ゴジラ-1.0のレビュー・感想・評価
全2011件中、421~440件目を表示
終戦後も引きずるPTSDの葛藤とゴジラの無慈悲っぷりがいい 泳ぐゴ...
終戦後も引きずるPTSDの葛藤とゴジラの無慈悲っぷりがいい 泳ぐゴジラと銀座を破壊するゴジラが中々の迫力で堪らない 戦争に行かないってことは幸せなことなんだよって台詞が格好よかったし、心に沁みた トラウマを背負ってるだからマイナスなのかなと思った
まあまあ
第二次世界大戦末期から戦後にかけての時代にゴジラが現れたという設定だ。幻の戦闘機と言われる「震電」が最終兵器として使われる。映画の中身の方は、特撮アクション物としては、まあまあだが、役者の演技がぎこちない。神木隆之介さんと浜辺美波さんが出ていたが、「らんまん」の演技がとても良かっただけに、この映画での演技は今ひとつ。やはりNHKのように9ヶ月もかけて一人の人物を演ずるのと、映画での人物描写では習熟度が違うのかもしれない。まあ、牧野富太郎役の神木さんは、まさにハマり役だったと思う。
「弱り目に祟り目」の中での気概
<映画のことば> 「元々が奇跡みたいな作戦ですよ。」 「何もしなければ、奇跡も起こらない。」 ゴジラが終戦直後の日本に現れた理由というのか、必然性というのか。 戦争で、ただでさえ国内が焦土と化したおりに、重ねての困難ということであれば、まさに「弱り目に祟り目」の試練だったと言うことでしょうか。 限られた条件下でも、知恵と努力の限りを尽くすーそのストーリーには、確かに惹かれるものがありました。 「現人神(あらひとがみ)」であった天皇を頂点に戴く八紘一宇の深遠な理念のもとに、大東亜共栄圏という壮大な「夢」を描いた国家権力に戦争へと駆り出され、その挙げ句に、一敗、地に塗(まみ)れた庶民が、今度はゴジラ撃退のために再び一つになり、叡智を結集して困難に挑むー。 敷島が、機雷の除去という危険な「戦後処理」に敢えて従事していたのは、戦争中には「死に場所」が得られなかったことの、戦没した知己に対する、せめてもの「償い」だったのでしょう。 その心情に思いが至ると、(単なる怪獣映画の枠を超えて)何ともやりきれない思いがします。 私が入っている映画サークルの「映画を語る会」のお題作品としての鑑賞で、評論子自身では自分からは、まず観ないジャンルの作品ということで、その意味では決して正鵠を射た評とは言えないのかも知れませんけれども。 しかし、本作が、世上ひろく人口に膾炙(かいしゃ)したことには、そんな「人間ドラマ」もあった故のことと思います。 佳作であったと思います。 (追記) ときに、つかぬことを言い出しますけれども…。「破壊は再生の必須要件」なのでしょうか。 日本には、まちづくりについての確たるポリシーが存在しないと指摘され、日本の都市計画は「災害待ち」とも言われますけれども。 本作で、ゴジラが、焦土と化した時代の日本に現れて、更に縦横無尽に暴れまわって、破壊の限りを尽くすー。 本作には日本での「都市計画思想」を、痛烈に皮肉るの要素は全くなかったとも断言できないようにも思われます。評論子はには。 単なる評論子の「勘ぐりすぎ」であることを、信じつつ。 (追々記) 本作は、怪獣映画(ゴジラ映画)ということですけれども。 再言になりますが、舞台設定は終戦間際から終戦直後にかけての日本の混乱期。 今作も『永遠のゼロ』や『アルキメデスの大戦』と同じく「(日本の)戦争」絡み。 山崎監督は、太平洋戦争への日本の参戦に、何かお考えをお持ちの方なのかとも、思いました。 前記の2作品は未鑑賞ですけれども、そんなことも考えながら、追って鑑賞したいと思いました。 前記のとおり、評論子としては、あまり観るジャンルの作品ではなかったのですけれども。 そんな展開も、楽しみになった一本になりました。評論子には。
