怪物のレビュー・感想・評価
全945件中、841~860件目を表示
もう一つの“誰も知らない”
カンヌで二冠。またしても是枝裕和がカンヌを賑わす。
役者たちから名演技を引き出し、文句の付けようがない名演出は、自身の新たな代表作誕生に相応しい。
しかし今回は、坂元裕二による脚本も大きい。是枝が自身で脚本を手掛けなかったのはデビュー作の『幻の光』以来。
脚本の本質をしっかり読み解いたのも、それほどこの脚本に魅了されたという事でもあろう。
確かにこの脚本の見事さには唸らされる。伏線や意味深な描写をちりばめ、回収や繋ぎ方、展開に引き込まれる。脚本賞も納得。
坂元裕二は多くの人気TVドラマを手掛け、『花束みたいな恋をした』を大ヒットに導き、本作で栄誉に輝き、今後TVドラマのみならず映画界でも重宝されるだろう。
兼ねてからリスペクトし合い、コラボを望んでいたという二人。そこに奏でられる故・坂本龍一。
全ての才が素晴らしい形で結集し、世界に放たれた。
これはもう“奇跡”や“偶然”ではない。“運命”で“必然”だったのだ。
話はある一つの“事件”を、3つの異なる視点から語られていく。
所謂“羅生門スタイル”。映画の常套手法だが、どうしてこうも見る側は“矛盾”に引き込まれるのか。
勿論それも、脚本の巧みさあってこそ。
シングルマザーの早織。夫を亡くし、一人息子の湊にたっぷりの愛情を注ぎ、大事に育てている。
最近、湊の様子がおかしい。靴を片方無くし、汚れた服。突然自分で髪を切り、怪我も…。奇行も目立つ。
問いただし、何があったかやっと聞き出すと、学校で担任教師から体罰や酷い言葉を掛けられたという。
お前の脳ミソは豚の脳ミソ。
早織は学校に抗議。が…
何の感情も無く、機械的な口調の、“形”だけの謝罪ではない謝罪。
心ここに非ずの校長。マニュアル通りただ頭を下げるだけの教頭ら。担任の保利に至っては、事の重大さや自分が何をしたかすらも分かってない。
何なの、この学校、教師たち!?
保利の母子家庭を貶す余計な一言やさらに息子さんがいじめをしているとまで言い出し、火に油を注ぐ。
一瞬息子を疑うが、被害を受けたという生徒(依里)に会い、事実無根の確信を得る。
事件はニュースにもなり、保利は休職。
これで一応一件落着と思ったある日、嵐の夜、湊が突然姿を消す…。
傍目には、息子を守るシングルマザーの戦い。
早織から見れば、学校や教師たちが“怪物”。
一人息子を大事に思う早織の言動は誰もが共感する所だが…、うっすら過剰やウザさも感じる。
つまりは“モンスターペアレント”。学校から見れば、早織が“怪物”。
“怪物”とは誰か、何か…?
各々の視点によって、“怪物”は全く異なる。
担任の保利の視点。
ここでの保利は、早織の視点とは全く違う人物像。
早織の視点では大人/社会人として全くの無責任(もっと砕けて言うと、ムカつく!)に見えるが、保利自身の視点では、至って普通の人物。と言うより、真面目で生徒思いのいい先生。
誰がどう見るか、見えるかによって人の印象は変わってくる。
恋人との関係も良好で、生徒からも好かれ、まだ日は浅いが教職にやりがいを見出だしていた。
そんな時クラスで起きた生徒同士のいざこざ。
間違いのない対応をしたつもりが、それが問題視され…。
体罰があった。たまたま肘が生徒の鼻にぶつかっただけ。
先生が怖い。事の収束に奔走しただけ。
体罰教師のレッテル。マスコミにも嗅ぎ付けられ、恋人とも関係が…。
挙げ句の果てに学校から、責任と罪を一人擦り付けられる。
精神的に追い詰められていく…。
保利から見た“怪物”とは…?
自分を見放したら学校。同僚たち。
それは早織も同じかもしれないが、早織視点の場合は非を認めず憤り募るのに対し、保利視点での学校は闇深い不条理な場。
似てるようで、意味合いも微妙に異なる。
また、嘘を付いた生徒たちも“怪物”。
ある時、そんな“怪物”の秘密を知る。
それを見逃し、気付かなかった自分も、愚かな“怪物”…。
“羅生門スタイル”の醍醐味は、最後に伏線が回収され、それらが繋がり、全てが明かされていくカタルシス。
本作のキーキャラは、二人の子供。
湊と依里。
二人だけの秘密と真実。彼らから見た“怪物”とは…?
