「岡田斗司夫がウキウキで考察するやつ」君たちはどう生きるか oekaki09300さんの映画レビュー(感想・評価)
岡田斗司夫がウキウキで考察するやつ
※当感想はかなり主観入ってますし、決めつけのオンパレードなので、そんなことないんじゃないかという意見はごもっともなものになります。
昔から今もずっとジブリを見まくってました。
特に魔女宅と千と千尋が好きです。ナウシカやもののけ姫、ととろも。それぞれジブリらしさがあるのに面白さが違うとこに惹かれて。 ほのぼのと見れたりハラハラ出来たり時に考えさせられたりと。
特にキャラクターの生き生きとした描き方が魅力的でした。
主人公やモブは義理人情に熱く、甲斐甲斐しく溌剌としてて自主的に動くキャラクターが多かったように思います。
千と千尋からは今までと打って変わって自発的に動けない主人公になりました。
他作品はスタートから主人公や周りの人々が意気揚々と走り出しているのに対し、千と千尋はやけに受け身な始まり方。
今思えば、宮崎駿はそこ辺りから、時代の変わり目についていけなかったんじゃ無いかと思います。
千と千尋はマイナスなスタートから自主的になる千尋の成長を描くことで物語としては成立できる。
しかしその後は? もう描くものがない。
素直で実行力もあり賢い人達。
今の現代人には当てはまらない。
宮崎駿が好きだった活気に満ちて未来に希望を持てた時代じゃなくなったとも見えます。
迷走期に入ったようにも思えました。
(※引退したから手伝う形で入った。と明言してるとは言え、きっとガッツリ駿が監督したんだろうなあ笑 という目線で語ります↓)
今回きみたちはどう生きるか、考察もながめながら観ると、自分が愛した作品は過去として、今あなたたちが追う今時のアニメを愛してね というように捉えてしまいました。
でなければわざわざ、いろんなジブリの作品のオマージュを散りばめて置いて、塔と共に一緒に崩すだなんて意味ありげなメタファーを置くでしょうか。
所謂今時のウケてるアニメ、 (君の名はやそばかすの姫のようなセカイ系など、鬼滅、推しの子。など。)
どれも特にジブリらしくない作品。
それは違う人が現代に沿ってうまく作ったものなので当たり前ですよね。
宮崎駿はそれらの作品をうまく受け入れられなかったようにも見えます。
今こうゆうのが流行ってるのね。
僕は昔の方が良かったな、という。憶測ですけど。
私の感想としては、 宮崎駿の作品はこれにて終了です。愛した時代は終わりました。
というメッセージに見えました。大袈裟に捉えると。
それはそうとしても、それをわざわざ映像化しなくてもいいのではないかと思います。
さらに、最後まで観ると無意識的にも流行りのセカイ系にのっかっているようにも見えました。考えるな感じろ哲学ムーブかますのも、結局現代の波に影響されて皮肉にも思えます。
影響されずに今までのようにキャラクターを動かすか、受け入れて現代らしい部分を取り込んだ上でジブリ作品を作るか。どっちかの方が良かったように思える。
変に逆ばりして、
君たちはどう生きるか(キリッ) 作品を積み木に見立てて意味ありげな絵にしよう(どや) などなど。
現代社会に向けたわっかりにくいメッセージをふんだんにとりいれてなんだかよく分からないものをつくるのがジブリなんでしょうか。うまくメッセージを取り入れながら王道のファンタジーを作るんじゃダメだったのかな。
単純にジブリを次世代に繋げるって話ならともかく、崩壊というのも悪手な気がします。
ちょっと捻くれてるように見えました(あくまで主観です)
受け入れられないから、(引き継ぐに値する人がいない)ジブリはこれで終わりますって意味だとしたら、それは会社内で勝手に思ってくれて構わない。わざわざ映像化されて映画館で見せられても嫌みたらしいような気もします。内部の話ですよねそれ。わざわざ私たちに見せてどうするのか。アニメ映画にしてまで訴えたいことなのか。パンフレットの会談とかに裏話として載せた方が個人的に好きなような気がします。
