「主人公の状況や気持ちを自分なりに文脈から想像し・補完し・解釈することで納得したい(個人的妄想もあり)」ゴジラ-1.0 ハッケンさんの映画レビュー(感想・評価)
主人公の状況や気持ちを自分なりに文脈から想像し・補完し・解釈することで納得したい(個人的妄想もあり)
<冒頭>
特攻隊。いやいやの任務。
できれば行きたくなかった。
両親との約束もあった。
戦争から帰ったら、結婚する約束の許嫁もいた。
死の恐怖
。しかし自分が望まない無理な命令だとしても従うしかない。同調圧力もあった。
従わないものは、体罰や「臆病者」の嫌がらせを受けたから。
つまり、絶対命令。絶対服従。
特攻から逃げるためには、
特攻できない、完全なる理由を見つけるしかない
それが「飛行機の故障」という理由だった。
しかし、飛行機が直れば、再び行くしかない。
また異常がないことがわかれば、逃げ出した臆病者と罵られる。
しかし、死への逡巡が、
嘘の「飛行機の故障」という行動へ導く。
案の上、飛行機の異常は認められず、
逃げ出した臆病者のレッテルが貼られ、
罵られ、陰口叩かれ殴られ、さらに次の日には再び「特攻」を命じられる。
生き長らえても、所詮、今日までの命。
もう逃げられない。
死の覚悟も決まらぬ、
絶望の中、最後の夜がくる。
その時、暗闇から、謎の巨大な怪物が現れる。
基地は、その怪物の出現でパニックになる。
その怪物は、基地を襲い、さまざまな設備を壊し始める。
主人公は、この時、この怪獣を神の使いと思った。
この影響によって、
明日の出撃は延期されるのではないか?
自分を死から遠ざけるために現れた救世主的な
この怪獣の奇跡的、運命的な出現に
内心、束の間の明るい兆しを見る。
そこへ上官の整備長からの命令
「貴様の零戦の機銃で、怪獣を殲滅せよ」
それは彼自身の生きる兆しを失う命令、
生きる兆しを彼自身で葬る命令にもちろん従うことはできない。
さらに機銃を打てば、
怪獣の報復によって、自分の即刻の死が火を見るより明らかな、獰猛さであった。
それと暗闇の中、咆哮する巨大な怪獣への恐怖心。
彼は、再度、自分の死への怯え、
死ぬことの逡巡により、機銃を打つことをためらった。
そもそも根からの臆病者なのである。
その臆病の結果、他の兵士たちの命を奪うことになる。
次々と怪獣に踏まれ、噛み殺されていったのである。
そして、怯える彼にも、怪獣の脅威が迫るのであった。
。。。。
朝、起きてみれば、
自分が、気を失い、砂浜に倒れていたことを知る。
首を振って、よろよろ立ち上げれば、死屍累々。
踏み潰され、食いちぎられ、
顔もない、胴体がない、潰された
兵士たちの遺体が、午前の陽の中の浜辺に並んでいた。
痛ましく悍ましい光景。
夢ではなかったのだ!
