「2人のワーキングママが抗えないシステムに立ち向かう」SHE SAID シー・セッド その名を暴け スモーキー石井さんの映画レビュー(感想・評価)
2人のワーキングママが抗えないシステムに立ち向かう
本作は#MeToo運動の火付け役になった2人のママさん記者たちの奮闘を描く。
火をつけるどころか火を起こすところから始まる本作のストーリーは報道記者の苦労をひしひしと感じる。また本作は傷つき、沈黙を余儀なくされた多数の被害者の存在がある。彼女らは公序良俗を無視した悪法たる契約の存在とそれを守る法の番人たちのせいで半ば生ける屍状態だ。
中でも印象深い台詞は物語導入でミーガンが語る 報道機関は法的支援はできない というもの。
しかし、観賞後そんなことはないと強く主張できると私は考えるにいたった。
報道とは報われる道と書く。
ひとつの記事を世に出すための労力たるは想像を絶する。
足を運び、関係者の心を解きほぐし、証拠や裏付けを得て、根回しもする。
他社とのスピード競争もあるだろう。
まさに究極の製造業といってもよい。
彼ら彼女らのとりわけ弱き者たちのための頑張りが報われ続けてほしいと願うばかりである。
コメント拝読致しました。ご指摘頂き、しばらく考えてみて
わざわざ肩書を強調する事への違和感、今なら少し分かる気がしてます。
結論から言うとわざわざ肩書を強調するのは無意識に他者をその肩書とやらで「閉じ込めている」。もっというと、色眼鏡で見る前時代的価値観への囚われなのだと考えてます。
そして、あなたがコメントをして頂いたことがきっかけでそれに気づくことができました。以後レビューに投稿する際は、そんな囚われから解放し、またレビューをご覧になる方への配慮をした方がいいなって考えてます。
この人は、どのレビューでも、「サラリーマンが」「主婦が」「ワーキングマザーが」など、肩書を添えた上で、記載するのかもしれないけど、現代の日本で「共働き家庭の方が多数派」(主婦よりも、働いている母親の方が、多数派)なのに、わざわざ、ワーキングマザーが、と、強調しているところに、違和感を感じた。
「働いている女性」が多数派で、当たり前の時代なのに(現代。数年前から、共働き家庭の方が、多数派)昔の感覚のままなのか、全てに肩書を付けないと、語れないからなのか、不明だけど
「ワーキングマザーが」という、注釈(肩書の強調)があるのは、違和感が強かった。

