「東日本大震災の時にもう日本は壊れていた」「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち はんぱかさんの映画レビュー(感想・評価)
東日本大震災の時にもう日本は壊れていた
このドキュメンタリーの舞台、宮城県 石巻市立 大川小学校は、東日本大震災の津波に遭い、教職員と児童が集団として亡くなった、唯一の学校でした。学校の直ぐ隣りに小さな山があり、そこでは授業の一環としてシイタケを栽培していたそうです。子どもの足でも、校庭から 1〜2 分で着きます。震災当日、もしも教師や児童がここまで来ていれば、誰一人として流されなかったのは明白です。しかし、実際には、校庭に集合したまま、逃げるための時間を浪費した挙げ句に、山を横目に北上川に向かって避難を始め、川を遡上してきた津波に 84 人が飲み込まれました。助かったのは、教師一人と児童四人だけでした。この他、保護者が引き取りに来た児童もいるようです。また、校長も校外に出張していて、難を逃れました。
遺族にしてみれば、どうして山に逃げなかったのか、疑問に思って当然です。校長や、生き残った教師、石巻市教育委員会、…が出て来ますが、生存した児童の証言と矛盾したり、説明が二転三転したりと、とても遺族を納得させられるものではありませんでした。そこで、遺族がどうするかは、映画を観てください。
それにしても、児童と教師・教育行政が対称的です。生き延びた児童は、言っていることが一貫し、目撃証言と一致し、大人になった今は将来に語り続けようとしています。一方、教師や行政は、発言に一貫性がなく、内部に矛盾があり、震災直後のメールや生存児童の聞き取り記録を廃棄しました。
また、映画の中では、大川小学校という組織が日常的に驚くべき体質を持っていたことがあぶり出されています。
よほどのお人好しでなければ、学校側は都合の悪い事実を隠そうとしていて、行政もそれを助けていると感づくはずです。
話は飛びますが、コロナ・パンデミックになって、日本の行政のポンコツぶりが誰の目にも明らかになりました。この映画を観ると、9年前には既に壊れていたことが分かります。政治でも司法でも、壊れていく日本を様々な映画が映しています。ダメすぎて、正面から受け止めるのが辛いですが、まずは逃げずに事実に目を向けなければなりません。でも、諦めなければ、まだ希望はあります。今日、この映画の後に『ぼくたちの哲学教室』を観て、それを感じました。