怪物のレビュー・感想・評価
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登場人物たちの視点、そして鑑賞した私自身の視点から見た「怪物」の正体
本作は3人の登場人物のそれぞれの視点から本作で起こった事象を映し、我々俯瞰する者がひとつの納得する形に創られた作品。
是枝監督らしいしっかりと余白を残し、あれやこれやと想像させる作品となっている。
本作のタイトルとなっている「怪物」とは何かを考えさせられた。
息子の異変から学校や教師を「怪物」とする母親からの視点から始まり、
その息子がいじめの首謀者と疑い、やがて自分の職場や上司、はては世間そのものを「怪物」とする若き教師の視点、
そして思春期の誰もが経験する自分はおかしいのではないかと感じ、ひとり葛藤を抱える少年の視点、の順で物語はすすみ、とある事象をそれぞれの角度から映し出す。
視る人によって解釈は変わり、真実は人の数だけあるとはよく言ったものだ。
結末は映し方こそ清々しいもののハッピーエンドともバッドエンドとも判然しないストーリー。
ただ、私自身鑑賞後しばらくたって「怪物」とは何なのかを考えてみた。
それは紛れもなく映画館に刺激やら感動やらを求め、足を運ぶ自分自身こそ「怪物」なのではないかと。
本作では、3人の視点で紡がれることで、ある事象は実際はこうだったという
形に落ち着く。ただ、それすらも本当にそうだったのかと疑いたくなる。
無論、それがこの作品の良さであり、是枝監督作品の真骨頂なのだが。
予告編をみて、「怪物」というタイトルとコマーシャルのあおりで興味をそそられ、
有名俳優や監督、脚本家、そして作曲家が携わり、
更には映画祭で世界的にも高評価を得た作品だ。
私も例外なくこの作品はきっと自分を満たしてくれるものだと。
ただ、実際はそんな「刺激」あるものではない。
期待値が高かっただけに、拍子抜けした感はある。
それこそが私自身映画などの作品に過度な「刺激」を求める「怪物」に成り下がってしまったことの証左なのだと。
まるで劇中冒頭で起こるビルの火災現場に集まるやじ馬たちのようなものだと。
フリとオチ…
多くの方々書いていらっしゃるように…
●一つの事実だが、見方・立場によって解釈が変わり、事実と異なるような捉え方になりうる という怖さ
●誰しもが〝人間〟と〝怪物〟という二面性を持っている、どちらにもなりうるという考え方
こんなことを描いているように感じました。
内容的にはとても興味深く、「なるほどぉ…」と思うシーンもたくさんあって楽しく拝見しました。
また時系列がストレートではないので、監督としては何回も何回も編集し直したくなったんじゃないかなぁ…などとも感じました😅
個人的には好きなタイプの作品ですが、気になったこともあって……。
あとで事実が明かされる話の作り方に必ずある「伏線」の部分というか、いわゆる〝オチ〟に対する〝フリ〟の部分。
保利先生のセリフや立ち居振る舞いが気になりました。
「これはちょっとフリを効かせすぎちゃったかなぁ…」という印象です。
彼はいい先生に描かれる部分が後から出てくるのですが、最初に早織が学校に乗り込んできたシーンで「母子家庭あるあるというか…」みたいなことを口にするあの態度、またああいった状況で飴を舐めるという態度…
やりすぎじゃない?
ちょっと「嫌なヤツ」、「今ドキの非常識な若者」という印象付けを必死でやってる感じがしました。
後ろの描き方を見てるとそんなキャラではなくない?と思わずにはいられない。。
こういう構成のものは、私の場合、一つでも違和感を持つと全然受け入れられなくなる。
本のせいなのか、芝居をOKしたせいなのか…
いずれにしてもあれはやりすぎな感じがして。
強いキャラに映るからこそ、慎重に大事に描いて欲しかったなぁ…と。(この場合、役者さんは全く悪くない)
そこだけ、ノドに骨が刺さったような、すっきりしない感じでした。
もちろん全体としては好きです!
