対峙のレビュー・感想・評価
全110件中、61~80件目を表示
タイトルなし(ネタバレ)
米国の田舎町、そこにぽつんと建つキリスト教系の教会。
牧師の妻が対面セッションの準備をしている。
テーブルはこれでいいかしらん、お茶や食べ物はこれぐらい必要かしらん、と。
コーディネーターの黒人女性が現れ、部屋をチェックする。
シンプルで問題はないわね、ピアノの練習音はちょっと気になるわね、ティッシュはあるかしらん、テーブルの真ん中に置くのは良くないわね、と。
しばらくして、あまり裕福でない感じの中年夫婦ジェイ(ジェイソン・アイザックス)とゲイル(マーサ・プリンプトン)が到着する。
遅れて、身なりが整い、やや慇懃な感じの夫リチャード(リード・バーニー)と小さなボックスに入った花束を持った妻リンダ(アン・ダウド)が到着。
コーディネーターを介して、対面セッションが開始される。
セッションは4人だけで行われる・・・
といったところから始まる物語で、あまり前知識なく観る方がよいでしょう。
語られるのは6年前に起きた事件のこと。
リチャードとリンダの息子が高校で引き起こした銃乱射事件。
ジェイとゲイルの息子は、被害者のひとりだった・・・
ということが徐々にわかってきます。
被害者家族と加害者家族が直接会うことはかなり障壁が高いようで、ジェイとゲイルは様々な権利放棄をしてきたことがわかります。
映画は、ぎこちない対話の開始から、緊張感を持って描かれます。
限定空間、限定的な登場人物。
これで2時間近く持たせるのは至難の業なのですが、初監督兼脚本のフラン・クランツは脚本のみならず、抜群の演出力をみせます。
セッションまでは引きの画の固定カメラを使い、セッション開始からは丸テーブルで対峙した4人のアップを中心に、これまた固定カメラでみせます。
やや保身態勢のリチャードに対して、感情を高ぶらせるジェイ。
ここで画面は黒味になり、外の風景ショットを挟みます。
有刺鉄線が張られた野原。
鉄線から垂れ下がる中途半端な長さのリボン様のもの。
で、これまでビスタサイズだった画面がシネスコサイズになり、感情を高ぶらせたゲイルが丸テーブルを離れます。
同時にカメラは手持ちになり、緊張感と不安定さが増します。
計算された演出です。
ジェイがゲイルに寄り添うためにテーブルを離れ、リンダもジェイの話を聞くためにテーブルを離れ、感情を高ぶらせたゲイルにティッシュを渡すためにリチャードもテーブルを離れます。
このタイミングも素晴らしいです。
彼らのセッションは続きますが、この対話の中に答えや正解はありません。
あるとすれば、相手のことを理解しての「応え」でしょう。
そして、息子の思い出を語り終えたゲイルが、ジェイに「言ってもいいか」と問うた後に、心の底からの言葉を絞り出します。
「(リチャードとリンダの)ふたりを赦します。あまつさえ、おふたりの息子も・・・」と。
このシーンも演出が際立っています。
ゲイルの言葉とともに、部屋の外が明るくなり、露光がオーバー気味になります。
静かにセッションは終了するのですが、リンダが持ってきた花束を巡って時間が費やされる間、先に立ち去ったリチャードとリンダ夫妻のうち、リンダが戻ってきてセッションのときには言えなかったことを告白し、ゲイルの抱擁で終幕を迎えますが、ここでの演出は画面外から教会で練習している讃美歌の声が聞こえてきます。
すこしキリスト教的な感じが強いのですが、「赦し」がキリスト教教義の中心なので、やはりこの演出になります。
ラストショットは、ふたたび有刺鉄線から垂れ下がったリボン。
野原の奥の建物に明かりが点り、フェードアウトしていきます。
垂れ下がったリボンは、心に残った引っ掛かり。
その向こうには、あかりがある、という暗喩かもしれません。
傑作です。
<追記>