作品の方向性は伝わった。
[良かった点] ゴジラの造形や、表現が素晴らしいです。海からサメが出のようにおどろおどろしく登場したり、重火器などが効かずあらゆる対抗策がなく、戦後の日本に追い打ちをかけるように次から次へと人を襲うシーンは絶望的でした。 デザインは特に洗練されていて、尻尾から背中までのヒレっぽいものが順番に発光、溜めてからの熱線放射っ!めちゃくちゃカッコいいです。それでいて昔ながらを踏襲しています。 ゴジラ討伐を科学、人間の力を使って行おうとするのも興味深いですね。 <悪かった点> 人間ドラマって必要あったか?と思ってしまいました。 やりとりのノリがキツい、演技がくどい(後半特にそう思った)、主人公とヒロインの同棲する流れなど描写不足が気になったなど、もう少し丁寧に表現してもいいのに、と思います。 ドラマ部分が評価されているようですが、自分には合わないということなんでしょうね。 「総評」 ヒューマンドラマを盛り込むのであれば、もう少し全体的な雰囲気を大事にして欲しかった。丁寧に心理描写をして欲しかった。せっかくの見どころのゴジラが、雑なヒューマンドラマに持っていかれている気がします。 ゴジラのかっこよさを生かす方向でB級映画として楽しもうにも、合間に挟まるドラマでこちらのテンションの落差がひどかったです。
ゴジラ史上最高傑作
ゴジラという映画はオチは決まっている。 人々が知恵を絞って倒す、これだけ。 したがってそこに至るギミックがどのようなものであるかで評価は全く違ってくる。 今回は戦後日本✕特攻兵器の生き残り✕愛✕国民全員参加✕命懸け✕自己犠牲の陶酔無し という、稀に見る設定が秀逸すぎ。 さらにゴジラの恐ろしさが過去に比べ物にならないくらいであったし、震電が空を駆けてゴジラと戦う絵は涙なしには観れなかった。 みんなが協力するのも「逆襲のシャア」か「愛.おぼえていますか」、もしくは「レディ・プレイヤー・ワン」あたりを思い出して泣けた。 ゴジラでこんなに感動したことはなかった。 これは是非とも劇場で見てほしい。 シン・ゴジラなんかとはぜんぜん違う。 本当に素晴らしいものを観られて幸せでした。 ありがとうゴジラ。
日本映画の遺産に対するリスペクトと進化
日本映画の娯楽作として、 しっかりと作り込まれている。 お役所での短いやり取りのシーンや 当時の銀座の街並みの再現を、 時代感を考慮して贅沢に作り込んでいるので、 東宝は本気出してると感じる。 ゴジラの構図や演技は良いのだが、 人物の演技は紋切り型で感情が分かりやすすぎて 若干退屈。 その中でも、青木崇高の力強い演技は好み。 とはいえ時代背景や設定で十分楽しめるので、 企画の良さが伺える。
最近の中でベスト1
みたい、みたいと思っていたが、やっとみれた。 ゴジラ映画NO1です。 映画を初めてみたゴジラ対キングギドラ対モスラから、はや半世紀、令和のこの時代にこんなにもゴジラ映画がいいとは。 本当に感動し、泣けるシーンがたくさんあった。 ゴジラ映画とバカにする女性へ感動しますので、ぜひみてください。
怪獣映画だけじゃない!?
ゴジラ映画としての出来は様々なレビューや結果からもとても素晴らしい作品です。
それとは別に海戦映画として見ても非常に素晴らしい作品だと思います!
重巡高雄や雪風他駆逐艦の細部のデティールも秀逸ですがその艦達があれほどヌルヌル動く(褒め言葉)日本映画として見ても珍しい作品だと思います。
凄く面白かった!……それだけに-1.0点!!
