怪物のレビュー・感想・評価
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思ってたものとは、ちょっと違ったかな…?
前半はすごく面白かった。
久しぶりに観る是枝作品だと、身が震えるような感じで「この先どういう展開が待っているのだろう?」と、ワクワクしながら鑑賞していた。
しかし、中盤以降になってガキ2人の友情話にすり替わってしまった。ここでジュブナイルものが好きな人には申し訳なく思うのだが、当方は興味ないジャンルなので、正直なところ、だんだんウザく感じるようになってしまっていた。
そして途中から浮かび上がってくるBL色……相手役の子役を女の子っぽい外見と声にしていたのは、こういう同性愛が色濃くなっても下品に見えないよう最低限、観客に気を遣ってくれていたのかなとも思える。事実、BL系ドラマを苦手として避けてきた僕でも、何とか視聴に耐えられた。そういう節度を保ってくれていたのは、是枝監督の配慮ある采配なんだろうと感謝したい。
後半から僕はかなり興味が薄れてきて、どうでもよくなっていたのだけど、ラストシーンを観てハッとした。
子供2人は、すでに死んでいたのかと。
はっきりとした描写や演出的な明示もなかったが、そんなような美しさを感じさせるラストシーンだったのだ。
もし、これが2人が死んでいたとされるのなら、僕はもうちょっとBL色の表現にも許容できていただろうし、むしろ増やしても良かった。いや、もっと死の匂いを前半から伏線的にチラリズムさせても良かったのではないかと思う。そのほうが文学性も高まったし、2人が合い言葉のように「○○の夜」とか記念日のように指折り数えて待つような、その日に向かっていく高まりがあっても良かった。
それだけ死という表現は、生きてるときに生々しかった表現をすべて浄化させてくれる作用があるからだ。
子供たちは心身を「純化」させないと、2人同時に「死の夜」の高みにはいけないだろうから、それをお互いに守るため約束しようと誓いを立ててもいい。それを邪魔する同性愛的な性交への誘惑とかなら、僕もかろうじてBLシーンを許せる……。
「禁じられた遊び」的な感じで、性器の見せ合いっこから、互いに自慰のやり方を見せ合うなどのチラリズムも許せる。それは死という浄化が最後にあるから許せるのだ……。
こんなことを書いてしまうのは、ラストシーンで子供2人が死んだかどうかわからないような「観客の判断にお任せします」的な終わり方をしたからだ。正直、もうこういう終わり方は飽きたな。このパターン、そろそろやめませんか、と是枝監督にちょっと言いたい気分になってしまっていたので、こういう「死の匂い」をもっと出して欲しかったと書かずにはおられなかったのだ。
……というわけで、映画としては物足りなかった。
スクリーンから迫ってくるようなもの、心を抉ってくるような感覚、見てはいけないもの的な非日常の何かを覗いてしまった後ろめたさなど……求めていたものの何かひとつでも発見できれば良かったのだけど……拾えなかった。心には届かなかった。届きそうだったけど、そんなエグさは途中で消えていた。
とはいえ、映画としての節度は保てていた。
この映画を観たあとで、とある批評家のレビューを読んだが、まあ政治的にLGBT方面にこの映画を利用したくてたまらないといった内容で、非情にキモかった。
批評というより、政治系の活動家による印象操作、誘導、洗脳系で吐き気がした。
この映画が、そのようなプロパガンダに屈しなくて良かったと思う。それは映画の敗北だと思うからだ。
担任の先生が受難過ぎw
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主人公の小学生がある日、怪我をして帰って来た。
他にも靴が片方ない、夜に近所の洞窟で一人で歌う、
走行中の車から突然飛び降りるなど奇行三昧。
母が問い詰めると、担任に侮辱され殴られたと言う。
学校に怒鳴り込むと、穏便期待満載の機械的な謝罪のみ。
担任本人も反省してる様子などまるで無かった。
そして主人公が星川くんをいじめてるとも言った。
やがてこの一件はマスコミに取り上げられる。
こうして担任は大勢の前で謝罪会見し、クビ。
これが原因で女にも振られた担任は主人公と話しに来る。
でも逃げられた末、担任に突き落とされたとか言われる。
担任は絶望し、自殺しようと屋上へ。
そこへトロンボーンだかの音が聞こえて来る・・・・。
で後から、カメ止め的な種明かしが始まる。
まず担任はいい先生だった。怪我も偶然で、殴る気も無し。
でも責任を認めないと保護者を怒らせるということで、
認めて謝罪するよう校長らから指示されただけだった。
星川君は主人公以外の生徒達からいじめられてて、
いじめっ子のいない所では2人は仲良しだった。
というか互いに恋愛感情を持ってた。
奇行と思われたことは、全てこの関係が故に起こってた。
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「怪物」なる黒幕がいて裏で糸を引いてるのかと思いきや、
決してそういう訳ではなかった。
「怪物」は単に、2人がやってた遊びに出て来る歌。
裏事情も、それによる主人公の奇行も大体分かったが、
全く分からんかったことがある。
それは何故、主人公や星川が担任を陥れたのか?
