怪物のレビュー・感想・評価
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“怪物”たちのための映画だった
世界的に知名度がある是枝裕和監督と
日本を代表する脚本家の坂元裕二が
クィアをトピックにして映画を撮ったこと自体は
素晴らしいことだろう。
しかし本作でのクィア性は、
所詮、トピックでしかなかった。
“怪物だーれだ”
製作者はこの言葉を厭に気に入っているようだが、
そんなの問い直さなくても、決まりきったことだ。
母親は結婚やら理想の家族像を押し付け、
先生は男らしさを規定する。
そんなのアウトだって啓蒙するのって今更すぎないか?
どんだけクソジジイを対象に映画作ってんだよ。
タイトルからして怪しいと思ってはいたが、
怪物のために作る映画って本当に意味あるの?
そしてその“怪物”性を描くために、
それまでは二人の少年の繋がりはクローゼットされる。
単純に、後半の二人の姿から観られればよかった。
前半部分のミステリー要素なんて本当に冗長で、
特に母親と校長の諍いとか本当に見たくなかった。
田中祐子にあんな言葉言わすなよ。
(二人で演奏するシーン)
瑛太パートとか何のためにあるのマジで。
そういう諸々抜きにしても、単純に面白くなかった。
行ったり来たりしてまで描きたいものが見えてこなかった。
言葉の暴力とかをいちいち伏線にするなよ。
謎として解き明かそうとするなよ。
何年前の映画だよ。観客は先進んでんのよ。
ラストシーンとか、本当に、は?だったよ。
この主題で曖昧さを残すとか許されないんじゃないかな。
「ハートストッパー」とか
「ムーンライト」とか
「ジョン・F・ドノヴァンの死と生」とか
観てんのかな?
当事者たちが映画の中に自分を探してきた
その旅の深さを舐めすぎてるよ。
結局は、マイノリティが物語として消費されただけだった。
物語でもないか、感動ポルノに近いかもしれない。
涙も流れないよ、、。
もう当事者としての涙しか流したくない。
追記。
やっぱり瑛太パートで気に食わなかったのは、
マイノリティが周囲からの日常的な圧力で
身を隠そうとしてしまったときに、
何故マジョリティが犠牲になる、みたいな
描き方をしてしまったのかという事だと思う。
だってさ、いま起きてることって、
例を挙げれば黒人差別者によって無害の当事者が
通報されたり殺されたりとか、
トランスヘイターやトランスを偽る加害者によって
無害の虐げられた人々がより不幸を被る
とかってことじゃない。
それをさ、なんでマイノリティも加害者になり得るって話にしてるの??現実と全く擦りあってなくない?
ラストについて、猫について
猫について。
猫は死んだ。
なぜ猫なのか。
1番普通でストーリーに馴染むから。
最初はそう思った。
しかしこの猫は生まれ変わるために火葬される途中で、中止される。
これは生まれ変われたのか、生まれ変われなかったのか分からない中間にいる。
これはシュレディンガーの猫だと思う。
この物語においては、「生まれ変わりとはそれが出来たのか出来ていないのかがわからない、折り重なったものであり、確認できない以上、開けられないままのシュレディンガーの猫」なのだ。
それがラストに繋がるのだと思う。
彼らは結果どうなったのか。
どちらも考えられるが、それは確認できない箱であり、それは折り重なっている。
折り重なった様こそがラストシーンなのだ。
怪物は誰か
全員怪物(不快な人間)と思える、不愉快な作品でした。
見始めてすぐに不愉快に気分になって、なぜこれが脚本賞をとったのか私には理解不能でした。ダイ・ハードや伊坂幸太郎さんの本のようにすべてが繋がってすっきりすることもなく、無理やりパッチワークでつなげたようにしか思えません。とにかく、学校にいるすべての人間の描写がむご過ぎです。カンヌであれが日本の学校のスタンダードだとは思われてはいないでしょうが、昔の学園ドラマや、アニメに出てくるような教師や子供ばかりで、ものすごくイライラしながら観ていました。
とにかく後で伏線を回収するために無理やり作ったような場面が多すぎです。クローズゼロなどのように、荒唐無稽な話なら、どんな突飛な場面があっても受け入れられるけど、この映画は日常を切り抜いた、リアリティのある話という前提ではないんですか?
