいられる時間は意外と短いが、個人的にはかえってほのかな希望を感じた
・この先、日本が火の海に包まれることは駿の中では確定事項(新しい戦後)
・エンドロール、製作に吾郎さんの名前を見た時はちょっとホロっと来た。なんだよジブリアニメの主人公かよ(だよ)。
・財務、経理みたいなクレジットがあったのは今まで記憶にないけど、鈴木Pをめぐる醜聞の影響?
・あっちの世界でキリコさんが古代魚をさばく前の死者たち、服が東南アジアっぽく見えたのは向こうの戦死者という示唆なのかな?
お褒めいただきありがとうございます。もともと同じモチーフを繰り返す作家でしたが、今回は意図的な反復のように感じました。遺言状なんだと。
ゴジラに関してはまだなんとも…「戦中と戦後」にそなえなくては、と今日の鑑賞で思わされましたが
生前葬とは鋭いですね! 本人がどこまで意図していたかは解りませんが、世に出してしまった以上、お客さんに委ねたって事ですよね。戦後で言うならゴジラの新作にも興味あります。