怪物のレビュー・感想・評価
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ひみっつの思い
一緒に鑑賞した家族たち「Y」&「A」(二人とも「映画.com」のアカウントは持ってません。)と、私(以下「D」とします。)の拙いレビューです。
Y...
是枝監督作品の『万引き家族』(2018年)は好きではないそうですが、『三度目の殺人』(2017年)は大好きだそうで、今作の評価は☆5だそうです。
A...
自宅鑑賞中は、だいたい途中で離脱して寝るのですが、珍しく最後まで観ていました。エンディングクレジットを観て、永山瑛太さんに苗字があることに驚いていました。
D...
ある登場人物が話す「誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。誰でも手に入るものを幸せ」のセリフから、知的な作品という印象を受けました。
湊の母親(安藤サクラ)視点の校長室のシーンは興奮しました。怖い学校だと思い込みました。もしかしたら、星川くんが黒幕なのかと思ったりもしました。あれこれ予想しましたが、ことごとく外れていたことにあとで氣が付きます。
保利先生(永山瑛太)視点で誤解が怖いと思いました。保利先生も早合点していました。
生徒視点でようやく全貌が現れます。
学校で聞こえた怪物の鳴き声のような音(ブオー、ブアー)の正体もわかります。
いろいろ明らかになるのですが、家庭内虐待の怖さも感じました。
湊の秘密も切ないです。
最後の楽しそうな場面は、まるで『となりのトトロ』(ジブリ作品)のサツキとメイがネコバスに乗ったラストのようでした。
悲しい現実(少年二人が亡くなったの)を明るく描写して締めくくったのか、あるいは、(飛躍しすぎかもしれませんが)湊の母親と保利先生二人のほうが亡くなったかのどちらかだと思います。
早合点の大人二人組が生き残るよりは、少年二人が生き残ったほうが個人的に好きなので、コッソリと秘密で、そう思うことにしています。
この、現代社会へ
怪物とは何か?
この作品のテーマは奥が深すぎる。
特に最後のシーンは意味深で、見る人によってとらえ方は異なるだろう。
私が思ったそれは、
別の世界の朝のように感じた。
嵐の後に生まれ変わった別の世界…
嵐という怪物によって、彼らは彼らの好きな世界へと旅立ったのかもしれない。
さて、
主人公麦野湊の視点
彼は自分自身の中には豚の脳があるという謎めいた言葉で母を惑わす。
その言葉は、親友の星川よりの父が息子に言い放った言葉で、その根源はLGBTに由来する。
湊は自分もそれだということに気づき始めた。
それが確信になったとき、この世界のすべてが壊れてしまうように思った。
「あってはならないこと」という言葉に代表される事なかれ主義の最初の一歩。
子供と大人の境界
湊の父の死の真相
それは、不倫中に起きた事故
それを必死で隠し通したつもりでいる母
湊にとってそれは大した理由ではないのだが、決してその事実に向かわせないと必死な母の心情だけが、湊には手に取るようにわかってしまう。
星川よしに対するいじめの原因
転校生に対する嫌がらせで、大した意味などないが、惰性で続いてしまっている感じもする。
それでも彼は意に介さない体を崩さない。
その対象になりたくない湊
この湊の自分との葛藤が、この作品の大半を占めている。
星川の父は、教師にも自分の息子の脳は豚だという始末
矯正して男にすることが、彼の役割だと信じて疑わない。
その父になったつもりで、なぜ息子の脳を豚の脳と言ったのか想像してみる。
ブタ メスブタ おそらく彼は妻をそのように呼んでいたのだろう。
それが息子の扱いへと波及している。
父は、息子のLGBTを離婚理由にでっちあげている。
シングルマザーの湊の母
彼女は息子に父のような強いラガーマンになって欲しいと思っている。
湊は母の気持ちとの乖離にとても悩み続けていた。
子供に、自分がなれなかったものを押し付ける親たち
彼らもまた怪物に違いない。
さて、
この作品の構成は複雑で、小説ではなかなかしないやり方を映画というジャンルを使って、怪物というテーマを表現している。
物語の根源が、教育者側にあると見せかけておいて、その根源が社会や親や、そして子供自身にもあるということを多角的に伝えている。
湊の母の視点で始まる物語の前半は、彼女の解決すべき問題の根幹が教育現場にあることを示唆しているが、湊の細かな謎については後半に描かれている。
教師の堀
切り貼りされた彼の言動は、TVや週刊誌と同じだ。
その意図された操作によって、悪の根源と見てしまう視聴者の心理
校長
板挟みの頂点にある責任者
事なかれ主義を臭わしつつ、その思考には多くの秘密が残されたままだ。
そして視聴者
彼らを裁こうとする心理
これもまた大きな怪物に違いない。
そして、
中盤の視点は、堀に切り替わる。
諸悪の根源だと思われていた堀だが、彼の真摯な取り組みと些細な歯車の嚙み合わせが事の次第だったと判明する。
ここで概ねの謎が解けてくるが、湊と星川の言動に違和感が残ってしまう。
それが後半に判明するが、それでも最後まで解き明かされない大きな謎が残る。
謎① 火災
星川の父が通うキャバクラ
彼の持っていたチャッカマン
あの火災は、いったい何を意味したのだろうか?
真っ先に出るのが「物語の中の犯人探し」
しかし、おそらく犯人などいないと思われる。
火災はモチーフで、この作品の不協和音的な存在だろうか?
全てのすべての歯車が狂ってしまい収拾がつかないことを表現したのだろうか。
謎② 校長の孫の死の真相
噂
本当は校長がひき殺したという噂
それを聞いて詰め寄った湊の母
トロンボーンを吹きながら「嘘」をついたと告白した湊と校長
校長の嘘とは何だったのだろう?
