ティルのレビュー・感想・評価
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母親なら胸が張り裂けそう
1955年に起きた事件の実話を題材にしています。
14歳の黒人少年エメット・ティル(愛称ボー)は、
歯親の故郷ミシシッピー州のマネーに遊びに行くことに、
母親のメイミーは、
「シカゴとミシシッピー州は黒人の扱いが全く違う」と、
しつこいほど忠告するのですが、メイミーの不安は不幸にも
的中して、ティルは殺害されてしまいます。
その理由も食料品店の白人の人妻に、
「女優さんみたいに綺麗だね」とフレンドリーに話しかけて、
帰り際に、調子に乗って《口笛を吹いた》
・・・たったこれだけです。
口笛に血相を変える地元の親戚の子。
(白人女性に黒人が口笛を吹いたら、どうなるかを知ってる)
白人妻の夫が夜中にメイミーの兄の家に押しかけて来て、
ティルを拉致・・・数日後には遺体になってしまうのです。
アメリカの北部と南部の違い。
映画「それでも夜は明ける」(2013年)の主人公もニューヨークで
音楽家として裕福に暮らしていたのに突然拉致されて、奴隷に売られて
12年間の壮絶な経験をする話でした。
母親が優秀で空軍にただ1人の黒人女性として働く裕福な家庭で、、
一人息子として育ったティルには、南部と北部の違いを
母親から口が酸っぱなるほど注意されても、旅先の浮かれた気分は
止められなかった。
メイミーのそれからの行動は毅然としていました。
遺体をニューヨークに運ばせて、顔が膨れ上がり、頭を銃撃され、
リンチを受けて腐敗しかけた遺体を《公開して葬儀》で行ったのです。
新聞やテレビニュースでも取り上げられて、犯人も逮捕されます。
しかし裁判は陪審員12名がすべて白人でした。
その上、被害者のキャロラインはティルに襲われたと真っ赤な嘘を
つくのです。
犯人は無罪でした。
ここからメイミーの人生が変わるのでした。
それまでは利己的で自分の暮らしが豊かで満たされていれば、
他の黒人の生活がどんなに蔑ろにされても気にしてこなかった。
多分見ないように聞かないようにしていたのです。
メイミーの後半生はアフリカ系アメリカ人の公民権運動に
捧げられました。
アメリカの法律を変え社会を動かすことになった名もなき母親の
愛が描かれた感動作品。
事件から間もなく70年。
だいぶ人種差別は無くなりつつありますが、罪もない黒人が警官に
暴力を振るわれ殺される事件が4年前にもありました。
その警官が有罪になり服役しているだけでも進歩でしょうか。
そしてハリウッドの映画やドラマの主要キャストに黒人少年や
黒人少女やアジア人が当たり前のようにキャスティングされる時代に
なったなぁ、
そんな気がします。
この出来事は『アラバマ物語』上映よりも以前に起きた出来事。
黒人に対する差別とかとは別にして、我が子が惨殺にあっている理由だから、それだけで母親が冷静ではいられる理由が無い。
この出来事は『アラバマ物語』よりも以前に起きた出来事。それが実に『怖い』と感じる。色が白いだけで判断すべきでは無い。しかし、こんな出来事があったのに、黒人に対する差別はどうなったのか。しかし、実際は未だに白人のヘイト行為は実在するし『アラバマ物語』上映以降、ベトナム戦争へとアメリカは自由と民主主義をはき違えて行く。そう感じてしまう。
僕はこう言った映画を見ると、鬼畜米英は狂気の思想だと思うが、『脱亜入欧』が『軽佻浮薄な思想』に思えてくる。だから、未だに白人至上主義が残る国に行くのをためらってしまう。それも偏見であるとは思うが『怖い』と思えてならない。特に『銃規制がゆるいアメリカ』は入国するだけでも緊張感が心を覆う。
この母親の様にね。
法案可決までの年月
この手の人種差別をテーマにした作品は
多々あれど、毎度衝撃的過ぎてしんどい。
こんな残酷な事があって、
あんな酷い仕打ちがまかり通って
あんなばかげた裁判ある?!
