きみの色のレビュー・感想・評価
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危なっかしい
殆ど初心者の3人でバンドを組んで、人前で披露するなんて何だかとても危なっかしい感じがしましたが、それなりにまとまってたし、みんなも乗ってくれて良かったですね。何となく色んなものから逃げていた3人が前を向いて行くキッカケになって良かったです。
淡い青春の1頁 。
トツ子、きみ、ルイがとつじょバンドを組むことになり友情を育んでいく。
トツ子の ”バンドやろーぜ” 発言が唐突過ぎて、言った本人すら、アワワヽ(;´Д`)ノ、私はいったい何てことを口走ってしまったんだ状態でうろたえてしまっている。
カトリック系の高校に通い毎日祈りを捧げる敬けんなクリスチャンだから、神の啓示、天啓が閃いたに違いない(^^)。 「汝ら3人、バンドを組むべし」
トツ子をしろねこ堂に導いた白ネコさんも神の御使いで、3人の出会いも神の御業であり奇跡の出逢いである。ウンウン(^^)。
ただしルイ君は”作永きみ”をナンパした感がチョッピリある。行きつけの古書店でキレイな同世代女子がギター弾いているとなれば、そりゃあ同世代男子が気にするのは当然である。
やっぱしルイ君、チョッピリではなく、ガッツリ ナンパである。
3人にはそれぞれ抱えた悩みも有るのだが、それを深く詳細に描いてドラマにして行くわけではない。回りから見れば別にドラマチックでもセンセーショナルでもない普通の日常かもしれない。
だけど3人にしてみてば新しい出会いとバンド活動はかなり刺激的であり、個々に抱える事情も当人たちにとっては重いものである。そして映画ではそれに伴う喜びや悲しみの感情が、表情、しぐさ、色、音楽で細やかに表現されていく。
印象に残った所など
・トツ子が学校を辞めたきみを探す。だけどトツ子は、きみの色を見つけられない。トツ子の回りは白く色褪せてしまう。
別れや何かを失ったことで心にポッカリ穴が空き、空虚感から世界が色褪せて見えるのは、これまた皆さまご存知のとおり。
・トツ子ときみが懲罰のゴミ拾いをする。これ高校時代のの思い出としていつか懐かしく思い出されるやつかもしれないと思った。
・シスター日吉子がトツ子にロック系のバンドGod almightyをやってたことを消し去りたいと言うと、トツ子はお気に入りの祈りの中の一節 「変えられないものは受け入れるウンヌン」を伝える。
「おお、シスターも若い頃はブブイブイ言わせてたんだな。けどシスターにとって消し去りたい黒歴史なのかな? 」 などとも思った。
・島を去り東京へ向かうルイ君。ルイ君の乗る船に気づいたきみは埠頭を走る走る。埠頭を走るきみにルイ君も気付く。僕はこの船から見た埠頭とそこをダッシュするきみの遠景が1番好きな場面だ。トツ子も後から走る走る。
埠頭の端まで来た2人は船に向かって大声で叫ぶ。この時のきみの叫び声がスゴくて、声優さん声つぶれちゃわない?大丈夫?などと余計な心配をする。
・観賞後、ポスターのタイトルを見て 作永きみの ”きみ” と”君” のダブルミーニングであることに気付く。
気付くの遅えよオレ、何でフライヤーや 映画.com の解説読んだときに気付かんかなあ。せめて鑑賞中には気付けよと思った次第である。ずっと ”君” だと思ってた。
世界がきれいに見える、素敵な時間を映画館で。
ルックバックを観にいくたびに目にしていた本作の予告編。
感じる映画だと期待して鑑賞し、素敵な時間をすごせた。
トツ子がみる色とりどりの世界に序盤から心を奪われる。
長崎が舞台ということで、土地ならではの花やきれいな海はもちろん、人々まで色がついて見える、こんな世界があったらな、と思う。
キリスト教の学校や教会の神聖さ、静けさも、鑑賞者の背筋が伸び、作品に集中できる環境にさせてもらった。
キャラクターも優しくも繊細なタッチで表情を見ているだけで楽しい。万人に媚びず、アニメアニメしてない作風に好感が持てる。
声優は「色」という観点では、声に色がつきすぎていない俳優陣がとても良かった。たぶん有名俳優が声をあてると、それだけでイメージが引っ張られてしまっただろう。
そして、この作品のもう一つの中心である、音楽。
「音が色に見える」という言葉の通り、キャッチーで、楽しくて、鳥肌がたってしまった。
きれいで美しい世界観の中でロックとポップな楽曲のギャップが良い刺激になっている。
物語に大きな展開はなく拍子抜けする人もいるかもしれないが、あくまで「色」を際立たせるための土台のようなもの。
ストーリーの浮き沈みで観客の気持ちが動いては雑音が混ざってしまうので、ちょうどよかった。
色で、光で、音で、そして表情で楽しむ、素敵な作品だった。
水金地火木土天アーメン〜
ほっこり
変えられぬものを受け入れる冷静さ
ストーリーが弱く監督の趣味全開の作品?