なので4.0❗️
終演直後から記憶は曖昧になる
既に2回見ている友人に誘われ映画館へ
同じ出来事を複数視点で、しかし明確に誰の視点かを区別せず、時系列も絶妙に分かりづらくぬるっと描かれていく。
集団心理や思い込みの怖さという実態のないものを「怪物」とし、描かれたものだと解釈
是枝作品の特徴でもあるが、ドラマティックな展開ではなく淡々と話が進んでいく。
登場人物の魅せ方や、セリフの言い回し、場面の切り取り方が秀逸で、見ている側も気付かぬうちに勘違いや思い込みを起こしてしまう。
湊くん(安藤サクラの息子)が危ない思想の子供であるかの判断材料となるセリフだが
「猫と遊んでいた」か、「猫で遊んでいた」か、記憶が曖昧
私の中でその時湊くんは猫を殺めているが、友人の中でそれは勘違いである
私が作中で見て記憶したものと、友人が見て記憶したものでは少しずつニュアンスが異なる
映画なのでもう一度見て確認したいと思うが、現実ならそうはいかない
もう今の状況が作品に投げかけられた問いそのものにも思える
人と話すことで何倍も面白くなる作品
そこまで分かってるなら救ってくれよ!
Twitterをみてると、この映画がLGBTQをオモチャにしてるとか、傷つくから観ない方が良い、みたいな批判がバズってたけど、僕はそんな風には感じなかった。
子供の頃、女子みたいって揶揄われた事とか、親に本当の事を伝えようとしたけどTVに映るゲイタレントを「気持ち悪い」って言ってるのを聞いて伝えられなかった事とか、色々思い出して心がグッてなったけど、「消費されてる」なんて感じなかった。
寧ろ、何が奏や星川くんを追い詰めていったのかが緻密に、的確に描かれてて、こんな風に自分達と同じ目線を描いてくれるんだなって感覚の方が強かった。
でもだからこそ、描いているモノのリアルさに比べて、ラスト(救い)が抽象的すぎないか、という戸惑いもある。
この映画のラストは、湊たちが生きてるのか死んでるのか、どう捉えても正解な作りになってる。だって、他人が思い込みで誰かに、こうなんだよって言えないって事がこの映画のテーマなんだから。
だからもし、今まさに問題に直面してる人がこのラストをネガティブに捉えてしまわないかって考えが頭の片隅にあって、手放しで絶賛できない。
この映画が「答え」じゃなく「問いかけ」に重点を置いてるのも分かるし、多くの人に観てもらうためには効果的なのも分かるけど、ラストだけは大勢の観客の為じゃなく、今泣いてるたった1人の誰かのために作って欲しかった。
少なくとも、現実的な救済(解決策)を1つでも良いから描いて欲しかった。
校舎の屋上から下を眺めてた当時の自分がこのラストをみても、明日を頑張ろうとはならなかったと思う。
今、自分は大人になって少なからず理解してくれる人がいるけど、学生で同じ様な問題に1人で直面している人達にとってはかなりキツいんじゃないだろうか。
でも、そういう人は必ずいる。ってか居ないはずがない。湊みたいに、なんで自分は生まれてきたのって、人が望む幸せは絶対に手に入らないのにって苦しんでる人が。
だから、そういう人に伝えたい。
そんな事はないよって。
止まない雨なんて絶対ないって。
嘘だって思うかもしれないけど、今抱えてる苦しみは必ず和らぐ時が来る。
誰にも言えなくて、苦しくて、もしかしてずっと自分は1人ぼっちかもしれないって不安に押しつぶされそうになってる人がいたら伝えたい。
諦めないでって。
大人になって世界が広がれば、貴方を理解してくれる人が必ずいる。あなたの味方になってくれる人が、あなたのことを信じてくれる人が。
だから、あなたのままでいて欲しい。
願わくば子供が、なんで自分は生まれてきたの、なんて悲しい事を言わなくてすむ世界が、2人が駆け抜けた、晴れ渡った柵のない世界が、少しでも現実に近づきますように。
怪物だーれだ。
怪物です。是枝裕和監督×坂元裕二脚本とくれば、見ないと!という作品ですが、
カンヌの受賞で普段映画を見ない層にも訴求したらしく、映画館は盛況でした。
小学生の兄妹を連れたお母さんとか、後期高齢者と思しき女性の二人組とか、珍しい観客がいました。
受賞については、クィア・パルムを受賞したということが、若干ネタバレやんとは思いつつ(もともとのあらすじではその要素は出てなかったから)、性的多様性においては、遅れている日本の作品が、クィア・パルムを受賞したというのは、寿ぎたいでき事でもあります。