1900年に同種の法案が初めて提出されてから
200回以上廃案に追い込まれ
可決するまでに一世紀以上もかかったという
この現実が何よりも恐怖
エメットティル事件からおよそ67年
「エメットティル反リンチ法」法案が可決した。
かかった年月が長ければ長いほど
根強い人種差別を容易に想像できる。
Till a day win true equality
公民権運動を大きく前進させたエメット・ティル事件の映画化。
ウーピー·ゴールドバーグとヘイリー·ベネットが出てるので観なきゃと思いながらも年を越してしまいました。上映館が非常に少ない。久しぶりに車を出して遠くのシアターに観に行きました。
観てよかったです。
いや、観なきゃいけない映画です。
ウーピーゴールドバーグもヘイリーベネットもすごく太っていました。
ヘイリー·ベネット、第二子妊娠中に撮影?と思いましたよ。
法廷で大嘘こいてイヤな女でした。
旦那だけが話を耳に挟んでやったのかと思ったからです。
1955年を昔と思えない歳なので、ほんとうに驚きました。
映画化に68年かかるなんて。
BLMが起こってからやっとです。
あの指輪がなかったら、完全に身元不明のドザエモンでした。
こういうことは氷山の一角だったことに驚きました。
おばさん夫婦の住むミシシッピー州(南部)にシカゴ(北部)から夏休みにおばあちゃんの助言で行ったボボ君。
店番のお姉さんに女優さんみたいだねって言って、瓶に入ったチューインガムを自分で取り出したときはこちらもヒヤヒヤしました。コラコラ、手づかみはだめでしょう。お姉さんに取ってもらいなさい! でもその後お姉さんの手に触れたりしないようにしないといけないよ。ウィル·スミスが主演男優賞取って、ビンタ事件で一悶着あったテニスの姉妹作品でも父親が子供の時のエピソードでちょっとそんな話がありましたから。
グリーンブックでの差別描写なんかうんと生温いと思ってしまった。
黒人の子供相手の駄菓子屋なのにねぇ。
1955年に戦争未亡人となった母親は空軍で働くただひとりの黒人女性だったということなので、聡明な人だったんでしょうね。旦那さんは朝鮮戦争で亡くなったんでしょうかね。
黒人の労働力で潤った南部が黒人差別が長く残り、南北戦争で南部と戦った北部ではテレビ、ステレオ、冷蔵庫がある暮らしが出来ていた。アメリカってわからない国ですね。たぶん、南北戦争は黒人奴隷制とは本質的に異なるメンツによる戦争だったんでしょうね。
2022年のエメット・ティル·リンチ法制定。リンチはだめに決まってるのにねぇ。驚いて呆れました。
「ティル」は殺された子どもの名前では
なく、殺された子とその母親の二人のファミリーネーム(名字)だった。映画を見る前はてっきり、殺された子どもの名前とばっかり思っていたが、見終えてみると母親のティルのこと(「も」)なのかな、と。
昨年見た「ソフト/クワイエット」や「キリング・オブ・ケネス・チェンバレン」に連なる、心がえぐられるような映画だった。ただ、2作に比べて、画面が明るく音楽が陽気なのが救いになった。
翌日、命をかけて証言してくれる黒人の大叔父を恫喝する母親と、その母親に育てられた(素直なよい子ではあったが)あまちゃんの息子は、好きになれなかった。
とはいえ、証言に立って、息子の生まれた頃の話をするシーンには胸がつまった。また「誰かに起きたことは私に起きたこと」(正確ではない)という台詞は、心に刻んでおきたい。
反リンチ法が成立したのが2022年だったという事実にアメリカでの人種差別の根深さを感じた。
大坂なおみさんが全米オープンの7枚のマスクの後、私の知らない名前の書かれたマスクを着けている写真を見たことがあったが「Emmett Till」と書かれていたことに初めて気がついた。
最初から最後まで胸が痛かった
悲劇になるのが分かっていたので、戦争未亡人のメイミーが息子を愛して慈しんでいる描写が続く冒頭からずっと胸が痛かった。息子を惨殺されてからはさらに、その心中が直球で伝わってきて、彼女と一緒に心で慟哭していました。
