春に散るのレビュー・感想・評価
全262件中、1~20件目を表示
最高の散り方
物語自体はオーソドックスだ。判定負けでボクシングを引退し長年渡米していた老いた元ボクサー広岡のもとに、あるきっかけから弟子入り志願の若者翔吾が現れる。トラブルや葛藤、広岡の病状の悪化などがありながらも、やがて二人は世界チャンピオン中西との試合に臨む。
登場人物の環境の変化についての描写は、時に意表をつかれるほど淡々としてさりげない。一方、手に汗握るリアルなボクシングシーンが、翔吾の葛藤や成長、ライバルたちの人間性までも語り、このシンプルなドラマに命を吹き込んでいる。
広岡と翔吾の、互いに与え合う対等な関係がいい。広岡は翔吾にボクシングを教えたが、翔吾は広岡が若い頃に諦めた夢、ボクシングへの情熱を再び与えているように見えた。
生き急いでいるように見えるほどのひたむきさを持った翔吾のボクシングは、刑務所あがりでやさぐれていた次郎や、怪我のリスクを抱えて試合に臨むことに批判的だった令子までも変えてゆく。
夏の章からの幕開けと「春に散る」というタイトルは、この物語が単純な、何も失わないハッピーエンドではないことを予感させ、そのことがクライマックスの世界チャンピオン戦の緊張感をいっそう高めている。
でも、ある意味これ以上のハッピーエンドはないのではないだろうか。広岡も翔吾も、胸にくすぶっていた炎を燃やし尽くしたのだから。全くレベルの違う人生なので簡単に言うのは恐縮だが、私もこんなふうに散りたい。そう思わされる清々しいラストだった。
キャスティングに、本物のボクシングを撮りたいという思いを感じた。
優れた指導者に贈られるエディ・タウンゼント賞受賞歴があり、「ケイコ 目を澄ませて」でもボクシング指導をした松浦慎一郎(翔吾の所属するジムのトレーナーとして出演)をボクシング指導・監修に配した。片岡鶴太郎はプロライセンスを持ち、セコンドの経験もある。窪田正孝は2021年の映画「初恋」でボクサーを演じて以来、プライベートでボクシングジムに通っている。尚玄はボクサーの映画の企画を自ら立ち上げ、主演したことがある。
横浜流星は期待通り素晴らしかった。本作の出演をきっかけにプライベートでもボクシングを始め、6月にプロライセンスを取得したというからすごい。ひたむきさと危なっかしさ、隠していても覗く母親への愛情。失明のリスクを負ってもなお、力の限り今を生きようとする翔吾がそこにいて、リングサイドで思わず応援したくなる、そんな気持ちになった。翔吾が何故、広岡の枯れた心に火を着けることができたかよく分かる。
窪田正孝は、役に合った表情の変え方がとても上手い。「ある男」で誠とその父親の二役を演じた姿を見たが、ほんの数分映った犯罪者である父親の姿の時、誠と打って変わって殺気立った目つきがとても印象的だった。
本作では、不遜な態度でつかみどころのない雰囲気の世界チャンピオン大西という役どころ。翔吾との対戦が決まった後、大西が翔吾のジムにふらりと現れて帰りしな車に乗る時、挑発してきた翔吾に向けた視線の鋭さにはっとした。個人的に、彼の近年の出演作では朝ドラ「エール」での繊細な作曲家役が彼の演技の振れ幅の対極として印象深く、大西に化けた彼の凄みを余計に強く感じた。
孤独なトレーニングに耐え、負ければ相手に敬意を払える、単純なヒールではない大西の描かれ方もよかった。
作品全体を引き締めるのはやはり佐藤浩市の存在感だ。冒頭、不良に絡まれた時の動きは初老の元ボクサーとしての説得力十分。夢に挫折し、人生の終わりを目の前にした男の諦念を漂わせつつも、横浜流星とは異質ながら向こうを張る華があり、広岡という人物に惹きつけられた。
意外とアバズレの似合う(褒め言葉)坂井真紀、くりっとした透明な瞳で佳菜子の虚無感も生気も表現した橋本環奈、ちょっと出てきただけでろくでなし男としての生々しさがすごい奥野瑛太もよかった。
主演二人が両輪を成し共闘していく様が魅せる
沢木耕太郎といえば「深夜特急」が思い出される一方、「一瞬の夏」などのボクシングに焦点を当てたノンフィクションでも知られる。そんな彼が小説という形で二人の男の再起をかけた共闘を描いたのが「春に散る」だ。映画と文学はまた別物と思いつつ、冒頭の居酒屋で佐藤浩市がたった一杯のビールを大事そうに、美味そうに飲み干すシーンを見ただけで、この映画が受け継ごうとしている魂を感じた。そこからの身のこなし、全てのきっかけを作るパンチ。極限まで体を鍛え上げた横浜流星が炎の塊だとすると、本作での佐藤浩市は熱すぎず、冷めすぎず、人生を少し達観したところから見つめる共闘者を真摯に演じている。この両輪が素晴らしい。また、彼が声をかける昔の仲間として、片岡鶴太郎がなんともいえない味わいをもたらし、微笑ましくも胸熱くなる。その他の競演陣が色を添える様も実に見事。それぞれの生きる道が重厚に織り込まれたドラマに仕上がっている。
邦画界の“ボクシング部”的人材が大集合