突っ込みを入れたくなる場面の主なものを書くと
①母親・・・靴が片方なくなっていたり、水筒に石ころなどが入っていた時点で、明らかに子供からのSOSなのにさらっと流すなんてありえないでしょう。
②息子の湊・・・なぜあそこまでうそをついて担任の人生を狂わせる必要がある? 靴も片方だけ家に置いたり、水筒に石ころを入れっぱなしにするのもおかしいでしょ。そもそも担任やほかの先生にいじめのことをなぜ言わない?
③担任・・・あんな露骨ないじめに気が付かない時点で教師失格です。図工の時間に絵の具を塗りつけるいじめがあるけど、担任(または専科の教師)は見て見ぬふり? ありえないでしょ。校長室での場面でも、あの状況で飴をなめさせる脚本っていったい何ですか?リアリティのかけらもないですよね。猫の件で女の子に話を聞く場面も、ほかの子の前であんな聞き方をする教師はいません。ふつうは別室にさりげなく呼ぶなどして聞くはずです。あんなほかの子に聞かれる場所で質問されたら、「チクった」と思われるので、本当のことを言えるはずないでしょ。
④他の教師たち・・・あんな事実確認もしないまま、保護者の言うがままに担任を悪者に仕立てるなんて、いったいいつの時代の話ですか?(いや昔でもこんなむごいことはなかったのでは?) 腕と鼻の接触の件も、ちゃんと他の子供たちにも聞き取りをしたら、偶然当たったことがわかるはずです。
⑤他の生徒たち・・・いじめを見てもほとんどが放置だし、教師にも伝えない。まーそういう信頼のない教師や学校という設定なんですかね。
ほかにも映画を観ながら突っ込みを入れていた場面が多々ありましたが、多すぎて忘れました。
最後だけちょっとハッピーエンド?っぽく光に向かって進んでいくという描写でお茶を濁したとしか思えませんでした。
最初から最後まで批判ばかりになってしまいました。この映画を面白いと思った人には不愉快かもしれませんが、素直な感想です。
どこに逃げれば
「怪物だーれだ」
これは、ちよっとしたゲームの、それ以上でもそれ以下でもない台詞。それがタイトルとなっているが故に、強烈なリードとなって怪物探しが始まってしまうのだ。これにこだわりすぎると、せつかくの本作に埋め込まれたメッセージが薄まるように感じた。個人的には、観る際にあまりタイトルに振り回されない方が良いのかと思う。エンタメとして良いのだろうが、どうしても本作の感想につきまとう「誰が怪物論」には、いささか疲労感を覚える。
子供達の真実は明朗だが、周りの大人達は自分から見えるものを自分の見たいように見て、勝手に事態を複雑にしていく。観終わればただそれだけの物語だが、その過程では怪物探しをしている観客も、周りの大人に溶け込んでいたことに気づいて、なんとなく居心地悪さを感じるところが、本作の面白さか。
1つのストーリーを、章立てごとに、何人かの人物の視点で描かれる。最後の章が一旦の真実となるのだろうが、本作は真実を追いかけるサスペンスものの面だけではなく、複雑になっていく社会で思春期を送らねばならない子供達の、シリアスな課題を汲み取る事が期待されているのではなかろうか。一昔前は若者は「自由への逃走」で良かったが、今の子供達はどこへ向かって逃げれば良いのだろう。
ともあれ、是枝監督の丁寧さがありつつ、ノンフィクションっぽくまとまっていて、テンポも良かった。背景が諏訪湖の周りの自然豊かな田舎の街だったので、ゆったりとしたシーンもあるのかと思ったが、意外に少なかったかな。
車から落ちるシーンはドッキリで、これは想定外。「レディ・バード」のシアーシャ・ローナンの同じようなシーンを思い出した。
俳優陣も人々を章立てごとに濃淡つけて演じていて、そのあたりも見どころでしょう。子役達に加えて、永山瑛太は怪しくもあり、誠実でもありの役でひとり数役くらいの感じで熱演だった。
本作を見て、大人にとっても生きづらい世の中は、子供にはどんなふうに映っているのだろうと思った。社会課題に向き合う是枝監督が、そんな作品を作ったら見てみたいですね。
子供達よ 信じる道を走って行け
一人息子を育てるシングルマザーを安藤サクラさんが、春に小学校に赴任したばかりの教員を永山瑛太さんが熱演。
トンネルを抜けたその場所は、まるでジブリの世界のよう。
