ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
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ゴジラを初めて見ました
遅ればせながら観て参りました
色々なテレビでVFXのメイキングを見ていたので
ネタバレ感あるかな〜と思ってましたが
凄い迫力
3丁目の夕日の頃よりケタ違い、当たり前か
で、お馴染みのあの音楽
音の圧力
ゴジラの暴れるところ、思わずよけちゃいました笑
何より神木隆之介の演技
やっぱ凄い
冒頭から一気にスクリーンの中に気持ちを吸い込まれた
中の人になってましたわ〜
ビックリして声出たり、いやぁ恥ずかしい
没頭してました
もちろん映像技術も凄いですが
ストーリー、俳優達の演技
最高によかったです!これが映画を観る理由です
1番キタのは脱出装置の説明のところですかね
過去のわだかまりが、つっかえが、溶けた瞬間です
もう、なんで泣いてんだ?って自分でツッコミ入れてました笑
あ、ゴジラって泳げるんだ
しかもかなり速い!のに驚きました
歩いてるゴジラしか知らない
放射能撒き散らしてるとの事でしたが
深海魚は死ぬのに船とかで近寄ってる人間は大丈夫なの?と少し心配になったところです
面白い
特攻隊に対する感情で評価が変わるかも 特攻から逃げた主人公がゴジラ...
特攻隊に対する感情で評価が変わるかも
特攻から逃げた主人公がゴジラへの特攻を決意するも、かつての整備兵に生きるための脱出装置を整備され、特攻から逃げ出した過去を清算する
奥さんは助かるがGウイルスに感染したかも
水中立位姿勢!
モンスターものとかヒーローものは、時代とともに、より自然に見えるように格段に進歩しているといつも感じる。今回もゴジラの動きが、ジュラシックパークの恐竜のようになっていて、より生物らしくみえるのは良かったし、時代考証された乗り物や、終戦後の東京の様子もこだわりがあって違和感なく観られたのだが、相模湾の1番深い場所でのゴジラの水中立位姿勢は、どう考えても違和感がある。もちろん最終作戦のためには胴体にボンベを巻きつけなければならないから、立位でないと無理があるのかもしれないけど、臍付近まで水から飛び出しているのは流石にどうか。せっかく細部にまでこだわっているのに勿体無いと私は思いました。
山崎貴が描きたいのは、物語ではなくシーンとアイテム
山崎貴監督の作品は『鎌倉ものがたり』を観た際に「なんて下品な作品を作る人だ」と感じ、性に合わないと判断しているので、普段は避けています。
ただ今回は大好きなゴジラだし、周りの友人が「良かった」と言ってたので鑑賞。
うん、事前に想像してたよりは良かったです。
●良かった点
・ゴジラの造形が格好良かった
・第二次世界大戦の戦時中 → 戦後の時代設定が秀逸
・CGが良く出来ている
●悪かった点
・生き残った者が苦悩しながらも生にしがみついて戦う様が本作のテーマなのに、ラストシーン、死んだはずのヒロインが「G細胞のお陰でじつは生きてました」と、目先の軽い感動を取りに行きたいがための理由で生き返ってた。映画通して長々と語ってたテーマを、最後の最後でひっくり返すとは。どんでん返しとかではなく、これはドッチラケ。
・感動させたいシーン、魅せたいシーンが点として複数存在し、物語はその点を繋ぎ合わせるだけの役目(普通は逆)。そのため、キャラクターの言動理由が取って付けたようなものばかりで、結果、物語に深みが無い。
そもそも山崎貴という方は、CGやVFX畑の出身者なので「見せたいシーン・場面」をまず考える方なんでしょうね。物語や感情の起伏なんてのは二の次。見栄えが良く、それっぽい感動を届けられるシーンがあれば、多少の破綻は気にしないという感じ。
パンフレット記載のインタビューで監督が「高雄と震電を出したかった」と仰っていたのですが、高雄と震電がゴジラと何故戦うのかの理由は特に無く、出したかったから出てるだけなんですよね。この一文を読んだときに、私が山崎監督映画に対して「下品だ」と感じた答えを見た気がしました。
逆に言うと、西武園ゆうえんちの『ゴジラ ザ・ライド』みたいに、迫力だけを求められる物語性の無いアトラクション映像を作る分にはめっちゃ有能な方なんだと思います。