彼らのことを思ってくれる、いい先生なのに・・・。
同性愛を隠すためだけに、そんな嘘までつくかなあ?
主人公は賢く分別のある子供として描かれてたけど、
そこだけ異常に幼児性が高くない?って思った。
あと高畑充希が担任の彼女役で中盤に出て来て、
疑惑を晴らす重要な存在なのかと思いきや・・・
出番も少ないしストーリーにもほぼ関係がない。
しかも薄情。こんなの駆け出し女優がよくやる役やん。
出演者に名を連ねさせて集客狙い?と思ってもたってのw
somewhere
ウエストサイドストーリーの秀逸なナンバーのひとつにsomewhereがある。スピルバーグ版ではオリジナル版のアニタ役のリタ・モレノが唄うが、マリアとトニーがデュエットする前作のナンバーの方が、行き場のない愛する二人の切なさに涙せずいられない程、感動的だ。このナンバーは、実は男女になぞらえて、当時はひた隠しにしなければならなかった同性愛者の心情を表現したと言う逸話がまことしやかに語られていた。しかし、スピルバーグ版の新作のメイキングでスピルバーグはこの映画に携わった主要スタッフが同性愛者だったことを公言した。ウエストサイドストーリーが、半世紀経っても今なお色褪せないのは、人間そのもののアイデンティティーの問題と言う永遠のテーマを訴えているからだ。(映画の中でジェット団に入りたがるボーイッシュな女の子の存在は、今なら多くの人が理解出来る)
怪物のラスト、二人の少年が台風一過の清々しい晴天の中を閉鎖されていた線路を駆け抜けて行く。これはあくまで自分の解釈だが、やはりこの二人の少年はこの世にはいない。台風の日に自宅の浴室で自殺しようとした少年を助けて、二人が唯一呼吸の出来る森の中の廃車へと逃げ込む。映画では、二人の少年が死の覚悟をしながら亡くなったのか、そんな暇もなく死んでしまったのかは、観客に委ねれている。
この映画が多くの人に評価されたのは、「怪物だれーだ」と言う問いかけに、単純な回答を用意しなかったからだろう。人間は誰しもその中にモンスターの要素を内蔵していると言うことなのか、それとももっと究極を極めれば、そんな人は誰もいないと言う事なのか?後者を信じたい自分がいるが、昨今の世の中を見ると、前者なのかと疑ってしまう自分がいるのも否定出来ない。
片方の靴がこんなに切なく感じるなんて…
終始ヒリヒリする感覚で見ていました。
結局本当のことなんてどうやったらわかるんだろ。
何事もなくスクスク育ったと思ってるのは、単に分かってないだけなのかもな。とてつもない悩みを抱えてたら、きっと母には話してくれると思ってるのは母親だけで、何にもひとつも分かってないのかもしれない。片方だけなくなった靴がいじめを表してるかと思ったら、実は二人の仲を表してた描写は秀悦だと思った。
次々と視点が変わる描写に、どんどん自分の中のそれぞれのキャラに対する想いが変わっていって、その度に一つの視点から物事を捉えることの危うさを感じ…
でも…どうしたらいい?だってみんな全部なんてわかりきれないじゃない?日本がもっと性に寛容なら二人は悩まなかったの?ヨリの父親がヨリを病気だと言ってるのは、ヨリが同性が好きだからだけなのか、発達障害がある(鏡文字を5年生で書いてるとか、教科書読んでるところとかでそう思ったんだけど)ということなのか、そこがいまいちよくわからず…だってヨリがあのお父さんにそんなに自分の事を話してるとは思えなくて。
色々後から考えると?な事は多いですが、とにかく子供二人のシーンが可愛くて美しくて切なくて…そして子育てした身にはどうやったって子供の全部なんてわかり得ないというのを感じ、自分の子育てを振り返ってしまう、そしてより切なくなってしまう…
とんでもないものを見てしまった
鑑賞後しばらく、すごいものを見た…とんでもないものを見てしまった…という感情の渦の中で、動きが鈍くなった。
