「人間のきたない部分」零落 マフィンさんの映画レビュー(感想・評価)
人間のきたない部分
あくまで個人的感想、考察です。
少しでも同じ感想を抱いた方がいると嬉しいです。
映画をそんなに見るほうではありませんが、非常におもしろく拝見しました。
人間のエゴや怠慢、傲慢、身勝手さ、そういったきたない部分が存分に描かれ、ハッピーエンドも特段ないのにも関わらず、満足感はある映画でした。
漫画家として没頭していた20代。
俗世との関わりがないがゆえに、主人公は他人との会話が下手である(空気が読めない、声が聞こえないときがある)ところや、流行がわからずそれを世間のせいにする(最新の漫画はおもしろくない)ところがあるようにみえた。
8年の連載が終わり、新作もすぐ着手できると踏んでいたが、中々できなかった。
その理由としては、アイデアは出るが、それは流行にマッチしていない(売れない)漫画になるとなんとなくわかっていたからだと思う。これまで周り見ず8年かけ抜けてきたが、ふと連載が終わり世間に触れたとき、彼自身は流行というものを分からないとしていたが、潜在的には理解していたように思う。今作は、この「潜在的」「つかめない不透明さ」がひとつキーワードであったと思う。
次第に主人公は焦りを感じ、遊びの延長だと言っていたSNSのコメントに焦燥感を覚えるシーンもあった。そんなとき”ちふゆ”との出会いがあった。ちふゆも主人公も、互いにどこかつかめないとこを感じるが、それがどこか心地よさもあり、次第に仲を深めていく。主人公にとってちふゆは「海」であったと感じた。今作、キーワードとして「水」もあったと思う。ちふゆに出会う前、何度か女子高生の映像もあったが、ひとつ印象的だったのは、ゲームセンターで女子高生を見たのち、傘の先端と床の接地面にできた(非常に小さいが)水たまりである。焦燥しきった彼はどこかやすらぎを求めていたが、女子高生は非常に小さな水たまりで支えるには値しなかった。しかし、ちふゆとのシーンでは度々「海」が出てきた。彼にとってちふゆは、海のように、世間を知らないばけものの自分をも包み込んでくれる存在だったのだろう。ちふゆ実家近くのラブホテルで事後、海に歩いていく主人公のシーンも印象的だった。
ただこの関係も長くは続かなかった。ちふゆが主人公の職を知ってしまったからである。漫画家=主人公の全てだった彼にとって、職を知られることは心地よかった不透明さが、全てさらけ出されてしまうのと同じである。
この後も特に明るいシーンはなかったが、ちふゆ(世間)との出会いは間違えなく彼を変えた。それは冨田が漫画をもってくるシーンで、素直にその内容をほめ、普通に会話ができているシーンで感じた。彼自身が中々掴めなかった世間を少しずつ理解しているように感じた(この後も冨田は相変わらずだったが笑)。またこれに加え、主人公は嫌いといいながらも売れてる漫画を度々読んでいたシーンがあった。つまり、流行を知ろうとする努力をしていたわけである。この結果最終的には、自分が書きたいものではないが、売れる漫画を書くことに成功する。
だから何かと言われればこれ以上のことは考察できなかったが、全体として主人公の世間を知っていく姿を人間みを含め描いていたこの作品はおもしろかったと思った。
とまあこんなことを書いてはいるが、作者に最後は「違うんだよ」と言われるかもしれない。