何故敷島だ主人公なのか
何故敷島だ主人公なのか、敷島が居なくても呉爾羅は大戸島の守備隊基地の兵員を殺略したし、日本に来て銀座は破壊された、 このことを考えると予告で言っていた「その怪物は許してくれない」の意味が変わってくる 敷島は、自分が取らなかった行動により虐殺された大戸島の守備隊の怨念が自分を殺しに来たと思ったのではないだろうか、だからその怪物の体も大きくなりより凶暴になって自分の前に現れた、だから敷島は主人公になりえた 本編の中で典子が吹っ飛ばされた後の葬儀の時に大戸島の守備隊基地の兵員の写真を手に取り「許してもらえないんですね」とつぶやく 敷島から見た銀座に現れたゴジラは大戸島の守備隊の怨念が乗り移って自分を殺しに来た怪物と思っていた証左だと思う、 敷島が主人公になったのはこの思い込みが全てなのだと思うと、典子が死んだのも自分が生きているせいだと、大戸島の呉爾羅が襲撃する時間を戻したかった、だから橘を引き入れた!「許してもらえないんですね」この思いに白黒を見て気が付いた。
銀座で暴れるゴジラの姿は圧巻!
銀座で暴れるゴジラは圧巻!カッコよくもあり恐ろしくもあり!
体験したことはないけどゴジラザライドってこんな感じか?ってくらいにゴジラにグッと迫るシーンとか多分4DXでみたらアトラクション的にも楽しめる作品だと思う!
割と早い段階でゴジラを登場させてくれるのが良かった(序盤はまだ成長途中っぽいサイズ感だけど)
はじめの登場はジュラシックパークのようでした。狙ってんのかな?
戦後すぐという設定故に少ない資源での戦いになってしまい、人との闘いでの派手さは少なかったかも…
だからこそどうやってやっつけるんだろ?って楽しみはあったけど。
ラストの作戦の仕組みがよくわからなかったけど、そういうもんなのか?
残念ポイントとしてはゴジラ上陸シーンが思ってるよりも少ない、大体は海で半身が隠れてるか泳いでるシーンばかりだった印象。もっと地上でのゴジラを見たかった!!
それからあれだけ生き物っぽい造形なのに急に背びれがガシャン!!ガシャン!!ってギミック感強めの動きするのもちょっと違和感…背びれ伸びても良いけど、あんなメカメカしくなくても…
ラストは敷島も銀座で吹っ飛ばされの大石もなんやかんやで再開し一応ハッピーエンドな感じではあるけど、うーんどちらかは亡くなっているエンドでも良かったけどなぁ。
亡くなった大石を想って特攻して敷島散るも実は大石生きてたみたいなやや胸糞悪い終わり方とかでも良かったけどなぁ…
まぁ今回のも暫定ハッピーエンドな感じですが…
シンゴジラではゴジラを震災の象徴のような扱いだった気がするけど、本作のゴジラは主人公である敷島の恐怖心やトラウマのような払拭すべき、倒すべきもののような扱いだった気がする。
シンゴジラも年齢制限はないけど、より全年齢向けな気がして親子で安心して見れて楽しめるエンタメゴジラにも仕上がってたような気もする。(子どもはもっとゴジラシーン多い方が良いかもだけど)
シンゴジラも本作のゴジラも続きがあれば見たいけど、いろんな監督による新解釈ゴジラ作品を見てみたいなーって気もするなぁ。
次のゴジラ作品はいつ誰がやるんだろ…?
ゴジラマイナスツーがある予感
遅ればせながら、カミさんリクエストに便乗し、こちらをレイトショーで観てまいりやした。
名作ばかりで、たまには息抜き。
話題の邦画、しかも実写、海外で評判、期待は禁物ながらこの目で確かめたいのと、好奇心で。
みましたよみました。
たしかにそうでしたが。
まぁ、賛否両論あってもいいでしょう。
いいとこわるいとこあり。
褒めすぎても貶しすぎてもよくない。
これはこれで、映画館でないと味わえない。
そういう意味でも、わたしにとって久々の、邦画がアニメだけでなく実写でも耐えれるクオリティにあることを証明してくれたのだから。
いろいろ矛盾だらけですがそんなこたぁ目を瞑るとして、内容についてはそんな感想にしておきます。
映像については、CGよりこうした特撮映画っぽいVFXが円谷プロを彷彿する見応えあり。
音響については、期待以上のものはなくとも、大音量の迫力はあった。
最後にいっこだけ。
なんであいつは二人を連れて逃げなかったの?