早朝から夜遅く迄、多くの業務をこなしながら働く教員達の事を思いながらスクリーンを見つめていました。
ラストシーンでは思わず嗚咽が。
是枝監督の真摯で温かな眼差しが本作でも溢れていました。
坂本龍一さんが弾く美しいピアノの音色が沁みた。
映画館での鑑賞
物事の視点について
映画をみて物事の視点について考えさせられる映画でした。
ここでは先に映画の評価や内容のことより先にこのことを書きたいと思いました。
物事はいろいろな角度や観点、一つの方向だけではなくあらゆる角度から判断していかなければいけないなと思わされた映画でした。
ここからは映画について。
前半ではシングルマザーからみた子供の様子や生活の様子です。シングルマザーとしてしっかり子供を守らなければという母性が描かれています。
中盤は担任の先生視点からみた子供たちの様子。担任としてしっかり子供たちをみなければいけないという責任感が描かれています。
後半は子供たちの葛藤が描かれており、すべての謎が解けていきます。
おおざっぱにざっと書くとこんな感じかなと思いました。
最後までみると…
子どもたちにとって親も担任の先生も一番身近で味方になってくれるはずの人たちからの何気ない言動で傷ついていくことがわかる描写が丁寧に描かれています。これは子どもたちだけでなく大人にも言えることであると思いますが…。
最後のシーンについても意見がいろいろあると思います…
自分の見解としては土に生き埋めになって亡くなったと思っています。
このことについては伏線がはられているのでそう捉えました。
そして最後はいろいろなことから解き放たれた二人が描かれています。二人にとってはハッピーエンドなのかもしれません。
この作品はいろいろな方に見ていただきたいと思いました。
見る人によって視点が違い感想もざまざま出てくると思いますのでぜひ見ていただきたいです。
子役がとにかく素晴らしい。
主演の2人が、演技とは思えないほどの自然さで素晴らしかった。子供独特の純粋さと危うさ、矛盾だらけの言動をよく演じていた。今後が楽しみだ。
物語はできるだけ事前情報を入れずにフラットな気持ちで見てほしい。
さすがカンヌで脚本賞をとっただけあり、前半で貼られた伏線が後半でどんどん回収されてくるカタルシスがあり、全てを知ってからもう一度最初から観たくなる。
~以下ネタバレ~
最も粗は残るし最初まで解明されない部分は多い。なぜあそこまで保利先生を悪人に仕立て上げたのか。主演の2人に加え、うさぎについて証言した女生徒や、他のクラスメイトも保利先生の無実を知っていて味方をしない。
ただ子供とはなんとなくで嘘をつくし、予想以上に空気を読むので、保利先生一人を犠牲にしようとする学校側の求めるような答えを返したのかもしれない。いじめ問題に目を背けるために先生をスケープゴートにしたのかもしれない。いずれにしてももう少し納得できる理由付けが欲しいところだ。
第一章で酷い悪人に見えた保利先生が実はいい先生だったという仕掛けにしたかったのはわかるものの、恋人にゴムなしで「大丈夫だよ」とセックス迫ってる時点でこいつクズだなと思ってしまったので、全く保利先生に同情できなかった。
他にもダメな部分は多く、親から事実無根のクレームがあったとしても、理由をシングルマザーで過保護なせいだと決めてかかったり、子供が嘘をつくにしてもその背景を考えたり肝心の子供に丁寧に聞き取りをするのを怠ったり、謝罪の場で飴を食べたりしたらどう考えても悪手なのにそれをやること自体もう相手を舐めてるんじゃないかとしか思えない。
いくら保身に走っているにしても、周りの教師が保利先生を少しもかばい立てしないというのはさすがに人望がなさ過ぎる。マスコミが来たことで彼女にあっさり切られたところも、所詮相手と浅い関係しか築けなかった象徴のようだ(避妊しないクズだからこれを機に別れたのかもしれないが)。
湊の母親は頑張っている。だが頑張っているだけで息子を理解してはいない。11歳の子供が性的指向で悩んでいるかもしれないことを予測しろというのは無理があるかもしれない。だが、一つだけ映画から普遍的なことを言えるとしたら、親はどんなに子供のことを思ってるつもりでも、そういった必死さも含めて子供を時に追い詰めていることがあるのだ。湊の「うちも親に気を遣う」という言葉が物語っている。
