対峙のレビュー・感想・評価
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全然スッキリはしないけど、それが答えなのだろうか
教会の中で6年前に高校で起こった銃撃事件の加害者と被害者の両親が対峙する話。
始まってからは穏やかな教会の雰囲気が印象的で、
少し呑気な感じで、部屋を用意しながら席を作る教会の素敵な奥さんを観ながら、
ああ多分奥さんはほとんどこれから登場しないんだろうな、
などとぼんやりと考えたりするようないい感じに気が落ち着かない穏やかな時間。
いざ当事者の両夫婦が部屋に集まると、
やあ元気かいなんて軽いジャブを打ち合いながら少しずつ、
被害者側の夫婦から加害者側の夫婦へアプローチをかけていき本当の対峙が始まる。
なんとか感情的にならないようにとしながらも、
それでもこの6年越しの場所で自分達が納得する何かを求めて感情を上下させながら加害者夫婦に詰め寄る被害者夫婦と、
別に重要な真相も隠しているわけでもない同じようにその何かを見つけられない加害者夫婦がお互いの立場から意見をぶつけ合う。
被害者家族が受けてきた6年間の悲しみも役者の演技の高さでかなり伝わってくるし、
それとしてその何倍も苦しんでいそうな加害者家族の悲哀も伝わってきて、
どちら側に立って会話を見守ろうというような考えは安易にはおきない。
実は被害者の少年が加害者の少年をイジメていたのが原因だったみたいなハッキリとした善悪が判るような真相がない事がこの映画のえげつない所で、
全てを解決する答えなんて絶対に見つからないし、
どこかに辿り着けば落ち着けるなんていう着地点もない。
あるのは実際に事件があって、お互いの子供が加害者と被害者になって亡くなっているという事実だけ。
最後まで観ても全く何もスッキリしない。
本当にただのボタンのかけちがいが起こりまくったが故の偶然なのかもしれないし、
お互いの両親が知りえない事件が起こる核心的なものがあったのかもしれない。
けれどそれも知りようがない。
物語の決着は被害者家族が「赦す」という事で一応の決着はついたが、
もう息子を想って悲しみたくないから「赦す」という事にして、
悲しみから逃れたいという気持ちが強いのかなと自分は思った。
でもその逃避には何ら批判的な感情はわいてこなかった。
そして最後は神は我々と共にという言葉と、
聖歌隊による讃美歌が流れエンドロールとなるが、
無宗教の自分にはどうにも皮肉にも思えるのだが、
キリスト教徒で銃社会のアメリカ人には救いとなったのだろうか。
2023年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
個人的な話ですが…
僕は中学2年の時と高校1年の時にいじめられた事があります…
そして、大学の頃にも、イジメとまではいかないけれども、なんか馬鹿にされた時期がありました。
今の時代ならナイフで一突きしていたかも知れない…。
果たして相手の家族や親族に「お前を赦す」と言われたところで、そんなの大きなお世話だと思うだろう…。
しかし…
この断ち切りたくても断ち切れない過去から解放されたいとも思う…これもホンネ。
(オレにネガティブな心情を何年にも亘って植え付け、この最悪な人生に少しでも"貢献"した奴らが、この地の果てのどこかで、もがいていることを心から祈るよ…)
たとえこんなオレでも、こんな映画を観ると少しは心が震えるのだよ…。
一度しかないこの人生を後悔せずに生き抜きたい…と思うのもホンネ。
*超オススメ!笑
デリケートな問題に徐々にたどりつくまでの探り合いの会話は練り上げられた脚本と俳優陣の秀演だ。
対面は、教会の殺風景な控室の十字架の下で行われる。無神経ともとれる教会スタッフと双方の両親4名の比較が、当事者と他人との意識の格差ともとれる気がする。
子育ての責任と子どもの資質、成育環境と救いの道。親としてどうすればよかったのか。愛する者を失った時に抱く後悔の念。見る側に他人事と感じさせないリアリティが、コミュニケーションの難しい現代の問題として迫ってくる。
動きのない画面でさえ、表情やちいさなしぐさを捉えるカメラも素晴らしい。
丸いテーブルをはさんで座った4人は、やがてテーブル越しではなく椅子を近づけて寄り集まって座った。お互いを理解するには、胸の内をさらけ出し壁を取り払い、憎しみを捨てることかもしれない。
タイトルのMassとはキリスト教のミサ、感謝の典礼という意味があるようだ。教会が舞台であること、キリスト教の精神が根底にあることで、「赦し」の意味を心から理解することはできないかもしれないが、前に進むとは、そういうことなのだろう。
稀にない邦題の素晴らしさにも敬意を表したい。
23-024
加害者の息子を持つ家族、
被害者の息子を失った家族、
当事者ではないがお互いの家族を代弁する姿に胸が詰まる。
救済と赦し
日本とは違う宗教観の下、
