「黒人が言う。どうして黒いバンドエイドがないんだ?」アイアム・ア・コメディアン 栗太郎さんの映画レビュー(感想・評価)
黒人が言う。どうして黒いバンドエイドがないんだ?
自分もまあまあお笑い番組は好んで見るが、ウーマンラッシュアワーが出てくるとチャンネルを替えていた。どこにあるのか自信満々で、聞き取れないほどにまくし立てる喋りが嫌だった。となりで自分だけは善人だと訴えているような相方も嫌いだった。いつの間にかテレビから消えて、そもそも気にもしてなかった。すっかり、もうすっかり忘れ去ったころにこの映画の告知を見た。まだいたのか、と思った。コイツが映画として成り立つのかとも思った。そこに興味がわいた。好きでないけど、どれひとつみてやろうじゃないか、の高みからの興味(不遜ですが)だった。
彼が政治的発言を繰り返せば繰り返すほど、番組はしらけ、客は離れる。結局、彼は日本の風土に合わなかった。だけど、なぜ彼はそうし続けたのか。その空気を感じられないほど馬鹿だったのか。その答えの一つは、彼の故郷だ。美浜原発のある福井県おおい町の出身なのだ。生活に原発が直結している。黒人が黒人ネタで笑い(タイトルの小噺)を取るように、在日が在日ネタで笑い(岡田某氏の少年時代の思い出話)を取るように、彼は原発で笑いをとることにいささかの躊躇もない。当事者意識があるからだ。だから、沖縄にも障碍者にも踏み込んでいく。だけど、高慢なジャーナリストと違って視線が同じだから受け入れらているみたいだ。そこには、彼の凄みというよりも、彼の勇気というよりも、彼の意地というよりも、彼の可愛げがあった。
テレビで嫌われても、ライブをやれば渋谷で1,000人の客を呼ぶ。漫才でなくてスタンダップコメディで。ライブのあと、緞帳が降りても舞台に残り、客が帰っていく様子を聞いていた。自分を信じてくれている人たちの足音や会話に耳をそばだてている姿は、まだまだ彼は芸人といて死んではいない姿だった。