「ご都合主義でも胸に響く帝国海軍の敗者復活戦!」ゴジラ-1.0 tomatoさんの映画レビュー(感想・評価)
ご都合主義でも胸に響く帝国海軍の敗者復活戦!
今までに見たことのないゴジラ映画という点では大成功だろう。
何よりも、「海棲生物」としてのゴジラと、そのゴジラとの「海戦」が存分に描かれていて見応えがある。
特に、ゴジラが小さな掃海艇を追いかけるシーンは、ゴジラの背びれが巨体なサメのようで、その前方にゴジラが頭部を現わすところは「MEG」よりも恐ろしい。
クライマックスの舞台が海なのは、第一作と同じだが、水圧でゴジラを倒そうという発想は斬新で、オキシジェン・デストロイヤーよりも遥かにリアリティがある。
砲身を撤去した駆逐艦(雪風!)と多数のタグボート、そしてプロペラ戦闘機(震電!)でゴジラと戦うところも面白いし、危険を顧みずに難敵に立ち向かう男たちの心意気には、思わず胸が熱くなった。
ゴジラが放射能熱戦を吐く前に、背びれが撃鉄のようにせり上がる新たな仕掛けも、サスペンスを高める効果を上げていると思う。
その一方で、不自然さや違和感を感じるところがない訳ではない。
主人公は、特攻を逃れて生き残ったことに負い目を感じているが、それならば、申し訳ないと思う相手は、大戸島の整備兵よりも、同じ航空部隊の特攻兵の方なのではないか?(ここは、同じ山崎監督の「永遠の0」とも相通ずるところがあるので、特に気になった。)
若い男女が一つ屋根の下で暮らしているのに、なぜ、いつまでも結婚もせず、互いに敬語なのか?(後に、それは、主人公の戦争が終わっていないからだと説明されるのだが、それでも、あまり納得はできない。)
主人公は、ゴジラが東京に向かっていることを知りながら、なぜ、避難しようともせず、しかも、わざわざヒロインを銀座に行かせてしまうのか?(ここが、この映画で最も納得がいかないところである。)
その他にも、ヒロインが、ゴジラにくわえられた電車からせっかく生き延びたのに、その直後に爆風で吹き飛ばされてしまうところにも、話の繋がりの悪さと、必然性のない死への違和感を覚えてしまった。(ただ、この展開は、後に覆されることになる。)
そして、ラストで、ゴジラに特攻したと思われた主人公と、銀座で死んだと思われたヒロインが、共に生きていたというオチが用意されているのだが、これも、ご都合主義と言えば、その通りだろう。
ただし、この出来過ぎな展開には、なぜか不快感は覚えない。
それは、「生き残った者は、残りの人生を生き切るしかない」という作品のテーマが、ここで具現化されているからだろう。
さらに、ゴジラとの戦いを「戦争」と捉えるならば、この映画で描かれるのは、太平洋戦争の敗者復活戦に他ならない。
あまりにも人命を軽視した戦争の反省を踏まえて、海軍の生き残りたちが、今度は戦死者を出さないと誓う姿には胸に迫るものがあるし、その意味で、1人でも犠牲者が出てしまったら、ゴジラとの戦争に勝ったとは言えないのである。
主人公やヒロインの生還は、確かにご都合主義ではあるものの、それ以上の説得力を「生きろ!」というメッセージに与えていると思えるのである。