学校でいじめに遭う依里。
そんな依里を気掛かりに思いつつも、助けてあげられない湊。自分へ苛立ちを感じる。
ひょんな事から密かに親交を持つ二人。
依里が見つけた森の奥に廃棄された電車。“秘密基地”は、二人だけの“世界”。
二人共、何かを抱えている。
母子家庭の湊。父親は事故死したが、その時父は…。
父子家庭の依里。父からは“病気”とされ、DVも…。
“病気”とは、普通の男の子とは違うから。
“豚の脳ミソ”も依里が父親に言われた言葉。
二人を取り巻く…いや、圧する大人たち、社会。
二人から見れば、その全てが“怪物”なのだ。
その“怪物”に、僕たちはどうすればいいのか…?
生まれ変わりや品質改良。ありのままではいられないのか…?
カンヌで受賞した“クィア・パルム賞”。LGBTなどを扱った作品へ贈られる。
そこから分かる通り、二人の関係は友情を超えた同性愛を匂わす。
いやはっきりと、想い合っている。
親、学校、周囲、社会…それらから見れば、変わった僕たちが“怪物”。
でも一体、どちらが“怪物”なのだろう…?
ピュアな秘密を抱える子供たちか…?
保身を固持しようとする彼ら以外の全てか…?
見た人それぞれに訴える。受け止め方がある。見方がある。
だから単純に答えは出せない。
実は今も、果たしてこうでいいのか、もっと違う視点ではないのか?…などと自問自答しながらレビューを書いている。
まだ受け止め切れない自分がいる。
作品が訴え、問い掛けるものや、まだ残された謎。湊の父親の死の疑惑、校長の孫の死の噂、ビル防火の犯人…。
また見返しても、暫く経っても、それはずっと続く事だろう。
私の心に残る作品であり続けるだろう。
書いていたら今すぐにでも見返したいくらいだ。
名演出、名脚本。心に染み入る遺曲。
安藤サクラの名演。
永山瑛太の完璧な演じ分け。
田中裕子の存在感。
高畑充希、中村獅童、東京03角田らも魅せる名アンサンブル。
中でも二人の子役、黒川想矢と柊木陽太。
実力派や名優たちを食ってしまうほど、圧巻。
是枝監督は普段は子役にはナチュラルな演技を要求するが、本作ではディスカッションし、作り上げていったという。
それほどこだわり抜いたほど、作品の要なのだ。
重厚なドラマで、サスペンスフルな雰囲気も。
あの楽器の音色も印象的。まるで、怪物の言葉に出来ない鳴き声のよう。
終始、重く、暗く…。
が、ラストシーンだけ光輝く。
嵐が過ぎ去り、美しい陽光の中、二人が駆け出した先には…?
このラストシーン、ひょっとしたら…? の意味合いもある。
でも私は敢えて、希望ある終わり方と捉えたい。
二人だけが知っている。
これももう一つの、“誰も知らない”。
怪物はだ〜れだ⁉️
予告編でながれるこの言葉が、この映画のキーになる。
母親、教師、子供のそれぞれの視点から、起こった出来事について語られる。このストーリーが見事に、3人のそれぞれの立場と行動を正当化するのだ。この情報からはこうなるよねというふうに、納得してしまう。特に最初の母親には思わず感情移入してしまった。
ところが教師の視点なると全然ちがうものが見えてくる。これはすごい。展開が読めなくなる。
そして最後に子供の視点。2人の予想外の秘密があきらかになり、物語はクライマックスとなる。
答えはもちろんない。
でも、怪物はそれぞれが自分の立場で作り出す幻想なのではないかと思えた。怪物なんているのだろうか、それぞれが自分の視点で作り出しているのではないかと思えてしまう。この映画で唯一、真の怪物なのは、いじめられている少年の父親だけだった。
もう少し早く教師が真実に気がついたら展開は変わったのだろうか。子供達の無邪気な笑顔と内に秘めた心の叫びに思わず涙してしまう。
キーとなる母親の安藤サクラ、教師の瑛太、校長の田中裕子、そして2人の子役の演技は素晴らしかった。
序盤面白かったですが、期待値ほどではない空気が劇場に漂う。。。
金曜レイトショー『怪物』
野球中止で急遽鑑賞〜レイトショー料金の値上に涙。。。
何年先までスケジュール埋まってるのか!?毎年公開される是枝作品
監督の名前だけで期待値上がり、毎年恒例のカンヌでは脚本賞受賞