あっ、もういっこ。
ラストシーンと、タイトル。
#ゴジラ-1.0は、マイナスワンと読むらしい。
これって、-2.0あるね!
もとい、もうちょっとまともな感想も書いておこう。
結局戦争に負けた劣等感から、やっぱり武力に憧れがあるな、この国は。
そういう面は、設定から読み取れるけど。
それを差し置いても、これはあってるかどうか、監督が狙ってるかどうかわからないけど。
あえて国際的な知名度と国民的アイドルのゴジラを起用して、時期的にこの設定で映画化した理由はやはり、コロナ騒動の中で、国やGHQがあてにならないように、国やWHOがあてにならないなら民間で命を守るというメッセージだったのだなと、深読みかもしれないけど、みててそう思ったよ。
映画館で観て損はないが・・・
初めてゴジラがカッコよく見えた
轟音 なかなかの迫力
初めてのゴジラ。轟音で見たのだけど、なかなかの迫力。
戦後の混乱期では身も心も限界で余裕ないんだなって思った。
そんな所からようやく復興仕掛けたところに、なんでゴジラが来るのよ! アメリカに行けよ!
って映画を見終わって思ったよ。
凄いよこれ
8割が人間ドラマ。昔の東京の街並みに懐かしさ。
一言で言えばとても良かった。
浜辺美波さんは、こんなに演技が上手かったんだ(または上手くなったんだ)と感動した。神木龍之介さんや安藤サクラさん、青木崇高さんの演技も安定していた、
戦後の日本を舞台にしている所は、三丁目の夕日と通じるところがあって、時代背景は当時の日本そのまま、復興に向けて、みんなが必死になって生きる姿は監督の思いとしてきっと描きたいのだろう。銀座、有楽町に日劇があった時代は懐かしさを覚える人もまだいるでしょう。
そんな東京を、そんな頑張って生きている人々を無慈悲に破壊するゴジラを一致団結して倒そうとする市民の姿は、日本人の団結する姿でもあります。
最後があのような形で終わるのは、予定調和の範囲内ですが見た後に清々しさを感じられるという点ではとても良いと思います。そして続編を推察させるエンディングもこれだけの作品ですので悪くはないと思います。
忠実な戦後の再現に驚き
偉大なる初代に比肩する、国産ゴジラの最高傑作!!
㊗️第96回アカデミー視覚効果賞受賞🏆おめでとうございます🎉
私自身が大のゴジラファンの為、この先文字数制限ギリギリまでの超長文になります。ですので、先ずはじめに私自身が本作について「賛」側である事と、全体的な評価を簡潔に。
【最凶のゴジラ像と監督お得意の昭和の世界観を、ハリウッドにも引けを取らない驚異のVFXで描き出し、愚直なまでの反戦メッセージと絶望に立ち向かう人々の姿を描いた美しき人間讃歌。山崎貴監督の集大成にして最高傑作!】
❶ゴジラのビジュアル
まず、何よりも今作のゴジラのビジュアルが素晴らしい!初お披露目の時点で1発で惚れたし、「これぞゴジラ!」と言える王道のフォルムだと思う。VHSで“平成vsシリーズ”に魅了され、“ミレニアムシリーズ”を劇場鑑賞してきた世代としては、正に理想のゴジラがお出しされた。
本作にも多大な影響を及ぼした、国産ゴジラの前作、庵野秀明監督の『シン・ゴジラ』によって“新しいゴジラ像”が打ち出されて以降、アニメ映画やテレビアニメシリーズでも、とにかく「新時代のゴジラを作ろう」と、ゴジラのビジュアルや設定が“亜種”と表現した方が適切なのではないかと思えるくらい多種多様になってしまった。
とはいえ、【どんな見た目や立場さえも受け入れて、尚も主役として君臨する事が出来る唯一無二のキャラクター】という懐の深さがゴジラの最大の魅力でもあると思うので、「個人的には合わないけど、コレが良いって言う人達も居るんだし、これもまたゴジラ」と割り切ってきた。
しかし、やはり心の奥底では「vsシリーズやミレニアムシリーズみたいなカッコいいゴジラが見たい!」と常々思ってきたし、そういった欲望を、少なくともビジュアル的な面では満たしてくれるハリウッドの“モンスター・ヴァース”を鑑賞する事で、溜飲を下げてきた。