大勢の熱意が結実した力作なのは確かだ。毎回演技派の人気俳優たちが豪華に顔を揃える瀬々敬久監督作品だが、今作には実際にボクシングや他の格闘技の経験があったり、過去作でボクサーを演じたことのある身体能力の高い役者たちが大集合。翔吾役の横浜流星は中3で空手の世界大会で優勝し、「きみの瞳が問いかけている」ではキックボクサー役で主演、また本作の役作りの一環でボクシングのプロテストを受け合格した。
翔吾が所属するジムのトレーナーの一人、山下を演じる松浦慎一郎は、瀬々監督が認めるように近年の日本のボクシング映画のキーパーソン。大学でボクシング部に所属し、俳優の下積み時代にはトレーナーも兼業、ボクシング指導を担った作品は「百円の恋」「あゝ、荒野」「ケイコ目を澄ませて」など多数あるほか、ボクシング映画への出演も多い。世界チャンピオン・中西を演じる窪田正孝は「初恋」「ある男」に続き3度目のボクサー役で、「ある男」で共演した松浦から撮影後も個人的にトレーニングを受けていたという。別のジムのトレーナー・郡司を演じた尚玄は、「義足のボクサー GENSAN PUNCH」のタイトルロールで主演。佐瀬役の片岡鶴太郎も、芸能活動で人気を博してから33歳でプロテストに合格している。こうした役者たちの豊かな経験と資質に加え、瀬々監督の演出と松浦の指導の下、ボクシング演技の精度をさらに高めていったことが本作の迫力ある場面に貢献したのは間違いない。
個人的な好みになるが、翔吾と中西の試合でパンチが顔にヒットして打ち抜くまでのアップをスローで見せる演出は、当然ながら相手に怪我を負わせない力の入れ加減がわかってしまうので、再生スピードを落とさずにカットを工夫して見せる演出の方が迫真度が増したのではないか。もっとも劇映画でこれ以上のリアリティーを求めるなら、現役のボクサーたちを起用して実際に殴り合う姿を撮影するか、打たれた瞬間の顔の歪みや頭部の揺れをポストプロでCG加工して描画するしかないだろうという気もする。
もう一点、これも好みの問題だが、「春に散る」のタイトルが表示されたあとのシークエンスは蛇足に感じた。あのタイトルショットで潔く終わった方が余韻をより深く味わえそうなのに。とはいえ、若い世代には希望が託されるラストシークエンスの方が共感度が高いだろうか。
春にボクシング
走るよ
アマプラで鑑賞。
要するに「ロッキー」なんだけど、話しの焦点がボクサー役ロッキーの流星くんと言うより、青春を置き去りにしてしまったトレーナー役の元ボクサー、浩市さん鶴ちゃん翔ちゃんの爺ィ三羽烏の挫折と再生を軸に描いていて、還暦爺ィである自身としては身につまされました。
爺ィ3人はみな心に傷を抱え、ただ老後をゾンビの様に生きている。それを、流星くんの青春の情熱や煌めきによって変えられていく。トレーナーに復帰してする翔ちゃん、子供達を育ててボクシングの素晴らしさの伝道師となる鶴ちゃん、そして自らの夢を流星くんと共に達成し、春に散る浩市さん。桜の木の下には亡骸が眠っている。でもその顔は満足感で満ちているのです。老境に差し掛かる還暦になった自身としては、生きるってなんだろう?ゾンビの様に生きるのは果たして生きているのだろうか?と思わせられる好編でした。
定型
日本の美、満載。素朴で良い。
クライマックス、中西利男(窪田正孝)との試合、スローモーションの演出は泣ける。
居酒屋の外での出会いのシーンが面白い。そして、夏は特等席から花火を見て、祭りがあって秋になって、冬のイベントがあって、春に散るのは桜だけではなかった。
古いジャッキーチェン映画のような師弟もので、ベタなプロットだが引き込まれる。
序盤、主役の二人(佐藤浩市&横浜流星)がボクシング界隈の判定について理不尽である旨のセリフがあるが、それは負け犬の遠吠えだったのかもしれない、ということが後に判明するような展開で上手い。
年頃の男女、黒木翔吾(横浜流星)と広岡佳菜子(橋本環奈)の二人については、あっさり爽やかにスッキリ美しく纏めていた。
一瞬の光
「春に散る」公開を受け、ニュース番組内で「晩年を生きる」美学を描くと題して、沢木耕太郎の特集があった。
「春に散る」のあとがきでは、私が描きたかったのは見事な「生き方」ではなく鮮やかな「死に方」でもない。あえていえば「在り方」だった。と書かれてあり、死が、明日でもあまり文句は言わない。と、。
今、これでいいと思ってる「瞬間」をできるだけ連ねていければ、
自分に一生楽しめることが一個見つかれば、それでいいのだと。
つまり、佐藤浩一が現役から40年離れ、再び向き合ったもの。
横浜流星が死力をかけて挑んだもの、それがボクシングであり、最高の勝利を掴みとる「一瞬」が、一生の一個なのであったのです。
激闘の世界戦は、回を重ねる毎に汗と血が迸り、私たちは震え、涙した。
そして、一瞬の光の後、春は散った。
ボクシングが好きな人には面白いのかも
横浜流星の役作りは見事だが?