キャスト的には、俳優陣も誰か受賞しそうな前兆あったので意外な感じがしての鑑賞
序盤、先日まで放送されてたドラマ『ブラッシュアップライフ』かよ!?って感じのシーンも笑えた^^;
異常な教師vsモンスターペアレント的な母親が繰り広げる展開
瑛太vs安藤さくらvs田中裕子は、母親目線→教師目線と目線がかわり見応えありましたが・・・
子供達の真実って描写から不穏な雰囲気に。。。。
子供達のLGBTの第一段階を遠回しに見せられてのあのラスト
どう解釈するのかは鑑賞者によって違うでしょね。
私的には期待値下回り・・・
配信で良かったかなって感じで、エンドロール始まると席立つ人多く釣られて席立ちました^^;
*坂本龍一さんのご冥福をお祈り致します*
まんまと罠に引っかかる
怪物は一体誰なのか・・・次々と現れる怪物候補。
真の怪物は?ああ、この少年っぽいな・・・などと推理したら最後、突きつけられるのは
「はい、あなたも同罪でーす」
という罠。
ラスト。
先入観、偏見、常識、自意識・・・あらゆる概念から抜け出して純化し、歓喜する2つの魂。
「はい、正解はこれでーす」
私が間違っていました。悔い改めます。
という映画でした。
話に引き込まれました
カンヌ国際映画祭 おめでとうございます。
イジメから始まりフィードバックしつつ理由を知らしめながら進むストーリーの作品。想像道理なところと道理ではなかった
ところがあり、鑑賞する人の想像を掻き立てるところが、脚本の方、凄い苦労があったと思います。(センスが最高です。)
繰り返しますが、鑑賞してる方の想像を覆すシーンが何度もあると言う事はすごいなー。普通、1回か2回あったら、お〜〜〜っと思うのに。
家庭、学校の友達とその生徒、同性愛、
この中での他者への、あるいは本人の自分ではどうしょうもない感情での葛藤と打算。
映画羅生門をおもいだしました。
……………………
評論ですが、佐藤さくらさんの演技で星
2。地でやっているのかどうか解らないほどの名演技。そして脚本で2。です。
原作は拝読しませんがストーリーが1で5点です。キツイかな?もって行き方が………。
最後に、2人が走ったシーンがありますが、本当の意味で生存か死か考えさられます。
複雑に絡み合う子供たちの社会と大人の振る舞い
かわいそう
「坂元裕二さん脚本賞嬉しい」
凄いものを観てしまった
激しく感動した。
今年の邦画のベストワンだろう。
「怪物だ〜れだ」という予告編の言葉が見る目を誤らせた。途中まで真の怪物が誰なのかを探っていたのだが。
安藤サクラさん演じる少年の母親から見た第一章。子供の異変に気づき学校に行くも、教師たちは心無い謝罪を繰り返すのみ。会話が通じない教師たちはもはや人間ではなかった。教師たちにとって母親はモンスターだった。
永山瑛太さん演じる担任教師から見た第二章。彼はいい教師だった。守ろうとした子供たちに裏切られ、学校を守ると言う教師たちに潰された。
黒川想矢くんと柊木陽太くん演じる二人の少年から見た第三章。これは『怒涛』と言って差し支えないと思う。登場人物全てが怪物と化していった。誰一人例外を許さなかった。もちろん観る自分も。
凄いパワーだった。
悲観的な展開ながら観終わったあとに残ったポジティブな感触は何だろう。
そう、このクソみたいな世界が少しでも善き世界になれとマジで思った。
久々に是枝が撮れた瞬間
見方が変われば世界も変わる
「僕は可哀想じゃないよ」
生まれ変わってもまたこの映画に出逢いたい、繰り返す意味がある。これは正義の話じゃない、世界の話。立場が違えば見えてくることがあって、だから何も知らずに決めつけは良くないし、やっぱり顔を突き合わせて一人の人間として話し合うことが大事。皆もっとちゃんと対話しようよって。違う人間なんだから意見が食い違うのも当然で、問題はそこからそのときどうするか。周囲の環境や当事者以外の雑音が加熱させる対立や、そうした部外者がいかに(往々にして良くない意味で)影響を与えるか。贅沢な組み合わせと要素の多さも必然。
