劇場公開日 2023年1月13日

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「女性記者たちの日常と地味な取材の様子を単調なまでに繰り返します。本作の単調さは、欠点とは限りません。逆にそれが 「武器」になっていると思います。」SHE SAID シー・セッド その名を暴け 流山の小地蔵さんの映画レビュー(感想・評価)

4.0女性記者たちの日常と地味な取材の様子を単調なまでに繰り返します。本作の単調さは、欠点とは限りません。逆にそれが 「武器」になっていると思います。

2023年1月22日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

 2017年10月。米ニューヨーク・タイムズ紙に、世界を大きく揺り動かすスクープが 掲載されました。ハリウッドのプロデューサーで、絶対的権力者だったハーヴェイ・ワインスタインタインによる性的暴行事件です。
 固く沈黙を守る被害者に取材を続けた記事は反響を呼び、ピュリツァー賞受賞。2020年に、ワインスタインが禁固23年の判決を受けることにつながりました。この記事を書いた2人の女性記者の回顧録が原作となっています。

 さらに事件は性被害に遭った女性たちの告発運動「Me Too」に発展し、今も世界中に広がっています。また、ワインスタインに2度目の有罪判決が下ったのは、つい先月のことです。
 被害女優たちも現役で、作品の中でも実名が登場します。アシュレイ・ジャッドに至っては本人役を演じているのです。

 物語は、ニューヨーク・タイムズ調査報道部の記者ミーガン(キャリー・マリガン)とジョディ(ソーイ・カザン)は、性暴力の情報を得て取材を開始することから始まります。数十年にわたり多くの女性たちが被害に遭っていたことを知るものの、守秘義務付きの示談や報復への恐怖、絶大な力を持つ相手への無力感やメディア不信など厚い壁に阻まれる。2人は粘り強い取材を重ね、証言や証拠を集めてゆくのでした。

 けれども「パルプ・フィクション」「英国王のスピーチ」など、映画界に新風を吹き込んだワインスタイン側の守備は固く、証拠は消されていきました。権力者の性的暴力に始まる事件から浮上する現実の壁は厚かったのです。権力・金そして政治の癒着。裁判にかけても、フェミニストを自称する弁護士までもが示談を勧めてくる始末。ワインスタインは100万ドルの示談金を提示します。示談に応じた側は口外しない一項に署名。応じなかったのは、ひとりだけ。さらにジャーナリズムへの圧力。
 ワインスタインは、仕事を名目にお目当ての女をホテルに呼び出した事は認めましたが、多くを否認しました。女にしてみれば、屈辱、心理的恐怖を受けたのは明白です。
 有名になりたい。金持ちになりたい。ハリウッドが生んだスター・システムの歴史の裏側はあるにしても、事務所で働いていた女たちまでが辞職に追い込まれ、住む土地も変える事態となっていたのです。
 この事件は21世紀の今も起き続けました。示談金は会社経費で決済。情報は経理担当から漏れ始めたのです。

 真実が暴かれるスリリングな展開や記者の正義感と情熱、それを支える新聞社の信念という要素は「大統領の陰謀」以来のこのジャンルの定番です。通常ならここを強調してエンタメ作品にするところ。しかしワインスタインの裁判は続き、告発も後を絶たえません。ドラマ化するには生々し過ぎる現在進行形の出来事をどう見せるか。女優でもあるマリア・シュラーダー監督は、あえてドラマチックな描写は避け、禁欲の道を選びました。被害女性たちへの暴行場面を一切描かれません。ワインスタインも声と後ろ姿だけ。顔は見せず、ほんの少ししか登場させません。その代わり、女性記者たちの日常と地味な取材の様子を単調なまでに繰り返します。本作の単調さは、欠点とは限りません。逆にそれが 「武器」になっていると思います。

 取材先に電話をし、メールを送り、話を聞く。連絡が取れない相手は、直接自宅を訪ねてみる。2人の記者、ジョディとミーガンが、ゴツゴツと取材を重ねる様子を、家庭での「母」としての姿を交えながら積み重ねていきます。その点は女性が出産、子育てをしながら働く困難さを描いた映画としての重みも感じられることでしょう。

 さらに、話は聞くことができても非公表前提の「オフレコ」。示談成立に伴う秘密保持契約も大きな壁となります。悪を捉えながら記事にできないもどかしさは、見ているほうも記者の気持ちに感情移入されていきました。
 しかし勇気を振り絞り、報道前提の「オンレコ」の取材を受ける被害者が現れ、重い口は開かれていくのです。それが電話やインタビュー、編集会議など、同じような場面の繰り返しで淡々とつづられていきます。

 そのため娯楽作品としてのバランスやカタルシスには少々欠けてしまいした。しかしそれを犠牲にしても強調するのは、問題の根はワインスタイン個人ではないということ。権力者の不祥事を金と守秘義務契約で闇に葬る男性支配社会を厳しく批判し、事件の現代性を訴えているのです。

 余談ですが、わたしはセクハラをはじめとするハラスメントには懐疑的でした。冗談も言えない社会になってしまったことについて閉塞感を感じるからです。そんなわたしでもワインスタインの傲慢さと女性を単なる性の道具にしか見ていない人間性を見せつけられて、次第にこんなセクハラは許せない思わずにはいられなくなったのです。

 さて、本作の単調さに話を戻します。
 デリケートな題材に対し、その単調なリズムが一種の上品さを生み、倫理を保つものではないでしょうか。記者たちをことさら英雄視しない、抑制した語り口や扇情的にならず、一方でひたひたとサスペンスを醸成していく単調さは、欠かせない要素なのだと思います。同じようにジャーナリストを描く「大統領の陰謀」や「スポットライト 世紀のスタープ」とアプローチは似ていますが、禁欲度はより高いといえるでしょう。
 ハリウッドには昔から、「キャスティングカウチ」という言葉があるそうです。プロデューサーらが自分の部屋に女優を呼び、カウチ(ソファ)での性的行為と引き換えに役を与えることなのだそうです。残念ながらそれが今も死語にはなっていなく、次々と映画関係者のセクハラが露見しています。
 物語は素っ気なく、突然ラストシーンを迎えます。映画は終わっても、現実の問題はまだ終わっていないことに留意すべきでしょう。

追伸
 セクハラ取材と並行して、当時の大統領選挙の話題が頻繁に挿入されます。徹底しているのは、挿入されるニュース映像がことごとくトランプのスキャンダルばかりということです。セクハラを起こしたハーヴェイも熱心な民主党支持者でしたが、本作もトランプバッシングの挿入を通じて、相当な民主党支持なんだということを実感しました。ハリウッドというところは、民主党の牙城なのでしょうね。

流山の小地蔵