聖なる証のレビュー・感想・評価
全8件を表示
『ルーム』の原作者が描く、もうひとつの「閉じ込められた女性」の物語
原作と共同脚本が『ルーム』のエマ・ドナヒューであることに合点がいった。時代設定は違えど、どちらも特殊な状況に封じ込められた女性の物語で、抑圧しているのは社会であり、また自分自身でもある。『ルーム』と違うとすれば、この映画のアナは状況から抜け出す力を得るためには、リブという大人の助けが必要だったということだろうか。一方でアナはただ非力な存在ではなく、あかの他人であるリブを巻き込み、この子を助けたいと思わせる存在でもある。
宗教全般を否定している映画ではないが、はっきりと狂信や盲信が害をなすものとして告発している作品だと思うので、日本よりも宗教的反動の強い欧米では、アンチの怒りも買いやすい気はしており、作り手がリスクを怖れずにテーマに向き合った作品である、とも思う。
作劇的には王道と言うべきか、「己の喪失感を克服するために誰かを救おうとする」お話で、個人的な好みでいえば母性に寄りすぎていて、赤ん坊の靴下のような小道具は意図が透けて見えすぎるのでノイズにも感じる。しかし物語を伝えるためにはわかりやすさも必要だとは思う。むしろ難しいテーマの間口を広げるための仕掛けとして機能しているのなら、悪しざまにいうことでもあるまい。
近親相姦の罪責と外国の抑圧への抵抗を小さな少女に押し付けて殺そうとする論理=story
冒頭で映画のセットがむき出しで映し出され、語り手は"We are nothing without srories."(我々は物語なくしては生きられない)と述べる。本作の意図はここであからさまに提示されている。
ここにいうstoryとは、アイデンティティとそれを取り巻く価値観や世界観、思想、宗教を指す。本作ではキリスト教的世界観に裏付けられた自己認識だと考えておけばいい。
アイルランドの11歳の少女アナは、4ヵ月間何ひとつ食べないでも生きている奇跡の少女と話題になる。地元のリーダーたちはそれが果たして真実なのか、英国の看護師と修道女に観察を依頼する。
主人公の看護師が見た少女は始めは健康そのものだが、看護師が少女と親たちとの接触を止めさせると、徐々に弱っていく。少女が当初、「マナ(神の与える食べ物)を食べている」と言っていたのは嘘で、母親がキスの際に口移しで食べさせていたのだ。しかしウソがばれても、少女はいっさい食べようとしないまま、やがて瀕死状態に陥っていく。
何故そのように断食しなければいけないのか。そこが本作のポイントである。少女の告白を聞こう。
「死んだ兄は地獄の業火に燃やされ続けている。兄を救わなければならないから、兄の魂が地獄から解放されるまで断食を続けるのだ。私が9歳の頃からずっと、兄は妹としてだけでなく妻としても二重に私を愛してきた。その後、兄は病気になった。神聖ではなかったために罰を受けたのだ。母によれば兄が死んだのは私のせいだ。私も兄を愛していたのだから」
働き手の男手を死なせた責任を妹に押し付けて口減らしをするとともに、近親相姦の痕跡を抹殺しようとする父親の意図と、隠れてそっと娘を生かし続けようとする母親の思いやり、そして恐らくは食べなくても生きている娘に「ジャガイモ凶作と英国地主による小麦収奪にも負けないアイルランド人の強さ」を仮託させたがったアイルランド社会の願望が、最終的にはキリスト教の贖罪の論理にすり替えられて、少女を殺そうとしていたのである。