豚の脳を移植された人間は、人間?それとも豚?怪物というタイトルから連想する言葉は、例えば"モンスターペアレント"。"母子家庭にはありがちっていうか"…穿った見方は誤った見方ってことじゃなくて物事を深く見るってこと。"普通"という枠組みから外れた、生きづらく、本当の意味ではまだ多様性なき世界で思春期の戸惑いというアイデンティティー・クライシスに陥って。髪型(髪の長さ)、強く握られたペットボトル、TVに映るタレント、クラスメイトの女子が読んでいる本、あるいは服装もかもしれない。
皆と同じである"普通"を強いる同調圧力と事なかれ主義の弊害・末路、その果てにそれでも僕らは自分らしく生きていけるのか。事件や政治もそうだけど、もっと日常的に落とし込んで、何事も決めつけは良くない。相手の事情を知ろうともせず最初から敵対姿勢が臨めば、どうなるか嫌というほど僕らは知っているはずだ。
きちんと生活者たちの息遣いや生活がここにはあって、それぞれが見れば見るほど丁寧に紡がれている印象を受けた。誰も断罪したり切り捨てたりしないで。始まってからしばらくは淡々(次々)と日常が流れていく印象があって、けどそれも作品を見進めていくほどに納得できる。息子思いの母親、生徒思いの先生、我関せずで常套句を並べる校長はじめ学校側…。教師による生徒への暴力・体罰、高齢ドライバー、そして偏向報道。真実はどこに?ただ、加熱するマスコミ報道などは本作の中では大きな比重は置かれおらず、世の中に蔓延する無関心や不寛容=嵐のあとに彼らが見た景色とは?
一見、見たまま単純に見えても、起きた事実は1つでも真実は人の数だけある物事の複雑さ。何事も多角的に見る必要があって、それぞれの言い分や正義がある。作り手にとって正義の話でなく、一部から物事は判断できない。そして、それは思春期に芽生え始める恋心の対象もそう。なぜ決めつけられる?だから、息苦しく行き場のなくなった子供の嘘は、無垢なものでなく葛藤の末。助けを求めながら自分でも分からなくて混乱して、どうすればいいか分からなくて。僕は病気?君は病気なんかじゃない。
「怪物だーれだ」
是枝裕和✕坂元裕二✕坂本龍一=日本が誇る各界のマスタークラスな巨人たちが、互いにその才に惚れ込んでは認め合い、ぶつけ合いながらも切磋琢磨して作り上げたこの作品には、レジェンドたちの本気と今の世の中に伝え遺したい真意が感じられて、骨の髄まで沁み入るような映画体験。こんな誰もがその名を耳にしたことあるような人たちに対して使う言葉じゃないだろうけど"俺得"と思っていて、実際見てもその高い期待は裏切られなかったし、なんならちゃんと超えてくれた感も。
ネタバラシパート的入れ子構造な作りも必然、むしろそこにこそ本作の意味がある。是枝節はそのままに、僕らが愛してやまないザ・坂元裕二ワールドなセリフ回しや、『ゲームの規則』など複数人が他人にとっては不都合に動く、素晴らしい脚本も(もちろん普段のドラマにおけるそれほど声を上げて笑えるようなパンチの効いた形ではないが)。だから題材としても納得だけど、ある意味ではカンヌを獲る前から坂元裕二さんは一貫して変わらず同じことをしている、とも言える。
大好きな名優・安藤サクラさん✕永山瑛太✕田中裕子=素晴らしき役者陣。瑛太の『友罪』などで見せたサイコパス演技が良い意味でミスリードになっていて効いていた。そして、茶髪ヘアで現代人らしいスタンスの高畑充希。東京03角田や中村獅童は安定。それらを捉える撮影に、是枝監督による編集など本当にすべてがすごいな、と。
『万引き家族』のときも書いたが、本当に演出の意図が伝わる。是枝監督と子ども。カメラを意識させないように、ごくごく自然体な空気を引き出す卓越した子供への演出力。『万引き家族』が喜怒哀楽の"怒"だとしたら、本作も作品中盤くらいまでは"怒"を感じた。"ひと夏の魔法"と形容したら些か聞こえが綺麗すぎる気もするが、語弊があるだろうか?火事に始まり、台風で終わる。虹はかからないかもしれないけど、最後には微かな希望もあって少し救われた。
決して音楽が前面に出ているわけではなく、的確に必要な時に必要な音が鳴るようでいて、けどそれが坂本さんらしい形と深度で作品に寄り添うさまは、シーンや、引いては作品全体をやはりより一層印象的なものにしていることは間違いない。ご冥福をお祈りします。そして、本当にありがとうございます。