時に罵り、時に慰め、話に耳を傾ける。
讃美歌に流した涙が
少しでも癒しになって欲しい。
子を持つ親なら誰でも持つ感情
振りかえってみるに、自分は子供から見たらどう見えているんだろうかと、いつも不安である。表には出さないが、いつか暴発するんじゃないかという思いを抱いている。
この映画に出て来る二組の夫婦も同じ思いだろう。しかも一方は銃を乱射したあと自殺してしまう。どこで育て方を間違ったのだろうと苦しみ自責の念にたえない。
神戸連続殺人や秋葉原連続通り魔殺人の加害者の親族の苦しみは計り知れない。
キリスト教社会は神の赦しという捉え方がある。果たして日本ではそれに該当するものはあるだろうか。
被害者加害者遺族の逃げ場のない対話の先に
銃乱射事件の被害者、加害者家族の対話をシンプルかつ真摯に描いた本作。
舞台は静かな教会の奥にある一室。
集められたのはかけがえのない息子を失った4人の男女。
穏やかなアイスブレークから始まり、互いの本心に迫る時、全員の憎しみ、後悔の感情が溢れる。両者共に何故息子を失うことになったのかただそれだけを明らかにしたいだけなのに非難や拒絶が伴ってしまう。
両者共に鎮まることのない感情、ただ安らぎを求める空間に居合わせていいものかと鑑賞中は常に緊張感が走っていた。
自分は両家族の経験をしていないため、本作のように真実を包み隠さず話せるのか、加害者を赦すことが出来るのか検討もつかない。
今日も本作と同じ事件がアメリカで発生してしまった。すぐさまこの映画を考えて両遺族が長く長くひたすらに辛い日々を送ることになるとどうしようもなく悲しい気持ちになった。
軽々しく人生は良い方向に向くとは口が裂けても言えないが今はただこのような事件に遭われた方の心が安らげることを願うきっかけとなる作品だった。
あっという間の111分
IMDbやRottenTomatoesで評価が高かったため楽しみにしていましたが、実際に観終わって「これはちょっと凄かった」というのが率直な感想です。
まず、「対峙」が始まる前段階から既に、会談の場所貸しをする教会スタッフに何かわからないけどイラつくところで、既に緊張している自分に気づきます。
そもそも正直「何でそんなことわざわざ…」と思いながら観ているわけですが、実際に二組の両親が一つの部屋で対峙する様子に、逃げ出したい気持ちが収まりません。
それぞれ考え方の違いはあるとしても「手に届くところに銃があり得る環境」や、宗派や信仰心の違いはあっても「赦し」という考え方があるキリスト教徒が一定数いる「アメリカ」は、私のような日本人に本当の意味で理解できているのか、ということもあるしまた、例えフィクションだと分かって観ていても、「どちらの肩を持つ」とか「正論めいたこと」を当事者ではない人間が口を出すことは出来ないと、ただただ見入るばかりです。
4人共に感情をあらわにしながらも逃げることなく対峙を続け、最終的には(多くは語りませんが)会談が終着するわけですが、そこからもまだ観ている私は4人が「部屋」を出た後も尚、「早くここから逃げ出したい」気持ちを抑えきれません。
なのに、映画が終わってみれば「本当に111分もあったのか」と思えるほど濃密な時間で、さらに思い起こせば「なんか、殆ど編集点がなかったような…」と役者たちの凄さにまた感心してしまいます。
兎も角、凄かったの一言。是非、映画館でどうぞ。
赦し
冷静に感情移入しないように見ようと思っても、どうしても被害者遺族側に感情移入してしまい、花を持ってきたのもイラッとしたし
赦します。という言葉も、息子の苦しんだ最期ばかりを思い出してしまい、あの日からずっと立ち止まったまま苦しい
だから赦し、前に進む方向で考えています。
だからって忘れないでね、これからも何度も会いましょう。忘れるなよ?であって
本当の意味で赦してる訳ではないように感じた。
でも最後に戻ってきた加害者の母親がひとりで抱えていた苦しみを打ち明けてくれた時に、赦し前に進める感じがした。
余程じゃ無い限り今年のベスト1作品
回想シーン無し 効果音無し 四人の会話のみ
最初に教会で場所をスタンバイしてる時点でティッシュの位置に至るまで神経質になってる場面ですでに緊張感が出てきて こちらも重苦しい雰囲気に飲まれてしまいます、
その後お互いの家族が会うんですが どちらが被害者側の親なのか加害者側の親なのかの説明もないまま気まずい雰囲気で始まっていきます、
会話や話し方でどちらが被害者側か加害者側なのかを考えながら見ないといけなくて
最初に説明一切無いのがここで生きて来るので
上手い脚本だと思わせられました
普通なら 事件のシーンなど描かれると思うのだがあえてそんなシーンすら無く会話での説明のみなので余計リアルに感じました、
先入観で加害者側に対して 子供も親も問題あるどうしようもない人間に決まってるという偏見で攻撃的な見方で見ているんですがそれが間違いだと後々になって気づかされる構成が見事です!