設定は長崎のミッション系の学校で雰囲気はありますが、ストーリーが貧弱です。
人間関係の描写も「色が好き」だからということで済まされいる印象を受け、自分自身を登場人物に投影したりすることは困難です。
また、「花」「鳥」「動物」「食べ物」のカットがたくさん出てきますが、ぶつ切れでストーリーの腰を折っています。
エンディングのMr.Childrenの歌が浮いているような印象を受けました。聲の形の際のthe whoのMy generationの方がまだ違和感なく聴けました。
昔のジブリは鈴木敏夫氏が上手く大衆化したと聞いています。山田尚子監督の才能は素晴らしいと思うので上手く周りのスタッフが大衆作品に落とし込んで欲しいと思いました。
すごく優しい気持ちになれる
「けいおん!」からのコンビ、山田尚子監督と吉田玲子脚本作品なので公開を楽しみにしていました。
人に色を感じる女の子トツ子が綺麗な色を持っていることで惹かれたきみちゃんとひょんなことでバンドを組むことになったルイ君の3人の青春物語。
物語全編、悪い人が出てこないからスリルやサスペンスとは縁遠く、観る人を選ぶかもだけど、自分としては優しい雰囲気は良いなぁと思うし、観終わった後もふわりとした気持ちになりました。(特に学校の先生であるシスター日吉子の心配りはジーンとするものがあった)
京アニ時代の作品「リズと青い鳥」に通じる、いやそれ以上のゆっくりとした流れで、最後の方はきみちゃんがルイ君に恋している感じが出てるんだけど、それがほんのりと感じるところで抑えていることがすごく好ましかった。
クライマックスのバンドの演奏も素人っぽさが出ており、(楽器もキーボード2人とギターとテルミン??)今のブームであるバンドアニメとは一線を画す物語と感じました。
教会と市内電車で九州出身ならすぐに舞台は長崎市内だと思いましたが、エンドロールで上五島ってあったから、えつ!ルイ君は上五島に住んでるの?長崎市内と上五島ってそんなにすぐに行けるの?って疑問はありますが、その辺はアニメの御愛嬌ってとこですかね。
謎、ふんわり不思議系、意味不明
水面のきらめきを見ているような感覚と近いのかも。
賞を取るのも納得 絶妙なバランス感に拍手
話題に上がり始めてから情報をなるべく耳に入れずに鑑賞。
先入観は少な目での感想。
3人だけじゃない 先生や親も含めてそれぞれが良い距離感だった
出会いの場所となったしろねこ堂もワクワクさせるけどファンタジー過ぎずステキだった。
もっと色をゴリゴリに押してくるかと思ってたけどそうじゃなかった
色についての能力が一つの色になっているっていう感覚は見事だったし
音楽で個性を出し、それぞれの色が混ざる、包み込む表現は美しかった
ステキなセンスの世界観。世界に受ける世界観だと思った。
不思議さと現実の交差するアニメの世界でテルミンをぶち込んできてカセットに録音
表現は語彙力無くて申し訳ないけど正直しびれました。
見てるだけ、聴いてるだけで鳥肌が立つことが多く、さすがの展開と音楽。
海外の人だったら終わったらスタンディングオベーションだなーと
自分も拍手をおくりたいと思いながらエンドロール後も席で少し余韻に浸っていました。
先生も見事だったなー。ガッキーぽい役だなーと思ってたら
そのままガッキーだったのはちょっとうれしかった。
映画館で観るべき作品。
がっかりしました。
半年前から楽しみにしていた本作品。
端的にいうと全く面白くありませんでした。ここまでお金を払って後悔したのは、過去を振り返っても覚えがありません。
主人公日暮トツ子は人を色で識別する女の子なのですが、まず第一にこの設定がいまいち活きていない気がします。
様々な葛藤や悩みを前にしてそれを色で表現するのかと思いきや、特段何か起こることはなく淡々と物語が進んでいき観ているこちら側は見事な肩透かしを喰らうことになります。ちなみにこの現象は他のキャラクター、ひいては作品全体で行われます。
それでも時には各場面で色が交わり、そこから発展するようなこともあるのですが、私的には誰かとの対話や他の人物が感情を波立たせた瞬間には「こういう色になるんだ」といった内面での発露を視覚的にわかりやすく表現して、もっと色を全面に押し出した内容にすれば良かったと思います。