シカゴでは、デパートでメイミーに失礼な口を聞いた白人の店員に「白人にもそういうの?」と反論できるくらいなのに、南部のミシシッピでは、14歳の子供が店員の女性に「女優さんみたい」と言ってふざけて口笛を吹いただけで惨殺されてしまうような社会。
メイミーは、アメリカ空軍で唯一の黒人女性職員、きちんとした教育を受けた、優秀な人なのだろう。理性的、論理的で思慮深く、だからこそ、息子の死を嘆き悲しむだけでなく犯人たちに報いを受けさせるべく行動ができたし、さらにはアメリカ国家に対して、黒人全体の利益のために戦っていくことができたんだと思う。
北部には、このような黒人女性もいるような状況で、想像を絶する地域格差だ。
裁判が始終胸糞悪い。事件が起きたところを管轄する司法のもとで行われるので裁判官も陪審員も白人(男性)だけで、最初から不平等で理不尽なできレース。メイミーが、「私のボーイは二度殺された」という言葉が刺さる。
エンドロールで示された、発端となったキャロラインは何の罪にも問われず、惨殺の実行犯の夫ともう一人も、エメットを殺害したことを白状しながらも大金を手にしてゆうゆうと人生を送ったとか、後日談ももやもやする。
社会を変えるのは時間がかかる。
過程で犠牲を出し、その屍を乗り越えていくようなものだったりする。
メイミーの戦いはすぐには結果が出なかったが、社会を動かす大きな力になったことは間違いないので、若干の救いにはなった。それを示唆するように、裁判を諦めてミシシッピを出ていくメイミーたちに、街の黒人たちがそれぞれに敬意を表するところは胸熱だった。
主演のダニエル・デッドワイラーが圧巻の演技。
重い内容でしたが、それとは別に50年代のファッションが素敵。
ワンピースやスーツ、それに合わせたアクセサリー、手袋、など、コーディネートも素敵でした。
心に刻みます
この時代の黒人差別をテーマにした映画は、幾度となく観ていて、いつも胸を押し潰されそうになる。
世の中酷いのは黒人差別だけではないが、あってはいけないことが、普通に行われていて何とも心が痛い。
人を人と思わない残酷な仕打ち。
なぜ。なんで。どうして。
でも観なくては。
その時代を生きていない私は、その酷さを知らない私は、様々な映画で心に刻む。
ここで語るのも恐ろしい事件だった。
純粋で明るく、まだあどけない一人息子を、白人からの迫害から守りたくて、あれだけ心配して、そしてくれぐれも注意を払うよう言って聞かせ、それでようやく州外の親戚宅へ送り出した母親。
あんなにも心配になるほど危険な状況とはあんまりではないだろうか。
でもそうだ。何も悪くないのに黒人が差別によって虐げられていた時代。確かにそういう時代はあったのだから。
その心配はまさかの展開へと的中してしまう。母親のメイミーがどんなに辛く、悲しかっただろう。
ティルは純粋に白人の女性を綺麗だと思い、それを口にしただけだった。そしてその思いを口笛で表現しただけだった。
でもそれが、その時代白人にとってはそんなにも許されない行為だったのか?そんなことで銃を持ち出すとはどんな脳をしてるのだろう?子供のした事なのにに黒人だと言うだけで許せず、大人が、そして悲しいことに白人に支配されているとは言え、ティルと同じ黒人までもが加担し、子供をリンチする。死に至るほどに。
肌の色は違えど 同じ人間なのに。
何故そんなことができるのか。
なぜ。なんで。どうして。
酷すぎた。
事件のリンチについては、痛々しい描写はなかったものの、事件の残酷さは十分に伝わって来た。
リンチで殺したうえに、川に捨てるとは。
どうしてそれが、しっかりと罪に問われないのだろう。
そして、当の口笛を吹かれて怒り、銃を持ち出した女性は、裁判では嘘ばかりの証言。馬鹿馬鹿しかったが、そんな事がまかり通ってしまうのだ。裁判すら黒人差別で行なわれるのだから。
だけれども、メイミーは勇敢だった。愛するの息子がされた所業を、変わり果てた姿を世に知らしめることで、確実に理不尽な黒人差別と戦う大きな第1歩を勝ち取ったと言える。