CSで録画視聴。
横浜流星の役作り、ボクシングシーンは見事。
ただ、ストーリーに関してはもう少しコンパクトにしても良かった。133分も長すぎる。
ありきたりの話だが、せっかく横浜流星の演技は見事だったのにもったいない。
男たちの映画
また観たい!
仁一と翔吾の「想い」
<映画のことば>
「そういうのなぁ「特攻精神」って言うんだよ。そんな考えは捨てちまえ。」
「仁さんだって、隠して、手術しようとしないで、メチャクチャじゃねえかよ。」
「年寄りは、メチャクチャなんだよ。」
上掲の映画のことばのように言って、仁一は翔吾の世界への挑戦を引き留めるのですけれど。
しかし、翔吾が最後に挑戦を決断したのは、けっきょくは「幸運の女神に後ろ髪はない」ということなのでしょう。
その決断が正しかったのか、間違いだったのか―。
ただ、間違いがないのは、翔吾にとっては失明の危険を冒してでも世界に挑戦する気概があり、彼はその気概を大切にしたという「事実」が残るだけなのだと思います。
だから、その「事実」だけを「事実」として受け止めるべきなのであって、そういう決断の当否は、第三者が論ずるべき筋合いのものでもなく、決断をした当の本人にも、本当は分からないのかも知れません。
ただ重く受け止めるべきは、トレーナーを引き受けた仁一と、世界に挑んだ翔吾の「想い」ということなのだと思います。
そう考えると、ズシリと重いものが胸に迫る一本だったと思います。
そして、その中にほのかに見える仁一と翔吾との師弟愛が素敵な一本でもありました。
そして、往年のボクサーとしての仁一にも、思い残すことは、これで何もなかったことでしょう。
「願わくは/花の下にて/春死なん/その如月の/望月の頃」と詠んだ西行のような、明鏡止水の心境だったのだろうとも思います。
そんなこんなの意味をこめて、佳作としての評価が適切な一本であったとも思います。
(追記)
それにしても、歳をとりましたねぇ。佐藤浩市も。
見事な白髪になっていましたけれども。
今年(2024年)の誕生日が来て64歳ということですから、まだこれが「地毛」というわけでもなかったのだろうとは思いますけれども。
その見事な白髪が、本作では印象に残りました。
(追記)
ボクシングは、ある意味、不思議なスポーツでもあると思います。
グラブやマウスピースといった(最小限の?)保護具を装用した上でとはいえ、半裸の男たちが、ただただ殴り合うということだけで、どうしてこんなにも観客の熱狂を誘うことができるのでしょうか。
(その点、ジョー的な要素が強いプロレスリングとは、好一対かとも思います。)
ただ只菅(ひたすら)に自分の足で走るだけというマラソンという競技が、あんなにも観客の感動を呼び起こすのと、同じなのかも知れないと、評論子は思います。
(追記)
試合の時に、レフリーが両方の選手にかける掛け声も、評論子には、意外でした。
「ファイト」(頑張れ)ではなく、「ボックス」(殴り合え)なんですね。
それは、もともとが殴り合う(ボクシング)というスポーツなのだから、ということになりそうです。
妙なところに感心してしまいました。
チャンプを目指すな 人生を学べ
最近ボクシング映画が増えてきたような気がする。「BLUE/ブルー」、「アンダーザドック」、そして本作。
松山ケンイチ、東出昌大、森山未來、北村拓海、そして本作の横浜流星と窪田正孝。みんなストイックに筋肉を作って、本当のボクサーのような体型に仕上げる。この俳優魂はやはり凄いと思う。ただ、いつもTKOがなく、リングで打ち合い続けるのはウソだと思うけれど。
ウソでも、その鍛えられた体を見ると文句が言えなくなる。
どこまでが真剣勝負かはわからないが、彼らはまさにボクサーだ。
「すんげえ世界が見えたんだよ」
この横浜流星の言葉にウソはない。
そして、彼が練習してきたジムに掲げられていた、「チャンプを目指すな 人生を学べ」という文字がいつまでも心に残る。
全262件中、1~20件目を表示