「ゴジラ映画として映画館で見る価値あり」ゴジラ-1.0 きらりさんの映画レビュー(感想・評価)
ゴジラ映画として映画館で見る価値あり
私にはとても魅力的な作品であり、人によって評価が様々であることには少し驚きました。しかし長年のゴジラファンにはタイプの違うゴジラ映画に不満がある場合もあるのでしょうし、特撮映画ファンでない人が評判を聞きつけて観た時に求めるものと違った、と意見が割れたのでしょう。
しかし平均スコアが高いということは概ね高評価とする人が多いのだろうと思います。
私は星5ですが、敢えて難点を指摘しつつ私の感想を述べますね。
①大戸島での敷島
敷島が大戸島でゴジラを攻撃しなかった心情は私には少しわかりにくかったです。見ている立場では早く撃てという気持ち、なすすべなく殺られる惨状は辛いです。もちろん学徒出陣で特段戦闘の経験もない自分が何故命令されるのか…という気持ちはわかりました。小説から紐解くと、あの怪物に攻撃しても反撃されるだけと冷静に考え躊躇した様なので、もっとゴジラの恐怖を強調する演出、敷島の生き残りたいという狡猾なまでの生への執念、クールさがあると良かったのかも…と思います。でも神木隆之介のキャラは小説のキャラよりも優しく、怖くてフリーズした、というチキンな解釈が私にはあってるかなと思います。実際攻撃した兵士達は殺され攻撃しなかった敷島は生き残っているので敷島の判断は正しかったのでしょう。
②自立しようとする典子
なんで唐突に働くなんて!そう思いましたけど、敷島が結婚できないから出ていかねばという決意だのですよね、もどかしい展開です。2年何も無いまま一緒に暮らす不思議は、あるでしょうが、敷島のトラウマを思えば先に進めない敷嶋は、私には理解できます。神木隆之介はガツガツしてないキャラですし、純愛にノスタルジーを感じます。
③小僧
銀座の場面以前に仲間3人が家で飲む場面がありますが、典子は敷島に愛があるけど女とはみなされていない、父役でもない。この場面小僧が、何度も典子にお酒をついでもらおうとする細かい臭い芝居があるんですが、少ない出番の中でキャラ立ちさせるために奮闘していて見ていてクスリとしました。後のゴジラ戦に連れていって下さいよと叫ぶシーンは、本気で参加したいならなんで追いかけて腕を掴んでお願いしないのか、と私は思いました。アラサーではなくもっと幼さが残る人の方が脚本には合っていたのかなとは思いますが、ゴジラの物語に強い印象を残す個性派キャラクターだったので彼で良かったのだろうと思います。時代劇で活躍する彼だから仲間の船を集めてゴジラ戦に参加して一旗挙げたいというキャラとして強い個性の人物が必要だったのでしょう。
仲間の船を集める展開が嫌というコメントも読みましたが、ゴジラは強すぎて総力挙げて戦わないと勝てないという展開なのでしょう。私はスター・ウォーズというよりも、小説のハリーポッターの最終決戦でいろんな種族が集結する場面を想像しました。
かつても、特撮ものではウルトラの父が助けに来る、ゾフィーが助けに来る、戦隊ヒーローで6人目のヒーローが登場するというのはよくあり、特撮ものには強大な敵に立ち向かう時のピンチの時の助けってお決まりの素晴らしきマンネリズムなのではないでしょうか。
④銀座の典子
銀座に行った典子をなんで都合よくゴジラが襲うのか、という指摘をする人がいますが、それは誰でもよかったけどまぁ物語上そうなったという展開は私は特段気になりません。水に落ちたのは銀座なら皇居のお掘り?なのかしらと思いますが、どうやって出てきたの?無理でしょと思うし、出てきても全然濡れてないじゃん!と思うし、あの大都会で都合よく敷島が典子を見つけられる訳ない!と思います。でも、あれは特撮映画です、ウルトラマンや仮面ライダーを見る心で見るんで、襲われたヒロインは窮地を脱したものの、さらなる窮状に陥るもヒーロー登場で助かる、が、そのヒーローをヒロインが身を挺して守る、良いじゃないですか。
