「ちぐはぐな映画」ゴジラ-1.0 ワイワイートさんの映画レビュー(感想・評価)
ちぐはぐな映画
物語は特攻隊としての責務から逃避し戦争の傷を抱えた主人公が、ゴジラとの対峙を通して自らのトラウマを払拭するという流れが中心ですが、主人公のメンタリティがとにかく幼稚過ぎて全く感情移入出来ませんでした。主人公は過去のトラウマからヒロインとの関係性を肯定できない(戦場で死んだ者たちを尻目に自分が幸せになることが受け入れられない)という描写がくどくど描かれていましたが、終戦直後という日本国民の誰もが傷を負った時代に自分の悲劇のみに陶酔し他人の気持ちを慮れない子供じみた自己中心性や、そんな中でも自分に手を差し伸べ笑顔で語りかけてくれる仲間たちに暴言まで吐いてしまう性格の悪さには不快感を感じてしまいました。この主人公は、他の人も自分と同じように傷を負っていることが想像できないのでしょうか…まるで現代の若者が急に戦後に転生したかのような時代感の掴めなさと想像力の無さです。主人公はゴジラの登場により妻を失って以降はゴジラと対峙することを選び、仕事の同僚だった学者を中心に組織された撃退作戦に参加することを検討します。しかし、学者から作戦概要の説明を受けた主人公は「その作戦は"確実に"ゴジラを倒せるのか?"確実"に倒せないならやる意味がない!」と議場から退場しようとします。その様子は学級会で1人不貞腐れる小学生の姿そのものでした。未曾有の事態に確実な方法などなく、やれることをやれるだけやることが大切なのだというメッセージは作中でも語られますが、他の仲間達がまともな人柄で描かれていただけに、この場面は主人公の幼稚さを強調するだけのシーンとなっていました。また、愛する人を失った人間が"確実"という言葉尻一つに執着するのも、復讐を図る成人男性の造形としては浅い気がします。その後、主人公は作戦に参加しますが、仲間達からはゴジラへの特攻という捨て身の行動を取らないか心配されます。ただ、主人公は最終的に自らと過去のトラウマを共有する元戦場の同僚の橘に赦されることで、生きていくことを決意したことが分かります。ただ、思い出していただきたいのが、彼はこの時点で喪ったと認識していたヒロインの他に、アキコという我が子同然の守るべき存在がいました。それでも主人公に未来を生きる決断をさせたのはアキコの存在ではなく、橘からの赦しの言葉のみでした。この和解?の場面は作中で10秒程度、ドッキリの種明かし程度の軽さで描写されますし、そもそも橘が主人公を赦すに至った背景描写は全く描かれないので、観ている側には何のカタルシスも生じません。また、全編を通して作中の展開の中心であった、"戦争で心に傷を負い過去に囚われたまま前に進めない人物が過去を振り切り自分を肯定する"という最重要転換点が、まるで「友達と喧嘩してたけど仲直りできて良かったです!」程度の軽妙さで片付けられるのは、物語と作品のメッセージそのものを、朝ドラレベルの人間ドラマに矮小化しています。もう少し悪い穿った見方をすれば、主人公以外の魅力的な登場人物達や、ゴジラ及びこれを撃退する物語そのものが、この軽薄な主人公1人のために雑に消費されている気さえしてしまいます。そもそも成人男性であれば責任を持って当然に優先すべき家族の存在が主人公の人生の決断に徹頭徹尾寄与しないので、「こいつはいかなる局面でも自分の気持ちにしか配慮できない、幼稚で悲観主義に陶酔するお子ちゃまなんだな」という感想しか持てませんでした。細かい話ですが、作戦で使用する予定の戦闘機を飛行可能な状態に整備するための工員が必要になった際、次にいつゴジラが日本に上陸するかも分からない状態、かつ他に優れた整備士候補の選択肢があると作中でも明言された中で、主人公が橘の抜擢に固執したのも、橘が主人公の心を救うことになるというこの後の作中の展開を踏まえると、「こんな皆がヤバい状況でも自分の過去を精算したい欲求を優先しちゃうんだな」と呆れてしまいました。この主人公を通して山崎監督が伝えたいメッセージは「他者のことなんて考えなくていい!自分のことしか考えない糞ガキでも生きていていいんだ!」という感じなのでしょうか。まあそれはそうなんですが。
また、作品全編を通して伝えたいメッセージ性もちぐはぐです。主要キャラクターの発言から察するに、この作品では戦争や全体主義・同調圧力を否定し、個人の人権や倫理観を肯定、また、政府や軍といった悪しき権力に活躍の場を与えず、市民の誠実な結束の美しさを伝えようとしているのだと思われます。しかし、それにしては軍艦・高雄が主人公達を救った際に高揚感を演出したり、クライマックスでゴジラを退治する海神作戦では、作戦従事者を"民間人"と肩書きのみ置き換えただけで、結局は軍が生み出した戦闘機や駆逐艦などの兵器頼りだったり、作戦前のブリーフィングでは大義の名の下に人命を軽視する過去の日本軍の倫理観を否定していたのに、作戦開始以後は撤退を進言した参加者の意見を封殺する指揮官を描いており、作品として批判したかった要素が登場人物の台詞のみでしか否定されず、シナリオや演出上は肯定されてしまっているので、メッセージにあまりに説得力がなく、居酒屋のおっさんの愚痴レベルに堕しているなと思いました。シン・ゴジラでは兵器や自衛隊の存在は肯定的に描かれていますが、ゴジラの襲撃という有事においも民主主義的な手続きとシビリアン・コントロールが徹底され、民間人や平和な文明の産物(高層ビルや在来線)がゴジラを撃退しており、戦前の軍国主義や全体主義は否定出来ていただけに、こういった観点からも少し物足りなさを感じました。そして、この辺りのメッセージの整合性の無さ、劇中の登場人物の前提知識と価値観が現代に寄り過ぎていること、主人公の人間性に深みがないのが組み合わさり、戦後直後の時代を舞台にした意味がまったく感じられませんでした。
この作品で良かった点は、「やったか!?」という台詞が劇中で3、4回登場する点です。今時、やっていそうな時に「やったか!?」という台詞が使われることも珍しいので、新鮮かつ懐かしい気持ちを味わえました。
CGは抜群だったのに、ドラマ部分は残念な意味での山崎監督だなあと感じます。
大戸島基地の守備隊の隊長、「もう戦争の行方なんて分かってしまってる」とか言ってたのに、自分が小ゴジラに攻撃命令出したせいで全滅したのによくもまあ主人公に責任おっかぶせてくるよなあとも感じました。
なんというか、人間心理の書き方が書き割り(テンプレ)止まりなんですよね。
セリフで全ての事や感情を言いまくるのは異常です!
しかも演技出来る役者の演技力を殺してるとかある意味天才です。
あんな安藤サクラ初めて見ましたよ
コメントありがとうございます。映画.comのコメントは映画見るときに参考にしていましたが、この映画が絶賛されるんですねえ。自分の感性が少数派だと実感しました。