映写用のデジタル素材のせいなのですが、ビスタ→シネスコのサイズ変化が効果を発揮していませんでした。
以前のようなフィルム上映だと、天地のサイズを固定して、ビスタ→シネスコと変化する際は、スクリーンが横に伸びたものですが、今回は左右の幅は変わらず、天地のサイズが縮んでしまいました。
「赦し」へと導く画面サイズの変更なので、横に伸びないと効果が半減、激減です。
これは残念。
途中での画面サイズ変更の参考作品として『モンタナの風に抱かれて』『ブレインストーム』を挙げておきます。
睡魔との対峙
前半寝てしまいました。
仕事終わりの2本目で見たのがよくなかったのだと思いますが、他の方のレビューにもありますが、内容的に単調なので少し退屈します。
あくまで悪いのは自分で映画ではありません。
事件から6年後、被害者側と加害者側がセラピストに勧められて「対峙」するというお話ですが、おそらく、最終的に対峙すべきは自分自身で、自分と向き合うことで次の一歩を踏み出すことができた。というお話だと解釈しました。
知的好奇心を刺激した
密室での4人の会話劇が、こんなにヒリヒリ緊張感に溢れていて、怖いとは。
そして、この作品のすごかったところは脚本や役者の演技に加えて、撮影でしたね。
登場人物の心境によって、寄りになったりするのは普通ですけども、お互いの理解が深まるごとに、レンズにどんどん広角を多用。
最後には画角(縦横比)が変化し、超広角レンズを使用するという。
見ている景色が変わっていくことを見事に表現していました。
2018年のフロリダ州パークランドのM・S・ダグラス高校乱射事件を知った監督が、アメリカで加害者と被害者(または本作のように加害者の親族と被害者の親族)同士で語り合う「修復的司法」を取材して作り上げたもので、リアリティに溢れたものだったのですが。
私には未知の、そんな司法制度の「新しい知識」を得られて、また『ヒトラーのための虐殺会議』の真逆な人間の共感・理解を深める感情のキャッチボールを惜しまない会話、そして「優れた表現」を観られました。
面白いとかつまらないとかの話ではなく、知的好奇心を刺激してくれて、観ておいてよかった作品だったな、と思いました。
「赦し」がテーマ
なんてすごい作品なのだろう、なんてすごい演技なのだろう、その気持ちでいっぱいです
何よりも赦す事が難しくて苦しい相手なのかもしれない人を赦す事の難しさ、きっと想像できないけど考えずにはいられません
効果音もなく、ひとつの部屋の中でほとんどが4人の会話で進行していきますが全く退屈せず、序盤から緊張感がすごくてストーリーの中にぐいぐい引っ張られてあっという間の2時間でした
何が起こったのかの回想もなく、どちらが被害者の両親なのかもわからいまま会話の中でその出来事がわかっていくっていうのがこの作品の良さなのかもしれません
4人の俳優さん達も本当にその立場なのかと思えるようなすごさでした
加害者のお父さんはどこか「自分達も被害者」って思ってるようで、それが私には違和感でしかありませんでした
そういう部分もあるのかもしれないけど、やはり被害者ではないとしか私には思えず、そんな人と一緒にいる加害者のお母さんはどんなに孤独なのだろう
それがあのラストで救われた気持ちになれました
「赦す」事は自分のため、それは本当にそうだと思います
まだまだレビューが書ききれないくらい思いがまとまりませんが、この作品を観て良かったです
GOD WITH US
緊迫の、二組の夫婦。ある事件の被害者家族と加害者家族の対話、とまでしか情報を得ずに観だしたこの映画だったけど、その関係性は二組の醸す空気ですぐに分かった。