ラストの病院で包帯を巻いている姿は、包帯萌、綾波レイかと思いましたよ。庵野監督への敬意かと思います。逆さになった列車から落ちそうな映像はミッション・インポッシブルか、という感じではありましたが、それはまねをしたわけではなく列車を使った演出で残念ながら類似してしまったのだろうと思っています。
⑤典子の生死
典子の首のあざは妖しくどういう事か?と思いましたが、ゴジラ細胞という概念がゴジラシリーズにはあり生命力の強いゴジラ細胞により生き残ったという演出だと、あとから知りました。
敷島を守る時彼だけ突き飛ばすのではなく、一緒にビル陰に倒れ込んで助かって欲しかったですね…典子の葬儀もしているし、あの場で飛ばされたなら怪我した典子を助ける為に敷島は
探し回ると思ったのに、見つからず、生死不明なまま葬儀を出したということなのですよね…
いっそ、ちゃんとお棺に典子が入って葬儀を出したものの、典子とそっくりの典子の記憶のある女性が見つかったという展開のほうがSF的には好きです。
が、監督談話によると、最後に敷島と典子を逢わせてやりたかったという思いから作った結末のようです。
「あれだけお母ちゃんに会いたがったアキコが典子に駆け寄らないのはおかしい」というコメントを読んだことがありますが、あの妖しい典子の姿は敏感なアキコには近寄り難かったでしょうね。
⑥作戦
作戦が現実的でない、についてはSFとか怪獣映画にはあるあるでしょう。戦艦と戦艦が接触する感じですれ違うとか映像がおかしいと私も思いますけど、そもそも、ゴジラ、あんなふうに直立する二足歩行の生き物って猿類以外ないじゃないですか。あり得ない世界観なのでそこは私は気にならなかったのです。
⑦元艦長のお腹
ただ、作戦のトップである元艦長が少しお腹が出てる体型が…気になりました。細かくてすみません。海軍って船に積み込める食料が決まっているので皆さん少量の食事で我慢しとても引き締まってカッコよいのです。今お腹が出てるなんて戦後お金を儲けて飽食しているのかと思うと私は信じられませんでした。政治家や陸軍省の人間とか商人なら構わないのですが、皆からの信頼を集める元艦長ですよ…筋肉質のウェストの締まった人が良かった、そこだけは私の最大の不満です。
⑧ー
【私にとっての満足】
全体に学者がロン毛の天パーとか、あんまり年上への尊重の感じられない掃海のチーム、すごく令和的なのです。昭和の雰囲気を作りながら全体に現代映画なのです。しかし大戸島のシーン、橘の登場場面は殺気立っていてとても良い戦争映画の雰囲気があります。
しかし、原爆のことも、黒い雨についても、特攻隊についても、GHQについても、パンパンについても、東京空襲についても、ほとんど何も語っていません。ゴジラは水爆実験から生まれたのが基本設定ですが、水爆実験は1954年、このゴジラ-1.0は1945〜1947年の話。原爆投下により生まれたものです。しかしそれを語っていません。掃海については説明がありますが、広島県呉市の自衛隊設備てつのくじらに行けば詳しい説明がありますが、、掃海は未だに続いています。時間が長くなるし戦争映画ではないからてしょうが、アメリカや世界でのエンタメ作品として上映を意図して敢えて語らなかった作品と思います。
アメリカでは主人公のPTSDやトラウマに注視しています。もちろん、そういう作品です。
だからこの作品は観る人のバックグラウンド、知識、映画やドラマの好みにより評価は分かれるのでしょう。
私はらんまんの神木隆之介と浜辺美波の二人の取り合わせるムードが大好きで、実際にはそれに先行する形で撮影されていますが、もともと大好きな浜辺美波と千と千尋の神隠しの声優時代から好きな神木隆之介の雰囲気が大好きで百恵友和の様にこれからも二人の組み合わせで沢山作品を観たい思いです。
そしてたとえ駄作だとしてもゴジラ-1.0Part2があれば観たい!
浜辺美波と神木隆之介の典子と敷島に家庭を持ったものの、実子でないアキコの反発とかその後の物語も観たいのです…