第一章でいかにも良い夫、良い父親だったように語られる亡き湊の父親は、不倫相手と一緒にいるときに事故死している。それを湊は知っていることに母親は気づいているのかいないのか、湊は母親といるときは「良い父親だった」ごっこに付き合っている。
子供は親が思う何倍も物事をよく見ている。
ところで怪物の正体は何より中村獅童演じる星川君のお父さんだと思った。あの虐待っぷりは怖い。あいつをなんとかしない限り、2人の今後には何一つ救いがないように思えてしまう。
人生の交差
怪物
群像劇として緻密なことは勿論、ありがちなクレーマーという言葉を教師側から先に引き出しておいて反感を買い、一部その通りに視点をひっくり返すところに、演出の別格さを見る。
加害者は大人達で、子供達でもある。
どうしようもない場所で抗う、教師達の諦めに覆われた眼には意味があり、そして別の表情がある。子供達の天才性と残酷性は、そして大人の「世界」とは相容れない。
後半は救いのストーリーでも、保利先生と依里少年の酷く張り付いた笑顔が心に残る。
子役が素晴らしい
凄まじい完成度。問題を見過ごし続ける“現代”そのもの
これは傑作と言っていいと思う。
社会問題が山積で、解決できる時間も労力もない。そうして大切なことが蔑ろにされていく。
そんな現代へのあきらめと、
それでも希望を持ち続けたいという制作者の思いがひしひしと伝わってきた。
そんなメッセージを具現化させた脚本が素晴らしい。
そして、説明的なセリフがないかわりに、
映像と編集で伝える卓越した技術が素晴らしい。
本作はしばしば時系列が戻る。
(カメ止めや内田けんじ的に)
時系列が戻ったりすると、
途端に分かりにくくなるのだが、
様々なポイントで理解できるように構成され、
さらにそれがわかった上で物語が展開する。
途中で何度か登場人物の視点が変わるのだが、
それは視点によって人の印象がまるで違う、
という演出だろう。
そのすれ違い、勘違いこそが、問題の解決を遠ざけ、最も大事なことが置き去りにされるという現代の本質をついている。
諏訪湖という舞台設定も見事。
湖の美しさを感じるシーンもあれば、別のシーンでは鬱屈とした沼のような印象も受け、その表情がとても雄弁だった。
非常に複雑ではあるが、
それを理解できる形に昇華させた見事な傑作。
もう何度か見に行こうと思う。
手に入るもの
嘘って誰のために
何のためになんだろう。
自分守って
自分に嘘つくのはしんどい、そう追い込まれてしまう世の中(マジョリティ)の都合から身を守りながら
自分の心の動きを目を凝らして見続ける気持ちを持てるか持久力と耐久性が必要。
大事なことは言葉にできない
言葉になり得ないものを抱え込んでる人たちの話、なるべく言葉にせずに伝えようと思った(是枝監督)
言葉や表情身体で伝えても応えてくれる相手が自分にとって大事で、ほんの一握しかいない。
怪物探しをするばかりでは
言えない抱え込んでいるものに気づき受け取れる社会には道が遠い。
三者三様の三部構成。
ちょっと真偽不明のところもありますが
一回観るだけでは見落としてることがあるでしょう。
是枝監督がずっとテーマにしている社会の貧困。
貧困の根源は経済か愛情か…
イジメの場面がしんどい。
2人の少年、湊と依里が教室に居場所のない様子はその空気に感情が溺れてしまう。囃し立てる子たちの社会から心の貧困を映す場面がほとんどない尺に入らないのが残念。
周りはその他大勢とし役割として都合の良く切り取って消費してしまった、その辺りが物語を薄くしているのではないか。
同調圧力、何に怯えているのか、それぞれの中に怪物は宿る。
学校で形を変えて、この様な同調圧力が日常的にあるんだろうかと思うと気が重くなりました。
本当の自分の気持ちをそのまま言えない、そして自分の言葉が人に傷を負わせるのを快感とする社会はあまりにも思いやりがなく想像が貧しい。
思春期の自分の心に対する問いは人を好きになること、
そこから自分の形が見えてくる。
そして相手を大切に思いやる感情は親からの愛情が基礎になる。
そのままの自分をどう受け入れていくか
相手をどう受け入れていくか。
自分だけ特別に手に入るものより普通に手に入るものが幸せをもたらすのかな?