また、数々のドラマでその脚本に慰められてきた坂元裕二の脚本賞受賞は、非常にうれしく思いました。
さて、作品自体については、以下のようなことを思いました。
坂本さん、また主要人物をクリーニング屋勤務にしてはるwww(woman、最高の離婚)
出演者が是枝映画の常連というよりは、坂元ドラマの常連が多い
形式が、「藪の中」である
※芥川龍之介の小説「藪の中」をふまえて、関係者のいうことが食い違って、真相がわからないことのたとえ。by故事俗信ことわざ大辞典
湊の母目線、保利先生目線、誰の目線かわからない3つ目の目線とを総合して、以下のように自分の解釈を記しておきます。
湊と依里は、性的に惹かれあった。
依里は父親に虐待されており、父親の言う病気とは、はじめは鏡文字を書くことから学習障害?発達障害?と思っていたが、恐らく同性愛傾向、男らしくないこと、を指していたのでは。
父親の暴力から、依里はだいぶ傷ついており、父を殺すため多分ガールズバーを放火した。
湊は、自分の同性愛傾向に戸惑っている(依里はそこまで戸惑っていない感じがした)。
母親は、シスジェンダー・ヘテロ的『普通』以外が思いつかないので、湊が結婚して子供ができるまで、などという明るい将来の定義にて、湊を苦しめている。
湊の父の死因は、どうやら不倫旅行中の事故らしく、そのことをないことにして(湊に知られていることを母が知ってるか不明)父を慕うよう促す母への同情というか、愛情もみられる。
依里と仲良くすることで、いじめを避けたい、でも依里へのいじめへ加担することへの罪悪感も強い、またテレビや親・大人の言動から、同性愛者の幸せが見えなくて、それを選べない。混乱の極みによって、走行中の自動車より落ちることになる。
多分、同級生の漫画を読んでいた女の子は、湊と依里にいじめっ子といじめられっ子という見せかけ以外のことを感じている(から、猫のことを保利に伝えた?)。
依里はわざと鏡文字を湊の母の前で書いて、作文に混ぜた暗号のようにして、目の前の大人を試した。
秘密基地の電車の中での結末は?
二人が死んだとの解釈もできるが、車体から出てどこかで夜を明かし、雨が止んだあとの森で、二人が楽しく走り回っていたと解釈したい。
自由に思うままに生きることができると思いたいから。
大人については、湊母、保利、校長以外の教員、依里父は特筆すべきところはない。
私が湊母で、保利で、教頭や2年生時の担任だったとして、彼らとは違うもっと“よい”、“適切な”言動ができたかわからない。違うことができたとして、それが誰かを傷つけないともいえない。わたしも生きた分、偏見を積み重ねて暮らしてるから。
謎が残ったのは、校長。
孫の死因はじつは校長自身が起こしたという噂について。
湊母がみた、スーパーで走る他人の子どもへの足ひっかけ。
湊母の申し出に対する対応の不味さ、考え方(ほんとのことなんてどうでもいいんだよ、と言っていたと思う)。
恐らく逮捕された夫とのやり取りと折り紙。
湊にトロンボーンを渡したやり取り、一部の人にしか手に入れられないものなんて幸せじゃない、的な発言。
結局分からなかったし、解釈することもできなかった。
田中裕子を配したのだから、初対面の観客が簡単に解釈できるような人物にはしないよね…というね。
人のことをまるっと理解できるというのは、有り得ないから、これでいいのかも。
でも、なんらかの解釈しないと先に進めないから、偏見を積み重ねるしかない。
ので、怪物だーれだ、の答えはわたし、であり、あなた。
映画の終わりの先がどうであれ
2人が仲直りしてまた会えたことがよかった。
大人の目線で見ると2人がどうなったかとか、生きてても亡くなっていてもと、考えてしまうことはたくさんあるが2人にとってはあの瞬間がハッピーエンドだと思う。エンディングで流れる坂本龍一さんのaquaからもそう感じた。
線が繋がらない
伏線を多く張り巡らされており、後半で回収されるという展開だったと思いますが、やはり湊が、保利がいじめをしているという嘘をついた理由と、途中湊が車から飛び降りた理由が自分の中ではピンとこない。