序盤から中盤にかけて、予告で流れていた「怪物だーれだ?」という無邪気で空恐ろしい子供の声が頭の中に渦巻き、「この物語の怪物はいったい誰なんだろう、こいつか?いやそいつか?あ、こいつかもしれない…」などと考えながら見ていた、そんな自分の中に確かにある、悪意のない独断や偏見をまざまざと見せつけられ、苦しくなった。
それぞれの見方
母親、教師、子供たち。
それぞれ、三者三様の描き方をしているため、それぞれが相手に感じる感情が変わってくる。
母親の視点では、教師の非道さはもちろん、子供の奇怪さも相まって、母親の不安を充分に煽っている。
また、一人の教師が子供たちの複雑な環境や親や他の教員との関係で窮地に落とされていく様も見事だった。
また、子供たちのそれぞれの家庭環境からの鬱屈した思いや不安など、是枝さんは相変わらず痛々しく、でも純粋に描いてくる。
最後、全てから開放された子供たちは、幸せに暮らしていけているのかもしれないと思うことが、この作品での唯一の救いになるのかもしれない。
後半になってやっと光るが…
前半は謎が謎を呼ぶ展開で、後半になるにつれ、その謎が一つ一つ解明されていく形式のストーリー。
(前情報ないまま見たとして)「怪物」というタイトルと、前半の折々に挟まれる、猟奇的なにおいのする描写を見れば、「酒○薔薇事件を扱った映画だろうか?」等と思わされるが、謎が解明されていくにつれ、全くの思い違いだったと気付かされる。
最後の方でやっと解明される本作の最大の謎は、少年たちが「同性愛を自覚し出していること」である。「怪物」というのは、少年の一人が虐待の加害者でもある実父に言われている事だった。
これは憶測だが、製作者側は「『酒○薔薇事件だろうか』等と思う私のような鑑賞者も同性愛に理解のない怪物なのだ」と言いたいのではないだろうか。自省を促すという面では効果的かもしれないが、考えてみれば、ビルの火災に始まって、学校での暴行事件、猫の死体等、猟奇的な描写の数々に加えて、「怪物」というタイトルなのだから、そう思っても全く不思議ではない。もし製作者の意図がそうなんだとすれば、「私は怪物です」と自己紹介しておいて、怪物と呼んだら「怪物なんかじゃない!」と言われるようなものではないか。まあこれは憶測にすぎないが。
この映画は、不穏な前半から、時系列を遡って少年たちのビタースイートなセクシャリティに帰結する物語だが、思い返せば、その前半が中々ご都合主義的である。
第一に、ありもしない暴行で辞めさせられる担任。辞めさせられるに至るまでのプロセスがかなりよくわからない。辞めさせられる原因となった生徒の母親との関係はかなり悪いはずなのに、後半になって、なぜか台風の真っ只中で彼女の家まで行き、なぜか車に乗せてもらって、突如行方不明になった生徒を仲良さそうに探しに出かける。これに関しては本当に「…なんで?」と思わずスクリーンに突っ込みかけた。
あと、子供に暴行を加えたとして、校長室で母親に謝罪するシーンがあるが、ここでの担任の印象が最悪。後々暴行自体が無いと観客は知ることになるが、事実関係は抜きにしても、謝罪の場で飴を舐めだすヤツは絶対頭おかしい。後々担任はいいヤツだと判明するが、前半の描かれ方は「ヤバいやつ」すぎて、無理矢理感が強い。
第二に、校長先生。この方、担任以上にサイコな描かれ方をされている。自分の孫を車で轢いて殺してしまったのに、その罪を夫に擦りつける(これだけでも相当ヤバイ)、スーパーで走り回る子供の足を故意に引っ掛けて転ばす、保護者に謝罪する場で、保護者の席から見え易い位置に死んだ孫と一緒に写った写真を置く等、かなりサイコパス。な割に、最後の方では少年と音楽室で二人きりになって、「幸せは絶対来ないから幸せなのよ」みたいな、最もらしく、いかにも校長的な事を突然言い出し、一緒に思いっきり管楽器を吹いて「いい人感」が演出される。さすがに校長の印象はもう、その程度のことでは拭いきれなかった。この人の役割は、終始迷子になっていた印象が強い。
