劇場公開日 2023年2月10日

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「深刻で、濃密で、圧倒的な会話劇」対峙 kazzさんの映画レビュー(感想・評価)

4.5深刻で、濃密で、圧倒的な会話劇

2023年3月10日
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鑑賞方法:映画館

俳優のフラン・クランツが脚本を兼務した初監督作品…とのこと。
ちょっと、驚きの作品である。

とにかく、会話。
2組の夫婦による会話が延々と繰り広げられる。
加害者の両親と被害者の両親が「対峙」する物語であることを事前に知っていても、事件の内容や当事者の状況などは4人の会話を追っていかないと見えてこない。
説明的な台詞は一切なく、最初はどちらが加害者側かすら判らない。

一方から子供との思い出を話してくれと言われ、「なぜ?」と相手側が尋ね返すと、その妻が「ウチの子を殺したからよ!」と語気を荒げて言う。
静かに始まったこの映画で、最初に緊張が走る場面だ。
序盤、2組の夫婦と夫婦の間で、あるいはそれぞれの夫と妻の間で、牽制しあうような会話が展開し、それだけでは意味を理解できない。
そして、前述の会話の後、親たちの悲痛な体験が徐々に明かされていく。

狭い部屋の中で、基本的に4人はテーブルを挟んで対峙しているが、被害者側の夫がテーブルを回り込んで加害者側夫婦の後ろで水を飲んだり、その妻が部屋の端に寄せてある椅子に移動したりする小さな動きを計算されたカメラワークで捉え、4人の演者の表情を丁寧に構図を変えながら映し出す。会話劇を緊迫したサスペンスに仕立て上げる演出が上手い。

このリアルな脚本には何か下敷きがあったのだろうか…
この会話の内容も会談の成り行きも、簡単には思いつきそうにない。

当然、被害者側が「攻め」で加害者側が「受け」の体勢だ。
最初は妻を制しながら冷静に慎重に会話を進めていた被害者側の夫だが、糾弾するためにこの会談の場を持った訳ではなかったのに、相手の煮え切らなさに激昂してしまう。
それは、そうだろう。加害者本人ではないとはいえ、その両親なのだ。なぜ、事件に発展する前に手を打てなかったのか、糾弾せざるを得ないはずだ。
加害者側の夫には、少し不誠実な態度に見えるときがある。
それも、そうかもしれない。開き直った訳ではないが、相手に何を言っても言い訳にすらならないことが解っている。問われたことに淡々と事実を応えるしかないのだ。ただ、彼ら夫婦も我が子を愛していたことは伝えずには終われない。それが、被害者遺族を逆撫ですることになったとしても…。

「なぜ、息子は死ななければならなかったのか」
実際の事件や事故でも、被害者遺族がしばしば訴えかける言葉だ。
「真相を明らかにしたい」
「二度と同じ不幸を起こさせないために」

この迫真の会話劇にズルズルと引き込まれていきながら、終わりが全く想像できないでいた。
最後にこの2組の夫婦はどうやって別れるのだろうか…。
被害者側が「赦す」しか、終わらせる方法はないだろう。

そして、とうとう驚くべき終局を迎える。

この物語を作るにあたり、どうやって赦すのかが重要点だったはずだ。
そして、被害者の母親が出した結論は、誰にでも出せるものではないように思う。
神を信仰する者だからか、あるいは長い期間悲しみぬいたからなのか、仮に同じ経験をした人がいたとしても同じ結論に達するとは思えない。
この被害者の父母夫妻は、はじめからこの結論を目指してこの会談に挑んだのだろう。その目的がなければ、あのテーブルにはつけないだろうから。
だが、この夫婦は用意した結論にたどり着いたように見えて、我々には釈然としないモヤモヤが残る。
この映画は、そんな観客のモヤモヤに最後の最後に強烈なカウンターを浴びせ、カタルシスをもたらす。
彼らが顔を会わせた最初に、加害者の母親が被害者の母親に鉢植えを贈る。これが最後にキーアイテムになるのも見事だ。

赦すことは難しい。
だが、人の親なら、あの加害者の母親を責めることができるだろうか。

kazz
Bacchusさんのコメント
2023年3月10日

被害者側が強いよは確かですが、加害者側も本人ではなく家族ですからね…どちらも居た堪れないです…。
しかも正に対峙という会話劇。
こういう作品て他に記憶にないです。

Bacchus
光陽さんのコメント
2023年3月10日

被害者の親が前に進むためには、「赦す」ことしか選択肢はないのかしれませんね。
でも実際は赦すことって、ものすごい難しいことだと思います。

光陽