差別はなくならないからこそ声をあげ続けるべき
黒人差別の告発映画、飽きもせずと言うと極めて詭弁ですが、定期的に差別の実態を暴く作品が商業映画ベースに乗る意味を考えたい。要は差別は現時点においても一向に無くならない、だからこそ訴え続ける必要がある。本作で描かれる事件によってなんと69年も経ってエメット・ティル・リンチ法がやっと成立したことを契機に制作されたのでしょう。当然にシリアスな感動作に納まり、興行的にも批評的にも成功作が多い。だから制作されるわけではないけれど、例えば本作制作のウーピー・ゴールドバーグは過去にも類似作品を提供し続けている。まるで使命であるかのように取り組む姿勢には頭が下がるのみ。
本作は1955年の時点での悲劇を描くが、大きなポイントは同じUSでも北部シカゴと南部ミシシッピーにおける黒人差別の実態の違いにあると言う事。本作の主役であるメイミーはシカゴに住み、キチンとした教育を受け、立派な家を持ち、白人と同等の仕事を持っている知識人である。彼女の14歳の息子を社会勉強とばかりミシシッピーに住む兄弟にしばし預ける事が発端。ここシカゴではデパートで差別的慇懃な対応をされても、それをはね付ける発言が通る環境がある。一方のミシシッピーでは、女性店主をハリウッド女優のようとお世辞を言いちょいと口笛吹いた、ただそれだけでその場で殺される現実だと言う事。
案の定の悲劇に、裁判を中心に描かれるのが南部のどうしようもない差別の実態。ニガーと呼び、白人を侮辱することは死刑も同罪、コットンフィールドの様相は奴隷時代とほとんど変わりない。この悲劇を全米に広める事しかメイミーには手段がなく、その過程が本作の要となる。それにしても裁判での茶番と言うより悪意が公然と行われていたことは驚くべきこと。被害者とされる女性主人に至っては、誰も目撃者がいない事に目を付け、多分弁護士と相談しての、嘘八百証言を裁判所の聖書の前で展開する醜悪。陪審員は全員白人の中年で男ばかり、全く正義なんぞ欠片も存在しない。
女性だと言うシノニエ・ブコウスキー監督はごくオーソドックスに役者の演技に寄り添って描くものの、平板なのは否めず、メイミーの怒りをもっと激しく表現してもよかったのではないか。主人公メイミー役のダニエル・デッドワイラーは、終始威厳を身にまとい怒りを内包し、身なりに気を遣う大人として演じ、圧巻の演技を見せつける。本作最大のヒール役の女主人、何処かで見覚えありますねえ、と思ったら「シラノ」や「ビルベリー・エレジー」そして「スワロー」「ガールズ・オン・ザ・トレイン」での気怠い雰囲気を纏った美人さんヘイリー・ベネットではないですか。
秀逸なのはミシシッピーでの埋葬を拒否、シカゴへ帰還した変わり果てた我が子の姿を安置所で対面するシーン。真横からのショットで、間にちょうど敷居があり惨い体を見えない工夫と見せかけて、ゆっくりと足から上半身の残酷な姿を映し、最後は葬儀の場での遺体の公開シーンで初めて膨れ上がった顔面をスクリーン叩き付ける演出。この醜悪を晒す事こそが本作の目的と言っても過言ではない。
以降の事はラストにテロップにて示されるが、本当に最近になってやっとリンチ法が成立した事実には驚きしかない。差別は虐めと同じで、強者もしくは多数派が、弱者もしくは少数派に対して行う対立軸。この仮想敵を作らないと動けないのが人間の弱さ。米国だけが酷いのではなく、この日本においても差別論者は数多蔓延ってますよね。
【"僕は綺麗な白人女性に口笛を吹いただけなのに。”1955年の夏、アメリカ南部の黒人蔑視の風潮を理解していないシカゴから来た少年の身に起きた事。少年の母の毅然とした態度・行動が沁みる作品。】
■エメットは1955年の夏休みに、ミシシッピ州の叔父の家を一人訪ねる。彼は初めての南部の生活を楽しんでいたが、当時のアメリカ南部で黒人が白人に対してしてはいけない事を何気なくしてしまう。
◆感想