担任とその恋人との会話で「小学校の先生の名前、覚えてる? 覚えてないでしょ、そんなものよ」というセリフが印象に残った。ある意味、観客の記憶力が試されている事を示すようなセリフだった。(というか、少なくとも一人や二人ぐらい覚えてないか? 小学校の先生の名前)
時系列がぐちゃぐちゃな映画なので、確かに記憶力は試される。
ただ、このぐちゃぐちゃ時系列は少しやり過ぎな印象で、普通に追っていくのが疲れる。それなりのペイオフはあるが、そのためにここまで時系列をかき混ぜる必要はあったのかというと、疑問だ。
ここまで不満点しか述べていない気がするが、二人の少年に焦点が当たる後半からは光る画がいくつもあった。少年たちが廃列車や廃トンネルでただ遊び回るシーンは素晴らしい。それが友情から、恋愛感情だと気付かされる描写は圧巻だ。
ラストの駆け出していくシーンも、ジーンと来るものがある。先行きはあまり明るくはないが、とにかく「今」が嬉しい! というような、幸せでいっぱいの名シーンだ。
前半をグッと減らして、その分、後半の少年たちのシーンを増やした方が絶対良かった。前半の不穏さがあってからこそ後半が効くのだ、みたいな意見もあろうが、どうしてもご都合主義感が勝る。例えば、星川少年と実父とのやりとりは中々リアリティがあったが、それでも、父の行ってるキャバクラ燃やすかね、いくらなんでも… という風に思わさられる、無理矢理感の強い描写がありすぎた。
あとは個人的にどうしても安藤サクラの演技が苦手だ。なんというか、彼女個人のエゴがプンプン漂ってくる演技。瑛太の演技はとても良かった。
根本的な問題として、同性愛者ではない人間が、こういう風に同性愛を描いても良いものだろうか? という倫理的問題もある気がする。脚本家も監督も同性愛者ではないだろう。問題はないような気もするが… あるような気もする。とにかく、モヤモヤはする。ここを深掘りするとかなり長くなりそうなので、辞めておく。
後半、「終わりよければ全て良し」的な感じで、力技的に持って行かれた気がするが、思い返せば「アレなんだったんだ?」「アレおかしくない?」と思うことばかりの惜しい映画だった。
ありのままを受け入れられない人間のサガ
怪物とは誰なのか?
誰が怪物を作るのか?
子供同士の他愛もない遊び、カードを額に充てて書いてあるものを予想させるゲームも、上手く伝わらないことが面白味になるゲームだが、生活の中で些細なすれ違いから疎遠になることもある。
疎遠になりそうなあの人に、今度こちらから声をかけてみよう、と思わせてもらった。
最後にいじめっ子の家が新聞配達をやっていて、ただの子供であることがわかる。
誰も怪物じゃないんだな。ちゃんと話そう。
いい親、いい先生、いい子供
すべり込みで劇場鑑賞。
ドラマで見たかった気もするけどまあ無理なんだろうな。。
正直、ネタ的に坂元裕二のカマトト節に絆されるのをなんだかんだ待ってしまったとこはある。からの子供パートで、まんまとキター!と。。
いやわかってる。そんなことだろうと思ってた。それでもすでに何も学ぶ必要がないほど賢いし、そのままでいいよ教えたくて仕方ない。永遠に見ていたいと思う反面、美しいと感じることそのものが後ろめたい。
しかしモヤモヤする。映画的にオチてない気がする。
安藤サクラ演じるあの健全そのものの母にすら自分をごまかすための嘘はあり、そのために弱い人間に不要な圧をかけたりする。
「人は見かけによらないから、一面的に断罪するのはやめるべき」というなら、逆に一見どんなにひどい行為にも一定の留保をするべき、となる。
ならば、あの悪ガキたちにも、教員にも、中村獅童演じる父にも、高畑充希にも、しかるべきバックグラウンドがあったんだろうか?