異形の心は怪物なのか?
「怪物だ〜れだ」が耳に残る。
#怪物
#是枝監督
#映画
いた?
恐れる自分と認めたくない自分
子役2人の演技力が尋常じゃない。
日本映画界の狂犬4人(安藤サクラ・永山瑛太・田中裕子・中村獅童)が勢ぞろいしながらも、彼らを押しつぶすほどの演技力。正直、母親(安藤)パート、先生(瑛太)パートを忘れちゃうくらいすごい。黒川想矢と柊木陽太ね、覚えた。
今までの是枝裕和監督の作品だと、「さあ、あなたはどう思う?」的な投げかけ強めだったんだけど、本作は坂元裕二が脚本を書いていることもあって、テンポは早いながらも割と丁寧に、ふんわりとだがちゃんと着地している感じ。個人的にはこの手の方が後味がスッキリして好きかも。まぁ、前半パートの投げやり感は否めないが笑 だけど、胸糞悪い、どっしりと重いイメージの過去作からすると、若干物足りない。エピソードも、同じ場面を3つの視点から、といった作りであるため「万引き家族」のような見応えはあまりない。
しかしながら、カンヌで脚本賞を受賞したのに納得のいく秀逸なストーリーでした。自分の目で得る情報には限界があり、見たものは全体の一部でしかない。それを頭で考えて、どう補うか。これが人間にとって必要な力である。と、割とありがちなテーマではあるけれど、3つの視点という作りを見事に生かしながら訴えかけていました。それぞれの立場に立って目視する度に考えが変わる観客も、登場人物と全く一緒。結局は、自分の見た情報を信じてしまうから、そこから都合のいいように物語を作り上げてしまう。〈ガールズバー〉なんて特にそうだよ。
とまぁ、このことも言いたかったんだろうけど、実際はそうではなくて。「怪物」というタイトル、そして予告で散々流れていた「怪物だーれだ」というセリフから、誰が主悪の根源であるのかを探すストーリー、ある意味ミステリー要素のある映画だと少しばかり思っていたんだけど、違う。「怪物なのかもしれない」と"恐れる"自分と「怪物では無いはずだ」と"認めたくない"自分。そんな自分を守ろうとするあまりに、人を傷つけてしまう。ざわめく心に葛藤しながら生きる。どっしりと考えさせられるものがありました。
予告の魔王はやり過ぎかな。深いテーマではあるけど、ドロドロとした感じではなく、人間の成長物語のような、サスペンスよりもドラマな作品。学校側の対応の雑さは流石にどうかと思ったけど、ちょっと予告と本編がマッチしておらず、見て欲しい見方に持っていけてなかったような気がしました。特報の雰囲気がすごく良かったのにね。
面白い物語や考えさせられるテーマよりも、子役2人に目がいって仕方ない。何度も言うようで何だけど、本当にすごい役者だよな。是枝さんの見る目もやっぱりすごい。もっと長尺で子どもパートが欲しかった。逸材発見ですぞ。ぜひとも劇場でご確認を。
何が怪物なのか。
もう一度みたい
様々ない視点からのストーリーが描かれていて、そういう事か!の連続です。凄いと思ったのは、きっとこの先のストーリーはこうだ!という考えが結構の割合いで裏切られます。そういうシーンが多くて頭が追いつかなかったので、もう一度見てみたいですね。
気がつけばチョットした勘違いで、誰でもいつ怪物になるか分からない世の中なんだ〜と考えさせられました。
チョット残念なのは、中盤まではテンポ良くストーリーが進むのですが、後半の麦野と星川の2人のストーリーは中身が感じられず、間延びしてる感がありました。上映中に2人ほど寝てしまったのか、イビキをかいてる方がおられました。
なかなか映画を見てて寝ちゃう人っていないと思うので、アカデミー賞に選ばれる程では、ないんだろうなぁとは思うのですが、カンヌで脚本賞とクィア・パルム賞を受賞したので、おそらくこの映画で決まりなんだろうなぁ。日本は日本基準で選んで欲しいなぁ
子供時代から悩まされるジェンダー。
全961件中、761~780件目を表示