勝手に関連作品『きみはいい子』『彼女が好きなものは』『禁じられた遊び』『スタンド・バイ・ミー』『イントゥ・ザ・ワイルド』『つぐない』『羅生門』『ある少年の告白』『海よりもまだ深く』
P.S. 作中、台風が直撃する本作の公開日が台風で雨だった偶然。
「救い」は有るか。
額のカードは自分には見えない
何度も予告を観て気になっていた本作。公開日はあいにくの悪天候で、大雨・洪水警報の中での鑑賞となりましたが、おかげで観客3人という恵まれた環境で落ち着いて鑑賞することができました。
ストーリーは、一人息子・湊の異変から担任・保利の体罰や暴言を疑った母・早織が、何度も学校に出向いて激しく詰め寄ったことで、学校もそれを事実と認め、大勢の保護者の前で担任が謝罪し、マスコミも取り上げるほどの問題となったが、実は担任や学校だけが知る事実があり、さらには大人たちの認識とは全く異なる、当事者の子どもたちだけが知る真実が存在し、しだいにそれが明らかになっていくというもの。
全体を母親パート、担任教師パート、子どもパートで描き、同じ出来事でも立場や考え方の違いから、それが全く異なる見え方をすることを描いています。珍しい手法ではありませんが、三つめの立場があり、それが子どもであり、そこにこそ真実があったのだという描き方がおもしろいです。
まずは母親パート。シングルマザーとして人一倍息子を愛していたからこそ、息子の口から出た言葉に大きな衝撃と深い悲しみを覚えたことは容易に想像できます。それが、学校の不誠実な対応によって不信と怒りに変わり、攻撃へと転じていくのも無理からぬことだと思います。ただ、学校の描き方には悪意しか感じませんでした。あんなでくの坊のような校長はいません。学校の内情を少なからず知る身としては、まだこんなステレオタイプな描き方しかできないのかとうんざりします。しかし、これはあくまで母目線でのこと。親の目には、今でも学校はこう映っているのかもしれません。
続いて担任教師パート。ここでまったく別の真実が顔をのぞかせます。先のパートの裏側が見え、とても優しく熱心な保利先生の姿が浮かび上がります。とはいえ、別人レベルの描き方なのは気になりました。こんな先生が、校長室で保護者対応中に飴を食べたりしません!しかも、先輩教師たちの動きは変わらず、トカゲの尻尾切りによる学校の保身。ここでも、熱心な教師が学校という組織につぷされるような描き方に強烈な違和感を覚えてげんなりしました。学校が守りたいのは学校ではなく、子どものはずです。そのために、全てを詳らかにしないというなら、まだ説得力があります。
そして、最後の子どもパート。ここでやっと本作の真価が発揮されたように思います。大人たちは、自分たちの見たものが真実であり、それが全てであるかのように誤解し、怒りや憎しみを抱き、次々と負の連鎖を生みだします。また、子どもの気持ちをわかった気になり、型にはめ、自分の理想や希望を押し付けます。でも、子どもにも自我があり、彼らだけの社会があり、その中で折り合いをつけて生きているのです。大人が大切にすべきは、そこに寄り添うことではないでしょうか。
タイトルの「怪物」は、我が子かわいさで暴走する母親、子どもに寄り添えない担任、保身に走る学校、事件をおもしろおかしく書き立てるマスコミなど、そのどれもを指しているように感じます。また、当事者の子どもたちも、自分たちの行動や嘘がどれほど多くの大人を巻き込み、人生を狂わせたのか、知らなかったではすまされないでしょう。そういう意味では、無自覚に大人を振り回す子どもたちもまた怪物と言えるかもしれません。
人は誰しも怪物になり得るし、なったということを自覚できないのかもしれません。それは、額に掲げたカードを自分自身では見られないのと同じです。他者の目に映る自分の姿を教えてもらい、自らを振り返る必要があるように思います。
キャストは、安藤サクラさん、永山瑛太さん、田中裕子さん、中村獅童さんらで、ベテラン俳優陣が安定の演技で魅せます。それを前に、子役の黒川想矢くん、柊木陽太くんが、中心となる二人の少年役を堂々と演じきります。
子供たちの活躍が救いです
全945件中、841~860件目を表示