「マイナスからプラスへ至ろうとする物語」ゴジラ-1.0 神社エールさんの映画レビュー(感想・評価)
マイナスからプラスへ至ろうとする物語
山崎貴監督の作品は『ジュブナイル』のみ鑑賞済。
ゴジラシリーズは、vsシリーズは『ゴジラvsビオランテ』『ゴジラvsモスラ』『ゴジラvsメカゴジラ』『ゴジラvsスペースゴジラ』『ゴジラvsデストロイア』、『GODZILLA』、ミレニアムシリーズは『ゴジラ FINAL WARS』以外観たのかもおぼろげな記憶、『シン・ゴジラ』、モンスターバースシリーズでは『GODZILLA ゴジラ』『ゴジラ キング・オブ・モンスターズ』『ゴジラvsコング』、アニゴジシリーズは『怪獣惑星』『決戦機動増殖都市』観賞済。
ゴジラ新作のカウントダウン告知の際に『シン・ゴジラ』で上がりきったハードルを誰が監督するのか、どういうテーマを描くのか気になって注目していて、カウントダウンが終わった後新作が-1.0と発表された時に「その視点は無かった!」と膝を打った。
更にロゴのGの文字もG一文字でありながらゴジラが尻尾を振り回すようなシルエットにも見えるのが、まだ誰も観たことのないものを描いてやろうっていう気概を感じて期待価が上がったし、監督を担当する山崎貴監督の評判は聞いていたけれどその2点で好みの映画になりそうなワクワクを感じたのを覚えてる。
その後、公開初日に観に行きたかったものの機会を逃し、年の瀬までにはとようやく観に行ってみた。
モノクロ版である『ゴジラ-1.0/C』公開決定の日に観に行ったのは偶然ではあるものの、観終えた後その情報を見て『ゴジラ-1.0/C』も必ず観に行こうと決めるくらい個人的にも刺さる作品だったし色んな層の人が観るべき作品にもなっていたように感じた。
公開前は終戦直後が舞台ってことで反戦や反核的なメッセージが色濃い映画だろうなって予想をしていたけれど、『シン・ゴジラ』では官僚の視点の物語だったところを今回は一般人や民衆の視点、且つ主人公が特攻兵(マイナス勘定)の敷島で、そんな主人公を通じて敗戦国日本が敗戦からゴジラ襲来を前にどう立ち上がっていくかを描いているのが『シン・ゴジラ』から今作までの間に起きた新型コロナウイルス感染症を経た今だからこそ重なる部分があるし、刺さる映画になっていたように思う。
ゴジラシリーズに初めて触れたのが『ゴジラvsモスラ』だったのもあって、個人的には『シン・ゴジラ』よりも人間ドラマが色濃い今作の方が平成ゴジラ味を感じて好印象だったし、人間ドラマも好みで、山崎貴監督の『永遠の0』や『アルキメデスの大戦』も観たくなった。
主役の神木さんや浜辺さん、脇を固める俳優陣の演技も素晴らしいし、明子役の永谷咲笑さんはてっきり5歳くらいの子なのかと思って演技力に感心してたものの、実際は撮影時点で2歳なのも後から知って驚いた。
『シン・ゴジラ』 とは違ってモーションキャプチャーなしの完全CGゴジラだけどシルエットが平成ゴジラ寄りなのも良かったし、スタッフが歩くモーションをかなり拘って作っただけあって個人的にはかなり着ぐるみ感も感じられて良かった。
新生丸がゴジラに襲われるシーンでは、(少なくとも自分は初見の)サメ映画のように海中の背ビレだけ覗く形で追われる観たことない演出のシーンが素晴らしかったし、個人的には怪獣映画やディザスター映画によくある、向かう先に逃げていく(横に逃げていかない)シーンが見るたびに気になってたんだけど、銀座にゴジラが襲来したシーンはそのセオリーを逆手に取って、そもそも横に走っても無駄な尻尾の薙ぎ払いシーンが入ってるのが良かった。
そこから広島に落ちた原爆を思い起こさせるような熱線の衝撃波や、そのキノコ雲を背負っている見返りのゴジラのシーンの画は恐ろしさと共に神々しさを感じるし、ゴジラが人智の及ばない神としてシリーズで描かれてるのを考えると、神を宗教画として描いた人はもしかしたらこういう気持ちだったのかと疑似的に体感したような気がした。
そんな絶望的な状況で響く敷島の慟哭と共に黒い雨がポツポツと降り出して豪雨になるシーンでは、一瞬その雨が(フォールアウトと言う二次災害よりも)死体が映ってなかったのもあって吹き飛ばされた人間の直接的な黒い血の雨に感じて、演出の素晴らしさと共に描写されている以上の恐ろしさを感じた。