とはいえ、やはり国産ゴジラにこそ、一度原点に立ち返っていただいて、王道の直球勝負をしてもらいたいと思ってきた。
そんな中での本作は、正に砂漠でオアシスに辿り着いたかのような感覚だった。
この一点に関してだけでも、山崎貴監督に盛大に感謝の意を表したい。
必殺技の放射熱線の描写も抜群だ。エネルギーのチャージが始まると、尻尾の先端から背鰭がせりあがり、口からは空気を吸い込んで、チェレンコフ光で青く光った背鰭が一斉に引っ込むことで、前方に勢いよく熱線が放たれる。
監督曰く、今作のゴジラは原爆で誕生した経緯から、放射熱線にも原爆のインプロージョン方式の原理を応用したそうだ。自身にも反動でダメージが入る為、連続しては撃てないという諸刃の剣、正に必殺技というのがまた熱い。だからこそ、人間側はそれを逆手に取って作戦を実行する事になる。熱線の直撃だけでなく、爆発の余波すら尋常ならざる被害を齎すというのも、破壊神としての威厳があり申し分ない。
出現前には必ず、深海魚が浮袋を膨張させ、死体として浮かび上がってくるというのも、ゴジラという“破滅”が訪れる前兆として素晴らしく、姿を見せずに不穏な空気が漂い、一気に緊張感が走る。
容赦なく人々を踏み潰し、瓦礫の下敷きにする。熱線の余波で亡くなった人々に関しては、ゴジラにとっては認識すらしていないという無情。レーティングに引っ掛からない範囲内で、キチンと犠牲が描かれている。
更に驚くべきは、そういったゴジラの襲撃シーンを、大戸島の呉爾羅のシーン以外は、全て昼間を舞台に描いている事だ。
誤魔化しの効かない中で、今の日本映画界の技術と少ない制作費で全力で描き切るという潔さに、惜しみない拍手を贈りたい。
こういった表現の数々を拝めるだけで、既に鑑賞料分のリターンは貰ったと思う。
❷ゴジラの倒し方
初代では、芹沢博士が開発した“オキシジェン・デストロイヤー”という水中の酸素破壊剤によって、博士と共にゴジラは葬られる。しかし、これは人智を超えた超兵器であり、他の作品でも度々ゴジラへの対抗手段として、こういった超兵器が使用されてきた。
だが、本作ではシリーズ史上最も武器の乏しい状態で、人類は神殺しに挑まなければならない。
そこで提案されるのが、フロンガスによってゴジラを深海に急下降させ、水圧による圧死を図るプランと、バルーンによって急上昇させ、減圧によって過負荷を掛けるプランを合わせた“海神作戦”だ。
最終的に、漁船団の助太刀や幻の戦闘機「震電」による特攻と、それによって熱線を吐けなくなったゴジラが、自らの熱線のエネルギーが体内から漏れ出す事によって、その肉体を崩壊させていく事になる。
ゴジラという超常の存在に、人間は知恵と勇気と団結力を用いて、1人の犠牲者も出さずに勝利する。シリーズ史上最もリアリティーのある方法で、最も美しく勝利したと言えるだろう。
❸愚直なまでの反戦メッセージ
山崎貴監督の作風として、「何でも登場人物に台詞で説明させてしまう」「役者にオーバーな演技をさせ過ぎて、演技プランや演技指導が出来ていない」という悪癖がある。今作でもそれは健在で、確かにもっと映像だけでスマートに見せられたはずのシーンは数多く存在する。
しかし、吉岡秀隆演じる野田博士の反戦メッセージに関してだけは、あれで正解だったと思う。
「この国は、命を粗末に扱い過ぎた。装甲の薄い戦車、供給不足で餓死や病死が大半を占める戦死者数、片道分の燃料だけで脱出装置すら付けない戦闘機での特攻。
だからこそ、今回の作戦では、1人の犠牲者も出したくない。未来を生きる為の戦いをする!」
正直、目頭が熱くなった。
本作のクライマックスで展開される“海神作戦”の参加者である船員達は、皆戦争を“生き残ってしまった”人々だ。