あとは、映画の予告で怪物は誰だ?という形でされてましたが実際は明確に誰が怪物ということはなく、みんなに怪物要素があるということだった。これは予告のミスリード。わざとミスリードにして、思い込ませるということだったのかもしれないけど少し拍子抜けだった。
怪物だーれだ、の意味を知った時怖気がたった
怪物。そのタイトルが、この作品をむずかしくしている。
怪物だーれだ、それはこの物語の中にいる怪物を探す言葉じゃない。
それに気づくまでに時間がかかった。
だれが悪なのか、親なのか先生なのか学校という組織なのか、子供なのか。
見ていくうち、ずっと違和感があった。
ミッドサマーを見ていたときに感じたものと同じようなもの。
何かがおかしい。どこがおかしいのかわからない。こわい。
常識のない行動をする人、組織と闘うこと、チャッカマン、泥水の入った水筒、不可解な行動。
一方向から見ていると真実が見えない。
二方向目、三方向目。
誰かの正義、自分の見たいもの。
全てのことに意味があるのに、ここまでしないと見えない。
自分の見えている情報で相手にヒントを出し、"怪物"を当てさせるのはむずかしい。
同じ価値観でないと。
同じ人間ではある、でも、それぞれの立場が違うとこんなにも見えにくくなるのか。
わたしの信じている普通って、なんだろう。
静かにエンドロールが終わった時、真っ先に感じたのは自分に対する怒りだった。
理解があるほうだと思っていた。
"普通じゃない"、ことに。
だけど、今はっきりと深層心理で何も理解していない自分が分かった。
逆転現象が起こっても、状況は何も変わらないことを子どもたちは知っている。
ただ、
おもしろくない、意味がわからない作品と片付けないでほしいと思う。
問題を出されて、考えるのはわたしたち。
答えを出すのは、わたしたち人間。
怪物だーれだ。
あなたから見える怪物はどんな形をしている?
タイトルなし(ネタバレ)
私が見えているものなんて私の感情でしか作られない。誰かを可哀想な人や悪者にするときに思わなきゃいけないのは、それが全部私の気持ちだけで作られたものだということに自覚を持つことだ。どんな物語だってそう、悪役には悪役の正義がある。みんな自分を守りたいしそのために誰かを責めたい。映画を見てる私が怪物になっていたと、観終わってから自覚する。誰かを悪者にして怒りをぶつけるのは簡単だけど、全部は知るところから始まりたい。許すことも許さないことも、信じることも諦めることも。私には、どんな事情でも受け入れる覚悟と、知る勇気が必要だと知った。人のままならなさ、報われなさ、わかってもらえない悲しさを抱えながら、それぞれに大切なものがあり、それを守るのにどうにも必死で、自分の大切なものだけは、それだけは守られますようにと、登場人物の全員が思っていたと思う。それが他人なのか、自分なのか、そこで生き方が変わってしまう。この映画一本から、自分が向き合うべき対象がいくつも浮かび上がって、何にここまで心を震わせられたのかと一言では説明しづらいほどの濃密さだった。まだしばらくこの映画について考えると思う。でももう二度とこの映画を「初めて観る時」には戻れないのが悔しい。できるなら何度でも、初めてこの映画を観たい。
色々詰め込みすぎな気もするが
面白かった。
演出は抜群によかったと思う。
母視点では、常にミナト君の読めない気持ちが終始あり、鑑賞者側は「自殺念慮があるのかな?」と思ってしまう。
学校側には心底イラついた。いや、飴食うなよ、それは演出としてもやりすぎでは?と思ったが、その部分は後で補完されたので良かった。
ホリ先生、マジで可哀想だった。飴玉シーンとかは真面目な故によっぽど追い詰められてたんだと思う。実際にこんな生贄の様な事はあるのだろうかと考えてしまう。噂話は時にその人の生活状況、人生を狂わせてしまう。誰にでもあり得そうで非常に怖い。
ミナト君and星川君、素晴らしかった。星川君はおそらく発達障害を持ち、かつ同性愛者。今作のキーマンは間違いなく星川君で、彼らの葛藤する様や、彼らを取り巻く環境、観ててヒリつく展開が多くて見応え十分。
ただ「ん?」と思うシーンもチラホラ。
•ミナト君の横に座ってた女の子は何故スポンジをミナト君に投げつけた?
•学校側は分かるが、何故子どももホリ先生を追い込んだ?(これもガールズバー疑惑の関係から?)