ゴジラシリーズ9割方観賞済み。
山崎貴監督作も8割方観賞済み。
好きな山崎監督作は『バラッド』と『ヤマト』
本作も予告発表以来公開を楽しみに待ちつつ、公開初日に観賞。
結果ドハマりし、現在までモノクロ版含め6回観賞しました。
それほどまでに本作は面白く魅力的であり、それは興収と海外公開での高評価が証明していると言えるでしょう。
第二次大戦敗戦直後の日本にゴジラが現れ、元特攻隊の主人公が、なけなしの戦力や船や幻の飛行機を駆使してこれに立ち向かうと言うアイディアを、2020年代のVFX技術を駆使し、キャスト陣の熱演と共に大迫力の映像化を成し遂げたことは、ただもう素晴らしかったとしか言いようがなく、間違いなく全ゴジラシリーズの中でも5指に入る傑作と言って間違いありません。
中でも、独創性と説得力と時代設定と映像栄えと主役の活躍という条件を全て満たした『海神作戦』は見事としか言いようがありません。
……しかしながら、一部の方々の本作の感想でも散見されるように、VFXを駆使したゴジラや艦船パートに比して、キャラのみで繰り広げられるドラマパートに対し見過ごせないレベルの引っかかりを覚えたこともまた、他が素晴らしかったがゆえに気になるのも事実です。
セリフや演技が大仰で棒読みとの意見も散見されますが、自分的にはキャスト陣の他作品での功績を鑑みるに、ドラマパートの演出や脚本に要因がある気がしております。
中でも特に自分が気になったのは二点。
◆〈敷島のキャラ造形と特攻に対するスタンス〉
◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉
……です。
まず◆〈敷島の特攻に対するスタンスとキャラ造形〉についてですが、映画冒頭でゼロ戦から降りた敷島の橘との会話などの様子を見る限り、彼は極めて冷静で自覚的・確信犯的に“特攻”を拒否し、大戸島に降り立ったものと受け取れます(少なくとも自分には)。
あの滑走路に爆装したままのゼロ戦ですんなり降りたてたことからもそれは伺えます。
ということは同時に敷島という人物が、あの時代にしてはとても先進的な価値観の元、冷静かつ打算的な判断力を持って、仲間と共に挑んであろう特攻より生を選び、その結果を覚悟して行動している人物というような印象を受けます。
……この敷島のキャラ造形が自分には納得がいかなかったというか、そういうキャラにした脚本上の利点が見えない判断であったように自分には思えてならないのです。
もしも冷静に確信犯的に特攻を拒否するような人間ならば、後の呉爾羅に大戸島守備隊が襲われた際にゼロ戦の機銃を撃てなかった理由が『恐怖のあまり撃てなかった』から『撃ったら呉爾羅を怒らせて自分が死ぬから』ではなかったのか? という疑念が芽生えてしまいます。
特攻を冷静にボイコットできる男なのですから、その判断はあり得る話ですし、怖かったのと生き残る為の両方で撃たなかったのもありえるでしょう。
実際、敷島は呉爾羅襲撃後の夜明けに、大戸島守備隊の亡骸を前にしてもただ茫然とするだけで、撃たなかった(無駄であったとしても)ことで死んだ者への謝罪の一言もありませんでした。
自分はこれらの映画冒頭の描写から、敷島は生きる為にそういう冷静な判断ができる人間と認識したのです。
仮にその通りであったとして、あの時代あの社会あの年代でその決心に至るには、それなりのバックボーンというか理由の描写が必要な気がしますが、映画を見る限り、それは母から生きて帰えれ云々(その内容で当時検閲は通るのかな?)という内容の手紙を受け取ったから……という描写に僅かに特攻拒否の理由が伺えるのみで、実際のところは明確ではありません。