そして、全員もれなくそれに対する罪悪感を抱えて生きている。「生きて帰れ」と家族や友人達に願われて戦地に赴き、無事生還を果たしたはずの人々が、「死ぬべきだったかもしれない」という罪悪感に苛まれながら生きている。敷島の台詞にある通り、彼らにとっての戦争は未だ終わっていないのだ。
だからこそ、今作のゴジラは、彼らにとって強烈な戦争のメタファーとして描かれており、ゴジラを倒す事で、ようやく彼らにとっての戦争も終わりを告げたのだ。
クライマックスの敬礼は、ゴジラという畏敬の存在を屠った事に対する謝罪であり、同時に戦争の被害者や払われた犠牲に対する鎮魂の意も込められていたように思う。
❹音楽の使い方
伊福部昭さんの楽曲は勿論の事、佐藤直紀さんによる楽曲の数々も素晴らしく、また掛かるタイミングも神懸っていた。音楽の良さだけでも、先述した台詞や演技に関するマイナスポイントを大幅に補っている。特に伊福部楽曲は、今作の為に再録までし、シーンに合うよう微妙にテンポ感まで調整したらしく、そういった面でも気合いの入れようが凄まじい。
❺ラストシーンの解釈による、本作の受け止め方の違い。
これは、典子の奇跡的な生還について。ライト層とファン層とで、受け止め方に180°の違いがある。
一見すると、ハッピーエンドと受け取れるし、そこで賛否が分かれもする。「安易なハッピーエンドにガッカリした」と。
私自身、ゴジラ銀座襲撃時に浩一を守る為犠牲になるという描かれ方の容赦なさに「やってくれたよ、山崎監督!」とテンションが上がりもしたし、海神作戦決行当日に電報が届いた瞬間、ラストが読めてしまい少々落胆もした。
また、初見時は首のアザがアザには見えず、縛り残しの髪の毛か、治療用の管が刺されて肌色のテーピングで固定されているように見えた。
しかし、2度目の鑑賞で、病室での明子の表情や態度に違和感が生じた。これは、明子役の永谷咲笑ちゃんの最高の演技のおかげなのは間違いない。それに気付いた瞬間、初めて本作を「怖い」と認識した。
それは、シリーズファンにはお馴染みの【ゴジラ細胞(G細胞)】についてだ。
ゴジラ細胞の設定は、『ゴジラVSビオランテ(1989)』から取り入れられた設定で、ゴジラの驚異的な生命力や再生力を担う細胞である。
その後も『ゴジラVSスペースゴジラ(1994)』では、宇宙に渡ったモスラに付着した細胞がキッカケで、ブラックホール内で結晶生物と混ざり合った結果、スペースゴジラが誕生した。
『ゴジラ2000ミレニアム(1999)』では、細胞内の再生力を司る物質に“オルガナイザーG1(以下OG1)”という新しい固有名詞が付与され、更に「ゴジラ以外の生命体では制御出来ない」という設定も追加されてきた。
実は、私が本作のラストのトリックに気付けなかったのは、このOG1の設定があるからでもある。「ゴジラ以外は制御出来ない、怪獣レベルでようやく物になるような驚異の細胞が、たかが人間如きに付着し融合したら、即座に宿主は乗っ取られて死亡するだろう?」と。
だが、思い返してみれば、本作のゴジラはミレニアムゴジラより耐久性に劣る。
内側からの攻撃に特に弱く、高雄の砲撃でもダメージを喰らい、再生部分は他の箇所とは色味の違う不完全な状態だった。
となると、典子がまだ肉体や自我を保てている事にも説明がつくし、明子は本能的に何かを察して、典子に近寄らなかったのではないかと考える事も出来る。
ところで、私自信が引っかかっているもう一つのシーンについての考察も付け加えておきたい。
それは、海神作戦前夜、浩一が特攻覚悟の心理状態で明子を迎えに行ったシーン。
自宅にて明子から絵を渡された際に、突然明子は泣き出してしまう。浩一も訳が分からずなだめるが、もしかすると浩一が典子と同じく帰らぬ人となるかも知れない事を敏感に感じ取って涙を流したのかもしれないし、そう受け取るのが普通だろう。
この“子供ならではの敏感さ”が典子について働いていた物だと考えるとどうだろう?
