劇場公開日 2023年5月5日

「見かけはロメール、中味はベルイマン」それでも私は生きていく かなり悪いオヤジさんの映画レビュー(感想・評価)

3.5見かけはロメール、中味はベルイマン

2024年2月11日
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このミア・ハンセン=ラブという女流監督さん、おそらく北欧系の血筋のせいなのだろうか、女性の描き方がノーマルというかきわめて真っ当なのだ。前作『ベルイマン島にて』においても、尊敬するイングマル・ベルイマン監督の放埒な生き方とは対照的な、最後はちゃんと愛する家族の元に戻る“母親”としての女性を描いている。現在フェミニズム志向の女流作家が席捲している映画界において稀有な存在とも云えるだろう。

劇伴として何度も繰り返されているスウェーデンのアーティスト、ヤン・ヨハンソンによる“Liksom En Herdinna”は、ベルイマン初のアメリカ資本映画作品『愛のさすらい』(もちろん未見)という不倫メロドラマの劇伴として使われていたらしい。本作の脚本を書きながらラブ自身がずっと聴いていたという。どこか古いシャンソンを想わせるメランコリックな旋律が、介護と不倫の間で揺れ動くシングルマザーの心境と実にマッチしている。

ラブ本人の哲学者でもあるお父様が脳萎縮症にかかり施設で療養中、コロナ禍で面会もままならないまま亡くなった時の経緯がベースになっているらしい。娘として愛する父親を満足に介護できなかった疚しさをして、セドゥ演じるシングルマザーサンドラに、家族のいる宇宙物理学者クレマン(ベルヴィル・プポー)との不倫に走らせた、そんな気がするのである。

難病にかかった父親が次第に壊れていき、サンドラの母親と別れた後付き合いはじめたパートナーの姿は直ぐにわかるのに、目の前にいる娘の髪型さえ認識できなくなっている。そんな父親の姿を目撃し「もし父親と同じ病気を発症したら直ぐに私を殺してほしいの」涙ながらに恋人にうったえるサンドラの姿は、やはりベルイマン監督『鏡の中にある如く』で母親と同じ精神病を発症したカリンとどこか重ならないであろうか。

私が父親と同じ病気にかかってしまったら...サンドラがクレマンの腕に抱かれながら流した涙のわけは、父親に忘れられる恐怖というよりも、もしかしたら一人娘や新しい恋人のことを父親と同じように忘れ去ってしまう恐怖のせいだったのではないだろうか。奥さんや子供のことが気がかりで家庭に戻ろうとするクレマンを、何度も何度も自宅に引き留めようとするサンドラ。もはや神である父親の肉声を聴くことができないサンドラにとって、ひたすら自らの肌でそれを感じることしかできなかったのかもしれない。

 愛が神そのものなのだ
   『鏡の中にある如く』より

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