とはいえ、敷島がもし母からの手紙で特攻をボイコットしたならば、終戦後に東京の実家に帰還し、両親が死亡していることを知った際のリアクションは、もっと激しいものであるべきだと感じてしまいます。
母と父と生きて再会する為に、社会全体が後押しし、仲間と共に挑んだ特攻をボイコットした意義が無くなったのですから……。
しかし母の手紙と両親の死へのリアクションは描写こそされたものの、そこまで激しいとは言えないものでした。
そこから話は進み、敷島はノリコとアキコと出会い暮らしていくわけですが……。
ここでの敷島は、あのボロ屋内に赤ん坊のアキコがいるにも関わらず、一度ならず大声でノリコと口論したりしています。
普通のドラマでは、赤ん坊が泣きだすシチュエーションです。
その口論に乗るノリコも大概ですが、ここでの敷島は感情の抑えが利かない人間に見えます。
さらに掃海艇では口を滑らせた小僧に『それ本気で言ってるのか?』と凄み……。
また敷島家の新築祝いの席では、アキコには「お前のとうちゃんじゃないぞ」と言い‥‥‥ノリコとの関係を揶揄した小僧に対し『黙れ!』と凄みます。
(ついでに『海神作戦』説明回での「それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?」発言も)
これらは敷島の態度は、PTSDとサバイバーズギルドの描写として評価が高いようですが、特にPTSDとサバイバーズギルドに関する事前知識を持っておたず、作中でそれらの症状がなんたるかの説明が特にない状態で見た自分からしてみれば、敷島は控えめに言っても嫌なヤツという印象を受けます。
またPTSDでサバイバーズギルドあったとしても、敷島が自身の憤りをぶつけたノリコやアキコや掃海艇の面々は、敗戦後の焼け野原の東京で敷島と同等のPTSDとサバイバーズギルドたりえる経験をした人間達であり、敷島だけが溜め込んだ心の傷を吐きだして良いわけでないと感じました。
それに本作での敷島のPTSDは、描写を見る限りではあくまでゴジラ由来であり、戦争が原因とは言い難くあります。
‥‥‥と同時に、戦後のこれらの感情のコントロールが出来ていない敷島の描写は、前述した冒頭の大戸島での敷島の描写で自分が感じたような、この時代で特攻を確信犯的に拒否するだけの冷静さを持つ人間とは、齟齬があるということになります。
そもそも自分が勝手に抱いた敷島のイメージですし、人間とは多面的なものですし、変化もするものなのですが……自分が猛烈な違和感を覚えたのもまた事実です。
それはキャラに一貫性や整合性が無いとも言えるのですから‥‥‥。
なかでも、〈海神作戦〉説明会後の掃海艇メンバーとの居魚屋シーンで、敷島が艇長に言った「俺の戦争がまだ終わって無い」というセリフは、名演ではありましたがその内容には大いに違和感を覚えます。
確信犯的に特攻を拒否した時点で、戦争は敷島自ら終わらせているのですから。
それに、敷島のPTSDは作中描写を見る限りはゴジラが原因であり、戦争ではありません。
戦争のPTSDとゴジラのPTSDとを、意図的か偶発的か分かりませんが、ごっちゃに描いてそう見た者に受け取られるのは、あまり良い事では無い気がします。
そしてこれらの敷島という人物の違和感や齟齬をふくめた描写が、本作を面白くすることには特に寄与してはいないと感じたのです。
……というより、作中の吉岡秀隆さん演じるガクシャの言葉を借りるならば〈最適解〉ではなかったのではないか? と思うのです。
自分なりの結論から言えば……。
“敷島は確信犯的ではなく、単に死の恐怖により思わず特攻から逃げてきた人間にすべきだったんじゃね?”