宮崎駿という偉人が抜けたら、そりゃ別作品にもなるし違うものにもなるでしょう。当たり前です。 純粋にアニメ業界の未来は任せた!って綺麗に繋げる話ならともかく、なんか不穏でしたよね。次世代に任せる。は本意だとしてそこは素敵なんだけど、わざわざ崩壊という表現をするに駿の理想の世界は終わりです、と意味してるように見えました。
もし本当に引退するにしても、それこそ宮崎駿本人がこの世界からいなくなろうとも過去作品は私の中で崩壊しません。鬼滅が好きだろうと新海誠が好きだろうと全盛期のジブリは何にも上書きされずに好きでいる方達の方が多いのではないでしょうか。
現代人は今時のアニメを観て好きになって自分の作品は過去としお別れですさようなら、はちょっとなあ。勝手に持っていかないでくれ。
もう駿ワールド全開のジブリ作品は生み出されないのかもしれないけど、作品自体は間違いなく観た人の中に残ると思うので、崩壊じゃなくラピタのようにもう会うことはないけど残り続ける みたいな表現にしてほしかった(そうなると塔は宇宙にふわふわ飛んでく絵になるのかな笑)
大袈裟に言えばヤケになって壊してゴミ箱にポイしないでくれ。
最近の人はこれが好きなのか、もまた鵜呑みにしすぎないでほしかったですね。
正直JKが世界を救うために東京を走り回ったり少年少女が世界規模の難題に立ち向かう話も飽きてたりします。
小さな街で落ち込んだり立ち直ったり、豚が飛行機にのって男のロマンを感じたり、思春期まっさかりな子が将来と好きな男の子で悶々したりと、決して壮大では無いけど心に残る世界観だってやっぱり好きなんですよ。
今まで見てきた作品の中で宮崎 吾朗の作る物語に酷似してると思いました。
・人物の行動から信念の裏打ちが見えない
・回収しない伏線が多すぎる、大きすぎる
・「駿っぽい」と感じる既出の作品から演出の引用
・無駄に無表情
・無駄に大げさな表現
・音楽の使い方がハマってない
・食事が美味しそうじゃない+食べ方が下品
これは駿の名を冠した吾朗の作品だと思います。
羊頭狗肉よろしく
駿頭吾朗肉
まあ今のところ私が立てた仮説より1番有力な考察は アニメばかり見てないで現実に向き合いなさい 説が有効かなあ、と。 だとしたらやっぱりまあまあなヤケは起こしているようにも見えますw
ゴミ箱にぽいなんてしてないと思います。
長々と自分の考察を失礼します。
私はラストに登場した夏子が産んだ小さな男の子こそ宮崎駿だったのでは?と考察しています。
この物語は主人公の少年が大人になる物語であり、本当の母との決別、新しい母を母と認め、自らの過ちを受け入れ大人になる物語でした。
物語で中盤に生命の誕生についてあれこれ説明があり、わざわざその内容を入れている点や、身ごもっている夏子を助けに行くという進行にしたこと。
宮崎駿の幼少の体験と照らし合わせると、むしろ後妻夏子と父の間に生まれた幼子の存在を主人公が赦すことこそが宮崎駿自身の存在を認めるということではないのかと。(宮崎駿の父は大恋愛で結婚した最愛の妻に結核で先立たれ、その後新しい妻を迎え、後妻との間に出来たのが宮崎駿監督という内容を昔に拾い読みした記憶があります。真偽は不明なので話半分くらいに。)
ただ、もしそれが本当であれば、この映画はもうそのままですよね。ド直球過ぎますよね。
ちなみに夏子の子供が宮崎駿自身であればこの話は宮崎駿がこの世に生まれ落ちるための話。この映画の後から宮崎駿の人生は続いていきます。
この考察どうでしょう?
宮崎駿はこう生きた。さぁ君たちはどう生きるか?
投げやりになんてなっていませんよ。
手法はどうであれ、沢山の人に見てもらうためにプライドを捨てて殴りかかって行ったんですよ。と勝手に思っています。天晴です。巨匠にふさわしい最後でした。