「「シン・ゴジラ」に対する最上の「返歌」」ゴジラ-1.0 アラ古希さんの映画レビュー(感想・評価)
「シン・ゴジラ」に対する最上の「返歌」
2016 年の「シン・ゴジラ」のレビューをこのサイトに書いて以来、本作で奇しくも 200本目のレビューだったのには奇縁を感じる。しかも本日 11/3 は、ゴジラの第一作が 1954 年に封切られた記念日でもある。ゴジラ誕生 70 年と、30 作目の記念作でもある。
初代のゴジラは終戦から 10 年も経たずに作られたことから、ゴジラに破壊された街の光景は、まるで米軍の爆撃によって破壊された日本の国土を彷彿とさせたし、作品中で歌われた女性コーラスによる追悼の歌は、戦没者に向けたレクイエムのように聞こえて胸を打たれた。あのような旋律美に満たされた曲を伊福部昭が書いたというのにも驚かされたものである。
当初は大人向けの映画として作られたゴジラだったが、子供向けに作れば引率する親の入場料も期待できることから、作を重ねるごとにどんどん子供に迎合して行った経緯は残念なものがあった。1984 年の「平成ゴジラ」で大人向けに復帰したかに見えたが、その後はまたスーパーXなどの架空の兵器による戦闘がメインとなって、やはり大人の鑑賞に耐えられるものではなくなって行った。
完全に大人向け作品として復帰したのは「シン・ゴジラ」で、人間ドラマとしては政府の閣議がメインとなり、法律や外交といった子供が興味を持てなそうなやり取りが大半を占めていたのは非常に好感が持てた。ゴジラの生態や謎の光線の発射など、様々な改変はあったものの、その真剣な作りに免じて余裕で許せる範囲だった。
さて本作であるが、山崎貴監督は 2005 年の「ALWAYS 続・三丁目の夕日」の冒頭で怪獣が暴れまくる妄想シーンを描いていて、その圧倒的なリアルさには本当に魅了されたのが忘れ難い。この監督に是非ゴジラの新作を作って欲しいと思ってから、今日まで 18 年もの時間が流れた。これを見ることができたのは長生きできたお陰だと感謝している。
「シン・ゴジラ」を見てしまった日本人は、もはや子供向けのゴジラでは満足できず、ハリウッド製でも満足できない体質になってしまったと思っている。本作は、そうした日本人の鑑賞に耐えることを目的としたと思われるもので、その目的は見事に達成されており、凌駕したとさえ思える大傑作であった。和歌で言えば「返歌」に相当するのではないかと思う。
ゴジラは着ぐるみではなくフル CG なので、どんなデザインでも可能なはずだが、頭部の作りは「シン・ゴジラ」にかなり寄せた作りになっていた。すり足で歩く姿もソックリだったが、野村萬斎の名前はなかったので、モーションキャプチャではないのかも知れない。「シン・ゴジラ」が上に向けていた手のひらは、今作では下向けだった。また、熱線を吐く時にゴジラの口の周りにもダメージが残るという描写は画期的で、長年の疑問が氷解する思いだった。
大映のガメラと戦ったバルゴンやギャオスは人間を食べるシーンがあったが、ゴジラが人間を食べるシーンは過去作に一つもなく、本作でも避けられていたのが印象的だった。また、ゴジラの息の根を止めたのは第一作で芹沢博士が発明して使用した「オキシジン・デストロイヤー」のみであることも踏襲されていた。「シン・ゴジラ」もゴジラを死滅させたのではなく、活動を停止させたに過ぎない。
人間ドラマの作りは、「シン・ゴジラ」が半沢直樹のようにビジネスマン的な人間関係が主体だったが、今作ではより踏み込んだ人間関係を扱っていて、下手をすると陳腐なものになる恐れもあったが、非常に見応えがある仕上がりになっていた。ゴジラ対策の部分も「プロジェクトX」的で、いずれも山崎貴監督が庵野秀明監督に向けた「返歌」と言えるのではないかと思えた。
時代設定は第一作のゴジラより前の、終戦直前から戦後間もなくにかけての時期になっていて、神木隆之介が演じた主人公・敷島の乗るバイクなど、80 年ほど前のアメリカ製と思われるものが爆音を出しながら動いているのには感動させられた。米ソの冷戦が始まっていて、ゴジラ退治に GHQ の協力が期待できない事情なども時代感を漂わせており、それに対して戦中の価値観を無くしていない民間の勇士の姿にも胸を打たれた。家族を守るために戦場に赴くという姿は、古代ローマやその前から見られる普遍的なもので、それにも胸を深く打たれた。山崎監督は私より8歳も若いのに、こういう時代感覚をしっかり持っておられることに感服した。
映画の冒頭で主人公の敷島に感じる違和感に対しては、作品中できちんと説明があり、それが納得できるものであることにも満足できた。脚本も担当している山崎監督は、今年の家康の出来の悪い大河ドラマの脚本家とは次元が違うほど優秀だということを思い知らされた。各キャラクターがそれぞれ自分を持っていて、時代に合った各自の心情に逆らわない行動をしているというところが流石である。
血の繋がりがなくても家族として暮らしていけるはずというのは「ALWAYS」から変わらぬ山崎監督の信念なのだろうが、本作は、あのゴジラの迫力の合間を縫ってその物語が紡がれるのが素晴らしいと思った。神木隆之介と浜辺美波のコンビは、朝ドラの「らんまん」で馴染みのカップルだったが、これほど違う環境でも互いへの信頼を感じさせるのが流石だと思った。
音楽の佐藤直紀は「ALWAYS」などでも山崎監督と組んで仕事をしているベテランであるが、一度聞いただけで耳に残る強い独自性を持つ作風が何よりの魅力である。本作でも、リゲティを彷彿とさせるような洗練された緊張感は見事だと思った。「シン・ゴジラ」と同様に伊福部昭のオリジナル曲を大事に扱っているところも「返歌」を感じさせる理由である。「モスラ」の音楽や、「キングコング対ゴジラ」のファロ島の民族音楽まで出て来たのはご愛嬌であった。エンドロールで歌謡曲が流れなかったのも好感が持てた。
説教じみた神風特攻の意味を見る者に突き付けるのではなく、その同時代の目撃者に仕立てることで実感させようとするかのような演出には深く感服させられると共に、いつの間にか落涙を禁じ得ない自分に気付かされた。間違いなく今年見た映画の中で断トツの大傑作である。
ただし、注文をつけたいところが皆無ではない。
1. 高雄を壊滅させたほどのゴジラが、木造の掃海艇に追いつけないはずはない。
2. 群衆がゴジラの進行方向に逃げるのは不自然。直角方向に逃げるはず。
3. 熱線を吐く準備が整った状態で青い口をしたゴジラがすぐ吐かずに長時間待っているのは不自然。
4. 船員たちの敬礼は震電が飛んでいるうちにやらないとゴジラに敬礼しているかのように見えてしまう。
(映像5+脚本5+役者5+音楽5+演出5)×4= 100 点。