と思えてならないのです。
特攻の為に離陸はしたものの、土壇場で死の恐怖から大戸島に逃げ込んだ敷島が、それを激しく後悔する中で呉爾羅と遭遇、やはり恐怖で機銃を撃てずに生き残り‥‥‥。
恐怖ゆえに特攻しなかった後悔とPTSDとサバイバーズギルドを抱えながらも、アキコとノリコと出会い、共に暮らすことで症状が癒されていく中、ゴジラと再び遭遇し、銀座でノリコを失ったことで、今度こそ特攻で自分の死をもってしてゴジラを殺そうと思った人間にした方が、余計な引っかかりもなく共感できると主人公足り得ると自分は思ったのです。
このキャラ造形ならば、戦後アキコとノリコと出会って以降の敷島の数々のPTSD関連の描写も、仕方がないと納得がいきます。
また、特攻するつもりはあっても恐怖で逃げたというこの設定でいけば、敷島の「俺の戦争はまだ終わって無い」発言も納得できます。
するつもりはあっても出来なかった特攻をやり遂げることで、自分の戦争が終わると思うのならば筋が通っているからです。
また『ゴジラ-1.0』の根幹的テーマが「生きて抗え」ならば、最初から〈特攻拒否して生きる〉を選択した人間が、クライマックスでやはり〈特攻せずに生きる〉を選ぶ話よりも‥‥‥。
恐怖から特攻できず、ずっと特攻すべきだった=〈死ぬべきだった〉と思っている人間が、戦後のノリコとアキコと澄子や掃海艇の面々との出会いから、クライマックスの土壇場で(生きる)を選んだ方がカタルシスがある気がするのです。
そしてもう一つの◆〈ゴジラ銀座襲撃前の一晩〉で気になった点についてはシンプルです。
掃海艇VSゴジラの後、ゴジラが東京に向かっていると把握しているにも関わらず、東京に帰宅しても、住民はもちろんノリコとアキコに避難を呼びかけるどころか一晩過ごしてノリコを仕事に行かせて(その結果失って)しまうのは、違和感どころではない物語進行に思えます。
ノリコとの一晩のドラマをたっぷりと描きたかったのならば、ゴジラとの遭遇直前の掃海艇でのクルーとの『また東京を火の海にしたくない』云々や、ゴジラ遭遇後、横須賀病院での政府批判を交えた『東京の住民を避難させましょう』の会話を無くした方が良かったのでは? と思えてならないのです。
これらの会話で〈東京〉と限定するのではなく〈関東の太平洋沿岸部〉にゴジラが向かっている程度に情報をボカしておいた方が良かった気がしてありません。
(自分的には件のノリコと敷島の会話は、掃海艇VSゴジラの直前に終わらせることで解決したいところですが)
その他‥‥‥。
◆澄子初登場時、アメリカをすっ飛ばしていきなり敷島に怒りをぶつけたこと。
◆掃海艇で呉爾羅について敷島が語った時、海中で暴れている巨大生物が陸上でも動けて大戸島守備隊を壊滅させたことに驚かない海神丸クルー。
◆掃海艇VSゴジラでの一度目の機雷爆発後、初めてゴジラの顔を真正面から間近で見ても、特にリアクションが無い敷島ふくむ海神丸クルー。
◆敷島は映画前半でノリコとアキコによってPTSDから救われてゆく描写をもっと増やした方が、銀座での悲劇がより際立ったのでは?
◆〈海神作戦〉説明会での敷島の『それで絶対にゴジラを殺せるんですか!?』発言は「そうです」と答えられた場合は敷島はどうするつもりだったのか?
そのセリフはモブに言わせて敷島が『黙れ!』と制した方が良かったのでは?
……などなど細々と重箱の隅的に気になるところはありますが、最も気になったのは前述した二点です。
すでに特大のヒットとなり、スタッフ・キャスト人が暗中模索の中ゼロから生み出した作品に対し、後から完成品を見ただけの素人が好き放題に言うのは短絡的な行いですが、これがこの映画初見時に覚えた違和感を、6回目まで見た中でまとめた末の自分の感想です。
数多ある感想の中で、一つくらいこんな感想があり、ほんの僅かでも何がしかの形で今後の映画業界に寄与することを願います。
岡田斗司夫に押されて
【良かった所
・映像技術、街のリアリティ、物理演算
銀座をぶっ潰し人々が逃げ惑うシーンや戦車の戦闘シーンは、とても良かった。神木龍之介が乗る戦闘機によるゴジラを沖へ誘導する所で陸から海へ行くシーンでガクっと下に変な挙動をしていたがそれ以外物理法則が崩れている所は無かった。
・ゴジラの熱線の描写
大量の酸素を吸い込んだ後、熱線の着地とともにキノコ雲が上がる爆弾タイプは、シンゴジのビームとは違う良さがあった。
・神木隆之介君の演技
浜辺美波がぶっ飛んだ後絶望する所はなかなか良かった。
その他の人物の演技やセリフがクサイと言われているが、別に見てられないほどでも無かった。
シンゴジラの方が演技はキモい。
【個人的意見で嫌いだった所
・ゴジラの造形、生態
怖くない。
ヘビやトカゲ、ウサギにさえ見られる動物的な不気味さが目に宿ってなくただ無邪気に目的もなく目の前の物を追いかける可愛いモンスターで、
敵として見れない(シンゴジラのキモさと比べてしまうが)
ドラマシーンの謎の家族関係でない所と、あいまみあって全く対象に対する危機を感じない。
絶対にここ日本で駆逐しなければならない理由も薄く感じられ(世界的危機として認識され各国の軍隊が出動するシンゴジラと比べてしまうが)
ゴジラに対する憎しみも感じなかった。
ゴジラの生態(何がしたいのか腹が減ってんのかイラついてんのか遊んでんのか)について学者考えろよ!