他二人のバンドメンバーについても色々ありますが、特に作永きみの退学に関しては疑問が浮かぶばかりです。高校生という親の庇護下にありながら(彼女の場合は祖母)独断で学校を辞めるという決断をする、というのは百歩譲ってのみこみましょう。ですが、厳格かつ格式高そうなミッションスクールで、親元に何一つ連絡がいかないというのは如何なものでしょうか? その上辞めた理由がしょぼすぎます。いくらなんでも見切り発車すぎて、若さ故の過ちという一線を超えた向こう側に彼女は立っています。つまり意味がわからないのです。
そしてバンドメンバー唯一の男の子影平ルイに関しても、とってつけたような悩みでそこには物語としての面白みが感じません。
というか演奏シーンの最後の曲、シスター日吉子と主人公の友達以外は初見だった? にも関わらずなぜあんな仲良く踊ってるんです? 腕を組んで楽しそうに踊っていたシスター達も少し前まで、一ヶ月の反省文と奉仕活動させてましたよね?
最後の最後に安っぽいミュージカルを見せられて、これで溜飲が下がると思っていたら大間違いですよ。いつだって、観客は置いてけぼりになってました。
しまいには演奏後にバレエを踊って、不意に「色がわかった」なんて言われてもこちら側は「?」で一杯です。
公開二日目、シアターには三百席も用意されています。
ですが、七人しかいませんでした。選りすぐりの精鋭達です。
その精鋭達が明かりがついた直後、余韻に浸ることもなく皆同じようにして俯き、背中を丸めながら一直線に同じ方向に向かって歩き出しました。
帰りのエレベーターに精鋭の内、私含め三人が同乗していましたが、その内の一人が携帯を見ながらため息を吐いていたのは忘れられません。
それがこの作品の完成度を物語る何よりの証左だと思います。
彩りあふれる音楽活劇青春アニメ
青春群像劇の(数回の鑑賞後に評価アップ)
プロットのような、基本形をなぞったような作品。
しかし見所や面白さがない訳ではないので、鑑賞に耐えうるに充分だと思う。
まずトツ子ちゃんがとても可愛いこと。
容姿ではなく性格や行動がとても可愛らしい。
彼女は人が発する色が見え、たまに変な子扱いされるらしい。
キミちゃんは優等生である重圧に耐えられず学校を辞めた女の子。
聖歌隊のエースであり育てのお婆様も学校の卒業生であることから、もしかすると彼女は将来的にシスターになることを期待されていたのかも。それが自分のしたいことなのかを悩んでの退学だったのでしょうか。
ルイ君は音楽がやりたいが、離島の医師をする母の跡継ぎになる為に期待を受けている。
そんな3人がひょんな事からバンドを組み交流が始まります。アオハル、青春です。
2時間弱に収める為に掘り下げが無いのが残念だが最後のライブシーンはとでも良かった。
キミちゃんのお婆様とルイ君のお母さんがとても美人で素敵だ。
人の期待に応える為に自分を律するのは辛いが、期待を裏切るのはもっと辛い。
その辺りはトツ子ちゃんが帰省先から帰る時に両親からいっぱいのお土産を持たされてるシーンや、キミちゃんのお婆様がパート先で修学旅行のしおりを持つ女子校生達を見掛けるとこで観て取れる。
私も早くに親元を離れたのでトツ子ちゃんのお見送りシーンは結構くるものがありました。
ライトに創られた作品ですから気分の落ちてる時に観ると良い作品ですね。
とにかく絵が優しく綺麗です。
最後にルイ君が離島から大学へ行く為に旅立ちますが、この3人の話はまだ続くのかもしれません。
エンドロール後3人が動画におさまるシーンの後、end、finでも 終 でも無く "see you " とありましたので続編があるのかもね。
期待してます、トツ子ちゃんにまた会いたいですね。
追記
数回見直して印象が変わりました。
何度も観ることで彼らに感情移入してしまいます。
最後のライブの後のトツ子のバレーダンスシーンに魅了されます。何度観ても飽きませんし、ずっと観ていたい。
もっと評価されていい作品です。
見事な傑作
山田尚子監督にとっての「癒し」の映画。世界の安寧を祈る乙女の軽やかな舞に涙する。
これはきっと、
山田尚子監督にとっての、
ヒーリング・ムーヴィーなのだ。
この穏やかで、静かで、ひそやかな、