・序盤はエメットが少しお調子者だが、そんな彼を愛する母メイミー(ダニエル・デッドワイラー)の姿が描かれるが、その後の展開がフライヤーなどに記載されているので、憂鬱な気分で鑑賞する。
・エメットがミシシッピ州の叔父夫婦の家に行き、小作人である彼らと共に綿花を収獲するシーンも、エメットが南部の人種差別の事をキチンと理解していない事が伺える。
■エメットは叔父の子供達と、ブライアント食料品店に行き、中を興味深げに見まわしながらレジに立っていたブライアント・キャロライン(ヘイリー・ベネット:素敵な女優さんなのに、役に恵まれないなあ。)の顔を見て、”映画女優さんみたいですね。”と言い自分の財布に入っている白人女優の写真を見せる。
そして、店を去る時にエメットはキャロラインの顔を見て”口笛”を吹いてしまうのである。
ー 当時のアメリカ南部では白人にとって黒人から口笛を吹かれるというのは侮蔑されたと捉えられてしまう行為なのである。
(現代でも、口笛は揶揄の表現と捉えられる事がある。)ー
慌てて逃げる叔父の子供達。何が起こったのか分からないエメットの困惑の表情。
そして、翌晩にキャロラインの夫ブライアントと仲間のマイラムが叔父の家に銃を持って押し入り、エメットを連れ去ってしまうのである。
・行方不明になったエメットの身を案じるメイミー。だが、そこにエメットの訃報が入り彼女は失神する。
■だが、そこからメイミーの息子及び全ての黒人たちの尊厳を取り戻す行動が始まるのである。彼女はNAACP(全米有色人種地位向上協議会)の支援の中、ミシシッピ州に乗り込み変わり果てたエメットの遺骸と対面し、足の先から膝と指でなぞって行き、最後は銃弾を撃ち込まれた頭部にキスをするのである。
更に、メイミーはエメットをミシシッピ州で埋葬する事を拒否し、シカゴに運ばせ正装させて、”敢えて”息子の顔が見えるように棺桶の顔の部分の蓋を開け、弔問者に見せるのである。
ー 物凄い胆力であるし、勇気のいる行動である。今作では、母親の強さをダニエル・デッドワイラーが、見事に演じていると思う。ー
・ミシシッピ州で行われた、”限りなく白い裁判”で、キャロラインが行った嘘の証言を聞いている途中でメイミーは憤然として席を立つ。
そして、大勢の黒人たちの前で言い放った彼女の言葉は、値千金である。
何故ならそれが、公民権運動を推し進めるきっかけになったからである。
<エンドロールでテロップで流れた事実には、猛烈に腹が立つ。ナント数年後にブライアントと仲間のマイラムが雑誌のインタビューに応じ、エメット殺害を認めインタビューの報酬として多額の謝礼を貰い、生涯安穏と暮らしたと流れるテロップである。1955年当時のアメリカの司法制度は、メイミーが言う通り、人種差別に寛容だった瑕疵ある制度であることが良く分かる。
だが、僅かなる救いは、皮肉じみたトーンでテロップで流れる2022年に「エメット・ティル反リンチ法」が成立したことであろうか。事件から60年以上も後に・・。>
愛情と憎悪
1955年のミシシッピ州マネーでひとりの黒人の少年が、白人女性に向かって口笛を吹いたという理由だけでリンチされ殺された。
しかも殺した二人組の犯人は起訴されることもなく自由に暮らしている。
今なら誰が考えてもおかしいと思うし、許すことが出来ない行為のはずだ。
しかし今から70年前のアメリカ南部ではこのような蛮行が罷り通っていた。
正直、今年観た映画の中でも一番ショッキングで正視するのが辛かった。
ほとんどの黒人が泣き寝入りするしかない中、殺された少年エメットの母メイミーは世間に何が起こったのかを知らせるために勇気ある行動に出る。
彼女は暴行され変わり果てたエメットの顔を見えるように棺を開いて葬儀を行う。
そして死体はエメットではないと主張する犯人の弁護側に対し、母親としての強い証言をするために裁判に出る決意をする。
しかし白人のみで形成される評議会は全く公平な裁判を執り行わない。
メイミーは好奇と憎悪の目に曝され、誹謗中傷を浴びながら苦痛に耐え続ける。
そしてエメットは二度殺されたのだと悔しさを噛みしめることになる。