脚本が絶妙過ぎてのめり込んで見る事になるんですが
加害者側が必ずしも絶対悪で親にも問題ある訳ではない場合被害者側の親は原因を求めて追求しようとするが 必ずしも答えなんて出ないし 1+1=2って簡単に出せる答えでは無いって部分を見せつけてきます
加害者側の親も被害者だし 色んな悩みがあって言いたい事だってあるのに言える環境でも立場でも無いから更に苦しむというのも見て居て辛いです、
被害者の親が子供が生きて居た証が欲しいって言う問いには考えさせられるし 赦しとは? とか簡単に答えられないような話になってくるので映画を見終わってからグルグルと考え続けてしまいます!
と言う訳で内容があまりにも重くて深いテーマで考えさせられるので映画を見た後は何もする事が出来なくなるくらいです。
あと特筆すべきは実際の被害者家族のドキュメントを見てる感覚に陥ってしまい 映画を見てるとは到底思えないような感覚になってしまい 役者さん達の精神状態とか心配になるくらいヘビーな内容と演技なので
エンタメ性ゼロの作品だから誰にでもお勧めできる作品じゃないけど これは見てほしいですね
ちなみに劇場はラスト付近でほぼ全員号泣号泣号泣でした!
脚本に忠実に演技をして8日間で撮影されたという事だけど 被害者の父が加害者側の話なんて聞きたく無いって拒絶する部分は被害者の父の性格を考えると必要だと判断して追加されたという話ですが全く問題無いしあって良かったとおもいますね。
ちょっと感想を書くのもしばらく頭ん中を整理して
やっと書いたんだけど 自分のこんな感想くらいで語れるような内容では無いですね
あと映画を見終わってここまで色々考えた事無いってくらい考えまくりました、
今年まだまだ映画を見るだろうけど 自分ランキングでは上位に絶対に入るくらいの内容でした!
もう少し冷静になってじっくり考えて感想書き直しするかもです。
●2時間ひたすら2対2の対話劇。あえて舞台は教会内の一室だけで、回...
●2時間ひたすら2対2の対話劇。あえて舞台は教会内の一室だけで、回想や犯行場面の描写も一切なく、4人の心理が極度に揺れ動く様を描き続けるだけという意欲的な作品。息子が殺した側と息子が殺された側の2組の夫婦が、気まずい雰囲気に始まり感情を爆発させるまでの様子がとにかくリアル。
●4名の熱演が評価の9割。実際に当事者が対峙したらこうなるのだろうな、と感心しながら食いつくように観ていたら、あっという間に2時間が過ぎた。
●坂上香監督のレビュー(Vogue Japan掲載・ゆるいネタバレあり)には深くうなずいたので紹介しておきたい。特に、ピアノや歌や花が当事者の「ノイズ」でありながら変わった側面から再び結びつくという「ノイズの二面性」については気づいておらず、大層納得した。
▲作品の性質から、シーンの変遷も音響もかなり限定的。表情と会話の描写のみなので、はまらない人にはとことん地味に感じると思う。わざわざ映画館で観る必要性があるかとも問われると苦しい。
▲ラストの被害者側の申し出には驚き感服するも、鑑賞から一日経って冷静に考えると「なぜ?」「突然すぎない?」と疑問がわく。オチがちょっと弱いかも。
▲作中では最後まで懸念の理由が明かされなかった、冒頭にあった窓ガラスに貼り付けられた学生作品の赤いハートのステンドグラス模様は、遠目からはガラスに付いた血痕にも見えてしまう不穏の象徴だったそうだ。気づけないよ…。
※制作費…30万ドル未満
もがき苦しむ、心の叫び声
アメリカの高校、銃乱射事件から6年が経ち
教会で初めて会う2組の夫妻。
被害者でも加害者でも自分が育ててきた子を
愛する気持ちに変わりないと思いました。
銃で撃たれた少年が息絶えるまでの
6分間の苦しみ、地面に流れた血
子どもに会いたい愛しさ、もう2度と会えないのだと写真を見てあふれ出る涙
事態を予期出来なかった自分自身に打ち拉がれる情感が伝わってきました。
ラストの教会での讃美歌、テーブルに置かれた小さな花が4人の心を語っていました。
赦し
ほぼ2時間、家族四人の会話劇
同時期に公開されている「ヒトラーのための虐殺会議」は多少眠たくなったが、こちらは四人の演技力で最後まで引き込ませる
教会で行われたので、かなりキリスト教寄りの展開になるが、最後の両者の母親に落涙
このテイストで日本の某団体が似たようなものを作らぬことを望む(まぁ、無理だろうが…)