それでいて、やたらカット割りの多くてせわしない、
幸せなようでいて、どこか翳のある映画を観ながら、そう思った。
山田監督が、結局のところ、
あの事件のことをどう考えているか、
僕にはわからない。
だけど、世界が終わるような、
何もかもが根こそぎ奪われるような、
それこそ立ち直れないほどの強烈な打撃を
その身に受けただろうことは容易に想像がつく。
仲間を喪っただけではない。
「女性監督」をめぐる犯人の身勝手な動機は、
きっと彼女を打ちのめしたはずだ。
本当に、あんなにひどい話はない。
京都アニメーションという会社は、
そんななかで、見事に甦ってみせた。
「不死鳥のように」とまではいかないかもしれないが、
石原監督以下スタッフは、『メイドラゴン』『ツルネ』『Free』『ユーフォ』と律儀に続編制作にいそしみ、むしろどこまでも「通常営業」を貫くことで、不屈の闘志と、前を向き続ける勇気を僕たちに示してくれた。
一方、山田監督は、京アニを離れた。
新天地を求めて、湯浅政明のところを頼った。
『平家物語』では、いままで依拠してきた「青春」と「萌え」の文化からも離れて、古典とアートアニメの世界に身を投じた。
最初に言ったとおり、僕らに山田監督の胸のうちはわからない。
よしんば、僕の知らないところで何かを語っていたとしても、
彼女の味わった絶望と、恐怖と、慟哭と、厭世と、自罰の感情は、
決して僕らには想像できないほど、深く、重いものだったに違いない。
そんな山田尚子が、「青春」と「音楽」の世界に新作を引っ提げて帰ってきた。
どんな話をつくってくるかと思ったら、
いままでのようでありながらも、
いままで以上にどこまでも優しく、
いままでよりもどこかほの暗くて、
いままで以上に自分をふるいたたせるような、
そんなアニメをつくってきた。
心に疵をかかえて、
コンプレックスに苛まれ、
それでも、まわりをきづかって、
うまくふるまえない少年少女。
それを温かく見守り、ときには優しい罰を与え、
彼らの決断を後押ししてくれる親と教師と仲間たち。
『きみの色』の世界は、どこまでも優しい世界だ。
弱くて繊細な人達が、つながり合い、認め合い、癒し合う、温かい世界だ。
ここは山田監督にとってのユートピア。
あるいは、サンクチュアリ(聖域)。
あるいは、レフュージ(避難所)だ。
ズタボロに傷つき、動けないほどに打ちのめされ、それでも前を向いて歩こうとする山田監督が、世界と折り合いをつけて、ふたたび歩き出すための、「こんな世界であってほしい」という理想郷。彼女がこれまで描いてきたような子供たちが、自らの心の傷と向き合い、親の世代と和解して、地に足をつけて世界へと羽ばたいていく物語。これは、山田尚子自身のリハビリテーションとレザレクションの映画でもあるのだ。
逆にいえば、彼女にとってはおそらくまだ、現代を舞台とした物語で、「ストレス」を描くことは、とてもしんどいことなのだと思う。
世の中の「悪」を描くことは、途方もなく恐ろしいことなのだと思う。
いまはまだ、せめて映画のなかだけでも、誰もが優しくて、誰もが美しい世界であってほしいと、そんな思いをこめてつくった映画なのではないか。
そう思ってパンフを読んでみたら、山田監督自身、こんなことを言っていた。
「今回の作品はストレスじゃない部分を大事にしていきたかったんです。生きているとストレスばかりなので、せめて映画の中くらいはこういう環境があっていいんじゃないかという気持ちもありました。裏切らない裏切りみたいなものもいいだろうかという気持ちですね。ちょっとした反骨精神でもあります」「できるなら許せる人でいたいし、許される人でいたい。そういうところも届くといいなと思います」
本人はそれ以上踏み込んで発言していないが、音楽監督の牛尾憲輔の言葉からは、まわりのスタッフがどんな想いを秘めて監督を支えていたかが、ひしひしと伝わって来る。
「まず山田尚子という人はアニメーション監督というよりも映画作家だと思うんですが、〈どんなに悲しいことが起きたとしても世界は常に美しい〉ということを信じているというのが作家性のひとつだと思います」
だから、僕はこの映画を、山田監督が信頼できる仲間たちと作った、自身を癒すためのヒーリング・ムーヴィーとして、全幅の共感をもって観た。
