「【考察】本音で生きろ、という宮崎駿監督からのメッセージ」君たちはどう生きるか 西さんの映画レビュー(感想・評価)
【考察】本音で生きろ、という宮崎駿監督からのメッセージ
つまりはどんな物語?
→母を亡くし、また思春期で心のバランスが整っていないマヒトが、自らの心に潜り無意識の自我(青鷺)と共にトラウマ(死んだ母との別れにケジメがついてないこと、母の妹との確執)に対峙することで、その原因の理解と克服に取り込みそれを果すことで、人生の新たな一歩を踏み出す物語。
キャラクターは何を象徴している?
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マヒト=人、一個人
館=自らの心の砦、精神世界
母=母なる土壌、生への渇望
キリコ=心の守護者、防衛本能
青鷺=無意識の自我。理性で押さえ込んでも抑えられない無意識下の本音。
ペリカン=死への渇望。死をもたらすもの。
インコ=論理性。理性。
先祖=論理を超えた無意識にバランスをもたらす根本。
物語の展開をどう考察するか?
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▼序盤
マヒトは母の死に目に会えず、また遺体も見てないことで、母の死に対し心にケジメがついてない。
そこに母の妹が新たな母として入り込み、新たな家を提示される。(その瞬間、無意識下でそれを拒絶し助けを求める青鷺が現れる)
マヒトは現実から逃れるため自傷する。その瞬間、ウソの理性(賢しく生きる術)が心を支配しそれと青鷺の対立が暫し続くが、母が贈った「君たちはどう生きるか」を読み、清く本音で生きる尊さに感動する(この時点で有意識は本音で生きるマヒトになっている。
(妹は本心では望まない結婚と妊娠(それを語る際常に彼女の顔が緊張していることがそれを示唆している)、そしてマヒトとの不和により精神を病み自死を試み森に消える)
なので妹を助けに危険な場所(森)に迷いなく足を踏み入れが、無意識下では自己との対立が続いている。
そしてマヒトは自己の心の砦(館)と入る。
▼中盤
精神の底に降りたマヒトは最初に巨大な墓=「死」と対峙し危うく引き込まれてそうになるが、守護者であるキリコの存在に救われる。
(墓の外観がアルノルト・ベックリンの絵画「死の島」とそっくりなことがそれを示唆する)
キリコと共に心の中の生と死の生態系(ペリカンと白いやつ(名前忘れた)の食う食われるの関係。そしてペリカンは死を誘うものなので、成長期の身体が生に満ちた環境では彼にとってそこは地獄となるか?)
マヒトは、マヒトと青鷺の関係は無意識下の本音とウソ(表裏一体)という関係に気づき(嘘つきの青鷺は本音しか言わないというやりとり(矛盾)がこれを示唆する)、共に妹を探しより心の深みへ潜る。
▼終盤
インコ=論理の世界では無意識の本音は抑圧される。なのでインコはマヒトを食おうとする。それを母=生への渇望、が助ける。
母と共に確執の原因(妹)を取り除く(理性の砦から解放する)が、理性の攻撃に返り討ちに合う。
インコの王(理性の支配者)は祖先に母を差し出すことで、心の支配権を理性に委ねるよう迫る。(無意識下の生への渇望に従って生きるのではなく、理性で生きようとすることで)
マヒトと祖先が対峙する。
祖先は石の積み木(科学技術に基づくもの。自然科学的信奉の象徴か)で精神のバランスをとっている。
先祖はそれを受け継がせようとするがマヒトはそれを拒み、木の積み木(自然を土台とした精神)的なバランスを主張する。彼は母の贈った本によりそれに気づいた。それにより生まれた自傷行為への恥が、傷を見せるシーンで示唆される。
そこへ理性が積み木を一刀両断し精神のバランスが一気に崩壊する。それを脱出し、木の積み木的生き方を選んだ事、自らの心に母が生きていること(母は死ぬことが分かりつつ、マヒトを生む道を選んだことをマヒトが知ったこと)を通して、心の砦から確執の根本を取り去り(妹を救い出し)、マヒトは現実世界にもどる。
バランスを取り戻したマヒトから青鷺は去っていく。
その時アドバイスを残す。バランスはいつ崩れるか分からない。その時は守護者(自分の心を守る行為。キリコが象徴)と理性(石の積み木、自然科学)を思い出せと。
劇場版ポスターは青鷺が描かれる。
鋭い目で我々を見つめる彼は、「君たちは無意識の自己と対峙しているか?本音で生きているか?君たちはどう生きるか?」という、問いかけに思える。
エンディングテーマの地球儀。これは日本人だけへのメッセージでは無論なく、人類全ての人に対するメッセージという意味を感じる。