•結局いじめ問題、ホリ先生の今後や星川君の家庭問題など、課題が山程のまま終わってしまった事にモヤモヤ爆発感はある。
怪物の正体
怪物の正体が誰なのか?は、鑑賞した各個人に依って異なるのであろう。
私は、事なかれ主義の世間と、事なかれ主義の個人、それとそれを取り巻く嘘だということだと感じました。
この映画は、3人の主観が少しだけ異なる時間軸で描かれています。
①主人公である、小学5年生の息子のお母さん
②小学校の先生、
③最後は小学5年生の息子さん。
怪物は、小学校のイジメっ子同級生、学校を守り嘘を突き通す校長、それと母に嘘をついてしまう主人公。
①のラストシーンから少しだけ先が②のラストシーン、②のラストシーンの少しだけ先が③のラストシーンでした。
但し、②のラストシーンが正しい時間軸だとすれば、③のラストシーンにならないため、③のラストシーンは別の世界なのかもしれない、と感じました。
切ないけど子供の幸せを願いたい
ここで終わったら嫌だなと思うところで終わった。
でも万引き家族同様やっぱりか、、、という気持ちだった。
親も先生もそして子どもたちも視点を変えればみんな怪物だった。怖いなーと思う。
何が正解か分からなくなる。
安藤サクラの子供を守るために詰め寄る目が怖いし、田中裕子は血が通ってない感じが怖いし、瑛太は普通の良い先生ぽいのにあの彼女を選ぶというのはやっぱりなんか変だし、見てもないのに平気で嘘ついたり事実と違う事を言う子供も怖かった。
微妙な感じがよくお話になったなーと思う。
最後2人がどうなったかわからないけどそれもまた良くって、子供たちが笑顔で居られたらいいなと思う映画だった。
引き込まれた!
前半のフリの部分で「ん?大丈夫か」という感じだったが中盤から見事に展開していった。
ストーリーの要の子役の演技が素晴らしく、安藤サクラの存在感もフリに思えてくるほど。
怪物は誰なのか。
パッと見ではわからないが子供は多様性をもっていて大人が思っている以上に頭がよく敏感なのだと。
それをわからず単純なものさしですばすばと割りきって接していく大人全員が怪物なのだと読み取りました。
ただ観賞後主役二人(子供)の想像力がすごすぎる点を振り返ると、画一化されていない子供はこれはこれで上とは別の(かなりポジティブな)意味で怪物なのかもしれないとも思いました。
そこまで分かってるなら救ってくれよ!
Twitterをみてると、この映画がLGBTQをオモチャにしてるとか、傷つくから観ない方が良い、みたいな批判がバズってたけど、僕はそんな風には感じなかった。
子供の頃、女子みたいって揶揄われた事とか、親に本当の事を伝えようとしたけど、TVに映るゲイタレントを「気持ち悪い」って言ってるのを聞いて伝えられなかった事とか、色々思い出して心がグッてなったけど、「消費されてる」なんて感じなかった。
寧ろ、何が湊や星川くんを追い詰めていったのかが緻密に、的確に描かれてて、こんな風に自分達と同じ目線を描いてくれるんだなって感覚の方が強かった。
でもだからこそ、描いているモノのリアルさに比べて、ラスト(救い)が抽象的すぎないか、という戸惑いもある。
この映画のラストは、湊たちが生きてるのか死んでるのか、どう捉えても正解な作りになってる。だって、他人が思い込みで誰かに、こうなんだよって言えないって事がこの映画のテーマなんだから。
だからもし、今まさに問題に直面してる人がこのラストをネガティブに捉えてしまわないかって考えが頭の片隅にあって、手放しで絶賛できない。
この映画が「答え」じゃなく「問いかけ」に重点を置いてるのも分かるし、多くの人に観てもらうためには効果的なのも分かるけど、ラストだけは大勢の観客の為じゃなく、今泣いてるたった1人の誰かのために作って欲しかった。
少なくとも、現実的な救済(解決策)を1つでも良いから描いて欲しかった。
校舎の屋上から下を眺めてた当時の自分がこのラストをみても、明日を頑張ろうとはならなかったと思う。
今、自分は大人になって少なからず理解してくれる人がいるけど、学生で同じ様な問題に1人で直面している人達が観たら、かなりキツいんじゃないだろうか。
でも、そういう人は必ずいる。ってか居ないはずがない。湊みたいに、なんで自分は生まれてきたのって、人が望む幸せは絶対に手に入らないのにって苦しんでる人が。
だから、そういう人に伝えたい。
そんな事はないよって。
止まない雨なんて絶対ないって。
嘘だって思うかもしれないけど、今抱えてる苦しみは必ず和らぐ時が来る。
誰にも言えなくて、苦しくて、もしかしてずっと自分は1人ぼっちかもしれないって不安に押しつぶされそうになってる人がいたら伝えたい。