対話からだんだんとわかってくる、その犯罪。・・・過去は変えられない。・・・だから自分を責める?・・・私にはわかる。どう苦しんだか。・・・人生の価値。、、、平静を保とうとしても口からでてくる言葉の数々がとても重すぎる。結局、どう折り合いをつけるのか?冷めた目で見れば、どうせ最後は和解するのだろうよ、映画の筋書きとしては、という気持ちで観ている。だけど、その糸口はどこなのか、がさっぱり見えてこないほど、強張った被害者家族の心情だった。
でも、赦さないつもりでここに来たわけじゃなかったんだよね。許してしまうことで、殺されてしまった息子を裏切ってしまうんじゃないかと恐れていたんだろうね。
ふと思った。何度か挿し込まれた「柵の中の空き地」は、かつての学校の跡だろうか?事件後、悲しい記憶を消し去るように取り壊したのだろうか?両夫婦は、同じような理由で遠くに引っ越してしまったのだろうか?6年の歳月、他の家族は謝罪を受け入れたのだろうか?この夫婦だけが頑なに拒絶してたのだろうか?いろんな想像が、この対話の意味を考えさせられる。
最後に聞こえてきた聖歌隊の練習の歌声。おそらく対面する前だったら、雑音でしかなかったろう。心から赦す気持ちが、歌声を美しいと感じることができたのだ。それは神様の存在を身近に感じることができた証拠だと思う。(神を見たとかそういうことではなくて)。もしかしたら、事件後のすべての出来事から、こうしてここでの対話に至るまで、神はずっと見守ってくれいていたのだろうか。(もちろん、神の差配ということではなくて、寄り添ってくれていたという感謝の気持ちが湧くという意味で)
誰がわたしを救うのか
終始、ピリピリとした会話劇でストーリーが進む。
序盤、正直どちらが被害側かわからず、
それも含めて緊張感がすごかった
両者(特に被害者の母親)の震えが伝わり、
こちらにまでその琴線の震えが影響された
偏見かもしれないが、
加害者家族のあのちょっとズレた価値観や神経が
もの凄く上手く表現されていたように思う。
さらに、被害者家族の母親の方が、
何か縋るように夫を見つめるその視線や
見つめ方がリアルでリアルで。
彼らの言動一つ一つから、それまでの
6年間を感じさせられた。
中盤、話は加害者の過去や心情、
そして彼の両親はなぜ彼を野放しにしたか
ということに集中された
そこから一変し、被害者の過去へ
ここで加害者母が語った
「それが人生の価値よ」
「世界を変えなくていいの」
この言葉が状況を一変させたように思う。
そして、ラスト。
母親同士の和解が訪れる。
「わたしも話したかった」
彼女の本心は、周りを動かした。
(ここが一番痺れるシーンだった)
彼女も母親だった。
「自分を殴れと言えば良かった。」
この告白の重みは計り知れない。
正直、加害者父親は最後まであんな感じだったが、
母親には一番心を持っていかれた。
あまりにあっさりとした立ち去り方に、
彼らを信じることが出来るのかと思った。
赦したままでいられるのかと。
それでも、ほんの少しの時間だけでも、
彼らを信じ許すことが出来た
そのことと共に生きるしかない。
その事実が、後々の自分を救うかもしれない。
どうにかして生きるには、
信じること、救うこと、許すこと、
そういったポジティブな感情を
抱き続ける他ないのだと思わせられた。
全然スッキリはしないけど、それが答えなのだろうか
教会の中で6年前に高校で起こった銃撃事件の加害者と被害者の両親が対峙する話。
始まってからは穏やかな教会の雰囲気が印象的で、
少し呑気な感じで、部屋を用意しながら席を作る教会の素敵な奥さんを観ながら、
ああ多分奥さんはほとんどこれから登場しないんだろうな、
などとぼんやりと考えたりするようないい感じに気が落ち着かない穏やかな時間。
いざ当事者の両夫婦が部屋に集まると、
やあ元気かいなんて軽いジャブを打ち合いながら少しずつ、
被害者側の夫婦から加害者側の夫婦へアプローチをかけていき本当の対峙が始まる。
なんとか感情的にならないようにとしながらも、