昨晩のことが思い出される。
彼らは、巨大怪獣によって殺されたのだ。
自分の体を触る。なんともない。
腕も足も、胴体も頭もある。
奇跡的に、脳震盪を起こして、気を失っていただけだ。助かった。
足をひきづって、向こうから兵士が来る。
昨夜、彼に命令を下した上官、整備長だ。
「貴様!!!貴様のせいで….」
基地で生き残ったのは、なんと二人。
怪獣によって全滅したのだ。
この後、自決しなかったのは、上官も所詮、死ぬ、勇気がなかったのだ。
このような基地の状態では、何もできない。
そのまま終戦、引き揚げとなった。
しかし、上官は、彼を許すことはなかった。
そして、上官は、彼に、
その罰の印として、殺された部下、仲間の写真を渡す。
戦争が終わったと思うなよ。
貴様のせいで死んだ仲間の無念を
貴様は一生、その人生で負え。
主人公は、その写真を懐に抱いて、
臆病で死にきれなかったことで、結果
大勢の仲間を殺してしまった後悔で自分を責めながら
戦後を生きることとなる。
上官もまた、同じように、次々と若者を特攻に送り、
自分だけが生き残ってしまった後悔にさなまれながらきっと生きるのだ。
——————
<臆病者で優しい、それゆえ優柔不断な主人公>
ようやく東京に戻ると、
全て、両親も許嫁も、空襲で失っていた。
彼は、生きる希望がない中でも、死ぬことへの恐怖に取り憑かれ、毎夜毎夜、怪獣に踏み潰される仲間と自分の夢にうなされた。
起きれば、自分だけが五体満足で、生き残っている不思議と後悔と、死んだもの怨さが頭の中で響く。
彼は、そうした毎夜の死の恐怖で、死ぬこともできない。
考えないように、考えないように、
思い出さないように、思い出さないように、
生きるしかない毎日を送る。
「生きたい」のではない、死ぬのが怖い!
死ぬのが怖い!
死ぬのが怖い!
俺はなんて臆病なんだ….
俺だけなんで生きてるんだ…
死にたい、死にたい、
でも
死ぬのが怖い!
死ぬのが怖い!
そんな中、子連れの女と出会うのである。
——————
<仲間たち>
あれは戦争だったから、しょうがなかったんだ。
誰も彼も、自分の命可愛さに、他人を見殺しにしたんだ。俺だけが悪いんじゃない。みんな同じなんだ。
俺だけじゃない…みんなも見殺しにしたんだ。
死んだ奴らも、逆だったら俺を見殺しにしてるはずだ。
たまたま逆だっただけだ。
俺が生きてるのはそういうことだ….
でもなんで、俺だけ生きてるんだ….
なんで生きて帰ってきたことが、こうも責められるんだ…
俺は死ぬべきだったのか….
生き残ったってどういう意味だ?
生きてくってなんだ?
生きるってどういうことなんだ!
あの戦争で生き残ったやつは、心のどこかで、みんなそう思っている。
機雷の除去は、俺たちの戦闘の続き。
機銃を撃って、機雷を爆破させて、その鬱憤を晴らす。
戦争を続けることによって、
戦争のそうした後悔を引き伸ばしてる。
機雷除去は主人公たちにとって、もってこいの仕事。
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<そこに再びゴジラが現れた!>
俺たちの前に!
ゴジラは、そんな俺たちの戦争の後悔、問い、そのもの。
生き残って、こんな惨めな思いをするんだったら、いっそのこと、一億総玉砕した方が良かった。
ゴジラは、そうした生き残った俺たちの後悔を試すために、神から使わされた獣。
俺たちは、本当は生き残りたかったのか?これからを生き抜きたいのか?
それとも本当は死にたいのか?
終戦を先延ばしにするな!戦争を総括せよ!
ゴジラは、俺たちの戦争への怒りそのもの。
そんな自分が攻撃されたとき、防衛・反撃のための怒り
愛する家族が殺したのは、国家日本かアメリカなのか時代なのか、戦争そのものなのか、それらへの復讐の怒り。
死ぬこともできない、戦争も反対できなかった勇気のない自分への後悔・自戒の怒り。
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<終盤>
だから、俺たちは再び立ち上がる。
自分の過去と向き合い、
その勝敗に自分のこれからの運命を託しているのだ!
ゴジラと戦い、ゴジラを葬ることで、あの戦争の本当の決着をつけるために!
自分は生きるべきだったのか?死ぬべきだったのか?
だからこそゴジラとの勝利は、
ある意味、自分達の本当の終戦。
で、あるからこそ、自分が生き残ったことの後悔を精算し、
生き残るべき者として、自分の生を肯定し、
故に、運命として死んだ者たちの魂に敬礼したのである。
ゴジラとの戦いによって、ようやく彼らの戦争が終わったのである。