誘導できるんなら、太平洋の中心で遊ばせて
各国、月に行くくらいのモチベーションで
ゴジラしばいた方が世界のリーダーくらいの方向でいけるだろ。
船のワイヤーとかがご都合主義かな
この監督はドラゴンクエスト ユア・ストーリーの時にドラクエという非常に楽しいゲームをめちゃめちゃに改悪した人だったので、もう手がけた作品を見るのは止めようと思っていましたが、山田裕貴さんが出ているので作品によっては良い演出のこともあり得るのだろうか。。?と、
少々時間があったため少しでも作品の良い所を探せるかどうか消極的な気持ちで試しに見て見ましたが、
やっぱり話の持って行き方が私には合いませんでした。
無理な監督はやっぱり無理って勉強になりました。
*******
ゴジラ系の映画では、
これまでにシン・ゴジラは見てます。
ゴジラとメカゴジラの作品も見た記憶が。
今回のゴジラ自体の強さは破壊出来る海軍の軍艦とか街並みの破壊具合によりよく分かるけど、そもそも時折上陸してくる理由がよく分からないし、
目の前に見えてるのに茫然と立ったまま見てる群衆もよく分からない。もっと逃げるんじゃないだろうか。
あと「銀座が襲われています」、のラジオで同居女性を助けにとにかく銀座に向かってしまうのは分かるけども、彼女は電車ごと持ち上げられ、川か何かの水中に落とされたわけだけど、その水からなんとか脱出したとして、そのあとあれだけの群衆の中に逃げ出していて何で見つけられるの??いくらなんでもご都合主義。
勤務先の会社の前なら納得するけど、命からがら逃げ出した場所がいくら銀座の中とはいえ大きな街。探し出せるとは思えない。主人公の同居人なら「偶然」会えるのはなぁってまずここで興ざめ。
*******
そして最後の駆逐作戦で、2隻の軍艦ではパワーが足りなくて引き上げられない、という時に、まぁ山田裕貴さんの最後の見せ場として複数の船が協力しにやってくるのはいいけど、
15〜20隻は来たでしょうか。その各船にワイヤーを縛りつけて初めて一緒に引き上げることが出来るというのに
車だってワイヤー出して引っ張る協力車に括り付けてって作業に多少時間必要なのに、海上の船どうしなんだから小船でも出すのか??ともかくあれだけの数の船に何で一瞬でワイヤー付けられたのか疑問。
一刻一秒を争う時に間に合うのか??深海から一気に引き上げることにより「水圧の急激な変化」を与えることで弱らせる作戦なんだから数分程度で一気に引き上げなきゃ意味無いのに、
15隻くらいがそれぞれ小船とか出して??「ワイヤー付ける時間」、端折りましたよね???っってここでも興ざめ。。ワイヤー付けてる間に水中からビーム出されたら終わりなのに、主人公達の闘う準備を悪役に待っててもらうって。。
神木隆之介さんがちゃんと脱出出来たり、同居人の女性があの爆風で飛ばされ怪我を負いながらもかろうじて生きていたという主人公補正は許容範囲ですが、
銀座とワイヤーについてはどうにも展開に無理が感じられて残念でした。
*******
あ、でも脱出出来た神木隆之介さん、あんなにビーム出す直前の、背中に放射能の青い光の状態のゴジラによって放射能汚染された海にパラシュートで降りてなんともないんでしょうか??