考えれば考えるほどに、「これは私的な映画だ」という気がしてくる。
そこには、彼女が京アニで培ってきたさまざまな要素が、万感の想いをこめて振り返られているような気もした。
― ― ― ―
いちばんわかりやすい例でいうと、
本作のキミとルイって、同じ齢で出会うことのできた、高坂麗奈と滝先生っぽいよね(笑)。
黒髪ロングで、おそろしく不器用で、コワモテだが繊細でいちずなキミちゃん。
天才肌で、音楽的才能で2人を引っ張る、フェミニンで穏やかな性格のルイ。
何より、テルミンは「指揮者以外では唯一の、楽器に触れずに音を奏でる楽器」であり、その演奏姿はとても滝先生の指揮姿に似ている。
ここは、先生と生徒という枠組みの外で、麗奈っぽい少女と、滝先生っぽい少年が、自然に交情し、友情を育み合う「夢の舞台」として機能している。
学校の先生(シスター)も実は若かりし頃はロッカーだったというエピソードは、もちろん『けいおん』へのオマージュだろう。
今回のバンドが『God almighty』、さわ子先生のバンドが『DEATHDEVIL』というのもなんだか符合を感じる。「God」の文字は、『けいおん』からさらにさかのぼって、『ハルヒ』の学祭シーンもうっすら想起させるわけで。
ヒロインのトツ子は、やりたいようにやって、それなりに暴走しながら、仲間に受け入れられ、愛されている。親もいい人、先生もいい人、友達もみんないい子。
このへんは、とても『けいおん』によく似ていると思う。
僕個人は、唯のやっていることがあまりにいつも身勝手過ぎて、しょうじき『けいおん』はあまり好きになれないアニメだったが、今回のトツ子は、ただの前向きな不思議チャンではなく、ちゃんとコンプレックスがあって、相手に寄り添う観察眼があって、悪いことをしたら上にしっかり叱ってもらえて、相応の罰をこなすことで次のフェイズに進んでいくという意味で、とても受け入れやすいキャラクターだった。
他にも、少女たちのインティメットなふれあいの様子には、いかにも『リズ』を思わせるところがあったり、相変わらずの「足フェチ」ぶりを発揮していたり(坂を横歩きで登る、前のめりに歩く、忍び足、教師の華麗なステップ)、あえて「アイスクリーム」(=氷菓)といわせてみたりと、僕はこのアニメを「楽しかった京アニ時代の仕事へのオマージュ」として、しんみりとした気持ちで観ていた。
― ― ― ―
だからだろうか?
ラスト近く。
テルミンが奏でる少しマヌケな『ジゼル』の音楽に合わせて、トツ子が踊り出したとき。
なぜか、僕は急に涙が抑えられなくなった。
泣くようなシーンでは全然ないのだが(笑)、
なんだかぎゅうッと、胸が締め付けられるような思いがしたのだ。
もしかすると、本来的に音楽のもつ特別な力もあるのかもしれない。
出だしがリヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』を思わせるからか、
テルミンのあの音が『デリカテッセン』のミュージカル・ソーの音色を彷彿させて、僕の郷愁をそそるからか。
だが、それだけではないような気もする。
映画の展開とも、物語のナラティヴとも、あまり関係のない踊り。
でも、登場した瞬間、ガニ股の「足の形」で
これからトツ子が「バレエを踊る」ことは、踊る前からわかる。
聖化された庭で、ぽっちゃり娘が躍動する。
自らの過去の心の傷から解放されて、飛び立つかのように。
これから始まる親友たちの新たな前途に祝福を与えるかのように。
世界のすべての幸せな日常に、祈りをこめるかのように。
きっとここで踊っているのは、
トツ子でもあるし、山田尚子監督でもあるのだろう。
それは、過去にいろいろあったことへの、
もう二度と会えなくなった仲間たちへの、
鎮魂のダンスでもあるのだ。
いやなことを忘れて、前を向いて歩くための、「地鎮」の舞。
だから、僕は「浄化」されるように、涙を流した。
山田監督の切なる祈りの深さに、無意識のうちに感応した。
『平家物語』で「諸行無常」の境地に想いを馳せ、
『きみの色』では小さな世界の小さな幸せを描く。
こうして、山田監督は一歩ずつ、また次の世界へと歩いてゆく。
僕はそんな監督を、心から応援したい。