諦めないでって。
大人になって世界が広がれば、貴方を理解してくれる人が必ずいる。あなたの味方になってくれる人が、あなたのことを信じてくれる人が。
だから、あなたのままでいて欲しい。
願わくば子供が、なんで自分は生まれてきたの、なんて悲しい事を言わなくてすむ世界が、2人が駆け抜けた、晴れ渡った柵のない世界が、少しでも現実に近づきますように。
少年を苦しめているもの
芥川龍之介の「藪の中」のように1つの事件を三者の異なる視点から語り直す構成になっている。観客は視点が違うことで同じ事件がこんなにも異なる実相をもつことに驚く。
ただ、単にそれだけではなく、この映画がユニークなのは、異なる視点の3つのパートが、それぞれ全く違うテイストの物語になっている、ということだ。
パート1は、シングルマザー(麦野早織)の視点での物語。この物語での「怪物」は、学校や教師。息子のいじめにまるでまともにとりあってもらえない不条理さは、まるでカフカの「城」のようだ。「あなたたちは人間か? 人間の心をもっているのか?」と叫ばずにいられない。そしてヒートアップする彼女の態度は、ここだけ切り取ればまさに「モンスター・ペアレント」そのもの。彼女にとって教師はモンスターだが、教師にとっても彼女はモンスターに見えているであろうことに気がつく。そこで観客は、「相手をモンスターと見る」ことの相対性にハッと気づく。「モンスター」とは、自分に理解できない相手を安易に「モンスター」とレッテル張りする自分の心にあるのではないか…。
パート2は、教師(保利道敏)の視点での物語。純粋で守るべき存在と信じていた生徒たちに陥れられていくような不気味な物語。パート1であきらかな教師失格のような保利は、パート2では生徒思いの良い先生である。ここで、麦野が星川をいじめていると保利が誤解した経緯が明かされるとともに、無垢な存在であるようにみえる星川がこの一連の事件の真の首謀者であるかのようなほのめかしがされていく。浦沢直樹のMONSTERを思わせる。
パート3は、子供(麦野)視点での物語。この物語はこれまでに提示されていた数々の謎に対する真相解明編にあたるが、それだけではなく、少年どうしでの清らかな桃源郷のような世界が展開される。「青い珊瑚礁」を思わせる。二人だけの幸せに満ちた時間と、”外の世界”の醜さと生き辛さが対比される。少年たちは、ビッグクランチ(世界の終わり)や、死んで生まれ変わることを夢見る。ここで、麦野の苦しみの正体が、性的少数者であることに対する悩みであることが明かされる。パート1で描かれた理想的な母親、パート2で描かれた理想的な教師、彼らが理想的で善人であるほどに、彼らが無自覚に語る「常識」が麦野を苦しめる原因になる。見事な反転の構成であると思う。
同じ場面をパート1,2,3のそれぞれの視点で描きなおしているシーンがたくさんあり、面白かった。一番印象的だったのは、校長先生と麦野が管楽器を吹くシーン。パート2では不快な雑音に聞こえた音が、パート3では全く異なる印象に聞こえる。また、パート1では単なるバラエティ番組が、パート3でははっきり「オネエタレントが出ている番組」と認識できた。テレビでは性的少数者を「道化」として扱っていることについて、我々はもっと自覚的でなければいけないのでは?と思わされた。
この映画を性的少数者をテーマにした映画と見ることは、直観的にしっくりこない。そうだとするには、あまりに少年たちの恋愛を理想化しすぎているように思う。たとえば「恋人はアンバー」などのゲイをテーマにした映画では、慎重に性的少数者を理想化して描かないように気をつけているように思う。
この映画が描こうとしている「苦しみ」は、現実世界という不条理を受け入れて生きていかなければならないこと、なのではないかと思った。
構成は非常に高度で面白いが、脚本が完成されているとはあまり思わなかった。いろいろとひっかかる点が多すぎる。パート1やパート2での学校での対応は現実にはありえない。パート2での教師は保護者との話でアメをなめるといった非常識な行動をとると思えない。実際には何も暴力や暴言をしていない教師をまるでハメるように生徒たちがウソをついたりアンケートに不利なことを書いたりするのも腑に落ちない。パート3で教師は作文から麦野と星川が恋仲であることを見抜いたぽいが、あれだけの情報でそう思うには無理がある。数十年前ならともかく、現代が舞台であれば、自分自身を性的少数者と自覚している少年たちが、自分たちを異常(ブタの脳が入っている)と信じ込むのは無理があるのでは…、などなど。
「怪物」とは
怪物とは何だ?怪物とは誰だ?