飛行機からパラシュートで出てもその放射能の海に降りて無事なのはやっぱり主人公補正し過ぎかな。
すみませんやっぱり脚本が無理かも。
うーーん、ゴジラは1度口からビーム出せば次撃つまでしばらくかかる、と吉岡さんが説明してた割にはわりとすぐ2発目撃つ準備してたし、
その監督なりのファンタジーは、ちゃんと設定の中で話を進めてくれれば「その巨体を維持するエネルギーは何を摂取して補給してるのか??」などの疑問も気にしないでいようと思いましたが。。
*******
また銀座とかあれだけ日本の街が壊滅状態にされて、ソ連への影響を考慮するとアメリカに刺激を与えられないから日本国政府として官での対応が出来ない?だから民間で頑張るしかない???いや、この設定も無理がある。自然災害でもゴジラでの災害であってもとにかく甚大な被害が出てるのに「今自国の軍隊は出せない」なんて言うんだろうか?
そしてゴジラの再生能力。もしや鬼滅の刃でも参考にしたの?っていうチート能力。。そんな存在だったかな?とりあえずキングギドラやモスラとかには再生能力無かったと思うので、なんだか無駄に強すぎてドン引き。
うーん、「なんだかなぁ~」という微妙な映画でした。残念。
完璧な映画!
海外でも上映期間が延長されている理由がわかる! 見やすい、感情移入しやすい、ゴジラがシンプルに怖い。俳優陣が超一流(安藤サクラさん大好き) ジョーズを産んだハリウッドならウケるはずだなと。 満点映画だった。最後の最後までは…
期待しすぎた
CGの違和感はほとんど無かった ゴジラに恐怖を感じた 人物の心情にもう一歩踏み込んで欲しかった 有名な監督だからで納得しそうになるが、やっぱり物足りない 今の日本を風刺しているのかも ゴジラが出没したらもっと人々は慌てふためくと思っていたが、50mの怪物ではこんなものかもしれない
面白いゴジラでした
採点3.6 余りにも評判が良いので、これはと劇場へ行ってきました。 戦争とゴジラという恐怖から逃げたトラウマを抱えた若者。それを乗り越え、さらに強大になったゴジラという恐怖に立ち向かうヒューマンドラマ。 監督自身がゴジラファンと公言してるだけあって、端々に気合いが感じられました。 まず大戦直後という設定。これがすごいマッチしており、特に軍隊や兵器でなく今あるもので戦うのが良かったです。 それと色んな所で初代ゴジラを感じさせるんですね。 そして何と言ってもVFXの迫力ある映像でしょう。 最初の海上戦や都市部での戦闘といい、どれも大変見応えがありました。放射熱線の描写(着弾・キノコ雲・黒い雨)も説得力がありましたね。 それと伊福部昭のテーマを流すタイミングはこれ以上ないくらいでした。 反面演出が甘いのか、全体の芝居が軽く感じてしまったりも。 脚本も後半は見えすぎる伏線の数々や、「?」が幾つもあるのが気になりました。 それでもゴジラの迫力で押し切ってはいました。最後の最後の迫る足音なんて、劇場ならではの演出でしたね。 面白いゴジラでした。
敗戦の落とし前・・・
観終わってしばらくして、この映画を振り返った。これは日本の戦後、いや敗戦の清算なのではないか?特攻隊の戦闘機が整備不良でも整備基地にもどってくる。実際、こういうことは多く、特攻をできず、戻ってきたり不時着したりしていたと聞く。特攻で死ねなかった人たちは生き恥として、敗戦後まで隔離されていたようだ。山﨑監督は特攻隊の作品に取組んでいたのでそのあたり、調べていたのだろうと推察する。主人公は機体の整備不良で戻って来るが整備平たちからは嘘であると見抜かれている。しかし、整備兵たちはこんな臆病者を責めたりはしない。この描写はやはり戦争未体験者の表現だ。わたしも山﨑監督と同世代。父からも「天皇陛下万歳!」なんて叫んで死んでいっていない、と聞かされた。
突如、この基地はゴジラが出現し、隊は全滅する。主人公、gあ神木隆之介はここでも怖気づき、ゴジラに整備兵さちが殺されていくのを見ているだけ。
そんな生き恥男が主人公で物語は進んでいく。
ゴジラは戦後復興をとげた東京に現れ壊滅していく。この描写を見て、わたしはこれはアメリカ軍の日本上陸ではないかと思う。このフィクションをまだ戦争は終わっていない、日本はまだ戦っていないかの錯覚をもって見ていた。
ゴジラ出現に、アメリカ軍は一切、手を出さない。日本政府も何もしない。この時代はまだ自衛隊はなかったんだろうか?