そんなことを、作画協力に、シャフトやゆめ太カンパニーやガイナ京都まであるのに、京アニがいないクレジットを観ながら、僕は思ったのだった。
― ― ― ―
あと、もう一点だけ、触れておきたいことがある。
それは、なぜ舞台が「長崎」なのか、という話だ。
パンフでは、適度な田舎感と、人々の距離感が良かったと監督はさっぱりと答えているが、果たしてそれだけなのだろうか。
僕は思う。
まず何より、長崎は「坂の街」だ。
誰もが常に、徳川家康のように坂を上り続けている。
風光明媚で、情緒があって、歴史と自然に恵まれた街。
でも、生きていくためには、常に坂を上りつづけなければならない、なかなかに大変な街である。
この「恒常的にストレスはあるけれど、住み慣れれば美しくて人々のつながりの気持ちいい街」という部分に、山田は自分の今生きている世界とのアナロジーを感じ取ったのではなかったか。
さらには、長崎は「神の街」だ。
今回、山田監督はアニメとしては珍しいくらい、ミッションスクールの「宗教性」に踏み込んで描写している。
山田監督がクリスチャンがどうかは知らない。
でも、この物語で、神に頼ること、神にゆだねること、神に許しを請うこと、神にすがって生きることは、茶化すことなく、とても真摯に描かれている。
僕は、山田監督自身、いまは何らかの超越的な存在に、強く想いを馳せているのではないかと想像する。彼女が背負っている重荷は、もはや「人にすがったり」「自分で超克したり」することで乗り越えられるようなものではない。彼女がマントラのように唱えているのは、まさに作中登場する「二ーバーの祈り」(「変えることのできないものを受け入れる」)なのだ。だからこそ、監督は「神が本当に信じられてきた」長崎という地で、街の伝統と文化をたよりに自らの苦しみを神に預け、ひとときの安らぎを得ようとしたのではないか。
そして、長崎は「悲劇の街」でもある。
大きな戦禍があって、理不尽な大量死があって、そこから復興を成し遂げた街だ。
実際のところ、山田監督もそんなことは意識していないのかもしれない。
でも、山田監督が長崎に「惹かれた」、あるいは長崎が山田監督を「呼んだ」底層には、きっとこのことも影響していると僕は考えざるを得ない。
― ― ― ―
その他、ぽっちゃりしかいない謎のダンス教室(いやあれは『メイドラゴン』のカンナのような単に「幼い」描写なのか?)とか、若者たちが作るのがなぜ思い切り80年代ニューウェーヴ臭の濃厚なテクノフュージョン3題なのかとか、「音の共感覚」を彷彿させる「人と色の共感覚」が本作で持つ本当の意味とか、「きみの色」と「君の色」の掛詞の話とか(ラストの「赤」はそう来たかと)、いわさきちひろを思わせる色彩感覚とか、『動物のお医者さん』と『天使なんかじゃない』の意味合いとか、いろいろ言いたいことはあるのだが、紙幅が尽きました。
ヘンにギスッたノリとかを期待しないで構えずに観に行ったら、きっとみなさんも浄化されるはず。けっして陽気ではないけど、基本前向きな気持ちになれる映画だ。
こぢんまりした作品に見えて、山田監督にとっては「どうしても作らねば前に進めなかった」大切な作品なのだろうと、僕は思っている。
優しくも、設定ミスの作品?
監督と音楽監督に期待して
山田尚子さんと牛尾憲輔さんの「平家物語」がとても良かったので、このタッグに期待して見てきました。
なので画と音楽が目当てで、やはり随所に平家物語のアニメに通じる表現があって楽しめました。
音のエフェクトのかけ方とかが、牛尾さんらしいなとか。ただ、平家では全編にわたって牛尾さんの音楽でしたが、本作ではそういうわけにはいかないのでその点はちょっと物足りなかったです。平家の"purple clouds"のような牛尾さんのメインテーマ音楽が欲しかったところ。
画ではたとえば瞳の描写が平家のそれを彷彿とさせるものでしたし、本作では山田監督の美しい色彩をより堪能できました。
正直なところ何を訴えたいのかは私にはよくわかりませんでしたが、特にメッセージ性は無く青春の一断面を美しく切り取った作品として見ればいいのかもしれません。
けいおん!とは違った魅力のバンドストーリー
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