人間に必須なstoryは、ここで家や国家社会に便利で都合のいい、個人を収奪し圧殺するものに転化する。
教科書的に言えば、彼女に必要なのは「現実を直視し事実に基づくstoryを作り直すこと」ということになるのだが、そんな単純な解決策を考えるのは小生のような素人の観客だけであろうw
映画は最終的に、少女の信じる土俗信仰にある「聖なる泉」により、彼女のstoryを自ら書き換えさせ、再生しようとするのである。そしてご都合主義のカトリック教会と古い陋習の支配するアイルランドから新大陸に渡り、新たな生を拓いていく姿を描く。
冒頭のむき出しのセットは、storyとは人間の根底にあって動かせないもののように見えるが、それは人為的であり、いつでも書き換えできるのだ、という監督のメッセージである。
久しぶりに剛球一本やりの作品を観た気がする。
抑圧された少女
ホラーかと思いきや、ヒューマンドラマ。
最近の映画は注意書きが多い。
児童虐待に性暴力。
もはやネタバレですがな。
食べない少女。
キリスト教徒の中で奇跡と言われ、もてはやされるが
実は少女は家族や教徒達に抑圧され、聖者であることを心理的に強要されていた。
看護士の監視をつけたため、食事が取れず衰弱する少女。それを知りながら、看護士以外は誰もこの愚行を止めようとはしない。
中世で断食少女といわれ、実際にこういうことがあったというんだから、ゾッとする。
当時、私たちが思うよりずっと人々は閉鎖的で、身動きとれない時代だったんだろう。
命を賭して、少女を救い出す看護士。
ミッドサマーで泣き喚いていたピューだが、たくましい看護士役は適任だった。
派手な演出はないものの、見応えがあった。
宗教映画としてだけ見るのはもったいない
基本的には、男性による女性の抑圧の話です。
しかしそれにキリスト教の衣が着せられています。
4ヶ月も食べずに生きている少女は神に選ばれた奇跡の存在なのか?という謎解き要素は、実はこの物語の主ではありません。
「奇跡」であることにしたい聖職者や医師(みんな男性)がいて、そこに従属せざるを得ない家族、加えて、男性性の暴力の被害者である少女が、その男性の罪を背負わなくてはならないと思いこまされているという構造が重なっています。
解決策……と言えるのかわかりませんが、少女を救うにはああした方法しかないでしょう(ある意味ではリアリティを損ないかねない大胆な展開)。
しかしだからこそ、宗教はもちろん、科学や客観性では不可能な「私たちに必要な物語」なのですね。
それを示唆する映画のメタ構造も効果的です。
宗教だけでは生きられない
もし本作が実話を基にした作品か、でなくともミステリー要素の高い作品だったら、もっと違ってたであろう。
そのいずれでもなく、こんなにも宗教色が濃かったのは難だった。
1862年、アイルランド。
4ヶ月何も食べずに生きている少女。
その調査を命じられたイギリス人看護師。
これだけ聞くと非常に興味惹かれるのだが…。
開幕ショットは、まだ未完成の骨組み露の美術セット。そこに、「『聖なる証』をご紹介します…」とのナレーション。映画の定石を覆すような、ぶっ飛びの開幕。
つまりこれ、あくまで個人的な見解だが、作品自体は作り物。しかし、語られる話から何を感じ、何を信じるか。
…という事ではなかろうか。(という事でいいのかな…?)