ゴジラ退治はなんと民間人が対峙することなる。それも元軍人たち、兵隊に召集された有志たちで。立ち向かう兵器も旧日本軍もの。戦後、日本陸海軍などの兵器、軍艦などはアメリカ軍により没収され、破壊されている。そんな残された兵器を、どうぞご自由に~と渡されそれで戦いに挑む。それは、日本にアメリカ軍が上陸したら、おんなこどもたちは、槍で戦えと言う具合に。丸腰でゴジラに挑む、まさにこれは本土決戦ではないか!と思って見入ってしまった。過去の東宝ゴジラ、シン・ゴジラのように国、政府が立ち上がって化学兵器で立ち向かう路線とは一線を画すものになっている。
映画はそれまで、神木隆之介と浜辺美波の家庭ドラマが展開し、戦後どう生きていくかのストーリーが展開されていく。この有志団結成にあたり、戦闘機乗りであり、機銃も扱える生き残り兵として参加することになる。ここでこの生き恥特攻野郎は自らの敗戦の落とし前をつけにいく。ここを乗り抜けないと、戦争を終わらすことができない、のどにひっかかった棘をとるために。この描写は戦争体験者なら、自分が死ぬまで戦うストーリーになっていく。実際、そんな作品は少なからずある。ここは戦争未体験者ならではの視点である。
山﨑監督の時代、私も同じだが、多くの戦争映画、ドラマがあった。邦画、洋画を問わず、戦争賛美的なもの、娯楽映画ながら戦争への批判を織り込んだもの、反戦映画などさまざまなものがあった。8月15日は戦争をテーマにした特番ドラマが必ずあった。
私の世代は戦争というものがまるでビッグイベントのようなもの、そんなものがあったという認識がどこかにあった。これら公開された戦争映画は中高生の観客がけっこう多かった。角川春樹はこのあたりをついて、「男たちの大和」で、中高生に向けたプロモート活動を行っていた。そんな環境もあってか、監督の視点をなんなく推察してしまう。
映画はクライマックス、震電という戦闘機で立ち向かう。これはご存知の人も多いと思うが、戦争中に日本軍が開発していた秘密兵器。ジェット機のプロトタイプのようなもので、プロペラはおしりについている。この幻の兵器でゴジラとの決戦に挑む。
日本の戦争の落とし前をこんなゴジラで見るとは思わなかった。
世界でこの映画が見られていると聞く。日本映画が海外市場で話題になったのは「新幹線大爆破」以来と思う。(これはわたしだけの思い)海外の観客はこんな視点で見てないと思うが、この作品がここまで受け入れられているのは、ヒットするツボがあったと思う。特にアメリカ人が好むストーリーラインが見られた。黒澤明作品がアメリカで絶賛されたことにもつながる要素がこの作品にもあったと感じた。それは何かと、ここに記載してはおもしろくないので、鑑賞して感じていただけたらと思う。(終)
シリアスな割には重みが足りない
うーん、シンゴジラがエンタメ的にも映像的にも良くできていたことを考えると、こっちは色々劣っていると言わざるを得ない。
映像からハッとさせられるシーンはあまりなかった。
ただ口からビームでどっかんするのは割と良かった。
ドラマは安っぽい。
浮き輪のくだりが物理的にどうなのと思う。
もっと1500mで長時間沈めておけばいいのに。
その浮き輪もほんとに深海で開くの?
海の上に立ってるゴジラってのもどうなのと思った。
ドラマでいうと安藤さくらはさすがの貫禄があって圧倒的な演技力。
最初の登場シーンはゾクッとしたね。
それに比べて浜辺や神木はシリアスな雰囲気が出せてない。
佐々木蔵之介も重みが感じられなかった。
メカニックの人もそんなキーマンになるような前振りあったっけ?
全2011件中、421~440件目を表示