「積み重ねた努力、関係性、情熱は素晴らしい。でも観察者としての視点は…」チョコレートな人々 MUさんの映画レビュー(感想・評価)
積み重ねた努力、関係性、情熱は素晴らしい。でも観察者としての視点は…
現在久遠チョコレートの代表をされている夏目さんを中心に、
20年近くの歳月をかけて撮影されたドキュメンタリー映画。
障害者だから労働はできないとするのではなく、その人その人に合わせて
職場を作り上げていく努力と情熱のすさまじさを見せつけられた1時間45分だった。
「チョコレートは温めれば何度でもやり直せる」のキャッチコピーのとおり、
夏目さんの失敗も捉え、上手くいかなくとも観察と工夫で乗り越えていく。
労働から排除されてきた障害者らに労働者としての場を与え、
利益を上げることで生活の質の向上や自立に必要な給与を支払う仕組みを確立する。
自分が傍観者でいいのか、何かしなくてはならないと思わせてくれる、
とてもパワフルな映画だと思った。
その一方で、構成において夏目さんを主人公に据えて彼の語りを多く収録した結果、障害者らが夏目さんのエピソードとして取り込まれてしまったようにも見える。
過去の夏目さんの取り組みや障害者の日常生活のシーン、スタッフ同士で支え合うシーンも挿入されているが、おおよその構成はトラブルや課題が発生し、夏目さんや支援スタッフが解決策を考えて実行し、事態が改善されるという一連の繰り返しである。
長くフィクションの映画において、マジョリティのためにマイノリティが引き立て役として都合よく配置されてきた問題がある。映画において夏目さんは健常者(マジョリティ)として位置づけられており、彼に注目しすぎた結果、彼が困難を乗り越えることが主題で、その引き立て役(困難)に障害者のスタッフたちが配置されている構造になっている。
チラシやタイトルから群像劇を志向してることや、チョコレートフェアで夏目さん自身が「みんなで作ったチョコ」であることにプライドを持っていたことからしても、夏目さん以外に注目するシーンを増やした方が、より「人々」の映画になったであろう。
また、夏目さんと観察者(監督)の距離感も気になった。映画では彼の振る舞いや取り組みを肯定的に見せていく。映画によれば業界内外で久遠チョコレートが批判を受けているそうで、監督の応援したい気持ちが強く出たのかもしれない。
しかし、ある女性の面接で幼少期の事を聞いたり(職場で「どういたいか」を聞くだけでよかったはず。他者からのエピソードの押し付けはすべきではない)、その人との飲み会後の距離が新規に雇用した相手としてはアウトでは?と思わせる近さだったり、重度障害者本人の意思を確認する描写がないことから、給料日にプレゼントと共に母親にありがとうと言うように彼が指示するシーンが感謝の強要にも見えたりと、現実ではフォローがあるのかもしれないが、端から見ると危うい関係性ではと思うシーンが無批判に流される。
唯一の直接的な異議申し立ては、以前開いていたパン屋で勤務を継続できなかった障害者の母親の「(子は)健常者ではないんです。大人になってください」というシーンのみだ。
誰しも完全ではないことを見せているようにも見えるが、あまりに無批判に挿入されていることからも監督自身がこれらのシーンの問題を認識できていたかは疑わしく、ざらりざらりと砂のような不信感が混入したのはもったいなく思う。
と色々と書いたが、見終わった後には久遠チョコレートが食べたくなる映画だ。
今度食べる時は作り手や売り手たちの顔を思い浮かべながら食べることができるだろう。