それでもこの6年越しの場所で自分達が納得する何かを求めて感情を上下させながら加害者夫婦に詰め寄る被害者夫婦と、
別に重要な真相も隠しているわけでもない同じようにその何かを見つけられない加害者夫婦がお互いの立場から意見をぶつけ合う。
被害者家族が受けてきた6年間の悲しみも役者の演技の高さでかなり伝わってくるし、
それとしてその何倍も苦しんでいそうな加害者家族の悲哀も伝わってきて、
どちら側に立って会話を見守ろうというような考えは安易にはおきない。
実は被害者の少年が加害者の少年をイジメていたのが原因だったみたいなハッキリとした善悪が判るような真相がない事がこの映画のえげつない所で、
全てを解決する答えなんて絶対に見つからないし、
どこかに辿り着けば落ち着けるなんていう着地点もない。
あるのは実際に事件があって、お互いの子供が加害者と被害者になって亡くなっているという事実だけ。
最後まで観ても全く何もスッキリしない。
本当にただのボタンのかけちがいが起こりまくったが故の偶然なのかもしれないし、
お互いの両親が知りえない事件が起こる核心的なものがあったのかもしれない。
けれどそれも知りようがない。
物語の決着は被害者家族が「赦す」という事で一応の決着はついたが、
もう息子を想って悲しみたくないから「赦す」という事にして、
悲しみから逃れたいという気持ちが強いのかなと自分は思った。
でもその逃避には何ら批判的な感情はわいてこなかった。
そして最後は神は我々と共にという言葉と、
聖歌隊による讃美歌が流れエンドロールとなるが、
無宗教の自分にはどうにも皮肉にも思えるのだが、
キリスト教徒で銃社会のアメリカ人には救いとなったのだろうか。
2023年ベストムービー!⭐️⭐️⭐️✨
個人的な話ですが…
僕は中学2年の時と高校1年の時にいじめられた事があります…
そして、大学の頃にも、イジメとまではいかないけれども、なんか馬鹿にされた時期がありました。
今の時代ならナイフで一突きしていたかも知れない…。
果たして相手の家族や親族に「お前を赦す」と言われたところで、そんなの大きなお世話だと思うだろう…。
しかし…
この断ち切りたくても断ち切れない過去から解放されたいとも思う…これもホンネ。
(オレにネガティブな心情を何年にも亘って植え付け、この最悪な人生に少しでも"貢献"した奴らが、この地の果てのどこかで、もがいていることを心から祈るよ…)
たとえこんなオレでも、こんな映画を観ると少しは心が震えるのだよ…。
一度しかないこの人生を後悔せずに生き抜きたい…と思うのもホンネ。
*超オススメ!笑
デリケートな問題に徐々にたどりつくまでの探り合いの会話は練り上げられた脚本と俳優陣の秀演だ。
対面は、教会の殺風景な控室の十字架の下で行われる。無神経ともとれる教会スタッフと双方の両親4名の比較が、当事者と他人との意識の格差ともとれる気がする。
子育ての責任と子どもの資質、成育環境と救いの道。親としてどうすればよかったのか。愛する者を失った時に抱く後悔の念。見る側に他人事と感じさせないリアリティが、コミュニケーションの難しい現代の問題として迫ってくる。
動きのない画面でさえ、表情やちいさなしぐさを捉えるカメラも素晴らしい。
丸いテーブルをはさんで座った4人は、やがてテーブル越しではなく椅子を近づけて寄り集まって座った。お互いを理解するには、胸の内をさらけ出し壁を取り払い、憎しみを捨てることかもしれない。
タイトルのMassとはキリスト教のミサ、感謝の典礼という意味があるようだ。教会が舞台であること、キリスト教の精神が根底にあることで、「赦し」の意味を心から理解することはできないかもしれないが、前に進むとは、そういうことなのだろう。
稀にない邦題の素晴らしさにも敬意を表したい。
23-024
子を持つ親なら誰でも持つ感情