この映画の中では良識的な白人はひとりも登場しない。
そのことがこの時代のミシシッピ州の黒人が本当にマイノリティーな存在で、誰の助けも得られないのだという絶望的な事実を観る者に突きつける。
なぜ一人の少年が無惨な殺され方をしたのに、ヘラヘラと笑いながら被害者の母親に向かって暴言を吐くことが出来るのか。
それは当時の南部の多くの白人が、黒人を自分たちと同じ人間だと認めたくなかったからだろう。
彼らを同じ権利を持つ人間だと認めることで、自分たちの存在が脅かされることを恐れたからだろう。
結果的にメイミーが勇気を振り絞って行動したことが、後の公民権運動へと繋がっていく。
それでもエメットという少年が犠牲になってしまった事実はあまりにも悲しい。
メイミーはエメットをボボと愛称で呼ぶのだが、彼女のボボへの愛の深さが画面を通して何度も伝わってくるので、彼女が自分の悲しみの中に沈み込まずに、すべての黒人の未来のために立ち上がる姿に強く心を打たれた。
またこの映画を観て人種的憎悪が助長されないことを願った。
確かに白人が黒人に対して行ってきた差別は許されないし、「エメット・ティル反リンチ法」が2022年になって成立したことからも、未だに根強く差別が残っていることは確かだ。
しかし今はほとんどの人間がこの映画を観て、これが異常なことだったと理解することが出来る。
大切なことは二度と同じような差別による悲劇を起こさないことだ。
世界で起こっているどんな出来事も決して他人事ではないのだと強く感じさせられた。
決して忘れてはならない惨劇を
本作品ではバイオレンスシーンやグロテスクシーンを割愛した上でエメット・ティル事件について紹介されている。
序盤はエメット・ティルが生前歌や踊りが大好きな陽気で明るい少年だったという場面がメインで叔父の住むミシシッピへ一夏の旅行をする際に、母メイミーは今ある環境が恵まれているんだと伝えた上で"白人と何かトラブルがあっても低姿勢を貫きなさい"と話した言葉の意味合いが分からなかったようで気さくに白人の店員に対し話しかけたつもりが結果何様と思われた末の店を出る際に口笛をふいたことにより恨みを買う結果になることを少年は知らなかったのならば、悲惨な末路他言いようがない。
ティルは滞在先がバレた末に連れて行かれる。
本当はこんなこと言いたくないが映画には描かれていない事実を話すと…。
リンチした末に眼球はえぐり出され(未だに眼球は見つからず)顔は判別つかぬほど原型をとどめていない上に銃で頭を撃ち抜き性器も切断し有刺鉄線で回転式綿搾り機を重しとして首に縛りつけた状態でタラハシー川に遺棄する。
黒人がどうのこうのじゃなく、大人が子供に対してする仕打ちにしてはあまりにもひどすぎる。そこはウーピー・ゴールドバーグが模倣犯を生ませないための配慮があるとしたら、この事件、そしてこの映画は決して忘れてはならないということを映像を通し教えてくれた。
上映館は少ないが、是非皆様に見て欲しい素晴らしい作品です。
死後のエメット・ティルが痛みや苦しみのないエデンで幸せに暮らしていると願いたい。
アウェイ。
理不尽な理由で大事な一人息子を失った母親メイミー・ティル(黒人)の話。
戦争で夫を亡くしてるメイミーは息子エメットと平穏に暮らす、ある時、ミシシッピ州マネーの親戚宅へエメット独りで…その近くにある飲食店に入り店の白人女性店員に口笛を吹き「ムービースター」みたいだね!と、声を掛けたその夜、その白人女性と仲間の男達に拉致され殺害されてしまった…。
過去に起こった事件の映画化。
本作観ての感想は理不尽で嫌な時代の一言ですね!ただただ肌が黒いってだけでなんでこんな仕打ち?!
とりあえず飲食店の白人女性店員キャロリンはクソですよね(笑)
被害者なのに加害者扱いとか母親も周りの人間もみんな胸クソ悪かったと思う!
鑑賞した私も胸クソ悪かったです(笑)
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