社会?学校?世論?人間関係?校長?教師?生徒?友達?親?こども?
何が真実・正義で、何が嘘・間違いなのかは当事者同士しか分からない。他人(部外者)がそのときの感情や憶測で物事を判断するのは、「誤解」に近いものであり、「お門違い」だと考えた。
また、1つ1つのシーンの切り取り方・挿入の仕方・順番、カメラワーク、セリフなどとても秀逸だと感じた。
様々なことを考えさせられる良い機会となった。
かいぶつはだれ?
序盤はへんなテンポの映画だなと思っていたら、まぁ仕掛けのある作品でした。
「かいぶつ、だーれだ?」この言葉自体がミスリードなんですね。
怪物はだれもが心のうちに抱えて増幅させるもの。起こった事象をだれもが自分の見え方で価値観で解釈し、イメージを増幅していくわけです。
麦野早織は学校がおかしいと声を荒げ、息子の湊の担任教師・保利のことが怪物じみて見えてくる。
その保利からは、湊がいじめをしているのではないかと疑い、得体のしれない怖さを感じる。
そして、湊は同級生の依里が不思議な存在だと思いながらも仲良くなっていく。
まるでプリズム。誰の目からどのように見るかで、なにが怪物なのか変わってくるんですね。
冒頭のビル家事が象徴的です。だれが放火したのか、ビル周辺でだれがなにをしていたのか。それぞれの人物の見方で変わってくるわけです。当事者なのか傍観者なのかでも違う。本当のことすらわからない。
子役は相変わらずのすばらしさでしたね。
特に湊と依里が仲良くなっていく過程がすばらしかった。片方ずつ靴を履いて、ケンケンしながら帰る場面なんか、ずっと見ていたいと思ってしまった。
湊が依里を好きかもしれないという感情が芽生えたところもまさに演技。セリフなしで愛情なのだと、観客をハッとさせないといけないわけで、しっかり演技で見せている。友情ではなく愛情なのだと。すごいこと。
音は全編、大事なところで鳴っていました。坂本龍一の曲もちろん、不穏な管楽器の音が学校で響いているのも象徴的でした。これは湊と校長先生がイヤなことは楽器を吹いて吐き出すと話していたんですね。
田中裕子が演じる、校長先生も不気味でしたね。ひたすら謝り続ける。子どもを憎んでいるのかもしれない。孫殺しの犯人とも受け取れる。しかしそれもなにもかも偏見でしかなかったのかもしれないんです。
そう観客すら他人事ではいられない。第1幕で穿った見方をして誰が怪物なのか疑い続ける。第2幕でも偏見が覆された体験をしているのに、真の悪を見つけようとする。違うんです。この悪を見つけようとする行為自体が、怪物を生み出すんです。
このバイアスがなければ、2人はもっと素直に周りに話せたかもしれない。母親に先生に。そのチャンスは間違いなくあったけれど、大人がつぶしてしまった。だから2人は追い込まれ、嵐の中を逃避行せざるを得なかった。2人だけの世界へ行かなければ、2人の思いをさらけ出せなかった。
是枝裕和、坂元裕二の2人の仕掛け、味わってみることをおすすめします。
自分の中に潜んでいる怪物性に気付かされました…
公開前から何かと話題になっていた本作ですが、内容については全くの予備知識無しで観ることが出来ました。
色んな視点から語られる真実。
それぞれの立場にたてば全てが真実。
その中で、勝手に犯人を決めつけている自分…。
あぁ…怖っ!
ラストシーンですが、三途の川を越えて、二人はようやく望み通りの新しい人生へと歩み出す…と希望に満ちた解釈をしたのですが、どうでしょうか?…っちゅーても死んでるんですが(笑)
全304件中、121~140件目を表示