海神作戦で敷島が乗る戦闘機の「震電」が(実際にその戦闘機が実在するとは言え、)前後逆の構造なのが、まるで過去の特攻するはずだった時に逆行しているように見えて、その演出が(「誰かが貧乏くじを引かなければいけない」ってセリフや脱出するかどうかが微妙な段階なのもあって)熱さと切なさが混じった感情にさせてくれて、この作品で1、2を争うくらい最高のシーンだった。
『シン・ゴジラ』ではゴジラが地面を踏みしめる(実在性を感じる)シーンがないことに対して幽霊や亡霊を表してるんじゃないかって考察を見たけれど、今回踏みしめるシーンがあることや本来協力が得られるべきアメリカの協力が得られないこと、そもそもアメリカの「クロスロード作戦」がトリガーになったことなど、明らかに実在しているもの(勝利国アメリカ)のメタファーに感じた。
でもその後山崎監督が「核の脅威や戦争の影がそのまま怪獣の姿をしている」って言ってたのを知って終盤ゴジラが頭部が爆発し海に沈んでいくシーンでの敬礼を思うと、勝利国アメリカ以外にも終戦直後でまだ生々しい戦争被害者のメタファーが含まれてたんだと気づいた。
最後の典子の首筋に謎の文様が表れてる様子やエンドロール前にゴジラが少しずつ再生していく様、エンドロールでのゴジラの近づいてくる足音など、ビターエンドじゃなくゴジラの到来というバッドエンドが観客に迫ってきている演出が凄まじく、通常劇場で観賞したのを後悔するほどIMAX劇場ならビリビリと肌にゴジラの圧を感じれる演出だったと思う。
監督や制作陣が"体感する映画にしたい"って言ってたのを知らなかったので通常劇場で観たけれど、2回目やモノクロ版はIMAXで観るモチベーションになった。
もちろん全く気にならないところがないわけじゃなく、
・敷島が特攻しなかったり機銃を撃たなかったことで敷島はPTSDに加えサバイバーズ・ギルトも発症したことや、「誰かが貧乏くじを引かなければいけない」ってセリフを入れつつもその状況を生み出したアメリカや事なかれ主義を貫く現政権など、その解決策を描かないことに対してモヤモヤした。実際の終戦直後もそういうことを言えない状況なんだろうなってのは解っているけれど。
・ 今作は終戦直後だからこそカラーよりもモノクロ版が合う(カラーなことで逆に違和感があった)気がしてたから、モノクロ版が公開決定して良かった。
・個人的には破壊されるミニチュアセットが好きなので、破壊されるビルなどをミニチュアでも見たかったところはあるけど、瓦礫とかはかなり良かったし集落の一部がミニチュアだったのは気づかなかったくらい実物感があった。
・放射能の影響はゴジラが来襲しただけでも甚大なものなのに、放射熱線の直接の影響や
被爆者が大量に発生したことなど今回そこに言及してなかったのが気になったけど、そもそも被爆したことで人体に何が起きるかって情報が日本に入ってきてなかったり、知っていたとして上層部がその情報を秘匿していた可能性もあるんだろうな、と納得した。
・終戦直後(2年+α)にしては一瞬で膨らむ浮袋の技術がもうある(伝わったのか輸入なのか)のは気になったけれど、あくまで終戦直後の技術がどうだったのかについて全くの素人だから実際どうだったのか気になる。
・典子が無事だったなら作戦遂行までに電報送ってて欲しかった(敷島が特攻しないように)って思ってた、敷島と会うまでは。個人的にここは良い裏切りだったので膝を打った。
敗戦した(そしてゴジラの襲来でマイナスの)日本を1へと向かわせる為に"自分たちの"戦争を終結させ「自己犠牲しなくていい、生きろ」ってメッセージは、コロナ禍以降政府を頼れなくなった自分たちに結構刺さるセリフに感じた。
『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』や『窓ぎわのトットちゃん』『君たちはどう生きるか』など終戦前後を描いてる作品が今年相次いで公開されてるのは、もしかしたらコロナ禍から脱却しようとしてる過渡期だからなのかも、と思った。
この作品を観る前にゴジラ過去作の予習は必要ないけど、日本が敗戦するまでの流れとか戦争によってPTSDやサバイバーズ・ギルトを発症した人をテーマにした映画やドキュメンタリーを予め観ておいた方がこの当時の空気感が理解出来そうな気がした。