モスト悪質なピープルに見えた田中裕子ですら見方によっては…てことは、答えは言わずもがなだよね?
そしてああいうラストだと結局、贖罪のために努力したり、赦しを請う必要もない、というメッセージにならないか…?それ以前に、下手すると知るための努力すら無意味な場合がある=知る必要もない、となりかねないこんな世の中じゃ。
最終的に2人は行き止まりにぶつかって、生まれ変わった後でその柵を乗り越えた先へたどり着く。彼らの見た景色は画面には映らない。
だけど私は彼らが互いを知った時点で救われたと思ったので、1人でも現実の時間に帰ってくるべきだったんじゃないかと思う。なにしろ彼らの彼らとしての人生は今がスタート地点だし、画面のこちら側にいるたった1人を応援したいんだ、というならなおさら。
こちとら「ムーンライト」とか見てるしさあ。やっぱり余韻の深さが違うじゃん。。
うーん…「万引き家族」の時とはまた状況が違うんだろうけど、やっぱりオチをつけないのがいいオチだ、とは思えないんだよな。
潜在怪物。
さて、どういう視点で受け取ろうか。
はて、どういう角度で語ろうか。
家庭、学校、社会、人間関係、ジェンダー、仮想社会、世の中の問題が全てこの2時間の作品に詰まっているといっても言い過ぎにはならないほど、盛りだくさん。
おそらく多くの人は、この作品を見ながら、「誰が怪物なのか」と思いながら、、「怪物」を探していたのではないだろうか。
担任の先生?校長先生?学校の先生?
2人の子ども?クラスの男子たち?クラスの女子たち?
麦野くんの母親?星川くんの父親?
自分の中に潜んでいる怪物
他人の中に潜んでいる怪物
誰の中にも怪物はいて、それを呼び起こすのは、身近な人だったり、社会だったり、関わる人や環境。
仮に「潜在怪物」と呼ぶが、この潜在怪物は、個々人の中にもいるし、社会全体が潜在怪物といっても良い。
様々な視点で描かれるわけだが、この映画を見ながら、初めは担任や校長に対して、「クソだな、バチ当たれ、やめてしまえ」などと思ったりしたわけだが、そんなふうに思える心をもっている自分こそ「怪物」なのかもしれない。
見ている観客の中の「潜在怪物」さえも呼び起こされる作りに感服した。
本当に「大人」という無自覚な怪物というか、「良かれと思っている時点で、正義感丸出しの偽善怪物というか、そんな怪物にいつからか自分もなってしまったなと感じた。
自分のやっていること、思っていること、考えていることは、自分の立場だからこそ、見えてくることで、照らす位置を変えると、他人からは不可解で理不尽な怪物しかなくなる場合もある。
自分は他人の「潜在怪物」を呼び覚ましてしまう怪物である自覚も必要だし、
関わる他人は自分を壊し得る怪物であるということも忘れてはいけない。
「誰が怪物なのか」がレベル1の見方(個人)だとしたら、
レベル2は「すべての登場人物が怪物で、誰によって怪物にされたのか」(人間関係)になるのかな。
となると、レベル3の見方は、「社会全体が怪物そのもので、どんな社会の影響によって登場人物は怪物になってしまったのか」(社会)
レベル4は、「自分の中にも怪物はいて、どんな人や環境によって潜在怪物を呼び起こされる可能性があるのか」であるとか、「自分のどんな面が他人を怪物にしてしまうのか」(自己反芻)であるとか。
というか、観客によってももつ感想は変わる。これほど、今置かれている状況次第で、見え方が変わる映画もないだろうから。
見る人によって印象は変わる
作品の中の主題でもあるし、この作品そのものを観て観客が感じること。両方の意味に取れるなぁと思いました。
主役の男の子、母親、担任教師、校長。それだけ誰もが色々な仮面をつけて生活している。それが過剰なまでに描写されているのが、瑛太演じる担任の保利先生だったかなぁという印象でした。「自分」だと思って何気なく振る舞っているところが、他人のフィルターを通して「怪物」に見えることがある。
今回は学校を主な舞台にしてますが、自分の職場なだけに振る舞いには気を付けんとなー、と肝に銘じました笑
多くの方が指摘している通り、考える余地を残している描き方ですね。
冒頭から何度も(視点を切り替える意味で)出てくる、ガールズバーのあるビルの火災。火をつけたのは星川くんなんでしょうけど、なぜなのか?お父さんが常連客だったのでそれが気に食わなかったことは言及されてましたけど、明確には描いてないですよね?