翌朝、明子が澄子さんに面倒を見てもらっている敷島宅に、電報が届く。それが何故このタイミングなのかを考えてみると面白い。
つまり、前日まで典子は生死不明の重体、もしくは昏睡状態だったのではないかという事だ。だが、典子がゴジラ細胞と融合した事で、突如劇的な回復を見せ、意識を取り戻した。明子が突然泣き出したあの瞬間に。あの瞬間、明子は離れた場所にいる典子が“私の知る母ではない存在”になってしまった事を感じ取っていたとしたら?と考えると、あの涙の意味が違ってくる。
❻ゴジラの放射能汚染について
今作では、敷島をはじめに多くの人間がゴジラと至近距離で接している。しかし、彼らが被曝によって身体に異常を来す描写はない。
しかし、ゴジラの拘り抜いた描写からも分かる通り、山崎監督は「分かっている側」の人間だ。銀座襲撃後の荒地で政府の調査員がガイガー計器で放射能濃度を計測し、絶望的だと理解している描写まであったのだから。
GHQの報告内容や政府の調査員の反応から、時代的に見て政府間では放射能の恐怖は認知されているが、一般にはまだまだ認知されていないのだと思う。
つまり、敷島達はこの先決して長生きは出来ない事を映像だけで観客にキチンと示しているのだ。今作は一見するとハッピーエンドだが、典子の首のアザは勿論、目に見えない部分も徹底してバッドエンドのスタイルを貫いている。
それはつまり、山崎監督からの「描いてないけど、分かりますよね?」という観客への信頼の証だろう。実は、説明していない部分にこそ、今作の本質があるのだ。
❼まとめ
そんな絶望感漂うラストを見届けて、改めて本作のキャッチコピーが生きてくる。
“生きて、抗え”
これはつまり、この先も続くであろう人類とゴジラという“神”であり、“戦争”の具現化であり、核を弄んだ人類の“被害者”である存在との戦いを、両者共に生きて抗い続けろという事なのだろう。
色々不備も目立つ作品である事は否定しない。しかし、それでもやはり令和初ゴジラが、ハリウッドにも引けを取らない驚異のVFXで描かれ、愚直なまでの誠実な反戦メッセージを孕んで世に放たれた事が嬉しくて堪らない。
山崎貴監督、お疲れ様です!ありがとうございました!!
ゴジラ映画で涙するとは思わなかった。傑作です。
最高です!
戦後まもない復興途中の日本に襲いかかるゴジラという災厄。現代兵器ですら勝つの難しいのに、零戦時代の兵器で立ち向かう絶望感もたまらない。
最後の作戦、開始早々泣くの我慢した。
BGMの入りと言い、雰囲気といい、最高。ゴジラの圧倒的強さを見せつけられつつ、それに立ち向かう日本人たちの姿に素直に興奮した。
ラストのメッセージも良い。ありきたりかもしれないけど、これぞゴジラ。
ストーリーやご都合主義ついて思うところはあるものの、そのマイナス分を差し引いても、自分が好きである事実は揺るがず、とても楽しかったです。
※あ、でも思うところはコメント欄にあとでこっそり書きますね。笑
あと、この作品を子供に観てほしいと思った。
恐怖とは何なのか?
それに立ち向かう勇気とは何なのか?
原爆の恐ろしさとは何なのか?
ぜひ感じで欲しい。
綺麗事とその裏側にある闇を描き、特撮もワクワクする。
息子が大きくなったら見せたいなー
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