余談だが、この土日月で「レナードの朝」「母の聖戦」「対峙」とヘビーな鑑賞が意図ならず続いてしまった(一番泣いたのはレナード…、重いのは残り二本)
これも余談の余談だが、マーサ・プリンプトンがパトリシア・アークエット状態になっていたが、自分と同世代のキー・ホイ・クァンも齢51なので、時の流れに身をまかせ〜🎵の境地
とにかく会話を聴く
アメリカで起きた銃乱射事件の加害者と被害者の親が繰り広げる会話劇。ワンシチュエーション型で、とにかく気まずく苦しいです。
2組の間にある大きな溝と認識の違い、「なぜ、どうして?」という答えの見えない問い。悲しみと怒りと、そして何とも言えない思いとが混ざり合っており、観ている側はただただその話を聞くしかない、聞かなければ何も分からないという立場に追いやられた感じだった。被害者の息子も死に、加害者の息子もまた自殺しており、双方やり場のない気持ち、責めたい気持ち、理解してほしい気持ち…。加害者少年が犯した罪の愚かさと、それが悪であることは十二分にわかっていること。では彼らは何を求めて対話をするのか、何を感じ何を話すのか、とにかく重厚感があり見応えたっぷりの会話劇。
キリスト教の要素がどれだけ影響しているのかも気になった。
コロンバイ銃乱射事件の加害者の母親の本を『息子が殺人犯になった』とも重なる部分がある。
対話の末に僅かな光明を見い出す二組の夫婦の思いの丈
〔おとなのけんか(2011年)〕では
子供の喧嘩の後始末に
加害者と被害者双方の両親が乗り出したために、
却って収拾がつかなくなる始終を、
皮相な視点で描いた。
監督は『ロマン・ポランスキー』、
夫々の母親には
『ジョディ・フォスター』
『ケイト・ウィンスレット』
がキャスティングされたこともあり、
展開に呆れながらも、楽しく鑑賞した記憶。
ちなみに原題は〔Carnage〕と、
恐ろしくも寒々しいものだったが。
が、今回は、
そんな軽口を叩くわけには到底行かず。
なにしろ加害者は、高校で無差別発砲・爆破事件を起こし
十人を殺害、最後には自身も自殺したとの経緯。
被害者は勿論、彼に殺害された生徒の一人で、
なんとも痛ましくはあるものの、
アメリカ発のニュースではしばしば耳目にする内容。
そうした加害者と被害者の両親が、
他に何者も交えずに、教会の一室で向き合う。
何かしらが起きることは容易に想定され、
観客はコトの推移に固唾を飲む。
被害者家族については当然のこと、
加害者家族の心のケアも言い出されたのは本邦では最近との記憶。
両者に対しての心無い中傷や、
捻じ曲がった正義感をぶつけるだけの反応、
興味本位の報道も加えて、
どれだけ当事者を苦しめるかは想像に難くない。
キリスト教的な倫理感が根付く彼の地では、
それらは多少和らぐのかと勝手に考えていたら然に非ず、
遺体の埋葬を拒否する教会すら在ることが俎上に。
この国でも(用法が間違っているとの指摘はあるものの)、
「死んだら仏」との言いようはあり、
宗教者なら本来は率先し、向き合いを正すべきなはずだが。
もっともこうした言いようができるのは
自分が幸いにして当事者ではないからで、
とりわけ加害者の家族なら、その場に居るだけでも針の筵。
にもかかわらず両家が集ったのは
それなりの背景と決意があるに違いない。
時として静かな、時として激しい感情をぶつけ合い、
心中を吐露し合うことで
四人は少しずつ歩み合って行く。
どうした事情であれ、
子供が先に逝ってしまった時の親の喪失感は
底知れぬものがあるだろう、
ましてや、何の前触れも無く唐突に断ち切られたのなら。
親は自分達を責め、原因を探し、混乱し疲弊する。
しかしそれらは何れも、
「今となっては」言えるものであり、
真実は誰にも分らない、死人には口はない。
本作の原題は〔Mass〕で、
ここでは「大衆」の意味と捉える。
会話の中で、なかんずく琴線に触れたのは
世間的な一般論ではなく、子を懐かしむ純粋な想い。
鑑賞している中途迄は
加害者と被害者の家族をずっと逆に視ていた。
それほど両者の境目は曖昧。
結果示される僅かな光明は、
一時的なものかもしれぬ、
時間が経てば異なる思いが湧きだす可能性すらあり。
それでも二つの家族は
束の間の安息を得る。
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