やはり誰もが、摂食せず生きる少女の秘密が気になる所だが、ズバリ種明かし。
少女は天から授かる“マナ”で生きているというが、その“マナ”というのが母親からのキス。つまり、母親が食べ物を口に含み、口移しで与えている…との憶測。(当人たちは否定)
ペテンやないかい!…はともかく、そこがフィーチャーされている訳でもなく。
生物学的な驚きの秘密ではなく、これにも宗教色関わり、一番肝心な所がちとう~ん…。
やはり宗教絡むと、分かる人には分かる、分からない人には分からない。
少女が断食するようになったのは、ある過去のトラウマから。実兄からレイプされていた。その兄が死去。兄を死に追いやったのは、自分。地獄で苦しむ兄を救う為に、断食の儀式を捧げている。
宗教的な死生観、救済も分かりにくく…。
ヒロインにもトラウマが。かつて子供を身籠るも、命を落とし…。
少女を取り巻く大人たちの思惑。
娘を“奇跡の子”と信じ、献身する家族。が、それが却って娘の命を左右する事に。
新聞や取材などで利用しようとする輩。
調査を命じた教会側。調査報告を受け、断食の秘密が宗教が関わっていると知るや否や、報告を揉み消し。
“マナ”で生き永らえているとは言え、全く栄養が足りない。日に日に衰弱している。死を望む少女。神の思し召しの下に。
つまりは、宗教が一人の少女を死に至らしめる。こんな事、知られてはいけない。
何だかこのご時世と…。
客観的に、自分なりの解釈でレビューを書いていく内に、それなりに深いものも。
主演フローレンス・ピューや少女役キーラ・ロード・キャシディの熱演。
人里離れた閉塞感、地方の外れの何処か空虚感、全体覆う不穏感…セバスティアン・レリオの重厚な演出。
クオリティーは充分だが、とにかく重く、暗い。
難解でもあり、宗教観がそれに拍車をかける。
私はこの作品に、信じるものや救いを見出だせなかった。
カルト的なやつ
何も飲まず食わずでも健康な少女を巡る謎。
そのことを調査(監視)しに来たフローレンス・ピュー。飲まず食わずで人が生き続けられる訳がないと監視を続けて行くが、次第に少女は弱っていき…。
なんか、こういった小さなコミュニティと宗教って、くっつくと とんでもないことになるよなって。
近親相姦→兄の死→お前のせい→許しを乞え
って流れなんだけど、これが起きてるのが また家庭内だから、外部からは“見えにくい” のと、情報も遮断されるし 他者の言うことを受け入れないし…こう言うのがマインド・コントロールって言うんだよね。
私は無宗教だし、カルトなんて以ての外だと思ってるので、こう云う人の気持ちが余り理解出来ないけれど、こうやって人(少女)を縛り付けるのって本当に残酷。
最後はピューが救いの手を差し伸べる訳だけど、映画ながら宗教(カルト)という思い込みの鎖から開放されて幸せに暮らせると良いなと。
因みに、トム・バークがいた(笑)!
久し振りにみた〜
贖罪VS実存主義か?僕はそう見た。
アイルランドと大英帝国の宗教の違いを大英帝国側から見た話だと思う。
しかし、監督はどこの国の人?
まぁ、難しい話だと思う。尊厳死を理解できる民族なのだろう。
哲学的にも宗教感からも、僕には理解し難い。
良いか悪いかは別にして、人間が自ら生死を選ぶ事の難しさを語っていると思う。
最後、僕は単純に良かったのではないかと感じるが。
家の「物語」
優しさとぬくもりとされる「家」は共同体幻想=物語に他ならない。女の子どもという一番弱い存在が権力や圧力の元で沈黙や従順を強いられ大人の都合で聖人にまで持ち上げられるような暴力装置にもなりえるのが「家」だ。その物語を押しつけられ過剰適応している娘のアナを命がけで救えたのは看護婦エリザベスと「家」から脱出できていた新聞記者だけだった。エリザベスも家族の喪失という物語を背負っている。生後数週間の娘を失い夫も失踪した。娘の小さな足をくるんだ筈の毛糸の靴下を目の前に置き、娘の苦しみと自分の悲しみを忘れないための儀式のように自分の体を痛める。戦場で多くの兵士の死を看取り多くの子どもが貧困と飢えで死ぬ社会を知っている理性的なプロの看護婦である彼女は物語に絡みとられない強さがあった。
「家」の物語から脱出し各々が自分の意志で家族となったエリザベスとアナと新聞記者。この三人の結びつきは失敗しながらも逞しく生きる人間の再生と希望そのものだ。家がどれだけ子どもの足枷になりうるか。カルトと宗教は異なるが、今の私達が置かれている世界の可視化されていない部分はエリザベスのいた19世紀後半と大差ない。
このドラマのようなコスチュームものでも現代・未来を舞台にした作品でも、ピューの存在感と演技力は半端なく素晴らしい。
全8件を表示