それから、ラスト。麦野くんと星川くんは死んだのではないのか、そうではないのか。レビューを拝見したところ、どちらも頷ける理由だったのでこれまた観客の解釈に委ねるってことなんでしょうね。
観たいと思いつつ仕事が忙しくてなかなか機会に恵まれず諦めてましたが、ようやく観られてよかったです!
もう一度観たら、また感じることは違うんでしょうね〜。
ずっと心がザワザワするような映画だった。 わたしたちは自分の正義で...
ずっと心がザワザワするような映画だった。
わたしたちは自分の正義で物事をみていて、その正義に反してしまうとある対象を自分の中の"怪物"としてつくりだしてしまう。
自分の見たもの全てが本物なんて言えないし、自分の何気ない言動、行動が誰かの中に怪物を生み出してしまう要素になってしまう可能性もある。
これまでの偏見、固定概念とかすべて解放して、多角的に物事を見えるようになりたいな
飴舐めるのはやりすぎだなぁ、、、
母親と担任が最初に対面するときに、飴舐めるシーンあるけど、あそこがミスディレクションなのはわかるけど、後半のネタバレパートでの担任の人間性と合致してないよね。本当はちゃんとしてる先生なんだろうから、あの飴はやりすぎだと思った。彼女とのシーンで「飴」回収してるけどさ。
「怪物」ってタイトルもちょっとピンとこないというか。確かにモンペっぽい親も嘘つく子どもも、対応が保身的な教員も「ある視点」から見たら「怪物」風ではあるけどね。もっと「子どもの世界観」に焦点を当ててもよかったな。
ちょっと謎めいた言動が多くてすべての伏線を回収できていない感じがしてやや消化不良かな。
面白い着眼点ではあるし、作品全体も飽きずに観ることできたけどね。うーん、でもやっぱ、
消化不良感
があるんだよなあ。
ラストは2人は天国へ行ったのかな?先生と母親が雨の中叫ぶシーンと晴れた空の下を走る少年たちはつながらない感じがしたしさ。
「豚の脳」っていうのもインパクトある割には回収はされてないよね。
うーん、惜しい感じだなあ。
坂本龍一の音楽は、音符が少ないけど、印象的でいいよね。
マイノリティのエンタメ消費という意見について
作品自体は素晴らしかった。
不明点や不明瞭点を解消するために考察や感想などを探したところ、表題のような意見が散見され違和感を覚えた。
ある批評サイトでは「人間の思い込みや認識の誤謬が本作のメインテーマであるならば、登場人物がマイノリティである必要はない。」という評価がされていたが、その価値観こそ、怪物である。
マジョリティ、マイノリティ関係なく存在することが自然であるという前提があれば、上記のような批評は発生しないはずだ。
うるせえな。
裏を取らずに時事を消費する大衆、矯正されるべきは誰か?
