「オリンピックをそう言った権威主義の最たるものと見ていた」マチルダ・ザ・ミュージカル マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
オリンピックをそう言った権威主義の最たるものと見ていた
価値観の多様化だろうね。
昔、この校長見たいな教師に、遭遇した事がある。女性の教師で、自分の考えだけで、生徒を評価していた。小学校一年生の頃なので、詳細は忘れたが、僕も変わった生徒だったので、協調性が無いと判断され、小学校一年生なのに『貴方は落第』って言われた事がある。トランチブル校長は本当にいると実感している。
しかし、今はそんな奴いないのか?
いるような気がするが、物理的な虐待は許されないだろうが、今の教育が、価値観の多様化を重視しているようには見えない。
合唱をもう少し。でも、傑作だと思う。
ここに登場するトランチブル校長は1972年のミュンヘン大会のハンマー投げで優勝したと設定されているようだ。さて、ミュンヘン大会とは、あまり語られる事が無くなったが『ミュンヘン事件』が起こった大会である。それを皆様には知って貰いたい。また、メキシコ大会でも『ブラック・パワー・サリュート』があって、騒がれたが、それも今ではあまり語られないと思う。つまり『ロサンゼルスからオリンピックが商業化された』と言われるが、近代オリンピックの歴史は戦争や争いと双対になっていると理解すべきだと思う。
ロアルド・ダールはオリンピックをそう言った権威主義の最たるものと見ていたのかもしれない。
アベリー・ブランデージさんがどんな人だったかは知っておいたほうが良いと思う。
僕はライブ(勿論、テレビ)で見ていて、その後、オリンピックの『メダルの数の順位』とか、『日本代表って表現』が嫌いになった。オリンピック選手は、自分の為に競技を楽しむべきだと思う。それは東京オリンピックのマラソンの円谷選手の死からそう思うようになったのだが。
但し、日本国の為に『この試合に勝つのだ』と思う事も、価値観の多様性を考えれば、決して間違っているわけでは無い。それを押し付けて来ることが問題なのである。