「げんきですなあ」オールドピープル 津次郎さんの映画レビュー(感想・評価)
げんきですなあ
しぬ選択ができる未来があればいいなと思います。
今年(2022年)のカンヌ映画祭で早川千絵監督の「PLAN75」がカメラドール賞を獲得しました。
未見なのですがPLAN75には75歳になると生死を選択できる未来社会が描かれているそうです。
海外のインタビュー記事にありましたが、早川監督はPLAN75の脚本/アイデアを構築する過程で、親類や知人に「日本政府が75歳以上の安楽死プログラムを主催したら、あなたは賛成しますか?」とたずねたそうです。
その結果──ほとんどの人が、他人や自分の子どもの負担になりたくないと、とても前向きに考えている──という答えが返ってきた、とのことでした。
姥捨山のような棄老伝承を翻案した世界はフィクションとはいえ日本社会の命題です。
成田悠輔氏は「高齢者は老害化する前に集団自決みたいなことをすればいい」と提案しています。
地球で高齢者比率がもっとも高い日本には、フィクションに過ぎないと思われていたり、過激な発想だと揶揄されていたことが、切迫した現実になる時代が、かならずやってくるはずです。
──
高齢者が凶暴化して襲ってくるという話。
老人に置き換えたゾンビ映画といっていいでしょう。社会派な視点を併せ持っている気配がむしろばかっぽさを加速させていました。そもそもそんな体力があるなら高齢者問題は解消するでしょう──という本末転倒な与太話でした。
ラストで「若い世代にお年寄りたちの怒りを防ぐ時間はあったのか」と問いかけますが、高齢化社会の問題でもっとも初歩的な勘違いは、高齢者をじぶんとは別の人間と見なすことに他なりません。
誰もが未来の老人です。それを前提にしていない話ほど、うさん臭いものはありません。
けっきょく社会保障の問題が遅遅としてすすまないのも、じぶんがその立場になく、その立場(高齢者)になったらなったで、もはや施政に傾ける体力気力は残っていないから──でもあるでしょう。
ところで、テレビがないのでつい最近知ったのですが徹子の部屋という番組がまだつづいているそうです。
驚愕しました。
窓ぎわのトットちゃんという自伝小説をご存知でしょうか。2022年現在、41年前(1981年)の著作です。
じぶんの来歴を回顧してから、まだまだつづく40年というものは、別れの場面で、ぜんぜん閉じてくれない列車の扉のようなものです。
人命の重みが法案化を阻んで、現実には、しねる未来は至難でしょう。でも人生100年は既に常態です。
高齢化社会とは社会保障の問題もさることながら、健常な老齢者が道を譲ってくれない世界でもあるはずです。