おそらくそれは、楽器と向き合っていたように向き合えなくなってしまった教育環境だったのではないだろうか?
彼女は子供たちに向き合っていたかったが、いつしか教育委員会やPTAに向きあわなければならなくなってしまったことについて、自分自身に嘘をついていると言ったのかもしれない。
夫の面会シーンに登場するお菓子泥棒の話では、夫が認知症っぽい感じがする。
このことや手持無沙汰のように折り紙をする校長と夫の会話の齟齬の様なものを感じる。
何もかもうまくいかなくなってきた校長の人生を象徴しているのかもしれない。
また、
授業の作文
将来
堀は、小学5年生の時に書いた作文を読み上げる。
彼は、若い時の校長の群像だと思う。
子供に対し、正面を向いているが、歯車の狂いで屋根の上に上がってしまう。
堀に対して書かれた二人の少年の作文
お互いの名前を行の最初に差し込んだ。
「堀先生にわかるかな?」
彼が慕われていた理由が垣間見れる。
教育に対し純粋な若者が摘み取られていく現状こそ、校長自身が自分に嘘をつかなければ生きていけないことを指し示している。
現場を知りもしない外部システムによる圧迫もまた、怪物だ。
さて、、
この作品が示す数々の怪物
その大きな一つが、
他人を奇異な目でみたり、または犯人探しをする目、そして同調圧力の眼
これはストレートに視聴者に向けられている。
スーパーでした校長の足掛け
湊の母の視点は、中島みゆきさんの「ファイト」の最初の歌詞を彷彿とさせる。
そしてジャッジメントの思考
この視聴者の視点こそ、この作品が仕込んだ大きな怪物だ。
店で走り回り商品を落としても叱らない親たち。
校長は昔ながらの手法で子供たちを大人しくさせただけだ。
監督が仕掛けた落とし穴。
この視聴者である我々がしている日常で起こるこれらの捉え方が、この社会構造という実体のない最大の怪物を作り上げている。
実体がないから、犯人もいない。
全員が、犯人だ。
また、具体的な犯人が必要な場合は、すべて会議室の中で仕立て上げられることになる。
そして最後の、あの世界
嵐の後に生まれ変わった別の世界
生まれ変わったのは「私」ではなく世界だった。
私の勝手な妄想だが、彼らは彼らのままで何も問題などないが、それを問題としている世界こそ問題の根幹だ。
あの最後のシーンはそれを意味していたのかなと思った。
この世界でいくら生まれ変わっても何も変化は起こせない。
だからみんな、死んだら新しい世界へと生まれ変わるのだろう。
私が、一番私らしく生きられる世界へ。
若干の謎は残るけど
ふむふむ
演出、脚本、音楽すべてが素晴らしい
カンヌ脚本賞おめでとうございます
カンヌで脚本賞を取ったという事で、ハードルがあがりきった状態で視聴
本作は一つの時系列を三つの視点でリフレインさせ、隠された真実を浮かび上がらせる手法を取っています。視聴者の注目を煽るための展開や、視点による感じ方の違いを強調するためのギミック(先生の飴とかね)に少々あざとさを感じるものの、エンタメ作品としては許容可能範囲。終盤、真相のインパクトを強調よりも根底に流れていた秘密のドラマにフォーカスする作劇からは一流の非凡さを感じました。エンタメ寄りで文学的なエッセンスも少し足されている、くらいのバランス感覚は好みです
言ってしまえば映画「羅生門」のアプローチをベースに、「浦沢直樹作品」のクリフハンガー要素を加え、「少年時代」に着地する作品とでも言いましょうか(浦沢直樹作品のエッセンスは韓国映画に色濃く継承されているので、そちらを思い出す人のほうが多いかも)。竜頭蛇尾に終わりがちな浦沢直樹作品の欠陥を回避するにはこんなやり方もあったのかという驚きもあり。面白かったです
怪物ではなく人間でした
接触ってこれだよ?
原作から入りましたが…
純粋な子供達に振り回される大人達
世にも尊い物語
日常に潜む「怪物」の正体
ジャンルは特撮でもホラーでもないのに、『怪物』というタイトルが意味深だ。
本作の主軸となるのは、小学校教師の児童への虐待疑惑。学校を追及する母親(安藤サクラ)から、非難に晒される教師(瑛太)へ、そして渦中の子供(黒川想矢)へと、視点が切り替わって描かれている。
「怪物」がこの映画のキモには違いないが、その怪物とは一体何か、もしくは何を示唆しているのか。その答えを探しながら観たとしても、怪物の正体はそう簡単には暴けない。主観となる人物が変わるたびに、1つの出来事への認識が異なってしまうせいで、観客が知りたい答えは一転二転し、寸前でかわされ逃してしまう。
「怪物、だーれだ」とつぶやきながら、夜道を1人歩く少年。学校で子供たちの明るい声が響く中に、紛れて聞こえる怪物の咆哮を思わせる寂しげな楽器の音。
怪物は登場人物たちの日常のいたる所に潜んでいて、嘘を飲み込んで大きく育っていく。自己保身に走る大人たちはもちろんのこと、大人の庇護を求める無力な子供も、生きるために意図せず自分の中で怪物を飼っている。
鑑賞後は冒頭からの全てのシーンの捉え方が変わり、最初から見直したくなること必須。結末のシーンも観客に解釈を委ねられた感があり、一度観ただけでは味わい尽くせない奥深さがある作品だ。
本作は第76回カンヌ映国際映画祭コンベンション部門に出品された是枝監督の作品で、最優秀脚本賞(坂本裕二)、クィア・パルム賞(LGBTQに関した作品に与えられる賞)を受賞した。音楽は坂本龍一が担当。
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