振りかえってみるに、自分は子供から見たらどう見えているんだろうかと、いつも不安である。表には出さないが、いつか暴発するんじゃないかという思いを抱いている。
この映画に出て来る二組の夫婦も同じ思いだろう。しかも一方は銃を乱射したあと自殺してしまう。どこで育て方を間違ったのだろうと苦しみ自責の念にたえない。
神戸連続殺人や秋葉原連続通り魔殺人の加害者の親族の苦しみは計り知れない。
キリスト教社会は神の赦しという捉え方がある。果たして日本ではそれに該当するものはあるだろうか。
被害者加害者遺族の逃げ場のない対話の先に
銃乱射事件の被害者、加害者家族の対話をシンプルかつ真摯に描いた本作。
舞台は静かな教会の奥にある一室。
集められたのはかけがえのない息子を失った4人の男女。
穏やかなアイスブレークから始まり、互いの本心に迫る時、全員の憎しみ、後悔の感情が溢れる。両者共に何故息子を失うことになったのかただそれだけを明らかにしたいだけなのに非難や拒絶が伴ってしまう。
両者共に鎮まることのない感情、ただ安らぎを求める空間に居合わせていいものかと鑑賞中は常に緊張感が走っていた。
自分は両家族の経験をしていないため、本作のように真実を包み隠さず話せるのか、加害者を赦すことが出来るのか検討もつかない。
今日も本作と同じ事件がアメリカで発生してしまった。すぐさまこの映画を考えて両遺族が長く長くひたすらに辛い日々を送ることになるとどうしようもなく悲しい気持ちになった。
軽々しく人生は良い方向に向くとは口が裂けても言えないが今はただこのような事件に遭われた方の心が安らげることを願うきっかけとなる作品だった。
あっという間の111分
IMDbやRottenTomatoesで評価が高かったため楽しみにしていましたが、実際に観終わって「これはちょっと凄かった」というのが率直な感想です。
まず、「対峙」が始まる前段階から既に、会談の場所貸しをする教会スタッフに何かわからないけどイラつくところで、既に緊張している自分に気づきます。
そもそも正直「何でそんなことわざわざ…」と思いながら観ているわけですが、実際に二組の両親が一つの部屋で対峙する様子に、逃げ出したい気持ちが収まりません。
それぞれ考え方の違いはあるとしても「手に届くところに銃があり得る環境」や、宗派や信仰心の違いはあっても「赦し」という考え方があるキリスト教徒が一定数いる「アメリカ」は、私のような日本人に本当の意味で理解できているのか、ということもあるしまた、例えフィクションだと分かって観ていても、「どちらの肩を持つ」とか「正論めいたこと」を当事者ではない人間が口を出すことは出来ないと、ただただ見入るばかりです。
4人共に感情をあらわにしながらも逃げることなく対峙を続け、最終的には(多くは語りませんが)会談が終着するわけですが、そこからもまだ観ている私は4人が「部屋」を出た後も尚、「早くここから逃げ出したい」気持ちを抑えきれません。
なのに、映画が終わってみれば「本当に111分もあったのか」と思えるほど濃密な時間で、さらに思い起こせば「なんか、殆ど編集点がなかったような…」と役者たちの凄さにまた感心してしまいます。
兎も角、凄かったの一言。是非、映画館でどうぞ。
赦し
冷静に感情移入しないように見ようと思っても、どうしても被害者遺族側に感情移入してしまい、花を持ってきたのもイラッとしたし
赦します。という言葉も、息子の苦しんだ最期ばかりを思い出してしまい、あの日からずっと立ち止まったまま苦しい
だから赦し、前に進む方向で考えています。
だからって忘れないでね、これからも何度も会いましょう。忘れるなよ?であって
本当の意味で赦してる訳ではないように感じた。
でも最後に戻ってきた加害者の母親がひとりで抱えていた苦しみを打ち明けてくれた時に、赦し前に進める感じがした。
全110件中、61~80件目を表示