複数の視点から描かれているので、まとめ方はいろいろ。
大人目線なら、モンスターペアレントが若い教師を潰す話。
麦野湊目線なら、性指向への戸惑いと開放。
少年2人目線なら、小さな恋のメロディ。
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1. 大人目線
母(安藤サクラ)の息子を護る熱意に嘘はないが、明らかに担任が悪いと決め付きすぎ。謝ってやり過したがる学校側の事なかれ主義が、事態を悪化させる。似たような傾向は、ワイドショーやネット民にもある。いじめや教員の不祥事が報道されると、悪者認定された者を人肉検索し、社会的に制裁するのが日本の流儀。制裁する側が、皆現場で取材し裏を取っているならまだしも、ネット民は報道と流言を区別できない生半可な状態で、手前勝手な正義感をぶつける。これまで制裁を受けた者の中にも、 永山瑛太演じる教員(保利道敏)のような冤罪が紛れているかもしれない。
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2. 「麦野湊」目線
自分は不幸にも、放映時間を確かめようとして、性的少数者を扱った映画という記事に遭遇してしまった。無論内容は読まず、表題を見ただけだが、「普通にに結婚して幸せになってほしい」という母の言葉に、息子(湊)が車から飛び降りる意味が序盤で分かってしまった。なので、自分にとって最大のハイライトは、車から飛び降りる序盤のシーンだった。
自分は異性愛者なので、湊の気持ちを完全には理解できないが、自分は異常なのか?何故生まれてきたのか?と思い悩む姿に胸が、苦しくなった。依里とじゃれ合って生じた勃起に慄いて逃げ去る姿も哀しい。しかも、母が伝える愛の言葉こそが、彼を追い詰めていくなんて、皮肉すぎて可哀想。
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3.「湊+依里」目線
いじめっ子に囃し立てられ、乱暴に振る舞ってしまう場面もあるが、本当に2人だけでいるシーンは微笑ましい。少年少女の素材を活かしきる、是枝監督の手腕が遺憾なく発揮されている。これくらいの年頃なら、男女でも性的な関係には至らない淡いもの。なので、男の子同士が仲良くしていても、性的志向の云々を心配せずに、暖かく見守っていて欲しい。異性愛者の自分も、少年時代は同性間の方が気が置けず、けっこうベタベタもしながら遊んでいた気がする。
異性愛者に矯正しようとする依里の父もどうかしているが、全く気付かずに湊を追い詰めてしまう母にも足らない処があるのだろう。
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4. 矯正されるべきは誰か?
初見では、仲睦まじいラストを微笑ましく感じていましたが、小説版の「未知の世界に行った」との記述等から、ラストは死後の世界だったようです。ある意味、ギレルモ・デル・トロ監督のパンズ・ラビリンスのような終わり方。少女オフェリアは異世界(夢?)では幸福に満ちるが、現実世界では死んでしまう。本作でも、ラストは2人は幸福に満ちていましたが、現実ではバスに流れ込んだ土砂に埋まっていたようです。性的指向を矯正する親やいじめっ子、あるいは性的指向に気付かず「普通」を押し付ける親や教師がいる現実はディストピアでしかなく、それらの障害がない世界でしか2人は幸せになれないという事。これはBad endなのか? それとも、幸福に満ちたまま逝ったのなら Happy endなのか? 重要なのは、矯正すべきは2人ではなく、彼らを幸せにできない社会の方だろうというメッセージな気がします。
難しい。この時代だから評価されている作品
性的嗜好に配慮した作品。それが故に必要以上に高評価されている印象。少年たちの冒険感はでている。見終わった後も結局この映画はなんだったのかうまく説明できず複雑な感情を抱く。
ホリ先生は一見すると可哀そうだが、いじめに気づけなかった(性格的に気づいたら放置はしなさそう)点で責任がある。湊はそこも分かった上でホリ先生を学校から追い出そうとしたのでは。純粋な悪は星川くんの父親とクラスメイトのいじめっ子。この2人がいなければこのような展開にはならなかった。角田はいらない。ゲイだから星川君の父親はあんなに強く息子に当たっていたのか。息子に幸せな家族観を押し付ける麦野母親にも罪がある。
良い点
演技がうまい
展開が読めない
音楽が良い
悪い点
よく分からない
詰め込みすぎ?
保利先生がひたすら可哀想なだけの映画?
邦画全体の中では間違いなく良作で、ラストシーンは感動的なものがあります。
母親と子供、その担任教師と、それぞれの視点でモノの見え方がまるで変わるというのを、分かりやすく描いています。
それ自体は風刺的で、シングルマザーやモンペ、学校の組織体質、LGBTなど現代における問題を絡ませています。
しかし、鑑賞後に冷静に考えると、冒頭の通り保利先生がひたすら可哀想なだけです。
母親はやはり子供との接し方を間違えているし、
子供も悪気はなくとも嘘で1人の人間を社会的に殺しています。
同じような感想を持たれた方も多いのではないかと思います。
なんか最後感動したけど、冷静に考えると、、、そんな映画でした。
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